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24.スポットライトの内と外
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「ただいま……」
玄関扉を開けて中に入る。奏人はまだ帰ってきていないみたいだ。予定通り初日を終えるまでは会場にいるつもりなんだろう。
「決勝……4時からだったよね」
時刻は午後3時30分を過ぎたところだ。今の内にテレビをつけておこう。リモコンを手に取ってアプリを起動させる。
「っ! 福間さん」
画面に映し出された1人の男性。その人には見覚えがあった。
福間 茶味さん。滋田さんと同い年・同期の32歳。身長168センチ。垂れ目に団子っ鼻。隙あらば笑いを取りに行くような明るく愉快な人だ。名前の茶味を文字って『チャーミング先輩』なんて呼ばれていたりもする。
滋田さんに継ぐ実力者として20年にも渡って台頭。剣の腕だけでなく、全日本男子キャプテンとしてリーダーシップも発揮。3年ほど前に膝を故障してからは、徐々に試合をセーブ。解説役を買って出るようになっていた。
『JAW チャンピオンカップ、フルーレ男子も決勝を残すのみとなりました』
人の好さそうな恰幅のいいおじさんアナウンサーが進行していく。どうやらこの番組は、決勝に至るまでに繰り広げられた試合をハイライトで振り返るものであるらしい。
放送席には母さんが好きなベテランアイドル・的場 光さんの姿もある。
切れ長の目に通った鼻筋。爬虫類を思わせるような艶麗な人だ。一見するとお飾りであるようだけど、実際は筋金入りのファン枠だ。中でも滋田さんの剣に魅せられているらしい。
『武澤選手、まさに大躍進ですよね』
「えっ……?」
アナウンサーさんの振りを受けて画面が切り替わった。飛び込んできた光景に目を疑う。奏人扮する僕が久城君にカウンターを見舞ったから。
マグレなんかじゃない。思う通りのカウンターを誘発させて返り討ちにしている。言わずもがな、これは僕の剣じゃない。奏人の剣だ。何で? どうして? これまで一度だって使ってこなかったのに。
「まさか……」
血の気が引く。唇は戦慄いて、膝に力が入らなくなる。
「終わらせるつもり……なの?」
考えうる中で最も非情なやり方で。
「どうして……?」
僕が選択を誤ったからか。あるいは既定路線なのか。いずれにしろ僕に非があることに変わりはない。無意味な後悔、懺悔を重ねていく。
『美しい。けれど、悲しくもありますね』
試合終了のホイッスルが鳴り響く。奏人はそれを合図にマスクを外した。
『………………』
首を左右に振って汗を飛ばす。目を開けて向かい側に立つ久城君を見やった。口角がくいっと上がる。嘲りだ。それでいてどこか期待をしているようでもある。
期待しているのはたぶん――怒り。久城君から自分本位な感情を引き出して、僕に見せつけようとしているんだ。お前は間違ってる。ただその事実を突きつけるために。
『久城選手』
『……………』
主審が呼びかける。久城君は応えない。マスクをつけたまま立ち尽くしている。
『久城君。マスクを』
『……………』
再度促されてようやくマスクを外した。
「……っ」
素顔がスポットライトに照らされる。瞳から輝きが零れ落ちた。騒然となる会場。奏人の目も大きく見開く。
『………?』
久城君は客席を一瞥した後で自身の頬に触れた。
『っ! ~~~っ』
切れ長の目が大きく見開く。青褪めたのはほんの一瞬。表情を歪めると、そのまま走り去ってしまった。
『久城! おいっ! 戻れ!!』
甘利コーチの怒号が飛ぶ。
『…………』
