31 / 116
31.滴る雫
しおりを挟む
頬を伝う雫は雨粒か、涙か。滴るそれらを肌で感じながら景介を抱き締める。
「報酬は頼人でいいよ」
照磨の声だ。後ろから聞こえてくる。しかし、振り返る余裕はない。景介の背に顔を埋めたまま耳を傾ける。
「僕に頼人の一番を頂戴」
「は?」
「キミにはもう必要ないでしょ?」
「~~っざけんな!! アイツのこと何――!? ルー……?」
一層強く抱き締めた。『本当のことを教えて欲しい』などと言ったくせにそれを拒むような行動を取ってしまう。意気地のない自分が心底嫌になる。
「おいっ!! 待てよ!! アンタッ!!」
返事はない。代わりに乱暴な足音が聞こえてくる。駅員のようだ。ルーカスが行った暴挙、改札を飛び越えた件について説明と謝罪を求めている。
「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
景介が代わって対応をし始めた。彼は何も悪くない。悪いのは自分だ。伝えなければ。
「あ………っ」
口が動かない。回した腕を解くことすらも。こんな時、頼人ならどうするのだろう。降りしきる雨の中、そんな取り留めもないことをただ延々と考え続けた。
――気付けば駅員の姿も照磨の姿もなく、景介に引っ付いていたはずの体も離されていた。駅員と話しをしている間に移動したのか頭上には屋根がある。雨にこそ晒されなくなったが濡れた体はそのままだ。
「う゛ッ! さぶっ……」
「びしょ濡れだな」
抑揚なく言う。そんな景介の体も濡れている。前髪から零れた雫が唇を掠めた。ブレザーは黒く重たい質感に。灰色タータンチェックのズボンは肌に張り付き、長く引き締まった脚のシルエットを露わにしていた。
――堪らない。無様な今を忘れて酔っていく。雨水に侵された淫靡な姿に。
「行くぞ。歩いて5分もかからない」
言うなり景介は傘を開いて歩き出した。期待通りではあるものの、状況が状況であるだけに罪悪感も一入だ。けれど、今更引けない。バッグから傘を取り出す。
「……っ」
――頼人から借りたものだ。途端に頬が強張る。
「何してんだ。さっさと来い」
「…………」
促されるまま傘を開いた。柄を持つ手に力がこもる。もう戻れない。戒めの言葉を反芻させながら土砂降りの中を歩いていった。
――景介が言った通り5分もしない内に辿り着いた。10階段建てのマンション。茶を基調とした落ち着いた外装だ。中に入るとひどく静かだった。大理石でつくられたクリーム色の壁、グレーベースの御影石の床は美しくも素っ気ない。
エレベーターに乗り3階へ。降りて直ぐ、右手側の扉の前で止まった。表札らしいものは見受けられないが、ここが彼の家であるらしい。反対側5メートルほど離れたところにも扉がある。このフロアには白渡家を含め2戸しかないようだ。プライバシーを重視した都会的な造りに、快適さとほんの少しの息苦しさを覚える。
「おい。今更遠慮なんかすンなよ」
扉を片手で押さえ、待っている。
「あっ!? ごっ、ごめん!」
急ぎ中に入った。薄暗い。人のいる気配はまるでしない。ここにきて改めて実感する。景介の祖母・結子の死を。
「少し待っててくれ」
景介の背が手前右のドアの向こうに消える。落ち着いた白のフローリング。目を向けると透明な足跡があった。それを見てほっと息をつく。
「ほら」
「……ありがとう」
薄緑色のタオルを受け取り、髪や顔の水滴を拭っていく。
「シャワーは今、俺が出入りした扉の先だ」
「えっ? 貸してくれるの?」
「風邪引くだろうが」
「そう、だね……」
泊めてくれるのだろうか。いや、流石にそれはないだろう。微苦笑一つに一蹴する。
「濡れた服は洗濯機横の白いかごにでも入れておいてくれ。着替えは後から持って――」
「待って」
再び動き出した背に制止を求めた。立ち止まったが振り返ろうとはしない。もう後戻りは出来ない。意気地のない手に力を込めて問う――。
「報酬は頼人でいいよ」
照磨の声だ。後ろから聞こえてくる。しかし、振り返る余裕はない。景介の背に顔を埋めたまま耳を傾ける。
「僕に頼人の一番を頂戴」
「は?」
「キミにはもう必要ないでしょ?」
「~~っざけんな!! アイツのこと何――!? ルー……?」
一層強く抱き締めた。『本当のことを教えて欲しい』などと言ったくせにそれを拒むような行動を取ってしまう。意気地のない自分が心底嫌になる。
