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閑話『近衛騎士セオ・グラッドによるローザ・ワーズに関する一考察』
しおりを挟む【証言者その1】:兄
「――ローザがアルフォンス様に求婚されてる……」
それは、とある昼下がりのことだった。
ふいに聞こえてきた、そんな呟くような呻くような低い声に、僕は思わずそちらを振り返っていた。
そこには、なにやら手にした数枚の紙束を食い入るように見つめながら真っ青になって小刻みにぶるぶる震えている、同期入団かつ同室の同僚――レット・ワーズの姿。
そういえば午前中、彼あての手紙が届いていたっけ…と、そこで僕は思い出す。
手に持っていた紙束は、当の届いたばかりの手紙なのだろう。おそらく家族からの。
「…どうしたの、ワーズ?」
なにやら徒ならぬ様相を呈している彼に、少々おののきつつも僕は、おそるおそる声を投げた。
だが、その瞬間、彼は弾かれたように座っていた寝台から立ち上がる。
「――ちょっと行ってくる!」
「は……? どこに……?」
そのまま足音も荒く部屋を出て行った彼が午後の仕事をほっぽりだしてまで向かった先は、実家、だったと……それを僕が知ったのは、夕刻を過ぎて彼が帰ってきてからのことだった。
そもそも、このレット・ワーズという同僚は、非常に面倒見のよい男である。
同室の僕も、近衛入団当初から彼には何かれと世話になってきた。
面倒見がよい、のみならず、情報通で、いつも何かしらの噂を聞き付けてきては誰かしらの為に走り回っているお人好し、そんな印象が強い。
一見したところ、武官としては小柄な方だし、童顔で女の子なみに愛くるしい美貌の持ち主だし、で、入団時から『近衛騎士団一の美少年』との呼び声も高い、しかしそんな容貌を裏切るかのように、彼自身の内側は、非常に男らしいことこのうえない。豪快かつ気持ちいいくらいにサバサバした気風の持ち主で、弱きを助ける正義感や決して曲げない信念を持ち合わせてもいれば、その一方で、情にも厚く、他者の事情を汲んで慮ることのできる懐の深さをも見せる。
友人とするに、これほど頼りになる男も、そうはいないだろう。
――シスコンでさえなければ。
思えば知り合った当初から、その片鱗は見えていた。
僕らが使っている宿舎の部屋は四人部屋で、同室のもう一人というのがまた、並はずれた美人――もはや美女といっても差し支えないくらいの、滅多なことではお目に掛かれないような美形、であるのだが。――ただし“黙っていれば”との注釈が付くが、それはそれで置いておいて。
それはまだ入団して間もない頃、同期の面々と何らかの雑談をしている時だったか、その場を外していた彼の話題に及び、『あんな超絶美人と同じ部屋にいたら、うっかりミョーな気でも起こしそう』などと僕ら二人がからかわれたことがあった。
まあ、普通ならそうだよなあ…なんて、うっかり変に納得しかけて言葉を言い出しあぐねてしまった、そんな僕とは対照的に。
一瞬も考える隙なくワーズが、けらけらと笑い飛ばしながら、『そんなことあるはずないじゃん』と即答したものだ。
そして、ものすごく晴れやかな蟠りなどコレッポッチも見受けられない曇りなき笑顔で、堂々とそれを言ってのけたのである。
『たとえどんな美人を相手にしたところで、妹のほうが絶対に可愛いに決まってるし。そうそう変な気なんて起きるはずないよ』
――『妹』……? よりにもよって、比較対象が『妹』……? 言うに事欠いて、『妹』……? そこでサアーッと波が引くように心で後ずさっていたその場の人間全員の引き攣り笑いに、気付いていなかったのは、きっと当人だけだったろう。
「――というワケでさ、ローザは僕の言うことになんか全く聞く耳もってくれないし、家族はみんな暢気に構えてるだけだし、ホントもう、どうしたらいいか……」
手紙に記されていた内容から実家へ帰った結果どうなったのか、現在に至るまでの経緯を涙ながらに切々と語るワーズに、僕は努めて穏やかににこやかに、「うんうん、大変だったね」と相槌を打ってやった。――本音を言えば、君の心配しすぎたよ…と言いたいところではあるが、シスコンにそれを言ったところで聞き入れまい。
そもそも手紙に書かれてあったのも、実際に読ませてもらったのだが、普通の近況報告程度に『そういえばこんなことがあってね』と、むしろ笑い話にでもなりそうなネタの一つとして書かれていたに過ぎない。
僕も一度だけお目にかかったことのある、副団長のお兄様であるアルフォンス様。――うん、あのお方だったら、書かれている通り『おなかが空いた』っていう理由でワーズ家の食堂を訪れたとしても、何ら不思議ではないかもしれない。ホントに過言でなく、見た感じ全く貴族っぽくないお方だったから。