そんな中、奏人は礼もそこそこに歩き出した。その表情は硬いように思う。頬と目尻に力がこもっていた。
「奏人……」
過ちに気付いたんだろう。でも、受け止め切れずにいる。僕の目にはそんなふうに映った。
『えぇ~、続いては準決勝第一試合、鍛示選手VS武澤選手です。鍛示選手はフルーレでは全国2位、世界ランク9位。武澤選手からすると、これまた格上の相手との対戦となったわけですが――』
「っ!」
凄まじい剣の応酬だ。火花散る勢いに、解説の福間さんまでもが息を呑む。そんな最中、奏人が身を屈めた。視認したのと同時にブザーが鳴り響く。剣先が相手を――鍛示君を突いた合図だ。
『~~っ、いい加減にしろ!!!!』
鍛示君が乱暴にマスクを外す。怒りとは裏腹に漂う気品。パーツは全体的に大きく彫も深い。滋田さんに近いようでいて、系統はまるで違う。滋田さんは
雅男。鍛示君は精悍な青年といった感じだ。
『見るに堪えない』
「……っ」
気付いたんだろう。目の前にいるのが奏人であると。
『誰の差し金だ? まさか、お前の意思……ではあるまいな?』
主審から注意が入る。けど、鍛示君は構わない。
『お前達は確かに似ている。だがそれは容姿に限った話だ。剣は、心は、まるで違う。その前提を理解せず、同じで在ることを求めるなど愚の骨頂。筆舌に尽くし難いほどに罪深い行為だ』
「へっ……?」
『いいぞ!! 剛志ぃ!!』
福間さんが応戦する。剛志――鍛示君のことだ。僕はまだ状況を呑み込めずにいる。奏人も同じ思いでいるようだ。首を傾げている。小ばかにしているというよりは困惑している。そんな感じだ。
『お前は強い。誇りを持て、武澤 尚人』
「~~っ」
鍛示君は僕らに対して否定的な態度を取り続けていた。円満だろうが何だろうが、転向をすることそれ自体が不義理であることに変わりはない。そうやって顔を合わせる度に非難を受けてきた。
その内、何も言われなくなったけど、鍛示君の態度が軟化することはなかった。だから、暖簾に腕押し、言うだけ無駄と切り捨てられたんだろうと思っていた。
――認めてくれていたなんて。
「そんな……っ」
『Prets? Allez』
「あっ……」
主審の合図で試合が再開。白熱した試合が展開されていく。僕の目から見てもカウンターを見舞うチャンスはあった。でも、奏人は出さなかった。出せないんじゃない。出さなかったんだ。
「お願い奏人、お願いっ、もう止め――あっ……」
奏人が後退した。鍛示君が後を追う。奏人は、鍛示君の剣を左手側に上体を捻ることで回避、そのまま右肘を上げた。奏人の背後に剣先が向く。剣は銀鞭のようにしなって前方へ。鍛示君の左肩に向かって伸びていく。『ジュタージュ』奏人の必殺技だ。
『っ!!?』
奏人の上体が折れた。鍛示君の剣を脇腹に受けたことで。ブザーとホイッスルが鳴り響く。どよめく会場。奏人は患部を押さえたまま膝をついた。
主審は即座にカードを掲げる。色は黒。反則負けを意味するカードだ。鍛示君はそれだけのことをした。いや、させてしまったんだ。
フルーレにおいて、認められる攻撃方法は突きのみ。カットはサーベル以外では認められていない。
鍛示君はマスクも取らず、無言のままピストを去って行く。その気迫からか、咎める者はいなかった。
「ごめ、ごめんなさい。ごめん……なさい……っ」
謝る度に遠ざかっていく。もう二度と届くことはない。
『……尚人も強くなろうと必死なんですよ。次の五輪まで2年もないわけですからね』
透かさず福間さんがフォローを入れてくれる。アナウンサーさんは深く頷き、的場さんは表情を曇らせた。
『えー……っ、続いては準決勝第二試合、滋田選手VS安住選手です』