「おいっ!! 待てよ!! アンタッ!!」
返事はない。代わりに乱暴な足音が聞こえてくる。駅員のようだ。ルーカスが行った暴挙、改札を飛び越えた件について説明と謝罪を求めている。
「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
景介が代わって対応をし始めた。彼は何も悪くない。悪いのは自分だ。伝えなければ。
「あ………っ」
口が動かない。回した腕を解くことすらも。こんな時、頼人ならどうするのだろう。降りしきる雨の中、そんな取り留めもないことをただ延々と考え続けた。
――気付けば駅員の姿も照磨の姿もなく、景介に引っ付いていたはずの体も離されていた。駅員と話しをしている間に移動したのか頭上には屋根がある。雨にこそ晒されなくなったが濡れた体はそのままだ。
「う゛ッ! さぶっ……」
「びしょ濡れだな」
抑揚なく言う。そんな景介の体も濡れている。前髪から零れた雫が唇を掠めた。ブレザーは黒く重たい質感に。灰色タータンチェックのズボンは肌に張り付き、長く引き締まった脚のシルエットを露わにしていた。
――堪らない。無様な今を忘れて酔っていく。雨水に侵された淫靡な姿に。
「行くぞ。歩いて5分もかからない」
言うなり景介は傘を開いて歩き出した。期待通りではあるものの、状況が状況であるだけに罪悪感も一入だ。けれど、今更引けない。バッグから傘を取り出す。
「……っ」
――頼人から借りたものだ。途端に頬が強張る。
「何してんだ。さっさと来い」
「…………」
促されるまま傘を開いた。柄を持つ手に力がこもる。もう戻れない。戒めの言葉を反芻させながら土砂降りの中を歩いていった。
――景介が言った通り5分もしない内に辿り着いた。10階段建てのマンション。茶を基調とした落ち着いた外装だ。中に入るとひどく静かだった。大理石でつくられたクリーム色の壁、グレーベースの御影石の床は美しくも素っ気ない。
エレベーターに乗り3階へ。降りて直ぐ、右手側の扉の前で止まった。表札らしいものは見受けられないが、ここが彼の家であるらしい。反対側5メートルほど離れたところにも扉がある。このフロアには白渡家を含め2戸しかないようだ。プライバシーを重視した都会的な造りに、快適さとほんの少しの息苦しさを覚える。
「おい。今更遠慮なんかすンなよ」
扉を片手で押さえ、待っている。
「あっ!? ごっ、ごめん!」
急ぎ中に入った。薄暗い。人のいる気配はまるでしない。ここにきて改めて実感する。景介の祖母・結子の死を。
「少し待っててくれ」
景介の背が手前右のドアの向こうに消える。落ち着いた白のフローリング。目を向けると透明な足跡があった。それを見てほっと息をつく。
「ほら」
「……ありがとう」
薄緑色のタオルを受け取り、髪や顔の水滴を拭っていく。
「シャワーは今、俺が出入りした扉の先だ」
「えっ? 貸してくれるの?」
「風邪引くだろうが」
「そう、だね……」
泊めてくれるのだろうか。いや、流石にそれはないだろう。微苦笑一つに一蹴する。
「濡れた服は洗濯機横の白いかごにでも入れておいてくれ。着替えは後から持って――」
「待って」
再び動き出した背に制止を求めた。立ち止まったが振り返ろうとはしない。もう後戻りは出来ない。意気地のない手に力を込めて問う――。
0
お気に入りに追加
82
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――
天海みつき
BL
族の総長と副総長の恋の話。
アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。
その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。
「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」
学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。
族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。
何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる