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~空き部屋事件~
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若き青年医師・ジョンソン・ハイミックス・ワトスンは、怒りのままにハイストリートを歩いていた。
従軍先で負傷し、故郷に帰国したは彼は、住居に窮していたところ、とあるパブで偶然再会した知人ウィル・カスターにベィカー街112Bの下宿を紹介された。
そこの大家はセレナ・ハドソン未亡人という女性で、建物の状態も良好、三階建てで部屋も広く、周辺の環境も良いし、何より日々の食事付きという点が気に入り、ジョンソンは即座に入居を決めた。
ところが荷物(といってもトランク一個だけであるが)を運び込んだ時、夫人は思わぬ一言を発したのである。
「先に入居されたルームメイトの方は、いつ頃お帰りかしら?」
「……ルームメイトォ!?」
ジョンソンは初耳だった。しかし夫人が言うには、この下宿は広さと家賃との兼ね合いもあり、二人一組で入居するシステムになっているとの事。
ウィルはジョンソンとは別にもう一人にも声をかけたのだろう。しかし当事者たちには一言も無い。
ジョンソンは文句を言うべくウィルの元へ向かったが、彼は急な仕事で既に旅立った後だった。
そこでやむなく、もう一人の入居者と話をつけるべく、相手を探して向かったのである。
歴史ある名門と名高いオックスソード大学。
目的の人物は書庫の中で何やら難しそうな本を読んでいた。
案内をしてくれた紳士に名を呼ばれ、振り向いた相手と、ジョンソンの視線が合う。
『同居人』は、見たところ16歳か17歳。まだ子供の域を脱したばかりのような、人形のように端正な顔立ちで、白いスーツに格子柄のインパネスコートを羽織り、肩にかかる金色の髪は薄暗い室内でもよく映えた。
そして質素な衣服をまとっていても、漂う高貴さは隠されない。
優雅な身のこなしや態度から、貴族階級出身である事は明白だった。
───上流のマダムたちがいかにもチヤホヤしそうな、凛とした美少年。
それが第一印象。
「…オレはジョンソン・H・ワトスンという者だ」
「帰還兵が私に何の用ですか?」
挨拶をした途端言い当てられた真実に、ジョンソンは目を丸くする。
「なんでそんな事知ってんだ!? ウィルに聞いたのか?」
瞬間、相手は眉をひそめた。
ジョンソンの紳士らしからぬ言葉使いに不快を感じたらしい。
「ウィルと言うのは、あの下宿を紹介した男だな。彼とはその日が初対面で、以降会っていない。君の話など聞いた事もありません」
元々貴族とは相性の良くないジョンソンだが、その居丈高な物言いにムッとした。
「私の名はS・ホームズ。君が帰還兵である事など一目でわかる」
そう言って言葉を続ける。
「まず住居を探している男ありき。そして一つ、君はこの国の気候とは不似合いに日焼けしてるし、長旅疲れの痕跡が見える。二つ、腕の動きが少し不自然だから負傷していたと察する。三つ、現在この国内において以上のような状況にあるのは、従軍していた以外の理由は有り得ない」
実に論理的で鮮やかな推理に、ジョンソンは唖然とした。しかしすぐに立ち直り、余裕の笑みを作って言い返す。
「残念だが一つ間違いがあるぜ。オレは帰還『兵』じゃなくて軍医だ」
ツンと横を向いていた相手は、彼の言葉に目を見開いた。
「軍医?──医者なのか?君が?」
「おう。文句あるか」
あからさまに意外そうな声は、ジョンソンのプライドをチクチクとつつく。
確かにジョンソンは医師よりも軍人に相応しい体格だし、身につけているコートもスーツも長旅仕様に実用性を追求した物だから、洗練された都会の紳士には見え難い。帽子やステッキも体裁を繕うだけの代物であろう。
しばし彼を凝視していた相手は、再びそっぽを向く。
「世の中には時々、私の理解の範疇を越えた実に不可解な現象が起きるものなのだな」
「…んだと、このガキ!」
まさに一触即発。そのままケンカになってもおかしくない雰囲気だったが、ふいに聞こえた失笑に阻まれる。
彼らの背後で、ジョンソンを案内して来た正真正銘の紳士がクスクスと笑っていた。
「いや失礼。それにしても驚きました。かの名探偵も推理をはずす事があるのですね」
「アーネスト教授。時には常識外のデータも存在するという証明ですよ」
「名探偵?」
シャーロットの失礼な発言より、ジョンソンは紳士の一言が気にかかって問い返す。
「Drは御存知ないのですか?こちらは警視庁のお歴々も頭を下げて頼るという当代きっての名探偵、シャーロット・ホームズ嬢ですよ」
「そういえば、なんかスゴ腕の探偵がいるって噂は…………え?」
瞬間、滑らかに流れた紳士の言葉の一部が、ジョンソンの頭の中でひっかかった。
……今、なんて言った?
