下町食堂の賄い姫

栗木 妙

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 その日、私は普段通り厨房にいた。
 ウチは王都の下町のはじっこで、ちょっとした食堂を営んでいる。家族経営のこじんまりした店だが、地元の皆様にも愛される、そこそこの繁盛店だ。数年前に父が亡くなってからは、上の姉が女将として店を取り仕切り、その夫である義兄あにが厨房で腕を揮ってくれている。
 私も家族の一員として、そして従業員の一人として、この店で働いている。主に厨房で義兄の手伝いをして。
 父の生前から厨房に立ってくれていた義兄の腕前には全くもって及びもしないが、やはり腕一本で家族を背負って立つ父の背中を見て育った所為でか、私も料理を作るのは好きだったのだ。
 それで、賄いなら好きに作っていいよ、という許しをもらい、毎日午後の営業時間が始まる前、家族で揃って昼食をとる時間、そこで食べる賄い飯は私が担当させてもらっている。
 だから普段通り、今日も出来上がった料理を手に、皆が集まる食卓へと運ぶべく厨房を出た。


 ――そこに居たのだ、が。


 その男性は、普通に空気に融け込むように、何食わぬ顔をして、そこにいた。
 うちの家族が囲むテーブルに、さも家族の一員です、って雰囲気で、椅子にちょこんと腰かけていた。
 先ほど店の出入口の扉が開いたようだ…ということなら、厨房にいた私も気付いていた。その時は、おおかた扉に下げた『準備中』の札に気付かなかったお客さんだろう、くらいにしか思っていなかったが……ひょっとして、来たのこのひとだったの?
 ――てか、誰……?
 大皿を手にしたままテーブル手前で足を止めてしまった、そんな私の様子に気付いたのだろう。そのひとの傍らに立っていた義兄が、「あっ、ローザちゃんも初めてだっけ!」と、慌てたように紹介してくれる。――てことは、お義兄にいさんの知り合い?
「このお方は、アルフォンス様と仰って……」
「アルでいいです、よろしく」
 唐突に義兄の言葉を遮ったのは、そんな件のお方の言葉だった。こちらを見て『よろしく』なんて言うわりには、にこりともしていない。何を考えているのかイマイチ読めない表情だが、かといって別段イヤそうな顔もしていないから、このひとは普段からこんな真顔で人と相対するのが普通、なのかもしれない。
「ローザちゃんも憶えているだろう? ルリエさんの誕生日パーティーに来てくれた、レットくんの上司の……」
「ああ、アレクさんね」
 既に家を出、現在は王宮で近衛騎士の職に就いている兄レットが先日、この店で開かれた下の姉ルリエの誕生日パーティーのため、数人の同僚を伴って帰ってきたことなら、まだ私の記憶にも新しい。その時に、兄から『上司』と紹介されたのがアレクさんだ。
 実はその時、この店は厄介な問題を抱えていた。私は何も聞かされていなかったが、なんとかというお貴族サマから、この店を売れと圧力をかけられていたそうなのだ。だが、店の所有者である母と、女将である長姉は、その話を突っぱねた。それも当然だろう、この店には亡き父の想い出がたくさん詰まっているのだから。そう簡単に手放せるはずがない。
 二人とも、私たちに余計な心配をかけまいと黙っていただろうに違いなかった。しかし、よりにもよって件の誕生日パーティーの当日、その最中さなかに、それはその場にいた皆の知るところとなってしまった。
 母たちが色よい返事を返さなかったことで、相手は次の一手として、この店の評判を落としにかかってきたらしい。パーティーで大勢の人が集まっていたところを狙い、明らかに荒事を生業としている風体の男たちを、この店へと乗り込ませた。そして、応対に出た長姉に対し、何かれといちゃもんをつけてきた。
 そこを助けてくれたのが、アレクさんをはじめとする兄の同僚の近衛騎士サマたちだったのだ。
 男たちを追い払い、その場を収めてくれた、のみならず、後から店の売買の話自体までをも無かったことにしてくれたのだそうだ。
 やっぱり私には細かいところまで教えてもらえず仕舞いなのだが、後になってから、アレクさんが実は名のあるお貴族サマのお家のご出身、ということと、実は近衛騎士団の副団長だった、ということは聞いた。見たカンジまだ三十歳くらいだし、なりたて新米騎士である兄の上司なのだから、きっと気苦労も多そうな中間管理職あたりなんだろうな…などと思っていたアレクさんが、よもや組織の№2という、そこまで雲の上の上司さんだったとは…! と、ものすごくド肝を抜かれたものだけど……まあ、そういうお人ゆえに事を収められるだけの伝手なども色々とお持ちだったのだろう、そう私は解釈している。