ただ、そのアルフォンス様が、なぜ『嫁と使用人なら、どっちがいい?』なんていう、求婚まがいの冗談を差し挟んできたのかはサッパリだが……まあ、そのひとことから後にも引かずに終わっていることなのであれば、そこまで深読みして考えることもないだろう。あのお方は、どうやら独自の思考回路をお持ちのようだし、あれこれ詮索してみたところで、きっと真意はこちらの及びもつかない場所にありそうだ。
しかし残念かな、シスコンの思考回路も、また普通の人間の及びもつかないところを駆け巡っているらしく。
「そうだよね……考えてみるまでもなく、あんなに可愛いローザを放っとける男なんて居るはずもないんだから、きっとアルフォンス様だって、そんなローザの可愛さにあてられて、会ったその場でクラッと……!」
「――うん、ちょっと一旦、落ち着こうかワーズ?」
一人で勝手に妄想を繰り広げてはわなわな震えている彼を見かねて、とりあえずの話題転換を試みる。
「てゆーか、そんなに“ローザちゃん命!”なのに、よく軍人なんかになろうと思ったよね。長男なんだから、普通に店を継ぐとかすれば、家を出なくても済んだんじゃないの?」
「『店を継ぐ』とか、そう簡単に言わないで欲しいな。僕は母親似なんだって、グラッドだって知ってるだろ?」
「うん、瓜二つだよね。――それが何?」
「だからね、不器用で味覚オンチなとこも瓜二つなんだよ、僕と母さん。さすがに僕の代でウチの店潰すのはどうかと」
そういえば…と思い出す。言われてみればワーズって、何を出されても文句も言わず黙々と食べるけど、そのわりには好物らしきものもさして無さそうなのが変だよなあ、と、食事を共にするたびに何となく考えていた。つまり、味覚オンチだから何を食べても味がそれなりにしか思えないのか。…納得。
「なもんで、料理もできないうえに学も特技も全く無い僕には、軍人になるくらいしか生きてけそうな道が無かったの。幸いなことに、身体だけは丈夫だし、下町育ちだから荒事にも多少は慣れてるし」
「そうだったんだ……」
「そりゃーね、よりにもよって男手のほとんど無い家に可愛い妹を残していくなんて、躊躇いがなかったわけじゃないけどさ……でも、その頃には“虫除け”が立派に育ってたから」
「は……? 『虫除け』……?」
思わず聞き返すと、途端ワーズの表情が苦虫を噛み潰したかのように歪む。あたかも、思い出したくもないことを思いだしてしまった、とでも言いたげな。
「ローザはね、昔から小柄で大人しくて、それはそれは可愛らし~い女の子だったからさ、近所の同年代の悪ガキ連中から、しょっちゅう何やかやとイジメられては泣かされてたんだけど。…当然、そいつら全員、その都度ボッコボコにしてやってたけどねっ! …とはいっても、まあ後から考えてみれば、どいつもこいつも、可愛いからついイジメちゃう、っていう、子供特有の可愛らしい愛情表現が行き過ぎてるカンジ、ではあったんだけど。――ただ、その中でも、特にイケスカナイ野郎がいてさー……」
言いながら、その言葉尻に舌打ちが被さる。――どうやら、その『特にイケスカナイ野郎』とやらは、ワーズにとってはそこまで思い出すのも腹が立つ人間らしい。
「そいつ、ウチの近所の靴屋の息子で、ジャンっていうんだけどさ。ローザとは同い年の幼馴染みで、当然ながら二人が顔を合わせる機会も多くて、それをいいことに、ヤツが率先して周りの悪ガキ連中を巻き込んではローザ泣かせてイキがってたワケだよ。でもってタチの悪いことに、ある程度成長してからも、そういった性格が全く変わらない、っていうね……」
「ああ……それは救いようがないよね」
「そ、あいつホント救いようのない馬鹿なんだよ。――とはいえ、〈馬鹿とハサミも使いよう〉って、よく言ったもんで。あいつもガキ大将やってただけのことはあってさ、思春期を通り越したら、それなりにガタイがよくって腕っぷしも強そうな厳ついコワモテ男に成長を遂げたようなワケだ。そういう見た目おっかなそうなヤツがさ、何かっつーとローザの気を引きたくて、周りをうろちょろしてるだろ? するってーと、ローザに近づく男が、いようもんならすぐ気付くだろ? でもって、誰彼かまわず即座に威嚇しては追い払ってくれちゃうだろ?」
「…なるほど、それで“虫除け”か」
「そういうこと。おまけに、周囲の人間にはもうローザ大好きなのがバレバレなんだけど、にもかかわらず当のローザには、コレッポッッッチも! 伝わってないからさ。てーよりむしろ、これまでイジメ抜いてきたヤツ自身の行いの所為で、めっちゃくちゃ嫌われてんの。とこっとん嫌い抜かれてんの。あそこまで拗れたらもう、よっぽどのことでもない限りローザの気持ちは覆らないね! ってくらいの嫌われようなの。――どうよ? これって究極の安全牌だよね? 安心して“虫除け”にも出来るってもんじゃない?」
「確かに。――でも、ワーズそれ、わかっててやってるんなら性格悪すぎじゃ……」
「何とでも。ついでに言うと、あいつ厳つい見た目に反して肝っ玉小さいから、嫌がるローザをどうこうできるほどの度胸も無いと踏んでる」
