下町食堂の賄い姫

栗木 妙

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 あれから何事もなく数日が過ぎた。
 世間では、海を挟んだ南隣に位置するユリサナ帝国との国家間同盟が破棄され、最南端の要衝カンザリア要塞島沖で戦端が開かれているとか何とかいう話題が飛び交い、しばらく王都の人間をもザワつかせていたものだけど。――とはいっても、少なくとも王都では誰もが、まだ遠い地で起きた自分には関係のない出来事、だとしか認識していなかった。このサンガルディア王国では、年中どこかしらの国境付近で何かしらの争いが起きている。なのでそれも、所詮はそのうちの一つ、としか思われていなかったのだろう。
 私も、例に洩れずだ。
 自分の与り知らぬところで起きた戦争なんかより、自分の身の回りに起きている出来事の方が、今はよっぽど重要で、かつ、深刻だった。


「――アル様……」
「なんだい?」
「私、未だにワケわかんないんですけど……」
「何が?」
「なぜ私は、こんなところで馬車に揺られているんでしょうかね……しかも、こんな綺麗なドレスまで着せられて……」
「それは、夜会に行くから当然……」
「ですから、なぜ私が、よりにもよって平民なんかには場違いなこと極まりない夜会とやらに、連れてかれるハメになってんでしょーかね……」


 事の発端は、普段どおりの昼食の席だった。
『今日、これから彼女を借りたいんだけど、いいかな?』
 唐突にアルフォンス様が、それを義兄へと問いかけた。――その横で『彼女』と指し示されたのは私である。
 あまりに突然のことで、思わず私は、口に入れていたものを纏めて一気に飲み込んでしまった。――うぐぐ、苦しい……水ー!
『…ローザちゃんを、「借りたい」?』
『そう、ちょっと頼みたいことがあって。彼女の手がないと店が回らないということでなければ、ぜひお願いしたいのだけど』
『まあ…休日ではないですし、厨房は僕一人いれば大丈夫ですが』
『ならば、申し訳ないが借りていくよ。今日中には返すから』
『わかりました。遅くなるようなら送ってあげてくださいね。最近どうも物騒ですし』
『そこは心得ている』
 そうやって私が声を出せずにいる隙に、さくさくと話が纏まってしまい……で、そのまま私が食事を終えるのも待たず『じゃあ行こうか』と、急かされ有無を言わせず馬車に押し込まれて連行されて、連れてこられたのが、以前も訪れたことのあるアルフォンス様のお屋敷だった。
 到着するなり、『後は頼む』と、事前にアルフォンス様から何らかの指示を受けていたのだろう、メイドさんと思われる揃いのお仕着せを着た数名の女性に引き渡される。
 そのまま取り囲まれて浴室へと強制連行されるや、これは一体どういうことなのかと問いかける暇すら与えてもらえず、問答無用で着ていた服を脱がされ、ささやかな抵抗さえも封じこめられ、身体中くまなく洗われ、磨かれ、つやっつやに香油を揉み込まれてから、浴室を出され……その時点で既に疲れ果ててグッタリしていたのだったが、なのに間髪入れずに今度は、下着から用意してあったらしい華やかなドレス一式を上から下まで着せられて、終わるや髪をぐいぐい梳かれ、がっちがちに結われ、髪飾りまでごってごてと付けられて、ついでのように首にも首飾り、耳には耳飾り、そして仕上げとばかりに顔にがっつり化粧を施され……そこでようやく解放された。
『――これは、一体、何て拷問……?』
 おそらく、支度が済んだ旨の報告がいったからだろう、そんな状態の私のもとに来たアルフォンス様の顔を見るや、まず真っ先にそんな問いが零れ出る。――だって本当に疲れたんだもん慣れないことさせられて。お貴族サマの女性は毎回こういうことしてんのか。こんなにぎりぎり胴体を締め上げられて、よく生きてるなマジで。
