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19.華やぎの陰
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『1人のままだったら、んな面倒もなかったのにな』
「あっ……」
軽率だった。あの言葉は奏人の中にも在り続けてたんだ。
「あっ……あっ……」
奏人の頬に触れる。ひどく冷たく、強張っている。
「ごめん……っ、ごめんね……」
「……っ」
奏人の手が僕の腕を掴んだ。震えてる。硬いけど、儚くて。
「……優しいんだな」
奏人の目が大きく見開く。
「なん…………っ」
驚きから困惑へ。僕も奏人に続く。ここはFSよりも更に奥、3分ほど走ったところにある。どうしてこんなところに……?
「これは驚いた。こんなところでアナタのような方にお会いできるとは」
滋田 寛さん。32歳。フェンシングの絶対王者。その剣才は他の追随を許さない。攻守ともに非の打ちどころのないオールラウンダーで、フェンシング個人全3種目で世界制覇、五輪でも金メダルを獲得している。
身長183センチ。マロンブラウンの明るい髪に、彫の深い顔立ちをしている。穏やかだけど華やかで、ゆとりは気品に映る。美丈夫というのはこういう人のことを言うんだろう。
「エブリスポーツの谷原さんですよね? 復帰されてたんですね~。驚きました」
「ええ。その節はご心配をおかけしました」
「いえ、そんな……」
「快気祝いに1つ、例のフランス人パティシエのことでも……」
途端に滋田さんの表情が強張る。対する谷原さんは得意顔だ。愉しんでいるんだ。貶めること、それ自体を。
「あ~……それって、ガイルのことですよね? もうとっくに終わってますよ。まぁ、始まってすらいないんですけどね」
「それはそれは……もしや、新しい恋でも?」
「いやっ。恋愛はその……少しお休みしようかと。今回のはさすがにないって、チャミからもこっぴどく叱られちゃったんで」
「ご無体を」
「ははは~っ……すみませんです……」
「しかし、どうしてまた甲府に? 会場は代々木でしょう」
「ああ、そのことなんですけど――」
「滋田さん、すみません。僕からお話をさせてください」
「え? ああ……うん。そうだな」
奏人に目をやる。表情は依然、強張ったまま。滋田さんがいるからだ。奏人にとって滋田さんは天敵――最上の否定をもたらす人であるから。
「僕から滋田さんにお願いをしたんです。僕の……甲府FSのアドバイザーになっていただきたいと」
「…………」
谷原さんから感嘆の声が上がる。奏人は驚かなかった。きちんと、きちんと話さないと。
「なるほど。つまりは奏人君はお払い箱というわけですね」
「っ!」
谷原さんに主導権が移る。取り戻さないと。
「……言ってくれますね」
奏人が反発しにかかる。その目には静かだけど明確な怒りが滲んでいた。
「確かに俺は、中2でサーブルから撤退しました。でも、インハイで3位までいってるんですよ。ナオに教える分には――」
「ああ! あの試合は実に素晴らしかったですねぇ。鍛示選手にコテンパンにされるアナタは実に滑稽で……扇情的でした」
「~~っ」
谷原さんは言う。奏人の古傷を舐め回すように。
「……っ」
心がささくれ立つ。平たかった手が、拳に変わっていく。
「特に最後、鍛示選手の斬撃を受けて膝をつくアナタの姿は――」
「お引き取りください」
「はい……?」
冷たい声。今の僕を突き動かしているのは、身勝手な怒りだ。
「これ以上、貴方と話していたくありません」
「これは手厳しい。しかし……ふふっ、やはりアナタはいい」
黒くて深い、底の見えない目。この目には見覚えがあった。埃っぽい床、地面、コンクリート。そんな底から見た目と同じ目だった。
「今日はこれで失礼します。続きはまた今度」
足音が遠ざかっていく。気はまるで休まらない。灰とコーヒーの残り香が不安を掻き立てていく。疑いを晴らすどころか、一層深めてしまった。早く、早く手を打たないと。
「奏人、尚人」
「っ! はっ、はい」
「…………何っすか」