「そこまでわかっている上でのことなら、なおさら性格悪いよ……」
いいように“虫除け”として使われているそのジャンくんとやらが、少々可哀相にもなってくるな。――まあ、そもそも女の子に優しくできない当人にも多大に問題はあるだろうけど。
「ウチの家族はお人好し揃いだからさ、ジャンのことは昔から知ってるし、ローザへの気持ちもミエミエにわかっちゃってるから、何だかんだあっても幼馴染み同士なんだし、何かキッカケでもあれば、いずれはお互いわかりあって上手く纏まるんじゃないか、くらいに暢気に構えてるけどさ。てか、万が一にでもそんなことになろうもんなら、その前に僕が命かけても阻止するっつの当然っ! ――だけど……」
そこで唐突に言葉を切った彼の表情が、ふいに泣き出す寸前のように歪む。
と思ったら、本当に目にじわっと涙が浮かび出した。
「相手がお貴族サマときたら……そんなもん、僕にどおやって阻止しろっつーの……!」
――あらら……また話がそこへ戻ってしまった……。
だからアルフォンス様のことは君の考え過ぎなんだよ、って……一体どう言ったらこのシスコン兄に伝わってくれるのだろうか。
しかもこのシスコン兄、既に副団長へも直談判しに行ったらしい。聞いたところによると、事と次第を話し『お兄様を何とかしてください!』と土下座した挙句、『三十男が十八の小娘に手を出すとか犯罪ですぅううううっっ!!』と絶叫で泣き落としたとか。――うん、心から同情したよ副団長に。色々と厄介事ばかり持ち込まれて大変だなあ副団長。
その場は、『とにかく本人に話はしておくから』と、どこまでも大人な対応で優しく取り成されたそうなのだが、しかしそれでも妹が心配で心配でたまらないシスコン兄は、その勢い冷めやらぬまま、部屋にいた僕に今度は愚痴り始めたようなワケだった。
僕としても、そろそろこの不毛な話題を終わらせたいところである。
どうしたものかな…と、こっそり俯きタメ息を吐いた、――まさにそれと同時だった。
突然がしっと両肩が掴まれて、思わずハッと視線を上げる。
「――お願い、グラッド……!」
顔を上げた僕の目の前には、もはや至近距離とでも言っていいくらいの近さからこちらを覗き込んでいる、瞳うるっうるさせた無駄に端正な美少年顔。
「もう君にしか頼めないんだ……!」
それどんな口説き文句? と、思わず錯覚してしまうほどの熱い視線を注いでくれながら、そんなことを言ってくる。
「君だったら、わかってくれるよね? 僕の気持ち」
――イヤ何もサッパリわかりませんが?
とは、どうも言えない雰囲気を察し、とりあえず当たり障りなく頷いておくことにした。
「そ…そうだね。ワーズが、とても家族想いだっていうことなら、ちゃんと見えてるよ」
向けた笑顔が多少引き攣ってはいたが、どうやら彼には、そんな細かいところまでは見えていなかったらしい。
感極まったような「ありがとうっ!」の言葉と共に、今度は両手が取られ、そのままぎゅうっと握られる。
「やっぱり、こんなこと、グラッドにしか頼めないよ……!」
「…何かな? 一体」
――ここまでくると、もはやイヤな予感しかしないんだけど。
「やっぱり、お貴族サマのことはお貴族サマに、平民のことは平民に、適材適所で頼むのがイチバンだよねっ! アルフォンス様のことは副団長から何とかしてもらうとして……だからグラッドは、ローザのこと、お願い!」
「は……?」
「身内だからか、淋しいことにローザ僕には素直になってくれないからさ……でも君なら、イケメンだし物腰も柔らかだし女性の扱いも上手そうだし、きっと心を開いて何でも話してくれると思うんだ!」
「えっと、つまり……?」
「実際のとこ、ローザがアルフォンス様をどう思ってるのか、その本音を、本人に確認してきてくれないかな?」
「えええぇ~……」
【証言者その2】:友人
『――ローザって、自分のこと過小評価し過ぎだから……』
それは、件のルリエさんの誕生日パーティーの席でのことだ。
言ったのは、ローザちゃんとは同い年で幼馴染みで最も仲の良い友人だという、エナちゃんとアナちゃんだ。――ちなみに二人は双子の姉妹で共に未婚、だが揃ってカレシ有りの結婚間近とのことらしい。
こんな大勢が集まる賑やかな席で、にもかかわらず友人ともあまり騒がず、少し喋ったらすぐにお義兄さんを手伝いに厨房へと引っ込んでしまう彼女の姿を見て僕が、『ローザちゃんって周りに気を遣い過ぎちゃう子なんだね』と、何気なく洩らしてしまった言葉に対し、それが二人から返ってきたのである。
妹に対する兄のシスコンっぷりが以前から垣間見えていた所為で、ああこれが件のワーズの妹さんかー…と、当人はどんな子なのだろうかと少々の興味を覚え、会うたびに彼女を観察――というホド大袈裟なものではないが、それでも通常以上にまじまじと見つめてしまっていたことは否めない。