 自分じゃ見えないけれど、私は相当に情けない顔でもしていたと思われる。おもむろに『なんてカオしてるの』と、アルフォンス様が軽く吹き出した。
『せっかくウチのメイドたちが腕によりをかけたのに、台無しじゃないか』
『腕によりをかけるところ、間違ってません……?』
『間違ってないよ。十二分に良い仕事をしてくれたと思うね。おかげで見違えた』
『……それはようございました』
『本心から言ってるんだから、そんなにやさぐれないでほしいな。――ともかく、お疲れのところ申し訳ないけれど、これで終わりじゃないからね』
『ぅええ~……?』
『当たり前だろう? 何のために着飾ったと思ってるの』
『「何のため」って……』
『さ、もう行くよ』
『「行く」……? って、どこに……?』
『夜会』
『は……?』
『君にも参加してもらうから。僕と一緒に』
『――はア!?』


 ――そんなこんなで、ワケもわからぬまま急かされ問答無用で馬車に押し込まれて……今に至る。


 いや確かに…確かにね、支度を済ませた私の前に現れた時点でアルフォンス様も、がっつり夜会用と思しきキラッキラした衣装に身を包んでいらっしゃいましたけどね。文句言いながらも、うっかり見惚れかけてしまいましたよね。着飾ると映える美形っぷりが、羨ましすぎて軽く腹も立ったよねっ。自分の平々凡々っぷりが余計に引き立つようで、ホント隣に立ちたくなんてないよねっ。…こんちくしょうめ。
 平民にとっちゃ、夜会なんざ都市伝説みたいなものなんだぞ。そう簡単に『行くよ』なんて言われても、素直に肯けるハズもないではないか。お貴族サマのマナーとか常識とか全く知らないのに、行って何すりゃいいのよ、ってなもんじゃない。
 そんな右も左もわからない私なんぞをわざわざ連れていかなくても、他にパートナーを務めてくれる女性くらい、いっくらでもいるでしょうが。よしんば、その心当たりがなかったとしても、花街の高級娼館のオネエサンにでも頼めば、どんな場面でもソツなくこなしてくれそうなのに。なんだったら、むしろ私から頼んでやるわよ。これでも、ご近所のよしみと出前で花街にはよく出入りしていたから、顔なじみも多いのだ。
 …という心からの提案をしてみるも、「なんで見ず知らずの人間と一緒に夜会なんかに行かなくちゃならないの」などと、すげなく却下されてしまう。
「別に、夜会の場で、君に社交を求めているわけじゃないから。普通に僕の隣に立ってくれてさえいれば、それでいいし。立っているだけなら、君にだって出来るだろう? そのついでに愛想笑いの一つでも見せてくれたら助かるかな、って程度のことだよ、お願いしたいのは」
「そうはいっても……」
「それに、そんなに長居するつもりもないし。必要なところに挨拶だけしたら、すぐに帰るから」
 夜会の会場とやらに向かう馬車の中にあってさえ最後まで抵抗を諦めない私を、半ば呆れたように眺めやりながら、「いい加減、観念すれば?」と、そんなことを目の前に座るアルフォンス様が言う。
「せっかく綺麗に着飾ったんだから、笑顔くらい見せてよ。ほら、愛想笑いの練習」
「…こんな状況で、笑えませんよ」
「残念だな。そのドレス、君にすごく似合ってるのに」
「似合ってるハズなんてないでしょう? 私には不相応すぎます」
「そんなこと知らないよ。僕は、似合うから似合うって言ってるだけだし」
「…お世辞がお上手ですね」
「なんで僕が君にお世辞なんて言わなきゃならないのかな」
「…じゃあ、ご機嫌取りですか?」
「君のご機嫌を取りたいのは事実だけれど、そうであれば尚更、お世辞なんかで誤魔化さないよ」
「…………」
「今の君も綺麗だって、思ってるよ。心から」
「…………!!」
 ――もう……!! このひとは、ホントに、もうっっ……!!