『こちらは非常に爽やかでしたね』
滋田さんに必死に食らいつく安住君の姿が映し出された。奮戦の末、敗れはしたけど最後には安住君の方から握手を求めに行っていた。こうありたかった。鍛示君ともこんなふうに。首を左右に振る。身の程知らずも甚だしい。
『さあ、会場も熱気に包まれてきたところで、いよいよ決勝です!』
コールを受けて、会場内の照明が落とされる。中央のピストに2本のスポットライトが伸びた。
右手には滋田さん、左手には奏人が並び立つ。奏人は闘志を剥き出しにしていた。その姿は否応なしに4年前の姿と重なる。一方の滋田さんは笑顔を浮かべていた。いつも通りの余裕な態度だ。黄色い歓声が響き渡る。
「……どうするんだろう?」
滋田さんは知っている。僕らが入れ替わっていることを。
「……何だか胸騒ぎがする」
滋田さんは奏人に対して負い目を感じている。奏人本人から利用されていた旨を聞かされても、安んじているようには見えなかった。
『Prets? Allez』
主審のコールを受けて試合が始まる。直後、滋田さんが奏人に迫った。奏人は直ぐさまカウンターを仕掛ける。
「っ!!!」
ブザーが鳴り響いた。
『りっ、リプレイです!』
滋田さんは、剣を払われた勢いをそのままに自身の剣を下方へ。奏人の攻撃を右向きに躱して、攻撃権を奪取。そのまま溝内を突いた。所謂カウンター返しだ。
『美しい……』
感嘆の溜息を零す的場さん。対照的に、福間さんの表情は暗く沈んでいた。デジャブを感じているんだろう。
『あーっとこれも通じない!』
滋田さんは奏人のカウンターを誘発させた上で、それを凌ぐ技量で以て返していく。実力の差をありありと見せつけるように。
「……同じだ」
あの日――奏人がフェンシングの道を諦めた日と。どうして? 滋田さんはあの日の自分を何よりも恥じていたはずだ。それこそこの4年間ずっと。
『尚人! 引っ張られるな!!!』
観客席が映し出される。2階席。所謂関係者席だ。安住君が立ち上がって声援を送っている。その瞳は潤んで今にも泣き出しそうだった。
カメラが少し引きになって、安住君の隣に座る鍛示君の姿が映し出される。鍛示君の表情には変わらず怒りが滲んでいるようだった。
鍛示君は、カットが認められているサーベルの顔とも言える存在だ。そんな鍛示君がサーベルの技で以て反則になる。思えばとんでもないことだ。
なおも奏人であろうとした僕に対して見舞った一撃であることを踏まえると、あれは多分――否定だ。最も恥ずべき行動を選択して、同等の愚行であると示してくれたんだろうと思う。
「……滋田さんも……?」
そうだ。滋田さんは恥じていた。保身のために悪鬼と化した過去の自分を。奏人もそのことを知ってる。だからこその選択。身も心も削ってまで、奏人に示そうとしてくれているのかもしれない。鍛示君がそうしてくれたように。
『っ!』
奏人の剣が吹き飛んだ。場外、ピスト横に転がる。奏人は――動かなかった。俯いて両手をキツく握り締めている。
「奏人――っ!?」
『~~っ、……っ!!』
滋田さんは大きく踏み出した。手にしていた剣がピストに向かって落ちていく。金属音は聞こえなかった。大歓声と指笛に阻まれて。
『おぉ! これは……っ!』
滋田さんが奏人を抱き締める。
『っ! ……っ、なせ!!』
途端に奏人が暴れ出した。パニックを起こしてるんだろう。何か話してるようだけど歓声に掻き消されて上手く聞き取れない。おまけに表情も見て取れない。2人ともマスクを被ったままだから。
『……っ、……~~っ……』
『……、………』
奏人の抵抗が次第に緩まり、滋田さんの肩に顔が沈んでいく。
『いいぞぉ! ヒロぉ――』
「行かなきゃ……」
