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アーケルシア編
052.『花』2
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マリア誘拐の一件以来リヒトとケーニッヒとの間には埋めがたい心理的溝があった。フラマリオン奪還作戦に寄与したケーニッヒではあったが、直接総督ゲレーロやその側近と戦闘を交えたリヒトやクライスたちに比すればフラマリオンを騎馬で包囲したに過ぎないケーニッヒの貢献の度合いは決して大きいものではなく、共に勝利の美酒に酔うほどの親しみは彼らの間には生まれなかった。それでも勝利の美酒に酔いたかったケーニッヒは一人副団長の執務室に戻りそのもっとも落ち着く空間で机の奥底にしまっておいたとっておきの酒を出してそれを少しずつじっくりと味わった。
そうしながら彼は自身の今後について考えていた。虎狼会は滅した。さらにフラマリオン奪還は果たされた。鼻持ちならない話だが、新しい騎士王のリヒトはキレ者だ。自身がまさに相手に指摘した通り先代騎士王の暗殺を許し、中央騎士団庁舎が襲撃されるという失態を犯してこそいるが、その後アーケルシアにとって最大の懸案事項のうちの二つを解決したのだ。それもこれまで戦力とされてこなかったどころか、犯罪人として蔑まれた人材を採用し、まとめあげた上で。その決断力と手腕と人望は業腹ながら素直に認めねばならない。
彼は今一度酒を呷り、行く末を見定める目で窓から月を見上げていた。彼はその目を正面の庭に落とし、笑った。
「まあ、今は勝利の酒に酔うとしよう」
難しい思索は明日でもいい。
——そのときだった。庭に何か黒い影のようなものが走ったのは。それが酔いによる幻覚でないことは酒に決して弱くないケーニッヒの武人としての感覚と、それ以上に生物としての直感が告げていた。彼は即座に身の危険を感じた。同時にそれを騎士団を守りアーケルシアを守る功績を上げることでリヒトとの距離を縮める好機ととらえた。また同時にリサに襲撃されたのも酒を呷っていた夜だったことを彼は思い出し、同じ轍は踏めないと気を引き締めた。彼は剣を抜いて神経を研ぎ澄ませた。
「何奴!」
すると後ろで執務室のドアが開く音がした。ケーニッヒが振り返ると、それは実のところドアが開く音ではなくドアが閉まる音であり、部屋の内にはすでに見たこともない男の姿があった。それは小柄であり、黒衣を纏っていた。それが賊とわかったのは、彼が見たこともない人物であり、手には鋭利なダガーが握られており、彼がゆっくりと上げてケーニッヒに向けた視線には憎悪の念が宿っていたからだ。加えて言えば音もなく部屋に侵入した手際と彼が放つ気配はケーニッヒの直感に命の危険を伝えていた。先ほど功績を上げてリヒトとの距離を縮めると心中で息巻いたケーニッヒもこの段に至っては身を守ることだけを考えていた。彼はなかば呻くように乾いた声で言った。
「何だ貴様は」
賊は少し間を置いてから憎悪の滲む声で言った。
「やっと見つけた」
ケーニッヒは呆然とするばかりであった。
「オリビアを貶めた男」
ケーニッヒは賊の話に覚えがなかった。
「何だ…、何のことだか——
賊は押しかぶせて言った。
「一年前に中央の貧民街の花屋の女を手籠めにしただろ」
ケーニッヒは「花屋の女」という単語にはっとさせられた。
「知人に言いがかりをつけて借金を負わせてその形に娼館に閉じ込めた」
ケーニッヒは事の次第を思い出した。
「俺はそれが誰かを探していた」
「待て、待ってくれ! あれはつい出来心で——
「彼女は先日拘束斑で死んだ」
ケーニッヒは後ずさりした。
「拘束斑に罹って売れなくなった彼女を店主は食事も与えずゴミ捨て場に捨てたそうだ」
そのとき、部屋の入口から疾風のごとく部屋に跳び込んで来る者があった。
「主君の危機とあらば駆けつけるのが部下の役目! 賊に勝手な真似はさせぬ!」
それはタルカスだった。彼は不意に現れ、振り上げたその手にはすでにむき出しのロングソードが握られ、完全にシェイドの背後を捉えていた。
「タルカス!」