 なんでこんなに私を嬉しがらせるのが上手なんだろう。一気にかあっと頬に熱が集まってくる。
 そう真っ直ぐに見つめられてしまうと、その言葉に深い意味なんて無かったとしても、勘違いしそうになってしまう。自分に都合のいいように受け止めてしまいたくなる。
 赤面したのを見られたくなくて、咄嗟に俯き、注がれる視線から逃れようとした。
「そっか……〈馬子にも衣装〉って、こういう時に使う言葉なんですね。それでか」
「君は本当に、人の褒め言葉を素直に受け取らないね……」
 頭の向こう側から、呆れたようなそんな言葉が響いてくる。――当たり前じゃないか。こんな、あまりにも着慣れていないものを着せられた姿を、褒められたところで、それがどうして『似合う』だの『綺麗』だのという言葉に結び付くんだ。おかしいだろう、どう考えても。
 浮かれそうになる自分を、そう思い込ませて必死に落ち着かせようとした。
 なのに、熱くなった頬は……まだまだそう簡単には静まってくれそうにもなかったけど。
 ――だめだなあ、私ったらアル様のくれる言葉になら何でも喜ぶクセが付いちゃってるみたい。
 嬉しくて……なのにその分だけ、悲しくなる。――膨らんでゆけども、この想いにはどこにも行き場が無いと、わかっているから。
「…なぜ私なんですか?」
「え……?」
「夜会のお伴をするのが、なぜ私なんですか?」
 ここに至るまでに、もう何度尋ねたか知れないその問いを、私は再び投げかけていた。――まだ、俯いた顔は上げられないままだったけど。
「僕には、君しか女性の知り合いがいないから」
 返ってくるのは、何度も聞いた答え。――そうやってはぐらかされるのも、もう何度目だろうか。
「そんなはずないじゃないですか。毎回そうやって誤魔化さないでくださいよ。私は真面目に訊いてるのに……」
「なら……それ以外の理由を言えば、君は機嫌を直してくれるの?」
「え……?」
 思わず、俯いていたことも忘れて視線を上げてしまった。
 目の前には、相変わらず普段通りの無表情で……でも、何か言いたげにも見える視線を私へと注いでいた、アルフォンス様の姿。
「何をどう言えば君は、いつものように笑ってくれるのかな……」
 ――そうは見えないけれど……少しくらいは申し訳ないと、思ってはくれているのだろうか……?
 あまりにも私がムクれっぱなしだから、見えないだけでアルフォンス様も、大分ウンザリしてきているのだろうか。
 そう考えてしまったら、普段と変わらないアルフォンス様の姿も、どことなくしゅんと項垂れているようにすら見えてきてしまう。
 途端、ちくちくとした罪悪感が芽生えてきた。
「そんなに心配しなくても……そういう場に出れば、愛想笑いくらい、ちゃんと、しますよ?」
 だから私の機嫌なんて気にしなくてもいいんですよ、と、そう言外に告げて安心してもらいたかったのだが……しかし、おもむろにはあーっと深くタメ息を吐かれた。――何故だ?
「本当に君は、色々と難しいな……」
「えーと……それは、どういう意味で……?」
「いや、気にしないでくれ。――ああ、もう着いたか」
 アルフォンス様が窓の外へと視線を投げ、間もなくして軋んだ音を立てながら馬車が止まった。


 ――それで……ここは一体、ドコなんでしょーか……?
 アルフォンス様の手を借りて馬車を降りた途端、目の前に聳え立つ、おそらく正面玄関と思しき箇所の威容に圧倒される。下町の住人にとっては、お貴族サマのお屋敷なんて、同じ王都にいてさえ滅多に目にする機会も無いし、かろうじてアルフォンス様のお屋敷を知っているくらいで、その良し悪しなんて見てもサッパリだけど……とはいえ、これは一目瞭然としか言いようがない。
 ――どえらいところに来てしまった……。
 場違いにもホドがあると、即座に回れ右して帰りたくなった。――ぶっちゃけ、アルフォンス様に手を取られていなければ、間違いなくそうしていただろう。
 なんだこの玄関の扉のデカさは。そして、なんだこの建物全体あっちこっちにうかがえる豪華さは。そこにそれ必要? って思う箇所にまで、素人目にさえ手の込んでいることがありありとうかがえる精緻な彫刻やら何やらが、ズラ~り並んでいらっしゃるし。そこかしこできらきらと反射光を放っているのは、おそらく金銀螺鈿で装飾されているからだろう。ついでに、敷地もどんだけ広いのか……ここに来るまでに通り抜けてきたであろう門扉が、振り返れば遥か彼方だし。玄関前に広く取られている馬車停めの空間は、おそらく客が入れ替わり立ち代わり来ても対応できるようにだろう、瀟洒な噴水を中央に置き、ぐるりと円形を描いている。その向こうには、広大な庭園……緩く稜線を描いた丘の上どこまでも広がる色彩も豊かな花畑と、やはり遥か向こうの方に東屋らしき小洒落た屋根が見える。
 ――本当に……ここ、王都ですか……?