「そのアレク様のお兄様なんだよ、アルフォンス様は」
「アルでいいから」
「アレク様と共に、この店のために骨を折ってくださったんだ」
「そうだったんですか。私、ここの女将の妹でローザといいます。その節は本当にありがとうございました」
 事情はよくわかっていないながらも、とりあえず店に関わる者として、そんなお礼は告げておく。
 アレクさんのお兄様なのであれば、このアルフォンス様とやらもお貴族サマということか。言われてみれば、やや地味ではあるが上質な衣服を身に付けていらっしゃる。いかにも、お忍び中のお貴族サマ、といった雰囲気だ。アレクさんが事を収めるために使った伝手、それこそがこのお兄様であるならば、さぞやおエライお貴族サマであらせられるのだろう。
 ――そんな雲の上のお方が、何故ウチの家族に交じって昼食の席に着いているワケ……?
 わからないところは、そこである。
「それで本日は、どういったご用でウチに……?」
「おなかが空いたから」
「へ……?」
 咄嗟に言われた言葉が呑み込めなかった。――いや確かにウチは食堂ですけれども。
「何か食べさせてほしいなーと思って来たら、ちょうどお昼ごはん食べるとこだっていうから、ついでに混ぜてもらった」
「…………」
「ところで、君が持ってるそれ、何?」
 あまりに想定外の返答に絶句していたところ、流れるような所作で私の手元が指差される。
 そこでようやく、自分が料理の皿を持ったままだったことに気付いた。
「あ、えっと……煮込み野菜のパイ包み、です……」
「へえ、美味しそうだね」
 その言葉に“早くそれを食卓に置け”という無言の圧力を感じたような気がして、慌てて私はテーブルへと駆け寄った。
「サラダとスープもありますから、もう少し、お待ちくださいね……」
「よろしく~」
 急いで皿を卓上に置き、続けてサラダとスープを用意すべく厨房へと踵を返した私の背中に、そんなのんびりとした声が追いかけてくる。
 ――ヘンな人……。
 お貴族サマ相手に不敬なこと甚だしいが、普通に素で、そんなことを思ってしまった。
 だって、本当に変わってる。こんな下町の大衆食堂なんて、間違ってもお貴族サマが立ち入るべき店ではないでしょうよ。そもそも、お貴族サマ向けの高級料理なんて何一つとして提供してないし。しかも、あろうことか食べにきたのが、よりにもよって賄い飯? 通常メニューの中にも入らない、従業員向けワケ有り飯よ? それを、わざわざここまで、食べに来た? よしんば賄い狙いでなかったとしても、何故それを断らない?
 ――本当にお貴族サマなんだろうか、あのひと……。
 もはやワケわからな過ぎて眩暈がしてきた。本当に、あのアレクさんのお兄様なんだろうか。
 ――あのパーティーの日のアレクさん、かっこよかったなあ……。
 店に押しかけてきた悪漢どもと一歩も引かずに渡り合っていた、アレクさんをはじめとするあの場の騎士サマたちの姿は本当に堂々としていて、やっぱり騎士サマって強いんだなあスゴイんだなあかっこいいなあと、そして今さらながらに、お兄ちゃんも実はナニゲにスゴイ人だったんだなあと、しみじみ感じ入ったものである。
 当然ながら、あの場にいた女友達と、誰がかっこいいとか素敵とか好みとか、後日きゃいきゃい騒ぎ倒した。――だって、兄の連れてきた方々は、ホント揃いも揃って美形な人ばっかりだったんだもの! いろんなタイプのイケメン大集合、なんて、そりゃ女子のテンションだだ上がるよ! 当然ってもんだよ!
 …とテンションもだだ上がったあの日のアレクさんのキリッと凛々しい惚れ惚れするようなご雄姿とは、このひと、似ても似つかない。
 こう言っちゃ悪いけど……アルフォンス様には、“昼行灯”という言葉がピッタリくるかな。なんていうか、纏っている雰囲気が、そんなカンジ。よく見ればお顔立ちの整っていらっしゃるお方だというのに、ちょっと勿体ない。
 まあ、そうはいっても、世の中には似てない兄弟が存在する、ということについては、ウチも御多分に洩れずだし、重々承知している。だが兄弟であれば、顔は似ていなくても、佇まいとかいったそういう何かがどことなく似てくるものではないのだろうか。
 ――お貴族サマの世界って、下々には及びもつかない世界だしね……色々フクザツなのかしら?
 首を傾げながらも器にスープをよそい続ける、そんな私の背後から「これ持っていくね」と声をかけ、義兄がサラダを運んでくれた。


