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序
A.『課せられた自由』
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「この果実を食うか、片腕を切断されるか、どちらか選べ」
少女はその選択を突き付けられて恐怖に歪んだ顔を蒼白にした。少女は固く目を閉じて涙をこぼしながら答えた。
「嫌だ…食べたくない…」
少女の左には小さなテーブルがあり、その上には皿に乗せられた一つの赤い果実があった。一方右には人間に倍する体躯をもち、巨大な角と牙をもつ、灰色の体表をした生き物が佇立し、少女を睨み据えていた。その巨躯の隆々たる太い腕の先には斧が握られ、十字架に磔にされた少女の白く細い腕をいつでもたやすく両断する準備が整っていた。
「食わなきゃ腕を斬り落とされるんだぞ? いいのか?」
先ほどから少女に問いかけているのは少女の正面に鎮座する人間の十倍はあろうかという体積をもつ巨体だった。少女の右に立つ異形と同じく巨大な牙をもち、角をもち、灰色の体表と隆々とした筋肉をもつ。だが大きさの違いは歴然で少女の右の怪物が人間に倍する大きさをもつのに対して、正面のそれはさらにそのおよそ五倍の大きさをもつ。その巨体がつくる影に覆われその吐く息を浴びながら少女は身を震わせて泣き続けた。
「食べたくない…。食べたら苦しい…。つらい…」
小さく嘆息した目の前の怪物は再び少女に問うた。
「腕を斬り落とされた方がマシか?」
彼女はその痛みを想像し顔を苦痛に歪めた。嫌だ。もうあの痛みを味わいたくない。
少女の正面の怪物は視線を右に移した。その視線の先には少女と同じように十字架に磔にされた男がいた。怪物と目が合うと男は顔を恐怖に歪めた。
「おい男。お前はどうする?」
男の左にも赤い果実の乗った皿とテーブルがあり、右には斧を持った灰色の異形が佇んでいた。男はすでに泣き腫らし充血させた目から新たに涙を流しかぶりを振った。
「嫌だ…。どっちも嫌だ…」
そう弱々しく声を漏らした男の耳に怪物の冷酷な言葉が容赦なく降って来た。
「どちらか選ばなければ片腕を斬り落とす」
その痛みを思い出した男は顔をさらに歪めて嗚咽した。
「あと三秒だけ待ってやる」
怪物の非情な宣告に男は目を見開いて恐慌に陥った。
「あぁ! 嫌だ! 嫌だ!」
男の呼吸は荒くなり、脂汗が顔中から噴き出た。
「三」
男は目を固く閉じていっそ果実を食べるべきかと思案した。
「二」
やっぱり食べたくない。そう思った男は目を開き歯を食いしばり、腕を切断される痛みを受け入れる覚悟をした。
「一」
その痛みを再び思い出した男は固く目を閉じ悲痛の皺を顔中に刻んだ。
「わかった食べる!」
あの痛みを味わいたくない。そう思った男は勢い叫んでいた。それを聞いた怪物はにんまりと嗤った。首を振り向けて男を見ていた少女は彼の決断を聞いて唖然とした。男の右に立っていた灰色の異形は斧を石の床に落とし、静寂が支配する広い部屋に乾いた音を木霊させてその空気をかき乱した。異形が男の前に立つと両者は目が合った。その人ならざる者の醜悪で鋭い双眸を眼前にして男は自身がとんでもない選択をしてしまったことを痛感させられて眉根を寄せた。異形は右手で皿の上の果実を取り、それを無造作に男の唇に当てた。反射的に顔を背けてその果実から逃れようとした男は自身の置かれた状況の残酷さに顔を顰めた。
「どうした。腕を斬られる方がマシか」
巨躯の言葉で我に返った男は目を開き、異形の鋭い爪につままれ、自身の悲しみで歪んだ目の前に据えられた果実を見た。再び固く目を閉じて果実を口に入れるか腕を斬られるかを悩んだ男は、つかの間ためらったのち、荒い息を漏らす口を恐る恐る開いた。異形はためらいもなくその口に果実を押し入れた。干し柿ほどの大きさをもつ果実は男の口中を満たした。男はそれを口に入れたまま嗚咽を漏らし、もう枯れたはずの涙をこぼした。