そうやって見ていたから、パーティーの時は会ったのがまだ二回目でしかなかったものの、それでも何となく感じられてしまったのだ。
――この子は……ひょっとしたら、自分に自信が持てない子、なのかもしれない。
あくまでも、ただの勘、でしかなかったのだが……よもや、それを肯定するかのような言葉が返ってくるとは思ってもみなかったため、即座に『え…?』と反応してしまっていた。
『…意外でしょう?』
うっかり食い付いた僕を見上げ、そうエナちゃんが困ったように笑う。
『目立たないけど、充分すぎるくらいに可愛い子なのにね……それが昔っから頑なに“自分は美人じゃない”“可愛くなんかなれない”って思い込んでしまっていて、その所為で目立つことを嫌がって、何かにつけ自分から裏方に回ろうとしちゃうの』
『まあ、あのお姉さんとお兄さんの妹じゃ、自分の容姿に劣等感を持ってしまうのも、わからないではないんだけど……』
確かになあ…と、アナちゃんの言葉を聞きながら、つい納得してしまった。
こうやって家族全員が揃ったところを目の当たりにすると……ワーズ家の面々は、本当に美人揃いだ。
長女リリィさんと次女ルリエさんは、店の看板娘という評判も頷ける、はっきりとした顔立ちの華やかな美女だし。母であるラーナさんは、童顔も愛くるしい美少女顔で、年齢よりずっと幼く見える。その母に瓜二つな長男は、今や『近衛騎士団一の美少年』だ。
そんな四人が四人とも、昔から相当な美形っぷりを誇っていたのだろうなあ…と容易に想像がつくだに、そんな華やかな家族に囲まれて育った女の子が劣等感を抱いてしまうのは、やはり当然のなりゆき、とも言えるのかもしれない。
とはいえど、傍から見てもローザちゃんは、そんな四人に劣っているなんてことは、全くもって無いのだが。
確かに、顔立ちはそこまで派手ではない。しかしアクなく整っていて、目立たないながらも落ち着いた上品さと可憐さを秘めている。そこは、さすがワーズ家の一員、とでもいうべきか、当然ながら“どこにでもいるような平凡な子”って括りには全く当てはまらない、誰が見ても口を揃えて“可愛い”と言うだろう、そういう女の子なのだ。
――うん…こんな可愛い子が妹にいたら、そりゃ“守ってあげなきゃ!”っていう気にもなるだろうし、当然シスコンにだってなるよね……あまりわかりたくはないけど、わかるような気にもなるよなあ……。
『そうは言っても、あそこまでローザが意固地になったのは、家族の所為っていうよりは、ほぼジャンの所為だしねー……』
『「ジャン」? …っていうのは?』
『やっぱり私たちと同い年の、近所のイジメっ子。そいつが手下の悪ガキ連中引き連れて、しょっちゅうローザのことイジメてたの』
『そうそう、ローザがお姉さんたちと似てないからって、それを悪しざまにあることないこと、しつっこくからかったりして』
『あそこまで酷く言われれば、子供心にも傷付くし、必要以上の劣等感だって湧いてきちゃうわ』
『本人は、ローザが可愛いから、ちょっとでも振り向いて欲しくてやってたんだろうけど』
『でも、それを今に至るまでずーっとやり続けてるって、もはやただの馬鹿よね』
『……成程ねえ』
これで納得がいった。彼女が、あんなにも控えめになってしまうのは、幼少期に心無い言葉に傷付けられたトラウマが原因か。――うん、そりゃシスコンにもなるよね。なるなる。…わかりたくはないけども。
『そのジャンくんって子は、ローザちゃんが好きなんだね。なのに、未だに彼女をイジメちゃってるんだ?』
『そうなの。ローザったらジャンのこと、すっかり苦手意識を持っちゃってて、顔を合わせるたびイヤ~な表情とか見せちゃうもんだから、それでアイツも意地になって憎まれ口とか叩いちゃうのよ。だから余計にローザから嫌われていく、っていう悪循環なこと、このうえないわ』
『なもんだから、ジャンの好意なんて、当のローザには全然伝わってないのよ。少しくらい優しくしてあげるとか、普段と違うとこでも見せればローザの気持ちだって傾くかもしれないのに。そんなこともわからないなんて、これだから女の扱い方も知らない童貞は始末に負えないわ』
『ホント馬鹿よねー、あいつ見た目は悪くないのに昔から一向にモテないのも、そういうところなのよね。よくわかるわー』
――女の子って、言うことホント容赦ないよなあ……。
思わず、見ず知らずのジャンくんとやらに同情してしまった。
とはいえ、容赦がないだけで、言ってること自体に間違いはないのだろう。話を聞くだけでも理解できる、彼の片想いが当人にまで届いていないのは、明らかに自業自得だ。――本当に可哀相に……君の片想いが報われることはコレッポッチも無さそうだぞジャンくんとやら。そもそも、女の子には優しくしなさい、ってことくらい、これまで助言してくれる人とか周囲にいなかったんだろうか。それはそれで不憫だな。