 私が最後に椅子に座ったのを合図に、食前の祈りを捧げ、そして昼食の席は和やかに幕を開けた。
 パイを切り分けてくれた義兄が、やはりお客様だからだろう、その一欠けを乗せた取り皿を真っ先にアルフォンス様へと差し出す。
「ありがとう、いただきます」
 そして、受け取ったそれを躊躇いも無く口に運んだ。――ずいぶん思い切りがいいなあ……お貴族サマは、庶民の食べ物なんて口にしないと思ってたのに。
「へえ……美味いね、これ」
 更には、相変わらずにこりともしていなかったけど、そう簡単に『美味い』とまで口にする。――ホントに、なんてお貴族サマらしくない人だ……!
 驚きは隠しきれなかったものの、『美味い』と褒めていただけたことに対しては、かろうじて「ありがとうございます」と礼を言っておく。
 その言葉を聞き止めて、ふとアルフォンス様が私を振り返った。
「…これ、君が作ったの?」
「はい。賄いは私の担当なんです」
「そうなんだ……じゃあ、このスープも?」
「ええ。お義兄さんのレシピですけど、作ったのは私です」
「どうりで、この間と同じ。――でも、少し違う気もするかな? お店の味、というよりは、家庭の味、っていうのかな? 尖ったようなところが無くて、どことなく素朴なカンジがする」
「…ああ、そうかもしれませんね。このスープは、もともと亡くなった親方のレシピですから」
 そこで差し挟まれた義兄の言葉に、「ああ、そっか」と、ふいに私は納得する。
「このスープお父さんの味だ、そうだった思い出した」
「いわば、この家の味、だよね。なら僕よりもローザちゃんの方がより美味しく作れるはずだ、なんたって娘なんだから」
「私なんか、お義兄さんの足元にも及ばないけど……でも、ウチの味を守れているのなら、それは嬉しいな」
 義兄の言葉に少し照れながら返した、その私の横から、「成程…この家の味か…」と、どこか独り言のような呟きが聞こえてくる。
「好きだな、そういうの」
 振り返ると、相変わらずにこりともしていない、何を考えているのかわからない表情が、そこに在った。
 でも、ほんのり口元が微笑んでいるようにも見える。
 どうやら、私の作った我が家の味を、お気に召していただけたらしい。さっきの『美味い』がお世辞だったとは思わないが、今もらった言葉の方が、なぜだろう、作り手として、より嬉しく感じられた。
「ありがとうございます、嬉しいです」
 だから私も、お礼と共に心からの気持ちを、素直に言葉にして返した。
 するとアルフォンス様が、じっとこちらを見つめてくる。相変わらず何を考えているのか読めない表情だったが、なんだろう、こちらを見つめたまま何か思索を巡らしているような気配だけは、なんとなく理解できた。
「あ、あの……?」
「――君、この店の厨房で働いてるの?」
 どうかしましたかと、尋ねようとした私の言葉が、ふいに発されたその言葉に遮られる。
 ここの娘だって言ってるのに何を今サラ? と、思わずきょとんとしながらも「ええ、まあ」と私も答えを返した。
「あくまでお義兄さんのお手伝いとして、って程度の役にしか立ってないですけど」
「そう……じゃあ、ウチに来ない?」
「は……?」
「そうだな……嫁と使用人なら、どっちがいい?」


 ――なんだその二択……?


 後日、家族の誰かからこのことを伝え聞いたのか、『ローザ、アルフォンス様から求婚されたってホント!? てか無事!!?』などと、何をどう聞いたらそんなワケのわからない誤解に行き付くのか理解に苦しむ限りだが、たかがそんなことで血相変えて帰ってきた兄に一方的に泣き付かれるようなハメとなったのだが……まあ、それはまた別の話である。



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