呼んだのは滋田さんだ。その瞳は愁いを帯びているようだった。見ているだけで胸が締め付けられる。
「……ごめん」
深々と頭を下げた。突然のことに、奏人と僕は顔を見合わせる。
「あの試合のことだ」
4年前の全日本選手権のことだろう。奏人はあの試合で滋田さんに大敗。『再起不能』になった。
奏人にとって勝利は肯定、敗北は否定だ。滋田さんには自分のすべてを賭しても敵わない、そう悟ってしまい剣を置かざるを得なくなってしまった。他でもない自分を守るために。
「あの時、俺には明確な悪意があった。奏人を潰すつもりで俺は……っ」
「滋田さん……」
言葉に詰まる。後悔してくれてたんだ。この4年間ずっと。だから、滋田さんは応えてくれた。ここまで来てくれたんだ。
「知ってましたよ」
滋田さんの目が大きく見開く。
「知った上で、利用させてもらったんです。お陰で親父を説得することが出来ました。ウチの親父はテメェ大好きな八方美人なんでね。あの手の話はよく効くんです」
奏人のその声は、怒りを腕力でねじ伏せたような――そんな声だった。
「なので、表で話している通りですよ。滋田さんに感謝しているというのは本当のことです」
「…………」
滋田さんの表情は晴れない。何か引っかかるところがあるんだろう。もしかしたら、僕と同じ目で奏人のことを見ているのかもしれない。
奏人の剣技を1から10まで引き出し、破壊する。そうすることで奏人を潰せると踏んだあたり、その線は濃厚だ。
「ですから、どうぞお構いなく。フランスにお帰りください」
「いえ」
割って入った。奏人に睨まれる。凄まじい眼光だ。僕は目を逸らすようにして滋田さんに向き直った。
「滋田さん……お気持ちを利用するような真似をしてしまってすみません」
「いやっ! そんな……っ、俺の方こそ――」
「ご事情を知った上で恐縮なんですけど……やっぱり僕は、滋田さんから御指南をいただきたいです」
滋田さんの瞳がじんわりと歪む。ああ、やっぱりそうか。赦されたいんだ。滋田さんも。身の程知らずな親近感を抱く。
「……それで、奏人には射撃に専念してもらいたい」
「っは、お払い箱か?」
「エアにこだわる必要はないから。もっとちゃんと射撃に向き合ってほしい」
「……夢だったんだろ?」
「それはもういいから」
奏人の口角が上がった。強がりだ。そう取られたんだろう。お腹と両足に力を込める。
「僕は個人ではサーブルを。団体ではフルーレに取り組む」
団体・フルーレに反応したんだろう。大きな舌打ちが返ってくる。
「奏人にも果たすべき役割があるはずだ。でも、時間は限られてる。……だからさ」
一息つく。伝えるんだ。『終わりと始まりの言葉』を。
「愚戯はもう終わりにしよう」
奏人の瞳から熱が失われていく。ぞっとするほど冷たくなった。
「……くだらね」
胸がざわついた。とんでもない過ちを犯してしまった。そんな気がして。
「とっとと戻るぞ。もう10時30分だ」
奏人が立ち上がる。目の前を通り過ぎようとした腕を慌てて掴んだ。
「まっ、待って」
「安心しろよ」
奏人の顔が僕に向く。
「……後で、ちゃんと聞いてやるから」
「っ!」
手の力が――緩んだ。あの子達と、谷原さんと同じ目をしていたから。黒くて深い、底の見えない目。
敵意とも違う。せせら嗤うようなあの目。舌戦で勝って、僕に吠え面をかかせる未来を想像しているからか。……どうにも釣り合わない気がする。この目とその行動とでは。
でも、もう後には引けない。ここまでのやり取りを通してみても道は明らかだ。
奏人を透明な檻の中から解放する。それが僕が果たすべき責任、僕の贖罪だ――。
「あっ……」
軽率だった。あの言葉は奏人の中にも在り続けてたんだ。
「あっ……あっ……」
奏人の頬に触れる。ひどく冷たく、強張っている。
「ごめん……っ、ごめんね……」
「……っ」
奏人の手が僕の腕を掴んだ。震えてる。硬いけど、儚くて。
「……優しいんだな」
奏人の目が大きく見開く。
「なん…………っ」
驚きから困惑へ。僕も奏人に続く。ここはFSよりも更に奥、3分ほど走ったところにある。どうしてこんなところに……?