『つまるところ、ローザが必要以上に引っ込み思案になっちゃった、うえに、初恋すらまだな奥手にまでもなっちゃったのは、あのジャンに全ての原因があるのよね』
『下手したら、「この店を手伝っていけるなら一生独り身でもいいの」とか言い出しそうで、ホント心配』
『あの子、影ながらすっごいモテてるのになあ……この店の厨房を手伝ってるの、お客さんみんな知ってるしね、料理上手な良いお嫁さんになれること間違いなしだもん』
『それもこれも、やっぱりジャンの馬鹿が邪魔してる所為だし……ああ、ホントもったいないったらないわー』
『――深刻そうな顔して、なんの話?』
そこで、追加の料理の皿を手にローザちゃんが戻ってきたため、その話題は立ち消えとなったワケだが。
その時の会話を思い返しながら……しみじみと僕はタメ息を吐いた。
――ああ、やっぱり僕には、荷が重いなあ……。
【証言者その3】:本人
一日の仕事を終えた夕刻すぎ、下町の噴水広場で乗合馬車を下車し、目的地へと向かって歩いている途中で。
「――あれ? ローザちゃん?」
何やら重そうな荷物を抱えながら、よたよたとした足取りで僕と同じ方向へと向かっている背中を見つけて、そう思わず声をかけていた。
「あ、セオさん! おひさしぶりです」
振り返った彼女が頭を下げ、その拍子に再びよろけかけたので、慌てて「持つよ」と、その手に抱えていた荷物を取り上げた。――うん、重い……よくもまあこの重さを、こんな小柄な女の子が運んでいたものだ。
「ありがとうございます、助かります」
ほっとしたように一つ息を吐いてから、そう言って笑顔で頭を下げる。
「うっかり欲張り過ぎちゃったみたい。まさか、こんなに重くなるとは思ってもみなくて」
「『欲張り過ぎ』って……これ、じゃあ貰い物か何か?」
「お芋です。今日、お友達のところのお芋の収穫のお手伝いしてきたんですよね。お手伝い賃に『好きなだけ持っていっていいよ』って言われたから、つい……」
「成程……それは重いはずだ」
思わず苦笑を浮かべると、「お恥ずかしい」と、彼女も照れたように微笑む。
――こうして見ると、ホント普通に可愛い子なんだよなあ……。
イヤ僕に下心とかは一切ないけど。とはいえ、ここまで可愛い子にこう警戒もされずに屈託なく微笑みかけられてしまうと、ついつい転びかけそうになる。――うんうん、これはシスコンにもなるよなあ……最近わかってきちゃったのが何とも悲しい限りだ。
「ところでセオさん、今日はどうして、こんなところに?」
――目的は君なんですヨ、とは、やはり正直に言い辛い。
「ああ、うん……ちょっとした用事があって近くまで来たから、どうせだったら君んとこのお店に夕食でも食べに行こうかなあ、って」
「うわあ、ホントですか! 嬉しいな、ウチの家族みんな喜びますよ!」
こんな僕の苦し紛れの嘘にまで、そんなにも素直に喜んでくれるなんて……もう罪悪感ハンパない。――ごめんね……それもこれも、あのシスコン兄が悪いんだよ。
「あ、じゃあ、お芋を運んでくださるお礼に、お夕食ご馳走します!」
「いやいや、そんなことしてもらったら申し訳ない……」
「いいんですよ。せっかくウチの味を目当てに来てくださったお客さんに労働させちゃったんだから。このくらい、させてください」
「でも……」
「私も夕ごはんまだなんですよ。家に帰ったら真っ先に食べようって思ってたとこだから、ご一緒してくれると嬉しいです」
――なんてイイ子……!!
この気遣い、ホント転ぶわー。こんな対応されちゃったら、そりゃ惚れるわー。『影ながらすっごいモテてる』っていうのもわかるなあ、何この天然な男タラシっぷり。――うんうん、シスコン兄の気持ち、すごいわかるーホントわかるー。
「…じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
半分ヤニ下がりつつ、僕がそんな返答を返したところで、ちょうど目的地――ワーズ家の営む食堂へと、到着した。
そのまま裏口の方に回ってから、店へと入る。
「――ああ、ローザちゃん、おかえり……」
扉の音で裏口が開いたことに気付いたからだろう、お義兄さんが厨房からひょこっと顔を覗かせた。
「あれ? セオくんも一緒だったんだ? いらっしゃい」
「こんばんは、お邪魔します」
「そこでお会いして、荷物を持ってもらっちゃったの。お礼に、セオさんに何かご馳走したいんだ。ちなみに私も夕ごはんまだでー」
「了解。すぐに作ってあげる」
「ありがと、お義兄さんっ」
「あ、でも今は、席が……」
そう言い淀んだお義兄さんの言葉に、ああ満席なのかと察する。晩の営業時間が始まったばかりの頃合いだというのに、盛況なことだ。
「ああ、そっか。そういえば今日って団体さんの予約が入ってたんだったね。――じゃあ、私の部屋にお通しするよ」
――はい……?
「わかった。料理が出来たら持って行ってあげるから、二人ともゆっくりしてて」
――え、ちょっと待って、止めないの……?
