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番外 4 バレンタイン
しおりを挟む手に持った可愛らしい包みを凝視して、細莉は深いため息をついた。
日付は二月十三日。
明日は乙女の決戦ことバレンタインである。
手作りチョコレートに挑戦しようとしたが、鈴から「特別な日の食べ物くらいまともなものをあげましょう」と諭され、言いくるめられる形で店へと連行され、市販品を購入したのが昼間のこと。
家に帰り、万が一にも忘れたりしないように鞄へと早々にチョコを仕舞い込んだ細莉だったが、果たしてこれをそのまま渡してしまっていいのかと余計な考えが浮かんでしまい、チョコを握り締めうんうん唸り始めて早一時間。
もしもこれが頑丈な箱入りの市販品ではなく、可愛さに重きを置いた簡易ラッピングであったならチョコはもう溶け始めていたに違いない。
それほどまでにチョコを握る細莉の手にも目にも熱がこもっていた。
「手作りじゃなくなったなら、びっくりするサプライズくらいは必要だよね?」
どうも細莉は何かにつけてインパクトを重視する傾向がある。
学校に行き、靴箱の中でも机の中でもチョコが入っているだけで大抵の男子は狂喜乱舞するものだ。
むしろそれ以外の方法で渡すのならば、友達伝いに渡してもらうか、直接渡すかくらいのものになる。
友達伝いは論外として、直接渡す際のサプライズならば今こそ告白のチャンスだろう。
友チョコ、義理チョコだと思って受け取ったのに、「本命だから……」の言葉が添えられればそれはもう立派なサプライズだ。
細莉の気持ちも伝わるし、良いことしかない。
しかないのだが……まぁ当然、細莉がそんなことに気付く由もなかった。
もはや細莉の頭の中にはいかにインパクトのある渡し方をするかしか浮かんできていない。
「校門の前で待ち伏せして、皆の前で大きな声出しながら渡してみるとか!」
学校では物静かな綻火さんで通っている細莉だ。
校門でそんな渡し方をすれば、ものすごい注目を集めてもおかしくない。
だが、それにびっくりするのは同級生が大半であり、蓮へのサプライズかと言えばそうではない。
「……やめよう。恥ずかしくて次の日から学校に行きたくなくなる気がする」
公認カップル! とか言えば聞こえはいいが、仮にその渡し方をしたら見られるのは同級生に限った話ではない。
学校全体に校門で告った奴として認知されながら、今後の学校生活を送るのは相当なメンタルを要求されるのだ。
もちろん細莉にそんなものは持ち合わせていない。そんなものがあれば、初めての告白の時に日和ったりしない。
よわよわメンタルは衆目に晒されての行動は控えて然るべきである。
「いっそ、古来からの必殺技でもぶちかますべきか……! 身体にリボンを巻いて、プレゼントは私ってやつを……‼」
色々と覚えた若干時代を感じる技の一つをここでも発動させるつもりらしい。
だが、果たしてそれがバレンタイン向きなのかと疑問は残る。
「けど、あれってべつに誕生日とかクリスマスとかでも使えるんだよなぁ……」
汎用性が高い必殺技であるが故に特別感がない。
チョコをインパクトある方法で渡したい今の細莉には不要な技であった。
「だいたい渡すのチョコじゃなくて私になってるし……。いや、そりゃ貰ってくれるなら……それが一番……なんだけさ」
自分で言ってて恥ずかしくなったのか、顔を赤くしながら声が尻すぼみになっていく。
「あ~! やめやめ、この方向はダメ‼」
プルプルと体を震わせ、腕をぶんぶん振り回し煩悩を振り払う。
それとついでに持っていたチョコまで振り払った。
「あ……」
壁にぶつかり、床へと落ちたチョコの箱は遠目で見ても潰れている。
市販品と妥協したところもギリギリだったというのに、やけにボロボロな市販品を本命として(伝えるかは別にして)渡すのは流石に細莉の女子としての気持ちが許さなかった。
時計を見る。
時刻は夕方五時を回ったところだ。この時間ならまだ取り返しが効くだろう。
「こうなったら……やっぱりやるしかないよね」
だが、細莉の中で固まった決心は店で新たなチョコを買ってくることではなかった。
それが確実であることはわかっているのだが、細莉の前に落ちているチョコは鈴が一緒に選んでくれたものだ。
──このチョコ以外を渡してしまったら、鈴に顔向けが出来ない!