 どこか土地の有り余ってる田舎の成金領主屋敷にでも迷い込んでしまったんじゃないかと錯覚するくらい、無駄に広いうえに無駄に豪華。そのうえ、無駄に人も多い。お出迎えにそんなに人、要る? ってくらいの人数で頭を下げられるもんだから、ものすごく落ち着かない。
 そんな中を、まるで何事でも無いかのように飄々と歩くアルフォンス様にエスコートされて、私もよたよたと歩みを進める。――もう、踵の高い靴の歩き難すぎることったら! 誰だ、こんな靴なんて発明したのは! いつか文句言ってやるー!
「――これはこれはアルフォンス様、おかえりなさいませ」
 ようやく扉の前まで辿り着いたところで、おそらく来客の受付係をしているのだろう執事らしき装いの初老の男性が、そんな声をかけてこちらを出迎えてくれた。
 ――ちょっと待て、今『おかえりなさい』って言った……?
 どういうこと? と私が何か問い掛けようと口を開くよりも早く、「もう皆様お集まりでいらっしゃいますよ」という、にこやかな言葉が聞こえてくる。
「まずは控室へどうぞ。ただいまご案内いたします」
「ああ、ありがとう」
 男性が手を差し伸べた方向には、おそらく案内係なのだろうと思われる、やはり似たような装いの若い男性が、「どうぞこちらへ」と、やはり屋敷の奥へと向かい手を差し伸べていた。
 その先導に従って歩き出してからしばらく、私は大人しく口を噤んでいたが、やはりどうしても訊かずにいることが我慢できなくなって、おもむろにアルフォンス様の服の裾をくいくい引っ張る。
 気付いてこちらを見降ろしてきた視線を、すかさず捕らえて耳打ちした。あくまでも小声で囁くようにして。
「さっきの『おかえりなさい』って、どういう意味ですか? このお屋敷もアル様のお住まい、ってこと?」
「ああ、それは……」
「――アルフォンス、来てたのか」
 その時、アルフォンス様の身体の向こう側から、そんな低い声が飛んでくる。
 聞き覚えのある声に、思わず私も身を乗り出して、そちらへと視線を向けた。――やはり案の定、こちらへと歩み寄ってくる、見覚えのある男性の姿。
「やっと顔を出したと思ったら、一体どういう風の吹き回しだ……」
 その声が、不自然に途切れる。
「お久しぶりです、アレクさん」
 ばっちり目が合ってしまったので、そう私もぺこりと頭を下げた。
「その節はウチが大変お世話になったみたいで、色々とどうもありがとうございました」
 アレクさん――例の次姉の誕生日パーティーに来てくれた、兄の上司。そして、ウチの店のゴタゴタを収めてくれたという、アルフォンス様の弟さん。
 頭を上げると、その背後に、やはりパーティーに来てくれていた、兄の同期だというエイスさんとクロウさんの姿も見えた。三人とも同じような意匠の黒を基調とした華やかな衣装に身を包んでいらっしゃる。ひょっとしたら、これが近衛騎士サマの正装――というか盛装?――なのかもしれない。
 その三人が三人とも、なにやら私をガン見したまま固まっている――と思うのは、単なる気の所為…なのだろうか……?