「ありがとお義兄さん、じゃあよろしくね。――セオさん、こっち」
そんなこんなで……手に持っていた芋を傍らの食糧庫に置き、手招かれるまま階段を上がって、通されたのがローザちゃんの私室とは、これいかに。
――イヤイヤ、これはダメでしょう。そう簡単に、さして親しくも無い男を部屋に入れちゃうとか、何そのズブズブな危機意識、もうちょっと何とかしようよ。じゃないと、お兄ちゃんがまたウルサイことになるから。
「狭くて申し訳ないけど、座って適当にくつろいでください」
「はあ、どうも……」
勧められるまま、部屋の中央に置かれた小さなテーブルを前にして、着席する。
「ローザちゃんって……いつも、こうやって席にあぶれたお客を部屋に入れちゃうの?」
「へ? やだなあ、そんなことしてませんよ。今回は、セオさんだから特別です。せっかく来てくれたのに、店が一杯だからってお礼もしないまま帰してしまうのは申し訳ないもの、それでですよ。ほかのお客さんには、こんなこと絶対にしないわ」
「なら、いいけど……とはいえ、若い女性が男と部屋で二人きり、っていうのは、やっぱり……」
「そんなこと気にしてたんですか? 大丈夫ですよ、私も…というかウチの家族みんな、セオさんのことは信用してるから。おまけに、なんていっても、お兄ちゃんのお友達だしね。身内バカかもしれないけど、お兄ちゃんの人を見る目は信用できるもの」
――ああ、それでか……どうりで、お義兄さんも止めないわけだ。
どうしようもないシスコン兄とはいえど、それでもしっかり、ワーズは妹はじめ家族全員の信用を得ているらしい。そこはさすがとしか言いようがないな。
「お酒でも持ってきます、ちょっとお待ちくださいね」
そう言って彼女が出ていき、一人になって改めてそこで、部屋をぐるりと見渡してみた。
控えめな彼女らしい、飾り気のない内装。物は少なく、どちらかといえば実用的なものばかりが必要最低限に並んでいる。全体的にキチンと整理整頓されていて、まめに掃除もしているのだろう、埃がたかっているような場所も見受けられない。
――なんていうか……本当に、よく出来た子、なんだなあ……。
シスコン兄はもとより、彼女が家族みんなに愛され可愛がられているのは、見ていてとてもよくわかる。しかし、ただ溺愛されるだけではなかったことも、この部屋の在りようを見れば一目瞭然だろう。
彼女には、愛されて育った者が持つ特有の大らかさと、それに甘えない自律が、自然体で身に付いている。
それが目に見えるだに……哀しくもなる。
こんなにも出来たイイ子が、心に負ったトラウマに支配されて、自分に自信が持てないあまりに恋の一つさえ出来ないなんて。
少なくとも、思春期をとっくに通り過ぎ結婚適齢期を迎えている娘さんとしては、あまりにも淋し過ぎるだろう。
エナちゃんアナちゃんの心配ももっともだ。近くにいて彼女をよく知る友人だからこそ、それは嘆きも一入というもの。
――ああ、もう、本当に気が重い……。
そんな、恋愛なんかとは無縁だと思い込んでいるだろう相手に、よりにもよって恋バナを持ちかけなければならないなんて……そして、あろうことか、アルフォンス様のことをどう思っているのか、なんてことまで聞き出さなければならないなんて……ああ本当に、荷が重いよ。
それからすぐ、ローザちゃんが飲み物と器を載せたお盆を手に戻ってき、ほどなく料理も運ばれてきて、和やかに二人での夕食の席が始まった。
場の話題は、当然ながら僕ら二人の共通の知人であるシスコン兄のことから始まって、やがてぽつぽつと個々の近況などに波及する。
「…へえ、今日お手伝いに行った農家の友達って、やっぱり幼馴染みの子だったの」
「ええ、その子とエナアナと、私たち同い年四人でいつも固まってたの」
「そっか……そんな離れた場所にお嫁にいっちゃったら、淋しくなるねえ……」
「うん、ちょっとはね。でも、会いに行こうと思えば行ける距離だし、むしろ、会いに行く楽しみが出来たことは嬉しいよ。今日みたいにお手伝いって口実もあるし、それに、この間は彼女の嫁ぎ先にある雑木林で、四人でキノコ狩りとかしてきたの」
「わあ、それは楽しそう」
「とっても楽しかったよー! それに、収穫もまずまずだったし。採ってきたキノコで、お昼の賄いにキッシュ作ったの。それが思いのほか喜んでもらえて」
「よかったね、僕も食べてみたかったなあ」
「今日のお芋でもね、明日の賄いでキッシュ作るのよ。セオさんも食べにくる?」
「うーん……魅力的なお誘いだけど、残念ながら、明日も仕事だから……」
「そうだよね……残念」
笑いながらそう相槌を打った彼女だったが、そこでふと思い出したように、フォークを持った手を止めた。
そして、まるで独り言のように、それを呟く。
「そういえば……アルフォンス様って、お仕事どうされてるんだろ……」
「――えっ……!?」
こちらから出すまでもなく、唐突に彼女の口から飛び出してきたその名前に、思わず僕は過剰なまでの反応を返してしまった。
僕の見せた反応に多少は驚いたように目を瞠った彼女だったが、すぐに「…あ、そっか」と、どこか納得したような笑顔を見せる。
「セオさんも近衛騎士サマですもんね。アルフォンス様のこと、ご存知だったんですね。アレクさん――近衛の副団長さん? の、お兄様、ですもんね」
「…まあ、お噂なら、かねがね」
――イヤ実のところ一度お会いしてますけどね。件の誕生日パーティーの翌日、このお店で。
しかし、それは言わずにおくことにする。彼女の口ぶりからして、どうやらアルフォンス様の身分も知らないようだし、件の店に関わるゴタゴタの顛末については、お母さんやお姉さんからは詳しく聞かされていないらしい。おそらく気を遣ってのことだろう、その上で敢えて家族が伏せた事実を、他人の僕の口から明かすわけにはいかない。
「そのアルフォンス様って、ホントお貴族サマらしからぬお方で。あろうことかウチの店の賄い目当てに、ほぼ毎日のように通い詰めてくれてるんですよね。でも、今のセオさんの話を聞いて、そういえばウチが賄い食べる時間って昼の営業前だから、普通にお役所勤めの人とかは仕事中だな、って、今さらながら、ちょっと疑問に思っちゃって。――まあ、お義兄さんが言うには、アルフォンス様ってば結構なおエライさんらしいし、勤務時間なんて幾らでも融通を利かせられるのかもしれませんけど」
「うん…まあ、そうだね、管理職だしね……昼休憩の時間を早めに取るとか、そういう融通は、利かせられるんじゃないのかな……」
「なるほど、そういうことですか! ――なら、よかった。お仕事サボらせちゃってるとかじゃなければ安心」
そこで、ほっとしたようなほんわりした笑みを見せた彼女に、あれ? と、何だかもやもやした不安を感じてしまう。
「よし、明日も張り切ってキッシュ作ろうっ!」
――ひょっとして……これはマサカ……?