全幅の信頼を置く部下の助けに歓喜の声をケーニッヒは上げた。しかし次の瞬間にはタルカスはそのロングソードで空を切っていた。タルカスとケーニッヒは唖然とした。タルカスが斬るはずだった黒衣の姿はタルカスの背後にあった。タルカスがその事実に慄然としたのもつかの間、彼は意識を失い床に倒れた。背後で平然と立つシェイドが手刀の形をとっていたため、彼がそれでタルカスの頸椎を打ったのだとケーニッヒは知った。呆然とするケーニッヒにシェイドは再び殺意の目を向けた。もはやケーニッヒには懇願することしかできなかった。
「待ってくれ!」
シェイドは鼻で笑った。
「彼女が『待ってくれ』と懇願したら貴様はそれに耳を貸したか?」
ケーニッヒは必死に懇願の言葉を考えた。しかし何をどう言ってもうまくいきそうになかった。
「金なら払う!」
「金なら貴様よりもっている」
「何が望みだ!」
鼻に皺を寄せたシェイドの声は一層低く鋭くなった。
「オリビアを返せ」
ケーニッヒは返す言葉を失い絶望した。シェイドは一歩二歩と近づいて来た。
「さもなくば死ね」
ケーニッヒはついに壁際で座り込んでしまった。彼の顔には脂汗が滲み、その双眸は涙で濡れていた。
「何でもするからお願いします…」
「オリビアの何倍も苦しんで死ね」
そう言ってシェイドはダガーを振り上げた。ケーニッヒは悲鳴を上げて顔を覆った。
「ひいいいいいいいい!!!」
しかしそのとき、シェイドの頭の中で声が響いた。
『シェイド、いいのよ』
それはシェイドの記憶の中のオリビアの声だった。声は脳裏に残響し頭痛と眩暈を生じさせた。シェイドは頭を抱えて呻いた。
「何だ、クソ…!!」
ケーニッヒは顔を覆っていた腕をどけてシェイドを呆然と見上げた。再びシェイドの頭の中で声が響いた。
『シェイド、いいの』
それとともに頭痛と眩暈が再びシェイドを襲った。シェイドはその声を振り払うように言った。
「何がいいって言うんだ…!!」
頭の声の残響とそれに伴う痛みに苦しむ彼は片膝をついた。ケーニッヒはそれを好機ととらえた。声は再びシェイドの頭の中で反響した。
『もういいの』
シェイドは呻いた。
「くっ…!」
ケーニッヒは素早く立ち上がり、窓ガラスを体当たりで割って猫のようにしなやかに外に躍り出た。シェイドは立ち上がってそれを追おうとしたが、さらに頭の中で声が響いた。
『いいのよ』
彼は再び片膝をついて頭を抱えた。
「くそっ! やっと見つけたんだぞ…なぜ邪魔をする…!!」
答えはどこからも返ってこなかった。シェイドは頭の声と痛みに呻き続けた。
リヒトは騎士団庁舎の騎士王の執務室にいつものメンバーを招集した。招集はフラマリオン奪還作戦の前に行われたきりしばらくぶりのことだった。彼は一つの大きな決断事項を彼らに伝える腹積もりだった。全員が揃ったところでアイシャが尋ねた。
「一体何を決めるんだ?」
リサが言った。
「フラマリオンをどう防衛していくかでしょ?」
クライスとユスティファは黙ってリヒトの言葉を待っていた。リヒトは否定した。
「いや」
彼はそこで一拍置いてから口を開いた。
「このままルクレティウスを叩く」
一同が驚愕した。ユスティファは慌てて抗議した。
「このまま叩くって…そんな…!!」
みなの意見は「まずはフラマリオンの防衛をどうするかに注力すべき」というものだった。というより、当然リヒトはそう考えるものと思っていた。冷静だったクライスが口を開いた。
「何か考えがあるんだな、リヒト」
リヒトはクライスを見て答えた。
「ああ。ゲレーロはルクレティウス軍の主力ではない。序列的には副官だ。にもかかわらずヤツが要衝フラマリオンの総督を任されていたのには理由がある」
リサが目を眇めて尋ねた。
「理由…?」
「ああ。ルクレティウスとの直近の戦闘をいくつか分析した。アーケルシアの敗北の原因がそれで浮き彫りになった。基本的には傭兵団を中心とした組織はルクレティウスを相手にほとんど苦戦していない。むしろ勝率は高かった。だが騎士団本体が数で勝るにもかかわらず六大騎士擁する部隊に敗北し後退を強いられ続けてきた。つまりアーケルシア敗北の唯一にして最大の要因は六大騎士の存在だ」
六大騎士。それはルクレティウスの主力にして精鋭に当たる騎士たちだった。