僕はテレビを切るなり駆け出した。
奏人は変わった。みんなのお陰で。でも今は、ものすごく不安定な状態だ。みんなの気持ちがどっと流れ込んできて、これまで重ねてきた罪に震えて狼狽している。
奏人1人に背負わせたりしない。僕も一緒に背負うんだ。
玄関の扉を開けて駐輪場へ。自転車を漕いでマンションの出口に向かう。
「っ!」
見知った人影があった。どうしてここに? 頭が真っ白になる。心臓が早鐘を撃つ。まるでそう警鐘を鳴らすように。
「こんにちは」
谷原さんは昨日と変わらず、くたびれた黒のスーツ姿だった。開かれた灰色のトレンチコートからシワくちゃな白いYシャツがのぞいてる。
「どちらへ?」
谷原さんはただひたすらに嬉々としていた。計算通り。そんな言葉が過る。
「アンタには関係ない――」
『君達の秘密を知る人間は全部で3人。……武澤 頼人さん、滋田 寛さん、そして僕、留持 涼だ』
「なっ……」
息が止まる。嘘。何で? 何でその会話が録音されて、あまつさえ谷原さんの手の中にあるのか。
「姿が見えないから大丈夫って? ははっ、ナメられたもんですね~。……こちとらプロですよ?」
谷原さんは最初から留持さんをマークしていたのか。それとも、あの公園が僕と留持さんの馴染みの場所だと知って罠を仕掛けていたのか。
「お話、聞かせていただけますよね? 武澤 尚人君」
「……………っ」
頷く他なかった。
「ありがとうございます」
谷原さんを伴って家に向かう。
すべてが遅すぎた。いや、虫が良過ぎたんだろう。
せめて、4人に、みんなに及ぶ被害は最小限にする。
僕は慣れてる。だから、問題ない。
唇に食い込んだ歯をぐっと押し上げる。そんな僕を嘲るように谷原さんが嗤う。未来が砕ける音がした。胸に痛みを感じて自嘲気味に嗤う。
「……バカだな」
声もなく呟いて自宅の鍵を開けた。
終わりの始まり。果たすべき責任を反芻させる。失敗はもう赦されない――。
玄関扉を開けて中に入る。奏人はまだ帰ってきていないみたいだ。予定通り初日を終えるまでは会場にいるつもりなんだろう。
「決勝……4時からだったよね」
時刻は午後3時30分を過ぎたところだ。今の内にテレビをつけておこう。リモコンを手に取ってアプリを起動させる。
「っ! 福間さん」
画面に映し出された1人の男性。その人には見覚えがあった。
福間 茶味さん。滋田さんと同い年・同期の32歳。身長168センチ。垂れ目に団子っ鼻。隙あらば笑いを取りに行くような明るく愉快な人だ。名前の茶味を文字って『チャーミング先輩』なんて呼ばれていたりもする。
滋田さんに継ぐ実力者として20年にも渡って台頭。剣の腕だけでなく、全日本男子キャプテンとしてリーダーシップも発揮。3年ほど前に膝を故障してからは、徐々に試合をセーブ。解説役を買って出るようになっていた。
『JAW チャンピオンカップ、フルーレ男子も決勝を残すのみとなりました』
人の好さそうな恰幅のいいおじさんアナウンサーが進行していく。どうやらこの番組は、決勝に至るまでに繰り広げられた試合をハイライトで振り返るものであるらしい。
放送席には母さんが好きなベテランアイドル・的場 光さんの姿もある。
切れ長の目に通った鼻筋。爬虫類を思わせるような艶麗な人だ。一見するとお飾りであるようだけど、実際は筋金入りのファン枠だ。中でも滋田さんの剣に魅せられているらしい。
『武澤選手、まさに大躍進ですよね』
「えっ……?」
アナウンサーさんの振りを受けて画面が切り替わった。飛び込んできた光景に目を疑う。奏人扮する僕が久城君にカウンターを見舞ったから。