「さあ食え。吐き出したら切断だぞ」
巨躯に急かされた男は眉間に皺を寄せ、こめかみの血管を浮き立たせて恐る恐る果実を咀嚼した。果実の味は甘かったがそれを楽しむ気にもなれず、いっそ吐き出してしまいたい気持ちに駆られた男はそれを口の先でもてあまし、くちゃくちゃと遠慮がちな咀嚼音を立て続けた。
「どうした、早く飲みこめ」
巨躯の声に促された男はもう何度繰り返したかわからない咀嚼ののち、固く目を閉じ頭を仰け反らせて一息にそれを飲み下した。
どくん。拍動が一つ高鳴り、男の世界が変転した。目を見開いた男は自身が急激に別の場所に転移させられ、自身の人格が強烈な力で大きく捻じ曲げられ、自身の視界が光のまったく届かない完璧な闇に染まる心地を味わった。男は呻き声をあげた。
「あっ!! あっ!! あっ!! ぅあ…!!」
呻き声は次第に唸り声に変わり、男は十字架に括り付けられた頭と体を右に左にと力の限り捩らせ、縄の結ばれた手首と足首の皮膚は擦り傷で赤くただれた。男は涎を垂らし、荒く息をしながら狂ったように声をあげ続けた。少女はそれを見て愕然としていた。
「さて、次はお前の番だぞ」
上から降って来たその低く太い声に我に返った少女は悲痛に顔を歪めてかぶりを振った。巨大な異形の顔はにんまりと嗤っていた。
「果実を食うか、腕を切断されるか、選べ」
少女は息を荒くしながら自身の右腕と斧の鋭利な刃先の閃きを見た。顔を素早く左に振り向けた少女は皿の上の果実と、その向こうにいるそれを食った結果壊れてしまった男を見た。顔をうつむけた少女は悲痛な声で呟いた。
「嫌…」
巨躯は再び問うた。
「腕を斬られる方がマシか?」
その痛みを再び思い出した少女は悲痛の皺を深くし涙をこぼした。
「あと三秒で決めろ」
少女は息を荒くした。嫌だ。嫌だ。
「三」
「お願い許して…」
「二」
「お願い…!!」
「一」
「嫌あああああああ!!」
「零」
灰色の異形は体の向きを変え斧を振りかぶった。少女は顔を顰め歯を食いしばった。
——バキッ
骨の破砕音と斧が木製の十字架に食い込む音がほぼ同時に鳴り響き、それに続いて少女の悲鳴にもならない呻き声が暗く冷たく広い部屋に反響した。彼女の腕から石の床に血が滴る音と男の唸り声がそれに相乗し、静寂を緩慢にかき乱した。
翌日、灰色の異形に連れられて少女と男は昨日と同じ広く暗く冷たい部屋に来た。今日も繰り返される凄惨な拷問を脳裏に思い浮かべた二人は悄然と肩を落とし、顔面を蒼白にしうつむいていた。自分たちの十倍の体躯をもつ怪物の前に連れて来られた二人のうち、ちらとテーブルの上の皿の上に目をやった少女はいつもの果実がそこに置かれていないことに違和感を覚えた。
「腕の調子はどうだ?」
怪物から掛けられたいつもの問いに少女はうつむきながら答えた。
「治りました…」
手枷をされた少女の腕は昨日斧によりそのうち一本が切断されたにもかかわらず二本とも傷一つなく健在だった。
「そうか。お前は結局最後まで果実を食わなかったな」
今日もいつもと同じ言葉で選択を迫られ、いつもと同じ拷問を受けるものと思い込んでいた二人は、巨大な怪物が今までに一度として発したことのない言葉を聞いて、呆然と顔を上げた。
「果実はお前たちがビュルクと呼ぶ集落の森にある」
怪物の言葉が理解できない二人はひたすら戸惑いながらそれを聞いていた。
「手枷を外せ」
巨躯がそう言うと二人をこの部屋まで連れて来た二体の異形は長く鋭い爪の生えた指で器用に二人の手枷の鍵穴に鍵を差し入れて回した。手枷は二人の手首を離れてガシャリと音を立てて床に落ちた。手が自由になったところで怪物の脅威から自由になったわけではない二人はたじろぎ佇立し続けた。