「あの……何か……?」
 そこで気を取り直したらしいアレクさんが、やおらにっこりと笑みを浮かべてみせた。――どう見ても無理やり作ったような笑顔なのが気に掛かるが。
「お久しぶりです、ローザ嬢。来て早々で申し訳ないのだが、少々アルフォンスをお借りしても、よろしいでしょうか?」
「え? あ、はい……どうぞ……」
「それでは遠慮なく。すぐにお返ししますから。では、また後ほど」
 そしてすかさず、比喩ではなく首根っこを掴まれて引きずられるように廊下の向こうへ去ってゆくアルフォンス様の姿を見送っていたところ、ふいに横から腕が掴まれる。
 気付くと、いつの間にか私の傍へと近寄ってきていたらしいエイスさんとクロウさんの二人に、囲まれるような形で見下ろされていた。
 いつの間にか、先導してくれていた案内係の人も姿が見えなくなっている。今しがた一礼して来た廊下を戻っていったのを、私も視界の隅に捉えていた。見ていなかったけどおそらく、この二人のどちらかに、この場を外すよう指示を受けたのだろう。
 ――しかし、まあ……つくっづく、お美しい人たちだなあホントに。
 お会いしたのはまだ二度目ではあるが、いつ見ても眼福だなあと心から思う。特にエイスさんは、滅多にお目にかかれないような超絶美形で、むしろ“美しすぎる女性”だと紹介されても全く疑う余地すらないかもしれない、それくらい人並み外れた華やかな雰囲気をもった美人さんだし。そこに並んでしまうと多少は地味に感じられてしまうクロウさんにしたって、並々ならぬ美形であることには違いなく、なおかつ、国民が茶系の髪と瞳をしているのが一般的であるこの国にあって、極めて珍しいとされる青い瞳をしていらっしゃり、その所為もあって、神秘的というか、どことなく浮世離れしたような印象さえ受ける。
 平凡を絵に描いたような私が、こんな特徴的な美人さんたちの隣に並ぶことになってしまったのが、なんとも申し訳ない限りだ。――くうぅ、同じ人間とは思えないのが悲しすぎるっ……!
 掴まれた腕を引かれ、「とりあえずこっちに」と促されるまま、私たちは人目に付かない廊下の隅へと移動した。傍には何やら高価そうな背の高い壺が台の上に飾られていて、その陰に隠れるようにして立たされる。ここなら近くを誰かが通りがかったとしても、大声を出したりとかしなければ、人目に付くこともないだろう。
「…ローザちゃん、だよね? ワーズの妹の」
 挨拶も何も無く開口一番エイスさんにそれを問われ、訝しくは思いつつも「はい」と素直に頷く。――この格好、そんなに私だとわからないカンジなんだろうか? そんなに化けてる?
「なぜ君が、こんなところに? しかも、よりにもよってアルフォンス様に連れられて来るなんて」
 反対側から投げかけられたクロウさんの問いには、さすがに答えを言いよどむしかできない。
「それは私の方が知りたいです。いきなり連れて来られて、アル様も『夜会に行く』としか言ってくれないし、理解できるような説明とかも何もしてくれないし……てゆーか、それ以前に、ここ、どこですか?」
 困り顔で見上げる、そんな私の頭の上で、二人が視線を合わせる。
 そして、同時にはーっと深々としたタメ息を吐いた。
「ワーズから聞いてはいたけど……」
「まさか、そんなはずはないだろうと……」
 私には意味のわからない呟きを洩らし、そして再び深くタメ息。――なんだそれ?
「どういうことですか? 何か、お兄ちゃんが関係していること?」
「いや、それは無い」
「そうだな。むしろ、こういう事態になることを、不必要なまでに心配していた側だからな」
 即座に否定の言葉が返ってくるも、それすら私にとっては的を射た答えではなかった。
 知らず知らず、ワケのわからないことに対する訝しさと不安で、自分の眉が寄っていくのがわかる。
「何から話したらいいんだろうねェ……」
 そんな私を見下ろして、困ったように頭の後ろを掻きながら、エイスさんが口許を歪めてみせた。
「俺らが知った発端は、ワーズが青い顔して『ローザがアルフォンス様に求婚されてる』とか言い出したことなんだが……」
「ちょっと待ってください、その話は、とっくに終わってるはず……!」
 それは、おそらく例のアルフォンス様の『嫁と使用人なら、どっちがいい?』の発言を曲解した兄の誤解の件だろう。当然ながら、後日たかがそんなことのためにワザワザ休みを取ってまで血相変えて帰ってきやがった時点で、『アホかー!!』と叩き出した。