マグレなんかじゃない。思う通りのカウンターを誘発させて返り討ちにしている。言わずもがな、これは僕の剣じゃない。奏人の剣だ。何で? どうして? これまで一度だって使ってこなかったのに。
「まさか……」
血の気が引く。唇は戦慄いて、膝に力が入らなくなる。
「終わらせるつもり……なの?」
考えうる中で最も非情なやり方で。
「どうして……?」
僕が選択を誤ったからか。あるいは既定路線なのか。いずれにしろ僕に非があることに変わりはない。無意味な後悔、懺悔を重ねていく。
『美しい。けれど、悲しくもありますね』
試合終了のホイッスルが鳴り響く。奏人はそれを合図にマスクを外した。
『………………』
首を左右に振って汗を飛ばす。目を開けて向かい側に立つ久城君を見やった。口角がくいっと上がる。嘲りだ。それでいてどこか期待をしているようでもある。
期待しているのはたぶん――怒り。久城君から自分本位な感情を引き出して、僕に見せつけようとしているんだ。お前は間違ってる。ただその事実を突きつけるために。
『久城選手』
『……………』
主審が呼びかける。久城君は応えない。マスクをつけたまま立ち尽くしている。
『久城君。マスクを』
『……………』
再度促されてようやくマスクを外した。
「……っ」
素顔がスポットライトに照らされる。瞳から輝きが零れ落ちた。騒然となる会場。奏人の目も大きく見開く。
『………?』
久城君は客席を一瞥した後で自身の頬に触れた。
『っ! ~~~っ』
切れ長の目が大きく見開く。青褪めたのはほんの一瞬。表情を歪めると、そのまま走り去ってしまった。
『久城! おいっ! 戻れ!!』
甘利コーチの怒号が飛ぶ。
『…………』
そんな中、奏人は礼もそこそこに歩き出した。その表情は硬いように思う。頬と目尻に力がこもっていた。
「奏人……」
過ちに気付いたんだろう。でも、受け止め切れずにいる。僕の目にはそんなふうに映った。
『えぇ~、続いては準決勝第一試合、鍛示選手VS武澤選手です。鍛示選手はフルーレでは全国2位、世界ランク9位。武澤選手からすると、これまた格上の相手との対戦となったわけですが――』
「っ!」
凄まじい剣の応酬だ。火花散る勢いに、解説の福間さんまでもが息を呑む。そんな最中、奏人が身を屈めた。視認したのと同時にブザーが鳴り響く。剣先が相手を――鍛示君を突いた合図だ。
『~~っ、いい加減にしろ!!!!』
鍛示君が乱暴にマスクを外す。怒りとは裏腹に漂う気品。パーツは全体的に大きく彫も深い。滋田さんに近いようでいて、系統はまるで違う。滋田さんは
雅男。鍛示君は精悍な青年といった感じだ。
『見るに堪えない』
「……っ」
気付いたんだろう。目の前にいるのが奏人であると。
『誰の差し金だ? まさか、お前の意思……ではあるまいな?』
主審から注意が入る。けど、鍛示君は構わない。
『お前達は確かに似ている。だがそれは容姿に限った話だ。剣は、心は、まるで違う。その前提を理解せず、同じで在ることを求めるなど愚の骨頂。筆舌に尽くし難いほどに罪深い行為だ』
「へっ……?」
『いいぞ!! 剛志ぃ!!』
福間さんが応戦する。剛志――鍛示君のことだ。僕はまだ状況を呑み込めずにいる。奏人も同じ思いでいるようだ。首を傾げている。小ばかにしているというよりは困惑している。そんな感じだ。
『お前は強い。誇りを持て、武澤 尚人』
「~~っ」
鍛示君は僕らに対して否定的な態度を取り続けていた。円満だろうが何だろうが、転向をすることそれ自体が不義理であることに変わりはない。そうやって顔を合わせる度に非難を受けてきた。
その内、何も言われなくなったけど、鍛示君の態度が軟化することはなかった。だから、暖簾に腕押し、言うだけ無駄と切り捨てられたんだろうと思っていた。