「アルフォンス様と約束したんですよね。今日、お手伝い賃のお芋を貰ってきたら、それでまたキッシュ作ります、って。この間のキノコのキッシュも気に入ってもらえたみたいだし、どうやらアルフォンス様って、キッシュお好きみたいなんですよ」
「へえ……そうなんだ……」
「どうせだったら、ちゃんと『美味しい』って言ってもらえるものを作りたいし、難しいけど、どうやって作ろうかなとか、考えるのが楽しくって」
「そう……」
「人から『美味しい』って褒めてもらえることが嬉しい、なんて……思えるようになったのは、アルフォンス様のおかげ、なんですよね」
「…………」
「今日のお芋、思ってた以上にたくさん貰えちゃったことだし、明日はキッシュのほかにも何かお芋でもう一品、作ってみようかなっ♪」
何がいいかなあ…などと鼻歌のように呟きながら、ようやく手を動かし食事を再開した彼女の嬉しそうな姿を目の当たりにし、笑顔を浮かべたまま固まっていた僕は、内心で驚きを禁じ得なかった。
―――シスコン兄の勘、やばい……!
【証言者その4】:??
「――おい、おまえ、ちょっと待てよ」
それは、ワーズ家を辞して間もなく、王宮へと帰還すべく乗合馬車の停車場へ向けて暗い夜道を一人歩いていた、そんな時のことだった。
ふいに背後から低い声が投げかけられる。――と共に、何やら掴みかかってこられるような気配を感じて。
咄嗟に、掴まれる前に身を躱すと、逆に伸ばされたその手を掴み返し、そのままつい投げ飛ばしてしまった。
「うわっ……!?」
掛けられた声から予想はついていたが、地面に投げ落とされたのは、わりと大柄でガタイのよい、いかにも荒事などを生業としていそうな風貌の若い男性で。
したたかに叩き付けられた衝撃でか、咄嗟に動くことも出来ずに呻いている、その男の腕を取って背後に捻り上げつつ、そいつの腰のあたりに膝を押し付け体重をかけ、そう簡単には起き上がらせないよう地面へと縫い付ける。
「ごめんね。いきなり襲いかかられたもんだから、うっかり手加減できなかったんだ」
そんな軽口を叩いた僕を、肩ごしに振り返った男が、痛みに呻きつつも憎々しげに睨み付ける。
「それで、僕に何の用?」
「…………!!」
「口は塞いでないんだから喋れるだろう? だんまり決め込むんなら、物盗りと断定して、このまま警邏に付き出すけど?」
「お…俺は、ただっ……!!」
慌てたように、そこで声を上げる。――こんな脅しに簡単にビビるってことは……こいつ、ひょっとしたら善良な一般市民なのかも? 見た目が強盗とかそっち方向っぽかったからとはいえ、いきなり投げ飛ばしたりして、悪いことしちゃっただろうか。どうしよう、ただ道を聞きたかっただけ、とか言われたら。
しかし、当のそいつは、声を上げるだけ上げたものの、その先を一向に言わない。
いや、どうやら言ってはいる。が、口の中でもごもご言ってるだけだから、こっちまで声が届かないのだ。
「悪いけど、もっと大きな声で言ってくれるかな」
「俺は……! おまえローザとどんな関係なんだよ、って、聞きたかっただけだっ……!!」
半ばヤケッパチのように発されたその言葉で、思わずきょとんとしてしまった。
気付いて、よくよく見てみれば……確かに、話に聞いていた外見的特徴が、目の前の男と一致するかもしれない。
「――ナルホド、君がジャンくんかあ……」
「…………!!?」
こっちを向く、驚いたように目いっぱい瞠られた瞳が“なんで知ってるんだよ”って問いかけている。――って、わからないほうがおかしいだろう、こんなの。
「お噂はかねがね聞いてますよー。ひょっとして、僕が店から出てくるところを見ていたのかな? それとも、ローザちゃんと一緒に歩いていたところから見ていて、僕が出てくるまで待ち伏せしていた? まあ、どっちにせよ必死すぎて、痛いよねえ……」
「テメエ、何なんだよ一体っ……!」
「どーもはじめまして。レットくんの同僚でーす」
「おまえっ……!! そのナリで近衛騎士とかっ……!!?」
「…………」
僕が、見た目から貧弱そうに見えるのは今に始まったことじゃないし、もはや言われ慣れてるから別にいいけど……とはいえ、そう面と向かって、よりにもよってその僕に簡単に組み敷かれてるような相手に言われてしまうと、なんかこう、腹が立つなあ……。
「喧嘩を売るなら、ちゃんとよく相手を見ようね」
言いながら、さらに腕を捻り上げてやる。当然ながら呻き声も大きくなったが、そこは敢えての聞こえないフリで流してやった。
「いくらローザちゃんが大好きだからってね、こう相手かまわず喧嘩なんて売り付けてるから、こういう痛い目にも遭うんだよ。少しは学習しなよ」
「うるせっ……!! んなの、テメエの、知ったことかっっ……!!」
――まーだ、そんなこと言える元気あるんだ?