「フラマリオンをゲレーロに預けたのは仮にフラマリオンがアーケルシアに奪われたとしてもルクレティウス六大騎士を擁するルクレティウス本隊の力をもってすればそれを取り返せる、いやむしろフラマリオンとアーケルシア本国に分散した戦力を叩くのは容易いと考えたからじゃないかと思うんだ」
口元に手を当てて話を聞いていたアイシャが頷いた。
「なるほど…。アーケルシアがフラマリオンを必死に奪還しに来るのは織り込み済みってわけか」
クライスが付け加えた。
「むしろそこからが敵の狙い」
リヒトは頷いた。
「ああ。だからこそこちらはその裏をかく」
だんだんとリヒトの意図を理解し始めたユスティファが伺った。
「具体的にどうするんですか?」
リヒトは全員の目を見てから答えた。
「フラマリオン奪還作戦は一人の兵も失わずに成功した。これは大きな戦果だ。このままルクレティウスを今回同様精鋭部隊による奇襲作戦によって叩く」
リサが訝し気に尋ねた。
「奇襲作戦?」
「ああ、ルクレティウスを強豪国たらしめているのは六大騎士の存在だ。逆にそいつらさえ何とかすればルクレティウスは怖れるほど強くはない。今回のフラマリオン奪還作戦でまさにそれが証明された。そもそも兵力もアーケルシアはルクレティウスの倍だ。そこで精鋭部隊による六大騎士への直接攻撃を仕掛ける」
クライスが尋ねた。
「六大騎士がいつどこにいるのかわかるのか?」
「ああ、実はすでに間諜を忍ばせた。ルクレティウスはアーケルシアに比べれば狭い国だ。六大騎士は平時は中央の騎士団庁舎に全員いる」
リサが尋ねた。
「首尾よく六大騎士を叩けたとして、そのあとはどうするの? 六大騎士は強い。おそらく簡単には勝てないだろうしこちらも無事では済まない。じきにルクレティウス兵に囲まれる」
「今は話せないが奇策を二つ考えてある」
ユスティファが抗議した。
「今は話せないって——
しかしアイシャがそれを遮った。
「リヒト、お前を信じていいんだな?」
リヒトはアイシャの目を見て答えた。
「ああ、手筈は整ってる。信じてくれ」
クライスが尋ねた。
「決行はいつだ?」
「おそらくルクレティウスはアーケルシアがフラマリオンの防衛を固める準備を進めているという考えのもと、フラマリオン奪還への準備を進めているはずだ。おそらくその準備にかかる期間は二週間。その前に叩きたい。ルクレティウスまでの移動には一週間かかる。今日でフラマリオン奪還から五日。つまり決行は——
リヒトはあらためて全員の目を見てから言った。
「明後日だ」
そうしながら彼は自身の今後について考えていた。虎狼会は滅した。さらにフラマリオン奪還は果たされた。鼻持ちならない話だが、新しい騎士王のリヒトはキレ者だ。自身がまさに相手に指摘した通り先代騎士王の暗殺を許し、中央騎士団庁舎が襲撃されるという失態を犯してこそいるが、その後アーケルシアにとって最大の懸案事項のうちの二つを解決したのだ。それもこれまで戦力とされてこなかったどころか、犯罪人として蔑まれた人材を採用し、まとめあげた上で。その決断力と手腕と人望は業腹ながら素直に認めねばならない。
彼は今一度酒を呷り、行く末を見定める目で窓から月を見上げていた。彼はその目を正面の庭に落とし、笑った。
「まあ、今は勝利の酒に酔うとしよう」
難しい思索は明日でもいい。
——そのときだった。庭に何か黒い影のようなものが走ったのは。それが酔いによる幻覚でないことは酒に決して弱くないケーニッヒの武人としての感覚と、それ以上に生物としての直感が告げていた。彼は即座に身の危険を感じた。同時にそれを騎士団を守りアーケルシアを守る功績を上げることでリヒトとの距離を縮める好機ととらえた。また同時にリサに襲撃されたのも酒を呷っていた夜だったことを彼は思い出し、同じ轍は踏めないと気を引き締めた。彼は剣を抜いて神経を研ぎ澄ませた。
「何奴!」
すると後ろで執務室のドアが開く音がした。ケーニッヒが振り返ると、それは実のところドアが開く音ではなくドアが閉まる音であり、部屋の内にはすでに見たこともない男の姿があった。それは小柄であり、黒衣を纏っていた。それが賊とわかったのは、彼が見たこともない人物であり、手には鋭利なダガーが握られており、彼がゆっくりと上げてケーニッヒに向けた視線には憎悪の念が宿っていたからだ。加えて言えば音もなく部屋に侵入した手際と彼が放つ気配はケーニッヒの直感に命の危険を伝えていた。先ほど功績を上げてリヒトとの距離を縮めると心中で息巻いたケーニッヒもこの段に至っては身を守ることだけを考えていた。彼はなかば呻くように乾いた声で言った。