 あんなの冗談以外の何モノにも受け取れないというのに、それを真に受けた挙句、仕事まで休んで帰ってくるなんて何を考えているんだと。イイ歳して何を社会人失格なことやらかしてやがるんだと。シスコン過ぎるのも大概にしやがれと。そう、あれやこれや思い付く限りのお説教をぶちかましてやったら、しょんぼりした背中でよろよろ戻っていったので、てっきり納得してくれたものだとばかり思っていたら……よもや同僚の方まで巻き込んで、何を事実無根なことを愚痴ってやがるんだ、あの馬鹿兄め。
「ごめんなさい、ウチのお兄ちゃん、ちょっと馬鹿なんです。昔から私のこととなると、どうも行き過ぎちゃうっていうか周りが見えなくなるっていうか、そんなトコがあって」
「ああ…うん、それワカルわー……」
「ですから、あんなシスコン兄のタワゴトなんて真に受けないでくださいね。そんなこと、あるはずもないんですから」
「俺らも、そう思っていたんだけどねェ……とはいえ、こうなってみると、どうもそれじゃあ済まなさそうでさ。――いやーシスコン兄の勘、スゲエわ」
「は……? それって、どういう……」
「――君は、ここがどこかと訊いたよね?」
 今度は逆側からそう切り出してきたクロウさんを見上げる。
「ここは、ファランドルフ本邸内の迎賓館だ。公爵閣下のお住まいも同じ敷地内に在る」
「ファランドルフ……? 公爵……? ――なんだか聞いたことのあるような名前だけど……ひょっとして、この国イチバンのお貴族サマ、の、こと、じゃあ、ない、です、よ、ね……?」
「ひょっとしなくても、そうだよ。ここは、この国一番の名門である三公爵家、その一つファランドルフ家の本邸、その一部だ」
 咄嗟に息を飲んでいた。
 そんな予想だにしていなかった大貴族サマの名前が唐突に飛び出してきて、二の句を継げなかったのだ。
 ここ王都に住んでいる以上、それはお貴族サマなんかとは何の縁も無い平民でも常識として知っていることだから。『三公爵家』と呼ばれる、この国の貴族の頂点に君臨している由緒正しき名門の三家――それが、ファランドルフ、リュシェルフィーダ、シュバルティエ、なのだということくらいは。
 ――でも、ちょっと待って……!
 アルフォンス様は、そのファランドルフ家で『おかえりなさい』って迎えられる人、なんでしょ? つまり、それって一体、どういうことなの?
「…その様子じゃ、まだ教えてもらっていなかったようだね」
 その疑問の答えを、どこまでも淡々とした口調で、クロウさんが言葉にする。
「ここは、我々近衛騎士団の副団長、アレクセイ・ファランドルフ男爵閣下にとってのご実家にあたる。――当然ながら、その兄君であるアルフォンス・ファランドルフ伯爵閣下においても同様だ」
「…………!!?」
 茫然自失、とは、今の私の状態を表す言葉なのだろう。
 それほどの衝撃だった。衝撃のあまり、頭が真っ白になってしまったくらいの。
 ――アルフォンス様が……? 三公爵家の、ファランドルフ家の、ご出身……?
 普段から全然そういうふうには見えないからすっかり忘れ果てていたけれど、アレクさんが名のあるお家のご出身らしいことは聞いていたし、ならば、その兄であるアルフォンス様こそ相当おエライお貴族サマであるのだろう、とは、出会った当初から思っていたことだ。だから、伯爵サマだと言われても、納得できないこともない。
 だけど、まさか、そんなにも名の通りまくったお家のご出身、だったとは……!
 振り返って考えてみれば、これまでのアルフォンス様との日常的な付き合いの中で得た情報を繋ぎ合わせてみれば、そうであってもおかしくないと疑問を持つことだって出来たはずだ。気付こうと思えば気付いていたかもしれないのに、その可能性をコレッポッチすら考えてみたこともなかった自分自身に、いっそ愕然とする。――とはいえ、そもそも私は、他人に対する興味自体が、友人に『年頃の娘としてそれはどうなの?』と呆れられてしまうくらい、人並み以上に薄いのだ。自分に関わりがないと思われることには、大抵『へーそうなんだーふーん』で流して、あとはサッパリ忘れちゃうタイプなんだもん、そんなの気付かなくたっても仕方ないじゃないか。…言ってて我ながら悲しくなるけどさ。
 それより、こんな突拍子もない事実を、どこまでウチの家族は知っていたのだろうか。――いや、知らないはずはないだろう、店の危機を救ってもらったということなのだから。少なくとも、当事者である母や長姉は知っていたはずだ。てことは、おそらく義兄もか。
 知っていたうえで、ああやって何事でもなく、店に来るアルフォンス様を迎えていたのだろうか。知っていたからこそ、私に何も教えてくれなかったのだろうか。