思わず、面倒くさいなあ…と、タメ息を吐いてしまった。
聞きしに勝るお馬鹿さん加減に、少々どころではなく呆れ返る。どこまでも気は進まない限りだけれど……ここは、ちょっとくらいお灸を据えておいたほうがいいかもしれない。後々のためにも。
「君さあ……正直なとこ言いたくはないけど、あのレットお兄ちゃんに、君自身のことを何て思われてるか、知ってる?」
「はア!?」
「“虫除け”だよ。ローザちゃんに近付く男を追い払ってくれる便利なヤツ、くらいにしか思われてないの。つまりね、君に“虫除け”以上の価値なんて、コレッポッチも、見てないの。それって、どういうことかわかる? 君こそが最大の害虫だと、そう思われているってことだよ。今はまだ、ローザちゃんに被害も出てないし、“虫除け”としての役には立つから野放しにされてる、っていうだけ。でも、こいつこそローザちゃんに害を為す虫だと認定されれば、その時こそお兄ちゃんは君を駆除する気マンマンなの。だから、君が特別お兄ちゃんから目を掛けられてる、ってワケでもないんだよね」
「…………」
「加えて、君がこうやって“虫除け”に精を出していることについてもさ。当のローザちゃんに、全くもって、伝わってないんだよね。つまるところ、君の好意も嫉妬も何もかもがまるっと、気持ちイイくらいに空回りしてんの。そんなんじゃ、仮にローザちゃんが君の気持ちを知ったとしても、間違いなく喜んでなんてもらえないよね。むしろ、“これでもか!”ってくらいに思いっきりドン引かれるだけだよね。それこそ、軽蔑されても全然おかしくも何ともないよね」
「…………」
「それにさ、今日たまたま夜道で襲ったのが僕だったから、返り討ちにあって多少の説教を聞かされるだけで済んでるものの……これが別の誰かだったら、どうだったろうね? もし、相手が武器を持っていたら、どうなっていた? ひょっとしたら君の命なんて、もうとっくになくなっていたかもしれないよ。人を殺しても許される人間なんて、そこらじゅうにごろごろいるんだから。君が考えている以上にね。――ちなみに、僕だってそうだよ。今ここで君を殺したとしても、いきなり襲いかかられて抵抗した為だと正当防衛を主張すれば、目撃者もいない以上、間違いなく罪には問われない」
「…………」
「だから、いい加減に気付こうよ? 君のやっていることは所詮、ローザちゃんのためにすらならない、ただの自己満足だ。君が、今のままの君である以上、ローザちゃんは決して振り向かないし、レットお兄ちゃんからも害虫扱いされ続けるだけ。おまけに、君自身をも危険にさらすだけ」
そこで、ようやく僕は、彼の腕を放し、立ち上がった。
大人気なく言い過ぎたかな…とも思ったが、これだけ言っておけば多少は自身を顧みることもあるだろう。ローザちゃんへの付き纏いも少しは減ってくれるのではないだろうか。――最悪の想定として、逆上してローザちゃんに危害を加えようとしてくる、という可能性も無くは無いが……とはいえ、あのワーズが断言しちゃうくらい『肝っ玉小さい』男であれば、余程のことでもない限り、そうそう無体なことには及ばないだろう。
立ち上がったその場から見下ろし、のろのろと身体を起こしてこちらを見上げてきた視線を受け止める。
「これに懲りて、少しは反省するといいよ。それと、もうちょっとくらい大らかな心構えでいられるよう、常に冷静さを保つべきだね。――たとえばローザちゃんが、君以外の誰かと恋に落ちたとしても、それを笑って祝福してあげられるくらいには」
そこで息を飲む声が聞こえてきたが……そ知らぬフリで、そのまま僕は踵を返した。
追ってくる足音など、聞こえてはこなかった。
――さて……どうしたものだろうか。
当初の目的どおり、馬車の停車場へと向かって歩みを進めながら、ふむふむと頭の中で考えを纏める。
様々な証言を繋ぎ合わせてみた結果、図らずも材料は揃ってしまった。
となれば当然、導き出される結論は一つしか有り得ない。
それを……そのまま正直にシスコン兄に伝えても、よいものだろうか? ――そんなの決まってる。
「――しばらくは様子見、かなっ?」
呟きながら、思わず忍び笑いが洩れてしまう。
イヤ決して面白がっているワケではない。ないのだが……どうやら変わろうと動き始めているらしいローザちゃんの心が、これからどこに向かうのか、それが楽しみに思えてしまうことは否めない。
まさしく兄のような心で、それを静かに見守っていてあげたいなと、そう自然と思えてしまったのだ。
そのためには、シスコン兄の行き過ぎた介入など、断固として阻止しなければならない。それこそ野暮というものだろうから。
――願わくば……変わろうとしている彼女が、もうこれ以上、傷を負うことなど無いように。
既に星の瞬いている秋の夜空を見上げ、そんなことを僕は願った。
さしあたり、僕の帰りを今か今かと待ち構えているであろうシスコン兄に、どういった報告をするべきだろう―――。
目下そこに頭を悩ませながら、より急ぎ足で歩みを進める。
星が満開に咲く夜空が教えてくれた。――明日はきっと、いい天気だ。
【終】
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