かくして、細莉は家を飛び出し、ラッピング用品だけを購入して家に戻ると蓮に渡すチョコの改造を開始するのだった。
※
学校の帰り道。
細莉や響と親しく過ごしている今年ならと正直ちょっと期待して登校したが、例に漏れず一つも成果を得ることなく帰宅することになった蓮の前にそれは突然現れた。
「伊澄~!」
名前を呼ばれて振り返れば、寒空の下、汗を流し息を切らして駆け寄ってくる細莉が見えた。
立ち止まる蓮の前にまで来た細莉は肩で息をしながら、苦しそうに途切れる息をなんとか落ち着かせると爽やかな笑顔で可愛らしい包みを差し出してくる。
「これ!」
「これは?」
「今日が何の日かわかってないわけじゃないでしょ?」
あざとい感じに小首を傾げる細莉。
そりゃ当然わかっている。
だが、まさかこんな風に走って追いかけて来てまで渡してくれるとは思っていなかった。
何で学校で渡さなかったんだ?
なんて疑問すら浮かばないくらい蓮はこの状況にじ~んときている。
「ハッピーバレンタイン!」
ニカッと弾ける笑顔で渡されたチョコは手作り感あふれるラッピングが施されていた。
いつもなら大なり小なり茶化してしまったはずだが、このときばかりはそんな気が微塵も沸かず、蓮は素直にお礼の言葉を口にする。
「ありがとう……!」
「どういたしまして~。大変だったんだよ? 可愛くしていいのか、それだと恥ずかしいのかな~とか考えたりさ」
「別にどっちでも気にしないけど」
「そういうもの?」
「貰えるだけでうれしいからな」
「……そっか!」
えへへ~と細莉は緩んだ笑顔になる。
だが、なんとなく気付いてる方もいるだろう。
ここは現実だ。そして、細莉は現実ではこんなキャラじゃない。
帰宅途中ということもあって、周りに同じ学校の生徒こそいないが人通りが皆無というわけでもなかった。
つまり今の細莉は地味モードのはずなのだ。
ようはかなり無理をして、不自然なくらい意図的にテンションを上げていることになる。
「開けてみていいか?」
「もっちろん!」
「じゃあ、遠慮なく……」
「あ、けどね。開ける前にお知らせがあるの」
「え?」
チョコに目線を落としていた蓮が顔を上げれば、さっきまでの快活でフレッシュ感あふれる細莉ちゃんは消えていて、やけに汗を流しながら、スッと目線を逸らすめちゃめちゃ気まずそうな細莉がいた。
やがて意を決したのか。ガシッと肩を掴まれ、はっきりとした口調で細莉は言い放つ。
「ここがピークだから!」
「……は?」
「バレンタインのピーク、ここだから‼」
確かにここがピークであることは間違いない。
手作りチョコを渡され、開ける瞬間だ。油断すれば顔がにやけそうになるくらいバレンタインのピーク到来中である。
だが、何をどうしたら渡した側がそのお知らせをしてくるのだろうか。
「それじゃ!」
しかも、片手を上げながら、細莉がまた走り去っていく。
チョコを見た感想くらい聞いていきそうなものだが、この時点で流石の蓮も嫌な予感がした。
残された可愛らしい包みを開けてみる。
「うおっ⁉」
まず香ったのは甘く苦いチョコの香りではなく、鼻を突く焦げ臭さだった。
そして、目に飛び込んでくるのは可愛らしいラッピングから出てきたとは思えない焦げてボロボロに固まったチョコの残骸の詰め合わせ。見た目は換気扇に溜まる埃に近い。
ラッピングだけをやり直せばよかったのだが、ものはついでと細莉はチョコを溶かして一つに固めて、手作りチョコにしようと考えた。
ちょっと調べればわかりそうなものだが、湯煎で溶かすなんて知りもしない細莉はレンジでチョコを加熱し、見事チョコたちは焦げて変形した炭へとジョブチェンジを遂げていた。
細莉のイメージとはかけ離れてしまったが、チョコのインパクトが天元突破したため、可能な限り爽やかに、それでいて可愛らしくチョコを渡して中和しようとしたのが先ほどのやりとりである。
結果的に騙された感がマシマシになっただけのような気がしなくもない。
チョコを見て固まる蓮。
走り去った細莉はそんな蓮の姿を想像しながら、心の中で謝罪する。
──ごめぇぇぇぇぇぇぇぇぇん‼
思った以上に喜んでくれた蓮の姿に心をチクチク痛めながら、細莉は後ろを振り返ることなく逃げることしか出来なかった。
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