「俺たちはお前たちがムーングロウと呼ぶこの世界から去る」
二人はその言葉を理解するのに時間を要した。まだ理解の追いつかない頭をもてあましながら男が怪物に問うた。
「私たちはどうしたら良いのでしょうか…」
怪物は事も無げに言い捨てた。
「それはお前ら人間が勝手に決めろ」
男はうろたえた。
「そんな…」
怪物は男の狼狽をよそに二人に忠告した。
「これだけは覚えておけ。果実を食い、絶望を乗り越えろ。そうしなきゃお前たちの悲しみの業は消えず絶望の輪廻は繰り返される」
男と少女は愕然とした顔で巨躯の顔貌を振り仰ぎ続けた。
「お前たちがどんな方法でそれを断ち切るか楽しみだよ。まあ、俺はうまくいくとは思わねえけどな」
すると怪物の背後に赤い光が閃いた。それは縦に長い亀裂のように何もない中空に刻まれた。やがて亀裂は二人の視界の中で大きく広がり、光は強まった。二人はそれに怯え体をこわばらせた。怪物はその大きな体を動かし二人に背を向け亀裂の前に立った。男が慌てて呼び止めた。
「待ってください! あなたたちがいなければムーングロウは治まりません! 行かないでください!」
怪物は首を振り向けた。
「これもあの女が決めたことだ。まあお前たちがどうなるかあっち側から見物させてもらうよ」
そう言い置いて怪物はのそのそと亀裂の中に体を進めて行った。二人を部屋へ連れて来た二体の異形もそれに続いた。三体が亀裂の「向こう側」に収まりきると、それを潮に亀裂は狭まり、ぴたりと閉じ合わさってそれとともに赤い光も収束し消えた。冷たく広く無機質な部屋にはいつもの暗さが戻り、静寂が満ちた。少女がその小さな口を開きそれを破った。
「これからあたしたちどうすればいいの…?」
誰にともなくぽつりと投げられた問いに、男はぽつりと答えた。
「わからない…」
異形の生物たちから自由になった二人は、再び静寂に覆われた部屋でその自由をもてあまし呆然と立ち尽くした。
少女はその選択を突き付けられて恐怖に歪んだ顔を蒼白にした。少女は固く目を閉じて涙をこぼしながら答えた。
「嫌だ…食べたくない…」
少女の左には小さなテーブルがあり、その上には皿に乗せられた一つの赤い果実があった。一方右には人間に倍する体躯をもち、巨大な角と牙をもつ、灰色の体表をした生き物が佇立し、少女を睨み据えていた。その巨躯の隆々たる太い腕の先には斧が握られ、十字架に磔にされた少女の白く細い腕をいつでもたやすく両断する準備が整っていた。
「食わなきゃ腕を斬り落とされるんだぞ? いいのか?」
先ほどから少女に問いかけているのは少女の正面に鎮座する人間の十倍はあろうかという体積をもつ巨体だった。少女の右に立つ異形と同じく巨大な牙をもち、角をもち、灰色の体表と隆々とした筋肉をもつ。だが大きさの違いは歴然で少女の右の怪物が人間に倍する大きさをもつのに対して、正面のそれはさらにそのおよそ五倍の大きさをもつ。その巨体がつくる影に覆われその吐く息を浴びながら少女は身を震わせて泣き続けた。
「食べたくない…。食べたら苦しい…。つらい…」
小さく嘆息した目の前の怪物は再び少女に問うた。
「腕を斬り落とされた方がマシか?」
彼女はその痛みを想像し顔を苦痛に歪めた。嫌だ。もうあの痛みを味わいたくない。
少女の正面の怪物は視線を右に移した。その視線の先には少女と同じように十字架に磔にされた男がいた。怪物と目が合うと男は顔を恐怖に歪めた。
「おい男。お前はどうする?」
男の左にも赤い果実の乗った皿とテーブルがあり、右には斧を持った灰色の異形が佇んでいた。男はすでに泣き腫らし充血させた目から新たに涙を流しかぶりを振った。