――認めてくれていたなんて。
「そんな……っ」
『Prets? Allez』
「あっ……」
主審の合図で試合が再開。白熱した試合が展開されていく。僕の目から見てもカウンターを見舞うチャンスはあった。でも、奏人は出さなかった。出せないんじゃない。出さなかったんだ。
「お願い奏人、お願いっ、もう止め――あっ……」
奏人が後退した。鍛示君が後を追う。奏人は、鍛示君の剣を左手側に上体を捻ることで回避、そのまま右肘を上げた。奏人の背後に剣先が向く。剣は銀鞭のようにしなって前方へ。鍛示君の左肩に向かって伸びていく。『ジュタージュ』奏人の必殺技だ。
『っ!!?』
奏人の上体が折れた。鍛示君の剣を脇腹に受けたことで。ブザーとホイッスルが鳴り響く。どよめく会場。奏人は患部を押さえたまま膝をついた。
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フルーレにおいて、認められる攻撃方法は突きのみ。カットはサーベル以外では認められていない。
鍛示君はマスクも取らず、無言のままピストを去って行く。その気迫からか、咎める者はいなかった。
「ごめ、ごめんなさい。ごめん……なさい……っ」
謝る度に遠ざかっていく。もう二度と届くことはない。
『……尚人も強くなろうと必死なんですよ。次の五輪まで2年もないわけですからね』
透かさず福間さんがフォローを入れてくれる。アナウンサーさんは深く頷き、的場さんは表情を曇らせた。
『えー……っ、続いては準決勝第二試合、滋田選手VS安住選手です』
『こちらは非常に爽やかでしたね』
滋田さんに必死に食らいつく安住君の姿が映し出された。奮戦の末、敗れはしたけど最後には安住君の方から握手を求めに行っていた。こうありたかった。鍛示君ともこんなふうに。首を左右に振る。身の程知らずも甚だしい。
『さあ、会場も熱気に包まれてきたところで、いよいよ決勝です!』
コールを受けて、会場内の照明が落とされる。中央のピストに2本のスポットライトが伸びた。
右手には滋田さん、左手には奏人が並び立つ。奏人は闘志を剥き出しにしていた。その姿は否応なしに4年前の姿と重なる。一方の滋田さんは笑顔を浮かべていた。いつも通りの余裕な態度だ。黄色い歓声が響き渡る。
「……どうするんだろう?」
滋田さんは知っている。僕らが入れ替わっていることを。
「……何だか胸騒ぎがする」
滋田さんは奏人に対して負い目を感じている。奏人本人から利用されていた旨を聞かされても、安んじているようには見えなかった。
『Prets? Allez』
主審のコールを受けて試合が始まる。直後、滋田さんが奏人に迫った。奏人は直ぐさまカウンターを仕掛ける。
「っ!!!」
ブザーが鳴り響いた。
『りっ、リプレイです!』
滋田さんは、剣を払われた勢いをそのままに自身の剣を下方へ。奏人の攻撃を右向きに躱して、攻撃権を奪取。そのまま溝内を突いた。所謂カウンター返しだ。
『美しい……』
感嘆の溜息を零す的場さん。対照的に、福間さんの表情は暗く沈んでいた。デジャブを感じているんだろう。
『あーっとこれも通じない!』
滋田さんは奏人のカウンターを誘発させた上で、それを凌ぐ技量で以て返していく。実力の差をありありと見せつけるように。
「……同じだ」
あの日――奏人がフェンシングの道を諦めた日と。どうして? 滋田さんはあの日の自分を何よりも恥じていたはずだ。それこそこの4年間ずっと。
『尚人! 引っ張られるな!!!』
観客席が映し出される。2階席。所謂関係者席だ。安住君が立ち上がって声援を送っている。その瞳は潤んで今にも泣き出しそうだった。