「これは驚いた。こんなところでアナタのような方にお会いできるとは」
滋田 寛さん。32歳。フェンシングの絶対王者。その剣才は他の追随を許さない。攻守ともに非の打ちどころのないオールラウンダーで、フェンシング個人全3種目で世界制覇、五輪でも金メダルを獲得している。
身長183センチ。マロンブラウンの明るい髪に、彫の深い顔立ちをしている。穏やかだけど華やかで、ゆとりは気品に映る。美丈夫というのはこういう人のことを言うんだろう。
「エブリスポーツの谷原さんですよね? 復帰されてたんですね~。驚きました」
「ええ。その節はご心配をおかけしました」
「いえ、そんな……」
「快気祝いに1つ、例のフランス人パティシエのことでも……」
途端に滋田さんの表情が強張る。対する谷原さんは得意顔だ。愉しんでいるんだ。貶めること、それ自体を。
「あ~……それって、ガイルのことですよね? もうとっくに終わってますよ。まぁ、始まってすらいないんですけどね」
「それはそれは……もしや、新しい恋でも?」
「いやっ。恋愛はその……少しお休みしようかと。今回のはさすがにないって、チャミからもこっぴどく叱られちゃったんで」
「ご無体を」
「ははは~っ……すみませんです……」
「しかし、どうしてまた甲府に? 会場は代々木でしょう」
「ああ、そのことなんですけど――」
「滋田さん、すみません。僕からお話をさせてください」
「え? ああ……うん。そうだな」
奏人に目をやる。表情は依然、強張ったまま。滋田さんがいるからだ。奏人にとって滋田さんは天敵――最上の否定をもたらす人であるから。
「僕から滋田さんにお願いをしたんです。僕の……甲府FSのアドバイザーになっていただきたいと」
「…………」
谷原さんから感嘆の声が上がる。奏人は驚かなかった。きちんと、きちんと話さないと。
「なるほど。つまりは奏人君はお払い箱というわけですね」
「っ!」
谷原さんに主導権が移る。取り戻さないと。
「……言ってくれますね」
奏人が反発しにかかる。その目には静かだけど明確な怒りが滲んでいた。
「確かに俺は、中2でサーブルから撤退しました。でも、インハイで3位までいってるんですよ。ナオに教える分には――」
「ああ! あの試合は実に素晴らしかったですねぇ。鍛示選手にコテンパンにされるアナタは実に滑稽で……扇情的でした」
「~~っ」
谷原さんは言う。奏人の古傷を舐め回すように。
「……っ」
心がささくれ立つ。平たかった手が、拳に変わっていく。
「特に最後、鍛示選手の斬撃を受けて膝をつくアナタの姿は――」
「お引き取りください」
「はい……?」
冷たい声。今の僕を突き動かしているのは、身勝手な怒りだ。
「これ以上、貴方と話していたくありません」
「これは手厳しい。しかし……ふふっ、やはりアナタはいい」
黒くて深い、底の見えない目。この目には見覚えがあった。埃っぽい床、地面、コンクリート。そんな底から見た目と同じ目だった。
「今日はこれで失礼します。続きはまた今度」
足音が遠ざかっていく。気はまるで休まらない。灰とコーヒーの残り香が不安を掻き立てていく。疑いを晴らすどころか、一層深めてしまった。早く、早く手を打たないと。
「奏人、尚人」
「っ! はっ、はい」
「…………何っすか」
呼んだのは滋田さんだ。その瞳は愁いを帯びているようだった。見ているだけで胸が締め付けられる。
「……ごめん」
深々と頭を下げた。突然のことに、奏人と僕は顔を見合わせる。
「あの試合のことだ」