「何だ貴様は」
賊は少し間を置いてから憎悪の滲む声で言った。
「やっと見つけた」
ケーニッヒは呆然とするばかりであった。
「オリビアを貶めた男」
ケーニッヒは賊の話に覚えがなかった。
「何だ…、何のことだか——
賊は押しかぶせて言った。
「一年前に中央の貧民街の花屋の女を手籠めにしただろ」
ケーニッヒは「花屋の女」という単語にはっとさせられた。
「知人に言いがかりをつけて借金を負わせてその形に娼館に閉じ込めた」
ケーニッヒは事の次第を思い出した。
「俺はそれが誰かを探していた」
「待て、待ってくれ! あれはつい出来心で——
「彼女は先日拘束斑で死んだ」
ケーニッヒは後ずさりした。
「拘束斑に罹って売れなくなった彼女を店主は食事も与えずゴミ捨て場に捨てたそうだ」
そのとき、部屋の入口から疾風のごとく部屋に跳び込んで来る者があった。
「主君の危機とあらば駆けつけるのが部下の役目! 賊に勝手な真似はさせぬ!」
それはタルカスだった。彼は不意に現れ、振り上げたその手にはすでにむき出しのロングソードが握られ、完全にシェイドの背後を捉えていた。
「タルカス!」
全幅の信頼を置く部下の助けに歓喜の声をケーニッヒは上げた。しかし次の瞬間にはタルカスはそのロングソードで空を切っていた。タルカスとケーニッヒは唖然とした。タルカスが斬るはずだった黒衣の姿はタルカスの背後にあった。タルカスがその事実に慄然としたのもつかの間、彼は意識を失い床に倒れた。背後で平然と立つシェイドが手刀の形をとっていたため、彼がそれでタルカスの頸椎を打ったのだとケーニッヒは知った。呆然とするケーニッヒにシェイドは再び殺意の目を向けた。もはやケーニッヒには懇願することしかできなかった。
「待ってくれ!」
シェイドは鼻で笑った。
「彼女が『待ってくれ』と懇願したら貴様はそれに耳を貸したか?」
ケーニッヒは必死に懇願の言葉を考えた。しかし何をどう言ってもうまくいきそうになかった。
「金なら払う!」
「金なら貴様よりもっている」
「何が望みだ!」
鼻に皺を寄せたシェイドの声は一層低く鋭くなった。
「オリビアを返せ」
ケーニッヒは返す言葉を失い絶望した。シェイドは一歩二歩と近づいて来た。
「さもなくば死ね」
ケーニッヒはついに壁際で座り込んでしまった。彼の顔には脂汗が滲み、その双眸は涙で濡れていた。
「何でもするからお願いします…」
「オリビアの何倍も苦しんで死ね」
そう言ってシェイドはダガーを振り上げた。ケーニッヒは悲鳴を上げて顔を覆った。
「ひいいいいいいいい!!!」
しかしそのとき、シェイドの頭の中で声が響いた。
『シェイド、いいのよ』
それはシェイドの記憶の中のオリビアの声だった。声は脳裏に残響し頭痛と眩暈を生じさせた。シェイドは頭を抱えて呻いた。
「何だ、クソ…!!」
ケーニッヒは顔を覆っていた腕をどけてシェイドを呆然と見上げた。再びシェイドの頭の中で声が響いた。
『シェイド、いいの』
それとともに頭痛と眩暈が再びシェイドを襲った。シェイドはその声を振り払うように言った。
「何がいいって言うんだ…!!」
頭の声の残響とそれに伴う痛みに苦しむ彼は片膝をついた。ケーニッヒはそれを好機ととらえた。声は再びシェイドの頭の中で反響した。
『もういいの』
シェイドは呻いた。
「くっ…!」
ケーニッヒは素早く立ち上がり、窓ガラスを体当たりで割って猫のようにしなやかに外に躍り出た。シェイドは立ち上がってそれを追おうとしたが、さらに頭の中で声が響いた。
『いいのよ』
彼は再び片膝をついて頭を抱えた。
「くそっ! やっと見つけたんだぞ…なぜ邪魔をする…!!」
答えはどこからも返ってこなかった。シェイドは頭の声と痛みに呻き続けた。