カメラが少し引きになって、安住君の隣に座る鍛示君の姿が映し出される。鍛示君の表情には変わらず怒りが滲んでいるようだった。
鍛示君は、カットが認められているサーベルの顔とも言える存在だ。そんな鍛示君がサーベルの技で以て反則になる。思えばとんでもないことだ。
なおも奏人であろうとした僕に対して見舞った一撃であることを踏まえると、あれは多分――否定だ。最も恥ずべき行動を選択して、同等の愚行であると示してくれたんだろうと思う。
「……滋田さんも……?」
そうだ。滋田さんは恥じていた。保身のために悪鬼と化した過去の自分を。奏人もそのことを知ってる。だからこその選択。身も心も削ってまで、奏人に示そうとしてくれているのかもしれない。鍛示君がそうしてくれたように。
『っ!』
奏人の剣が吹き飛んだ。場外、ピスト横に転がる。奏人は――動かなかった。俯いて両手をキツく握り締めている。
「奏人――っ!?」
『~~っ、……っ!!』
滋田さんは大きく踏み出した。手にしていた剣がピストに向かって落ちていく。金属音は聞こえなかった。大歓声と指笛に阻まれて。
『おぉ! これは……っ!』
滋田さんが奏人を抱き締める。
『っ! ……っ、なせ!!』
途端に奏人が暴れ出した。パニックを起こしてるんだろう。何か話してるようだけど歓声に掻き消されて上手く聞き取れない。おまけに表情も見て取れない。2人ともマスクを被ったままだから。
『……っ、……~~っ……』
『……、………』
奏人の抵抗が次第に緩まり、滋田さんの肩に顔が沈んでいく。
『いいぞぉ! ヒロぉ――』
「行かなきゃ……」
僕はテレビを切るなり駆け出した。
奏人は変わった。みんなのお陰で。でも今は、ものすごく不安定な状態だ。みんなの気持ちがどっと流れ込んできて、これまで重ねてきた罪に震えて狼狽している。
奏人1人に背負わせたりしない。僕も一緒に背負うんだ。
玄関の扉を開けて駐輪場へ。自転車を漕いでマンションの出口に向かう。
「っ!」
見知った人影があった。どうしてここに? 頭が真っ白になる。心臓が早鐘を撃つ。まるでそう警鐘を鳴らすように。
「こんにちは」
谷原さんは昨日と変わらず、くたびれた黒のスーツ姿だった。開かれた灰色のトレンチコートからシワくちゃな白いYシャツがのぞいてる。
「どちらへ?」
谷原さんはただひたすらに嬉々としていた。計算通り。そんな言葉が過る。
「アンタには関係ない――」
『君達の秘密を知る人間は全部で3人。……武澤 頼人さん、滋田 寛さん、そして僕、留持 涼だ』
「なっ……」
息が止まる。嘘。何で? 何でその会話が録音されて、あまつさえ谷原さんの手の中にあるのか。
「姿が見えないから大丈夫って? ははっ、ナメられたもんですね~。……こちとらプロですよ?」
谷原さんは最初から留持さんをマークしていたのか。それとも、あの公園が僕と留持さんの馴染みの場所だと知って罠を仕掛けていたのか。
「お話、聞かせていただけますよね? 武澤 尚人君」
「……………っ」
頷く他なかった。
「ありがとうございます」
谷原さんを伴って家に向かう。
すべてが遅すぎた。いや、虫が良過ぎたんだろう。
せめて、4人に、みんなに及ぶ被害は最小限にする。
僕は慣れてる。だから、問題ない。
唇に食い込んだ歯をぐっと押し上げる。そんな僕を嘲るように谷原さんが嗤う。未来が砕ける音がした。胸に痛みを感じて自嘲気味に嗤う。
「……バカだな」
声もなく呟いて自宅の鍵を開けた。
終わりの始まり。果たすべき責任を反芻させる。失敗はもう赦されない――。
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