末は博士か花嫁か

高端麻羽

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末は博士か花嫁か ~六幕~

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黎華の風邪は思いのほか長引いた。
沈んだ心が治りを遅らせたのかも知れない。

「ごめん下さい」
寝込んでから三日目、桐生家に来客があった。
応対に出た勢津子の視界に、覚えのある長身の姿が飛び込む。
「あら、あなたは」
「ども、こんちは。早蕨先生の使いで来ました」
誠は礼儀正しく挨拶し、師から預かった書状を渡す。
封蝋式の手紙は、黎華の叔父である桐生家の当主に宛てた物だった。
「わざわざありがとう」
「いいえ。……あのう…」
「はい?」
「あの、…れい…お嬢さんの容態はどうですか?」
ちらちらと廊下の奥へ視線を送りながら心配そうに問う彼の心境が読めて、勢津子は微笑ましく思う。
『元気だ』と言ってやりたいが、残念ながらまだ病床だった。
「あいにく、このところ寒の戻りが続いたせいか今ひとつなの。でも、お食事もだいぶ摂られるようになったし、回復まであと
少しだと思うわ」
「そうッスか………あ、あの、これ」
言いながら、誠は懐から何やら取り出した。
今の季節にはまだ少し早い、だけど可憐に咲いた菫の花。
「えっと…その、お嬢さんに……」
「春の先触れね。ありがとう、確かにお渡しするわ」
見舞いと呼ぶにはあまりにも貧相だが、貧乏学生の彼にはそれが精一杯なのだ。
見栄えはせずとも心のこもった花に、勢津子は彼の思いを察する。
「じゃ、その……お大事にって伝えて下さい」
顔を赤らめ、照れたように頭を掻きながら誠は玄関先を辞した。
              
「――― なんだ今のは」
中庭から様子を見ていた健之助は、怪訝そうに勢津子へ問う。
「早蕨先生の所の書生さんです。お名前は、確か誠さんと言ったかしら。お手紙を届けて下さったんですよ」
「手紙?」
郵便ではなく手渡しである事に不審を感じ、健之助は眉を寄せながら開封する。
「……何っ!?」
数行読んだ時点で、驚愕の声が上がった。
「旦那様?」
勢津子の声も耳に入らず、彼はそのまま自室に駆け込み、改めてしたためられた文章を読む。
「………なんてこった……!!」


夕刻、健之助は誰にも行き先を告げずに桐生家を出た。
懐に突っ込んだ手紙の末尾に書かれていた、待ち合わせの場所を目指して。

繁華街の一角に、ひときわ大きく上品な料亭が佇んでいる。
そこは一見お断りの老舗で、政財界の要人もたびたび足を運ぶという。
芸者を挙げて飲めや歌えやの賑やかな宴席とは異なり、厳粛で落ち着いた空間。
屏風一双、掛軸一幅、床の間に飾られた花にさえ、格の違う高級感が漂っていた。

その奥の広い座敷に、二人の男が向かい合って座している。
一人は桐生家当主の、黎華の叔父。
もう一人は、彼をこの場へ呼び出した早蕨。
和装と洋装、短髪と長髪、無骨と優雅。彼等は絵に描いたかのように対照的で、客のプライバシーには不干渉が絶対の仲居さえどういう関係だろうかと好奇心が疼いた。
人払いをされた為に会話を漏れ聞く事は不可能だが座卓に並んだ豪勢な懐石料理にも手をつけず、二人は深刻な表情で何やら話し合っている。

「……本当か」
「ええ、間違いありません」
さらりと肯定する早蕨に、健之助は苛立ちを隠せない様子で肩を揺すった。
「人の姪だと思って軽く言ってくれるな。冗談じゃない、よりによって」
それでも早蕨に当たるのはお門違いとわかっており、動揺と困惑の中、苦虫を噛み潰したように眉を顰め頭を抱える。
「……本当に、そうなのか」
「はい」
繰り返される肯定に、健之助は語調を荒げた。
「だからって、姪はまだ嫁入り前なんだぞ。そんな噂が世間に広まりでもしたら、一生ものの疵になっちまう!」
「将来よりも、今 目の前にある問題を心配して下さいませんか」
「~~~……っ」
仮にも『先生』と呼ばれる職業の者が相手では、口では勝てない。
まして早蕨の意見は正論である。
健之助は逡巡しつつも、頷くしかなかった。
「……保証はしてくれるんだろうな」
「それは勿論。最善を尽くしますが、私だけでは役不足なら、天道学長にもご尽力を願うつもりすよ」
「……あの爺さんか」
毅然と断言する早蕨は、直接の面識は無くても健之助にとって帝都医大の先輩に当たる。
更に学長の天道は、彼が現役の学生の頃から国内屈指の名教授。
その評判と、実績と、地位と人格は有名で、もはや彼らに頼るしか道は無かった。
「仕方ない。……よろしく頼む」
大切な姪の為に、健之助は頭を下げる。
そんな彼に、早蕨は安心させるように微笑した。
「後日、改めてお嬢さんの診断書をお届けしましょう」
「直してくれるんだろうな」
鋭い瞳を上げ、健之助は念を押す。
それでも早蕨の穏やかな表情は変わらない。
「ご心配なく。私も医師の端くれですからね」
言いながら、憮然としたままの健之助に銚子を差し出した。
「お嬢さんは、必ずお助けしますよ」
「……ああ、頼む」
溜息をつきながら、健之助は杯を受ける。
これが最後の晩餐だなと頭の隅で考えながら。

「まったく……あいつも厄介な病に罹っちまったもんだ…」


夜半、健之助は一人帰路につく。
自棄気味に飲んだ酒は、高級銘柄だったにも関わらず不味かった。

「桐生の旦那」
その背後に甘い声がかけられ、ふと足を止める。
呼びかけの主は、近所に住む置屋の若女将。
「こんばんは。あらあら、珍しく良いお調子ねぇ。何か嫌な事でもあったのかしら?」
図星を付かれ、健之助は閉口する。今は彼女の軽口をかわす余裕など無く、型通りの挨拶をして、その場を去るべく踵を返した。
「あぁ、そうそう。旦那のお屋敷、この前から若い男がチラチラと様子をうかがってるわよ」
「……何っ?」
穏やかならぬ発言に、健之助は振り返る。
女将は艶めいた流し目をよこし、意味あり気に笑う。
「夜盗とかには見えなかったけど、可愛いお嬢さんもいる事だし、お気をつけあそばせ」
そう言って綺麗に結った髪をなびかせ、女将はカランコロンと下駄の音も高らかに去ってゆく。
彼女の言う『若い男』には心当たりがあり、健之助は駆け出した。

果たして屋敷の近くでは、長身の影がウロついている。
こんな真似をして人目についたらどうしてくれると、内心で毒づき健之助はわざとらしく咳払いをした。
弾かれたように、誠は驚いて飛び上がる。
「何か用か」
「……い、いえ。…あの、ただ、近くを通りかかっただけで」
睨んだくらいで狼狽するようでは、まだまだ頼りない。
フンと大きく息を吐き、健之助は誠を一瞥した。
「たった今、テメェんとこの教授と会ってきた所だ」
「!」
「官憲に通報されたくなけりゃ、とっとと帰れ」
健之助は誠を押しのけるようにして道を進む。
後ろから何か言われた気がしたが、耳に入れなかった。
不愉快な感情が複雑に渦巻き、自然 足取りが荒くなる。
姪に縁談が来た時から嫌な気分だったが、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかった。

更に一杯ひっかけなければ眠れないと思った、初春の宵。
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