 与えられた情報を自分の中だけでは整理しきれなくて、もはや眩暈すら感じてくる。
 そんな私に追い討ちをかけるかの如く、さらに続けられる、どこまでも落ち着き払ったクロウさんの言葉。
「今夜の夜会はね。定期的に行われている、三公爵家の親睦会のようなものなんだ。毎回、三家の持ち回りで主催者が変わる。今回はファランドルフ家の主催だから、ここが会場になった。したがって、三公爵家の直系に連なる爵位を有する者が皆、今夜ここに集まることになる」
「ということは……お二人も、そう、なんです、か……?」
「いや。我々二人は、副団長のご厚意で伴として連れてきていただいただけだ、もとより参加できる資格は持ち合わせていない。とはいえ、いずれは我々も、爵位を得、この夜会に参加することになるだろう。今回は、その“いつか”のための顔見せも兼ねてのことだ。――こうなった以上、今さら隠しておく気はないよ」
 そして、今さらながらではあるが、改めてお二人のフルネームを教えてもらった。
 クロウさん――もとい、クロウリッド・リュシェルフィーダ様と、エイスさん――もとい、エイシェル・セルマ・シュバルティエ様。
 話される口ぶりから薄々予想はついていたが、やはりお二人も、共に三公爵家の直系であるということだった。…なんてこったい。
 お二人をはじめ近衛騎士の皆様を我が家に連れてくるにあたって、兄が気を回し、家名を名乗らないようにと皆様に頼んでいたらしい。というのも、近衛騎士団に所属しているのは、大部分がお貴族サマ出身の騎士サマばかりということだから、あの誕生日パーティーの時に兄が連れてきた同僚の方々も、やはり例に洩れず、であり。
 それでか…と、ようやく私も思い当たった。そういえば、あのパーティーの時、兄から紹介された皆様は一様にファーストネームしか名乗らなかった。私たちも私たちで、騎士サマの中には貴族出身者もいる、ということは知識として知ってはいたけれど、目の前の現実と全く結び付けられなかった。その時は、そもそも近衛騎士団が貴族出身者で固められているだなんてことすら知る由もなかったし、あの兄が連れてくるのだから皆様やはり平民出身者同士で、かつ名前で呼び合えるような気安い間柄なのだろう、とばかり思い込んでしまい、家名なんて気にもしなかった。
 それもこれも、せっかくの祝いの席で家族に余計な気を遣わせたくない、という兄の計らいがあってのこと、だったワケか。そういうことか。
 ――ナニゲに気疲れしそうな職場で働いてたんだね、お兄ちゃん……。
 思わず遠い目をして、しばらく会っていない兄へと想いを馳せてしまった。――次に帰ってきた時は、ちょっとくらい優しくしてあげよう……。
「…話は逸れたが、本題に戻ろうか」
 そこで聞こえてきたクロウさんの言葉で、私もハッとし、思い出したように居住まいを正す。――つか、既に“さん”呼びに慣れてしまった手前、今さら改まって“様”付けするのは難しいなあ……もういいや、そのままで。ご当人からクレーム付けられたら改めよう。そうしよう。
「副団長も、またアルフォンス様も、主催であるファランドルフ家の直系として、今夜の夜会に参加する義務があるからここに来た。そして君は、そのアルフォンス様のパートナーとして夜会に参加するために、ここにいる。――それが、一体どういう意味を持つことなのか、わかっているかい?」
 当然ながら、私には首を横に振る以外に返答のしようがない。
 こちらを覗き込むように見つめるクロウさんの薄い青色の瞳は、なまじお顔立ちが整っていらっしゃる分、思わずぞっとしてしまうくらいに真剣だった。その青の色彩に、まさに射竦められたように体がこわばる。
 ――イヤな予感がした。その時から。
「幾ら非公式な内輪の集まりとはいえ、まがりなりにも三公爵家の直系のみが揃う場だ、相応の格式というものがある。したがって、この夜会の参加者が伴うことの出来る女性は、配偶者もしくは、それに準ずる者でなければならないと、慣例による定めが不文律として存在している。未婚の参加者が女性を伴うということは、つまりは“お披露目”のようなものだ。連れている女性が自分の婚約者であると、そう公言するも同じなんだよ」
「――――!!?」
「君は……それをきちんと納得した上で、あのアルフォンス様と共に、ここに来たのか?」
 当然ながら、私には返せる言葉など持ち合わせてはいなかった―――。



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