「嫌だ…。どっちも嫌だ…」
そう弱々しく声を漏らした男の耳に怪物の冷酷な言葉が容赦なく降って来た。
「どちらか選ばなければ片腕を斬り落とす」
その痛みを思い出した男は顔をさらに歪めて嗚咽した。
「あと三秒だけ待ってやる」
怪物の非情な宣告に男は目を見開いて恐慌に陥った。
「あぁ! 嫌だ! 嫌だ!」
男の呼吸は荒くなり、脂汗が顔中から噴き出た。
「三」
男は目を固く閉じていっそ果実を食べるべきかと思案した。
「二」
やっぱり食べたくない。そう思った男は目を開き歯を食いしばり、腕を切断される痛みを受け入れる覚悟をした。
「一」
その痛みを再び思い出した男は固く目を閉じ悲痛の皺を顔中に刻んだ。
「わかった食べる!」
あの痛みを味わいたくない。そう思った男は勢い叫んでいた。それを聞いた怪物はにんまりと嗤った。首を振り向けて男を見ていた少女は彼の決断を聞いて唖然とした。男の右に立っていた灰色の異形は斧を石の床に落とし、静寂が支配する広い部屋に乾いた音を木霊させてその空気をかき乱した。異形が男の前に立つと両者は目が合った。その人ならざる者の醜悪で鋭い双眸を眼前にして男は自身がとんでもない選択をしてしまったことを痛感させられて眉根を寄せた。異形は右手で皿の上の果実を取り、それを無造作に男の唇に当てた。反射的に顔を背けてその果実から逃れようとした男は自身の置かれた状況の残酷さに顔を顰めた。
「どうした。腕を斬られる方がマシか」
巨躯の言葉で我に返った男は目を開き、異形の鋭い爪につままれ、自身の悲しみで歪んだ目の前に据えられた果実を見た。再び固く目を閉じて果実を口に入れるか腕を斬られるかを悩んだ男は、つかの間ためらったのち、荒い息を漏らす口を恐る恐る開いた。異形はためらいもなくその口に果実を押し入れた。干し柿ほどの大きさをもつ果実は男の口中を満たした。男はそれを口に入れたまま嗚咽を漏らし、もう枯れたはずの涙をこぼした。
「さあ食え。吐き出したら切断だぞ」
巨躯に急かされた男は眉間に皺を寄せ、こめかみの血管を浮き立たせて恐る恐る果実を咀嚼した。果実の味は甘かったがそれを楽しむ気にもなれず、いっそ吐き出してしまいたい気持ちに駆られた男はそれを口の先でもてあまし、くちゃくちゃと遠慮がちな咀嚼音を立て続けた。
「どうした、早く飲みこめ」
巨躯の声に促された男はもう何度繰り返したかわからない咀嚼ののち、固く目を閉じ頭を仰け反らせて一息にそれを飲み下した。
どくん。拍動が一つ高鳴り、男の世界が変転した。目を見開いた男は自身が急激に別の場所に転移させられ、自身の人格が強烈な力で大きく捻じ曲げられ、自身の視界が光のまったく届かない完璧な闇に染まる心地を味わった。男は呻き声をあげた。
「あっ!! あっ!! あっ!! ぅあ…!!」
呻き声は次第に唸り声に変わり、男は十字架に括り付けられた頭と体を右に左にと力の限り捩らせ、縄の結ばれた手首と足首の皮膚は擦り傷で赤くただれた。男は涎を垂らし、荒く息をしながら狂ったように声をあげ続けた。少女はそれを見て愕然としていた。
「さて、次はお前の番だぞ」
上から降って来たその低く太い声に我に返った少女は悲痛に顔を歪めてかぶりを振った。巨大な異形の顔はにんまりと嗤っていた。
「果実を食うか、腕を切断されるか、選べ」
少女は息を荒くしながら自身の右腕と斧の鋭利な刃先の閃きを見た。顔を素早く左に振り向けた少女は皿の上の果実と、その向こうにいるそれを食った結果壊れてしまった男を見た。顔をうつむけた少女は悲痛な声で呟いた。
「嫌…」
巨躯は再び問うた。
「腕を斬られる方がマシか?」
その痛みを再び思い出した少女は悲痛の皺を深くし涙をこぼした。
「あと三秒で決めろ」
少女は息を荒くした。嫌だ。嫌だ。
「三」
「お願い許して…」