4年前の全日本選手権のことだろう。奏人はあの試合で滋田さんに大敗。『再起不能』になった。
奏人にとって勝利は肯定、敗北は否定だ。滋田さんには自分のすべてを賭しても敵わない、そう悟ってしまい剣を置かざるを得なくなってしまった。他でもない自分を守るために。
「あの時、俺には明確な悪意があった。奏人を潰すつもりで俺は……っ」
「滋田さん……」
言葉に詰まる。後悔してくれてたんだ。この4年間ずっと。だから、滋田さんは応えてくれた。ここまで来てくれたんだ。
「知ってましたよ」
滋田さんの目が大きく見開く。
「知った上で、利用させてもらったんです。お陰で親父を説得することが出来ました。ウチの親父はテメェ大好きな八方美人なんでね。あの手の話はよく効くんです」
奏人のその声は、怒りを腕力でねじ伏せたような――そんな声だった。
「なので、表で話している通りですよ。滋田さんに感謝しているというのは本当のことです」
「…………」
滋田さんの表情は晴れない。何か引っかかるところがあるんだろう。もしかしたら、僕と同じ目で奏人のことを見ているのかもしれない。
奏人の剣技を1から10まで引き出し、破壊する。そうすることで奏人を潰せると踏んだあたり、その線は濃厚だ。
「ですから、どうぞお構いなく。フランスにお帰りください」
「いえ」
割って入った。奏人に睨まれる。凄まじい眼光だ。僕は目を逸らすようにして滋田さんに向き直った。
「滋田さん……お気持ちを利用するような真似をしてしまってすみません」
「いやっ! そんな……っ、俺の方こそ――」
「ご事情を知った上で恐縮なんですけど……やっぱり僕は、滋田さんから御指南をいただきたいです」
滋田さんの瞳がじんわりと歪む。ああ、やっぱりそうか。赦されたいんだ。滋田さんも。身の程知らずな親近感を抱く。
「……それで、奏人には射撃に専念してもらいたい」
「っは、お払い箱か?」
「エアにこだわる必要はないから。もっとちゃんと射撃に向き合ってほしい」
「……夢だったんだろ?」
「それはもういいから」
奏人の口角が上がった。強がりだ。そう取られたんだろう。お腹と両足に力を込める。
「僕は個人ではサーブルを。団体ではフルーレに取り組む」
団体・フルーレに反応したんだろう。大きな舌打ちが返ってくる。
「奏人にも果たすべき役割があるはずだ。でも、時間は限られてる。……だからさ」
一息つく。伝えるんだ。『終わりと始まりの言葉』を。
「愚戯はもう終わりにしよう」
奏人の瞳から熱が失われていく。ぞっとするほど冷たくなった。
「……くだらね」
胸がざわついた。とんでもない過ちを犯してしまった。そんな気がして。
「とっとと戻るぞ。もう10時30分だ」
奏人が立ち上がる。目の前を通り過ぎようとした腕を慌てて掴んだ。
「まっ、待って」
「安心しろよ」
奏人の顔が僕に向く。
「……後で、ちゃんと聞いてやるから」
「っ!」
手の力が――緩んだ。あの子達と、谷原さんと同じ目をしていたから。黒くて深い、底の見えない目。
敵意とも違う。せせら嗤うようなあの目。舌戦で勝って、僕に吠え面をかかせる未来を想像しているからか。……どうにも釣り合わない気がする。この目とその行動とでは。
でも、もう後には引けない。ここまでのやり取りを通してみても道は明らかだ。
奏人を透明な檻の中から解放する。それが僕が果たすべき責任、僕の贖罪だ――。
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