リヒトは騎士団庁舎の騎士王の執務室にいつものメンバーを招集した。招集はフラマリオン奪還作戦の前に行われたきりしばらくぶりのことだった。彼は一つの大きな決断事項を彼らに伝える腹積もりだった。全員が揃ったところでアイシャが尋ねた。
「一体何を決めるんだ?」
リサが言った。
「フラマリオンをどう防衛していくかでしょ?」
クライスとユスティファは黙ってリヒトの言葉を待っていた。リヒトは否定した。
「いや」
彼はそこで一拍置いてから口を開いた。
「このままルクレティウスを叩く」
一同が驚愕した。ユスティファは慌てて抗議した。
「このまま叩くって…そんな…!!」
みなの意見は「まずはフラマリオンの防衛をどうするかに注力すべき」というものだった。というより、当然リヒトはそう考えるものと思っていた。冷静だったクライスが口を開いた。
「何か考えがあるんだな、リヒト」
リヒトはクライスを見て答えた。
「ああ。ゲレーロはルクレティウス軍の主力ではない。序列的には副官だ。にもかかわらずヤツが要衝フラマリオンの総督を任されていたのには理由がある」
リサが目を眇めて尋ねた。
「理由…?」
「ああ。ルクレティウスとの直近の戦闘をいくつか分析した。アーケルシアの敗北の原因がそれで浮き彫りになった。基本的には傭兵団を中心とした組織はルクレティウスを相手にほとんど苦戦していない。むしろ勝率は高かった。だが騎士団本体が数で勝るにもかかわらず六大騎士擁する部隊に敗北し後退を強いられ続けてきた。つまりアーケルシア敗北の唯一にして最大の要因は六大騎士の存在だ」
六大騎士。それはルクレティウスの主力にして精鋭に当たる騎士たちだった。
「フラマリオンをゲレーロに預けたのは仮にフラマリオンがアーケルシアに奪われたとしてもルクレティウス六大騎士を擁するルクレティウス本隊の力をもってすればそれを取り返せる、いやむしろフラマリオンとアーケルシア本国に分散した戦力を叩くのは容易いと考えたからじゃないかと思うんだ」
口元に手を当てて話を聞いていたアイシャが頷いた。
「なるほど…。アーケルシアがフラマリオンを必死に奪還しに来るのは織り込み済みってわけか」
クライスが付け加えた。
「むしろそこからが敵の狙い」
リヒトは頷いた。
「ああ。だからこそこちらはその裏をかく」
だんだんとリヒトの意図を理解し始めたユスティファが伺った。
「具体的にどうするんですか?」
リヒトは全員の目を見てから答えた。
「フラマリオン奪還作戦は一人の兵も失わずに成功した。これは大きな戦果だ。このままルクレティウスを今回同様精鋭部隊による奇襲作戦によって叩く」
リサが訝し気に尋ねた。
「奇襲作戦?」
「ああ、ルクレティウスを強豪国たらしめているのは六大騎士の存在だ。逆にそいつらさえ何とかすればルクレティウスは怖れるほど強くはない。今回のフラマリオン奪還作戦でまさにそれが証明された。そもそも兵力もアーケルシアはルクレティウスの倍だ。そこで精鋭部隊による六大騎士への直接攻撃を仕掛ける」
クライスが尋ねた。
「六大騎士がいつどこにいるのかわかるのか?」
「ああ、実はすでに間諜を忍ばせた。ルクレティウスはアーケルシアに比べれば狭い国だ。六大騎士は平時は中央の騎士団庁舎に全員いる」
リサが尋ねた。
「首尾よく六大騎士を叩けたとして、そのあとはどうするの? 六大騎士は強い。おそらく簡単には勝てないだろうしこちらも無事では済まない。じきにルクレティウス兵に囲まれる」
「今は話せないが奇策を二つ考えてある」
ユスティファが抗議した。
「今は話せないって——
しかしアイシャがそれを遮った。
「リヒト、お前を信じていいんだな?」
リヒトはアイシャの目を見て答えた。
「ああ、手筈は整ってる。信じてくれ」
クライスが尋ねた。
「決行はいつだ?」
「おそらくルクレティウスはアーケルシアがフラマリオンの防衛を固める準備を進めているという考えのもと、フラマリオン奪還への準備を進めているはずだ。おそらくその準備にかかる期間は二週間。その前に叩きたい。ルクレティウスまでの移動には一週間かかる。今日でフラマリオン奪還から五日。つまり決行は——
リヒトはあらためて全員の目を見てから言った。
「明後日だ」
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