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けたたましい電子音で目を覚ました。視界いっぱいに白天井が広がる。頬が冷たい。涙だ。紺色の羽毛布団を勢いよく手繰り寄せる。
「もう7年も経つのに……」
アラームを止め、白い木製のチェストに目を向ける。そこにはカメラがある。
いじめを受け、塞ぎ込んでいたルーカス。そんな彼を外に連れ出したのがこのカメラと父だった。言うまでもなく最初は全力で拒んだ。カメラを見ただけで、あのおぞましい写真を思い出したから。けれど、父は諦めなかった。1か月もの攻防の末に根負けし、止むなくカメラを手に取った。人は絶対に撮らないという条件を突き付けながら。
そうして連れてこられたのが自宅から車で10分ほどのところにある『ポプラの森』。降り立った瞬間、色違いの瞳が瞬いた。
周囲を囲むポプラの木々。10階建てのビルほどもある背で存在をちっぽけなものに。中央に広がる青く澄んだ空で心の汚れを洗い流したのだ。
真っ新になったルーカスは、父に倣い周囲を観察し始めた。雫のような形をしたポプラの葉が地に向かって落ちていく。葉はやがては養分となり、春の芽吹きの糧となる。すべては巡る。感情もなしに。
手元のカメラを一瞥し、ファインダーを覗く。広がる美しい世界。ここだ。今日からここが自分の居場所。自分だけの世界だ。口角を上げながらシャッターを切った。頬を滑る雫を肌で感じながら。
――それからルーカスは旅に出た。父と共に世界中のありとあらゆる場所を巡り、写す。次第に自然の風景が好きだと公言するようになる。大きな前進である――はずが、喜べなかった。
疑念を抱いていたからだ。自身の抱く感情に。どんなに雄大で素晴らしい景色を前にしても嘲笑が止むことはなく、それらから逃れるようにカメラを構えている。そんな自身の存在を否定することが出来なかったのだ。
故に、抱く感情そのすべてが偽物。一種の演出に過ぎないのではないかと疑い続けていた。
ルーカスは起き上がり、向かい側に目を向けた。そこには1枚の絵がある。初めて目にした時のことを、今でもはっきりと覚えている。
――山萩のトンネル。そこから覗き見るようにして描いた、菜の花が揺れる榊川の河川敷。
眺めている内に胸が高鳴り、心の傷が癒えていくのを感じた。どんな人が描いているのだろう。顔を上げて驚いた。描いている少年の目は底が見通せぬほどに暗く、淀んでいたのだ。
どういうことだ。困惑している間に少年はそそくさと片付けをし始める。
『待って』
咄嗟に少年の腕を掴んだ。
『……っ! 離せよ!』
目をぎらつかせながら、身を縮める。追い詰められたノラ猫のように。狂おしいほどの怒りは盾だ。そう察知したのと同時に、悟った。
――彼もまた逃げているのだと。
誰もいない自分だけのフレームの中へ。故郷から遠く離れた地で漸く出会うことが出来た仲間。留めたい。その一心で提案した。
『オレと景色の交換こ……しない?』
――正面にある榊川の絵を起点に部屋中を見回していく。広さは15畳ほど。私室でもあり、ギャラリーでもある。そのため机は右端に、棚やクローゼットは左端に追いやって壁という壁に景介の作品を展示。ゆったりと眺められるよう、部屋の中央にロータイプ・クイーンサイズのベッドを持ってきている。
その甲斐もあってこの部屋にいると心底落ち着く。影は変わらず付き纏ってくるが、手には景介と彼の世界から得たランプがある。これがある限り自分は歩いていける。何の心配もいらない。歯を出して笑い、自室を後にした――。
「もう7年も経つのに……」
アラームを止め、白い木製のチェストに目を向ける。そこにはカメラがある。
いじめを受け、塞ぎ込んでいたルーカス。そんな彼を外に連れ出したのがこのカメラと父だった。言うまでもなく最初は全力で拒んだ。カメラを見ただけで、あのおぞましい写真を思い出したから。けれど、父は諦めなかった。1か月もの攻防の末に根負けし、止むなくカメラを手に取った。人は絶対に撮らないという条件を突き付けながら。
そうして連れてこられたのが自宅から車で10分ほどのところにある『ポプラの森』。降り立った瞬間、色違いの瞳が瞬いた。
周囲を囲むポプラの木々。10階建てのビルほどもある背で存在をちっぽけなものに。中央に広がる青く澄んだ空で心の汚れを洗い流したのだ。
真っ新になったルーカスは、父に倣い周囲を観察し始めた。雫のような形をしたポプラの葉が地に向かって落ちていく。葉はやがては養分となり、春の芽吹きの糧となる。すべては巡る。感情もなしに。
手元のカメラを一瞥し、ファインダーを覗く。広がる美しい世界。ここだ。今日からここが自分の居場所。自分だけの世界だ。口角を上げながらシャッターを切った。頬を滑る雫を肌で感じながら。
――それからルーカスは旅に出た。父と共に世界中のありとあらゆる場所を巡り、写す。次第に自然の風景が好きだと公言するようになる。大きな前進である――はずが、喜べなかった。
疑念を抱いていたからだ。自身の抱く感情に。どんなに雄大で素晴らしい景色を前にしても嘲笑が止むことはなく、それらから逃れるようにカメラを構えている。そんな自身の存在を否定することが出来なかったのだ。
故に、抱く感情そのすべてが偽物。一種の演出に過ぎないのではないかと疑い続けていた。
ルーカスは起き上がり、向かい側に目を向けた。そこには1枚の絵がある。初めて目にした時のことを、今でもはっきりと覚えている。
――山萩のトンネル。そこから覗き見るようにして描いた、菜の花が揺れる榊川の河川敷。
眺めている内に胸が高鳴り、心の傷が癒えていくのを感じた。どんな人が描いているのだろう。顔を上げて驚いた。描いている少年の目は底が見通せぬほどに暗く、淀んでいたのだ。
どういうことだ。困惑している間に少年はそそくさと片付けをし始める。
『待って』
咄嗟に少年の腕を掴んだ。
『……っ! 離せよ!』
目をぎらつかせながら、身を縮める。追い詰められたノラ猫のように。狂おしいほどの怒りは盾だ。そう察知したのと同時に、悟った。
――彼もまた逃げているのだと。
誰もいない自分だけのフレームの中へ。故郷から遠く離れた地で漸く出会うことが出来た仲間。留めたい。その一心で提案した。
『オレと景色の交換こ……しない?』
――正面にある榊川の絵を起点に部屋中を見回していく。広さは15畳ほど。私室でもあり、ギャラリーでもある。そのため机は右端に、棚やクローゼットは左端に追いやって壁という壁に景介の作品を展示。ゆったりと眺められるよう、部屋の中央にロータイプ・クイーンサイズのベッドを持ってきている。
その甲斐もあってこの部屋にいると心底落ち着く。影は変わらず付き纏ってくるが、手には景介と彼の世界から得たランプがある。これがある限り自分は歩いていける。何の心配もいらない。歯を出して笑い、自室を後にした――。
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