名探偵。こんなガキが?
いや、そうじゃなくて。
聞き間違いでなきゃあ、確か『嬢(レディ)』……
「…レディい!? 女なのか!? コレがぁ!?」
仰天するジョンソンに指差され『コレ』呼ばわりされたシャーロット・ホームズは一瞬で不機嫌度MAXになる。
「なんという無礼な男だ。Drなどといっても、品性までは取得していないとみえる」
「そんな格好してりゃ誰だって間違うだろ。第一、女がなんで探偵なんかやってんだよ!!」
ジョンソンの言葉は暴言に聞こえるが、当時としては当然の意見だ。
女性の社会進出がめざましい時代とはいえ、ファッションは裾の長いドレスが主流だし、探偵という職業自体、男性ですら珍しい。
しかしシャーロットは即座に反論する。
「容姿に惑わされて性別を見誤ったのは君の判断力不足だろう!第一、女王陛下が統治するこの先進国で女性を蔑視するなど不敬罪にも等しい!!」
無論、その言葉も一理ある。互いにプライドを刺激され、この後、大ゲンカをする事 小一時間。
そして、そもそもの発端である部屋の所有権は意地もあってか二人は共に譲らず、ハドソン夫人の提案でジョンソンは3階に、シャーロットは2階に、不本意ながら同居する羽目になってしまった。
「君のような野卑で下品な男が一つ屋根の下に住むなどゾッとするが、屋根裏の鼠と思って耐えよう。忠告しておくが、妙な考えを起こすなよ。テレムズ河に浮かびたくなければな!」
シャーロットは剣技の達人である事を前置きしてからそう述べた。
対して、ジョンソンも黙ってはいない。
「誰がお前みたいなヤセカギに手なんか出すかよ。オレの方こそ橋の下で寝る事思えば、口うるせぇ猫の一匹くらい、見逃してやるぜ!」
二人は火花を散らしつつ、二階と三階に別れた。
かくして、男装の少女探偵シャーロット・ホームズと、若き医師ジョンソン・ワトスンは、一つ屋根の下に暮らす事と相成ったのである。
続く
従軍先で負傷し、故郷に帰国したは彼は、住居に窮していたところ、とあるパブで偶然再会した知人ウィル・カスターにベィカー街112Bの下宿を紹介された。
そこの大家はセレナ・ハドソン未亡人という女性で、建物の状態も良好、三階建てで部屋も広く、周辺の環境も良いし、何より日々の食事付きという点が気に入り、ジョンソンは即座に入居を決めた。
ところが荷物(といってもトランク一個だけであるが)を運び込んだ時、夫人は思わぬ一言を発したのである。
「先に入居されたルームメイトの方は、いつ頃お帰りかしら?」
「……ルームメイトォ!?」
ジョンソンは初耳だった。しかし夫人が言うには、この下宿は広さと家賃との兼ね合いもあり、二人一組で入居するシステムになっているとの事。
ウィルはジョンソンとは別にもう一人にも声をかけたのだろう。しかし当事者たちには一言も無い。
ジョンソンは文句を言うべくウィルの元へ向かったが、彼は急な仕事で既に旅立った後だった。
そこでやむなく、もう一人の入居者と話をつけるべく、相手を探して向かったのである。
歴史ある名門と名高いオックスソード大学。
目的の人物は書庫の中で何やら難しそうな本を読んでいた。
案内をしてくれた紳士に名を呼ばれ、振り向いた相手と、ジョンソンの視線が合う。
『同居人』は、見たところ16歳か17歳。まだ子供の域を脱したばかりのような、人形のように端正な顔立ちで、白いスーツに格子柄のインパネスコートを羽織り、肩にかかる金色の髪は薄暗い室内でもよく映えた。
そして質素な衣服をまとっていても、漂う高貴さは隠されない。
優雅な身のこなしや態度から、貴族階級出身である事は明白だった。
───上流のマダムたちがいかにもチヤホヤしそうな、凛とした美少年。
それが第一印象。
「…オレはジョンソン・H・ワトスンという者だ」
「帰還兵が私に何の用ですか?」
挨拶をした途端言い当てられた真実に、ジョンソンは目を丸くする。
「なんでそんな事知ってんだ!? ウィルに聞いたのか?」
瞬間、相手は眉をひそめた。
ジョンソンの紳士らしからぬ言葉使いに不快を感じたらしい。
「ウィルと言うのは、あの下宿を紹介した男だな。彼とはその日が初対面で、以降会っていない。君の話など聞いた事もありません」
元々貴族とは相性の良くないジョンソンだが、その居丈高な物言いにムッとした。
「私の名はS・ホームズ。君が帰還兵である事など一目でわかる」
そう言って言葉を続ける。
「まず住居を探している男ありき。そして一つ、君はこの国の気候とは不似合いに日焼けしてるし、長旅疲れの痕跡が見える。二つ、腕の動きが少し不自然だから負傷していたと察する。三つ、現在この国内において以上のような状況にあるのは、従軍していた以外の理由は有り得ない」
実に論理的で鮮やかな推理に、ジョンソンは唖然とした。しかしすぐに立ち直り、余裕の笑みを作って言い返す。
「残念だが一つ間違いがあるぜ。オレは帰還『兵』じゃなくて軍医だ」
ツンと横を向いていた相手は、彼の言葉に目を見開いた。
「軍医?──医者なのか?君が?」
「おう。文句あるか」
あからさまに意外そうな声は、ジョンソンのプライドをチクチクとつつく。
確かにジョンソンは医師よりも軍人に相応しい体格だし、身につけているコートもスーツも長旅仕様に実用性を追求した物だから、洗練された都会の紳士には見え難い。帽子やステッキも体裁を繕うだけの代物であろう。
しばし彼を凝視していた相手は、再びそっぽを向く。
「世の中には時々、私の理解の範疇を越えた実に不可解な現象が起きるものなのだな」
「…んだと、このガキ!」
まさに一触即発。そのままケンカになってもおかしくない雰囲気だったが、ふいに聞こえた失笑に阻まれる。
彼らの背後で、ジョンソンを案内して来た正真正銘の紳士がクスクスと笑っていた。
「いや失礼。それにしても驚きました。かの名探偵も推理をはずす事があるのですね」
「アーネスト教授。時には常識外のデータも存在するという証明ですよ」
「名探偵?」
シャーロットの失礼な発言より、ジョンソンは紳士の一言が気にかかって問い返す。
「Drは御存知ないのですか?こちらは警視庁のお歴々も頭を下げて頼るという当代きっての名探偵、シャーロット・ホームズ嬢ですよ」
「そういえば、なんかスゴ腕の探偵がいるって噂は…………え?」
瞬間、滑らかに流れた紳士の言葉の一部が、ジョンソンの頭の中でひっかかった。
……今、なんて言った?
名探偵。こんなガキが?
いや、そうじゃなくて。
聞き間違いでなきゃあ、確か『嬢(レディ)』……
「…レディい!? 女なのか!? コレがぁ!?」
仰天するジョンソンに指差され『コレ』呼ばわりされたシャーロット・ホームズは一瞬で不機嫌度MAXになる。
「なんという無礼な男だ。Drなどといっても、品性までは取得していないとみえる」
「そんな格好してりゃ誰だって間違うだろ。第一、女がなんで探偵なんかやってんだよ!!」
ジョンソンの言葉は暴言に聞こえるが、当時としては当然の意見だ。
女性の社会進出がめざましい時代とはいえ、ファッションは裾の長いドレスが主流だし、探偵という職業自体、男性ですら珍しい。
しかしシャーロットは即座に反論する。
「容姿に惑わされて性別を見誤ったのは君の判断力不足だろう!第一、女王陛下が統治するこの先進国で女性を蔑視するなど不敬罪にも等しい!!」
無論、その言葉も一理ある。互いにプライドを刺激され、この後、大ゲンカをする事 小一時間。
そして、そもそもの発端である部屋の所有権は意地もあってか二人は共に譲らず、ハドソン夫人の提案でジョンソンは3階に、シャーロットは2階に、不本意ながら同居する羽目になってしまった。
「君のような野卑で下品な男が一つ屋根の下に住むなどゾッとするが、屋根裏の鼠と思って耐えよう。忠告しておくが、妙な考えを起こすなよ。テレムズ河に浮かびたくなければな!」
シャーロットは剣技の達人である事を前置きしてからそう述べた。
対して、ジョンソンも黙ってはいない。
「誰がお前みたいなヤセカギに手なんか出すかよ。オレの方こそ橋の下で寝る事思えば、口うるせぇ猫の一匹くらい、見逃してやるぜ!」
二人は火花を散らしつつ、二階と三階に別れた。
かくして、男装の少女探偵シャーロット・ホームズと、若き医師ジョンソン・ワトスンは、一つ屋根の下に暮らす事と相成ったのである。
続く
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