「二」
「お願い…!!」
「一」
「嫌あああああああ!!」
「零」
灰色の異形は体の向きを変え斧を振りかぶった。少女は顔を顰め歯を食いしばった。
——バキッ
骨の破砕音と斧が木製の十字架に食い込む音がほぼ同時に鳴り響き、それに続いて少女の悲鳴にもならない呻き声が暗く冷たく広い部屋に反響した。彼女の腕から石の床に血が滴る音と男の唸り声がそれに相乗し、静寂を緩慢にかき乱した。
翌日、灰色の異形に連れられて少女と男は昨日と同じ広く暗く冷たい部屋に来た。今日も繰り返される凄惨な拷問を脳裏に思い浮かべた二人は悄然と肩を落とし、顔面を蒼白にしうつむいていた。自分たちの十倍の体躯をもつ怪物の前に連れて来られた二人のうち、ちらとテーブルの上の皿の上に目をやった少女はいつもの果実がそこに置かれていないことに違和感を覚えた。
「腕の調子はどうだ?」
怪物から掛けられたいつもの問いに少女はうつむきながら答えた。
「治りました…」
手枷をされた少女の腕は昨日斧によりそのうち一本が切断されたにもかかわらず二本とも傷一つなく健在だった。
「そうか。お前は結局最後まで果実を食わなかったな」
今日もいつもと同じ言葉で選択を迫られ、いつもと同じ拷問を受けるものと思い込んでいた二人は、巨大な怪物が今までに一度として発したことのない言葉を聞いて、呆然と顔を上げた。
「果実はお前たちがビュルクと呼ぶ集落の森にある」
怪物の言葉が理解できない二人はひたすら戸惑いながらそれを聞いていた。
「手枷を外せ」
巨躯がそう言うと二人をこの部屋まで連れて来た二体の異形は長く鋭い爪の生えた指で器用に二人の手枷の鍵穴に鍵を差し入れて回した。手枷は二人の手首を離れてガシャリと音を立てて床に落ちた。手が自由になったところで怪物の脅威から自由になったわけではない二人はたじろぎ佇立し続けた。
「俺たちはお前たちがムーングロウと呼ぶこの世界から去る」
二人はその言葉を理解するのに時間を要した。まだ理解の追いつかない頭をもてあましながら男が怪物に問うた。
「私たちはどうしたら良いのでしょうか…」
怪物は事も無げに言い捨てた。
「それはお前ら人間が勝手に決めろ」
男はうろたえた。
「そんな…」
怪物は男の狼狽をよそに二人に忠告した。
「これだけは覚えておけ。果実を食い、絶望を乗り越えろ。そうしなきゃお前たちの悲しみの業は消えず絶望の輪廻は繰り返される」
男と少女は愕然とした顔で巨躯の顔貌を振り仰ぎ続けた。
「お前たちがどんな方法でそれを断ち切るか楽しみだよ。まあ、俺はうまくいくとは思わねえけどな」
すると怪物の背後に赤い光が閃いた。それは縦に長い亀裂のように何もない中空に刻まれた。やがて亀裂は二人の視界の中で大きく広がり、光は強まった。二人はそれに怯え体をこわばらせた。怪物はその大きな体を動かし二人に背を向け亀裂の前に立った。男が慌てて呼び止めた。
「待ってください! あなたたちがいなければムーングロウは治まりません! 行かないでください!」
怪物は首を振り向けた。
「これもあの女が決めたことだ。まあお前たちがどうなるかあっち側から見物させてもらうよ」
そう言い置いて怪物はのそのそと亀裂の中に体を進めて行った。二人を部屋へ連れて来た二体の異形もそれに続いた。三体が亀裂の「向こう側」に収まりきると、それを潮に亀裂は狭まり、ぴたりと閉じ合わさってそれとともに赤い光も収束し消えた。冷たく広く無機質な部屋にはいつもの暗さが戻り、静寂が満ちた。少女がその小さな口を開きそれを破った。
「これからあたしたちどうすればいいの…?」
誰にともなくぽつりと投げられた問いに、男はぽつりと答えた。
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