一樹の陰

碧 春海

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九章

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「川瀬、澤田家の事情聴取はどうだった」
 名古屋中央署の刑事課。坂東が川瀬を呼んで昨日の報告を聞こうとしていた。
「両親は認めていませんが、亡くなった澤田裕司さんはどうも新宮司正勝さんのお孫さんだったようです」
「新宮司正勝氏と言えば、昭和製薬の社長だろ。一体どういう事なのだ」
 意外な展開に驚いていた。
「三十年前に新宮司家を出た次男の和也さんには男の子が居たようで、友人であった澤田光洋氏に託したと思われます」
「ちょっと待ってくれよ。新宮司社長の息子さん一家は、飛行機事故で全員亡くなってしまい、後を継ぐのは後妻の連れ子の一成氏だと噂されているのだろ。もし、新宮司家の血を引く人間が現れれば、相続問題では揉めただろう。殺害の動機としては十分だな」
「問題は、誰が澤田さんに毒薬の入った薬を渡したかと言うことです。澤田さんの存在が邪魔で、彼が亡くなったことで最も得をする人間を考えると、やはり後妻とその子供と言うことになりますが、証拠は何も有りませんからそれを立証することは難しいでしょう」
「昭和製薬と言えば、経理の松坂雄一も本社の屋上から飛び降りて亡くなっている訳だが、誰かに突き飛ばされたと言う可能性もあるな」
「そうですね。自殺の動機として横領があったとされていますが、計画的な殺人とすれば前もって準備されていたのかも知れません」
「ジャパンエデュケーションクラブだったかな。その名簿に載っている、松坂、澤田、清水の三人が親しかったのは間違いないだろう。ひょっとすると二人は、澤田氏殺害の犯人を知ってしまったために殺害されたのかもな」
「可能性は否定しませんが、二人の死に関しては他に動機があると思います」
「他に動機がね・・・・・・・」
 坂東は額に手を当てた。
「それと、もう一つ気になることがあります」
「なんだ」
「大神崇のことなのですが、澤田さんの事件の時は直ぐ近くに居ました。松坂さんの殺害時のアリバイもはっきりしないし、清水さんの殺害に至っては凶器を手にしていたのに、左利きと言うだけで取り調べも打ち切られて釈放されてしまいました。何か釈然としません。澤田優子さんの話では、大神は推理小説を書いているようですから、我々の捜査を混乱させる方法やトリックについても詳しいのかも知れません」
 川瀬は、取調室で薄笑いを浮かべる大神の顔を思い出していた。
「大神が事件に関与していると考えているのだな」
「関与というより、実行犯の可能性はあります。清水さんの殺害についても、最初に両手で刺して右手だけで抜いたとすれば、右手だけに被害者の血が付いていたのも頷けます」
「残念ながらその可能性は極めて低いな。心臓に達した傷は正面から垂直に入っていなくて、やや右側から内側に向けて進入しているんだ。これは、右利きの人間が右手で刺さなければ出来ないものだと判断されている。つまり、左利きの大神には不可能だと言うことだ。それに、大神には殺害の動機が見当たらない」
「犯人に依頼された可能性もあります」
 どうしても大神が事件に無関係だとは思えなかった。
「しかしな、余程の信頼関係がなければ、殺人を請け負うなんて事はないだろう。いくら計画に自信が有ったとしても、一つ間違えれば死刑と言うリスクを追う事になるし、依頼した方も殺人教唆の罪に問われることになるからな」
「しかし、いくら不景気だと言っても、三十近くになってもアルバイトをしている人間ですから、お金にだってきっと困っていたのではないでしょうか」
「金で殺人を依頼されたと言いたいのかね」
「犯人が病院関係者や製薬会社の人間であれば、お金については問題ないでしょう」
「彼が殺し屋とは思えないがな」
 坂東は胸のポケットからタバコを取り出して、少し皺の寄ったマイルドセブンを口に銜え、青色の百円ライターで火を点けた。
「どうして警部は大神をそんなに庇うのですか。殺害現場でも遺体を調べさせたり、他の部屋まで見せようとしましたよね。いくら仏の坂さんでも、優し過ぎませんか」
「別に庇う訳じゃないが、殺害現場での堂々とした振る舞いを見ただろ、とても犯人が取る態度とは思えない。普通、刑事の顔を見たら慌てて逃げ出すか、手にした包丁で襲い掛かってもおかしくない。それなのに、抵抗もしないで紳士的に凶器を渡したのだから、罠に嵌められたという言葉も満更嘘じゃないと思えてな。まぁ、古いかも知れないが、刑事の勘って奴だ」
「そんな話では納得できません」
「そんなことより、清水さんの懐に残された手紙の解読は進んでいるのか」
「封筒の宛名は夢乃宮麻子になっていましたが、名古屋市内は勿論愛知県内には夢乃宮と言う名字の家は見当たりませんでした」
 質問の答えがもらえず、話題を変えられたことに不満を感じながらも、仕方なく調査の報告を始めた。
「住所が書かれていなかったことを考えれば、直接本人に渡すつもりだったとは思うが」
「芸名ではないかと思い、インターネットの検索で調べてみたり、芸能プロダクションに問い合わせたのですが、該当する人物は居ませんでした」
「中の用紙に書かれた数字には何の意味があるんだ」
「残されていたのは『五二三三七一七一四二』の十の数字。清水さんは推理小説をよく読んでいたそうで、何かの暗号に間違いないと思うのですが、夢乃宮麻子と言う作家も存在しませんでした。一体どんな意味を持つのか・・・・・・・」
「十桁の数字か。電話番号ではないし、マイナンバーカードは十二桁だからな違うとなると、さっぱり分からんな」
「数字を文字に変える方法として、数字二つで一つのひらがなを表しているとすると、携帯電話などでメールの文章を作る時に使用する変換表が考えられます。その表に照らし合わせると『にすみみち』となるのですが、これだけでは何の意味なのか全く分かりません」
 五文字のひらがなが書かれた紙切れを坂東に差し出した。
「つまり、宛名にあった夢乃宮麻子さんにしか分からないと言う事だな。しかし、懐に入れていたとすると、会う約束をしていた大神に渡すつもりだったと考えられる。大神にもこの数字の謎が解けるかも知れない、一度尋ねてみたらどうだ」
「警部、冗談は止めて下さい。犯人だと疑っている人物に、暗号の解読を頼むなんて絶対に嫌ですからね」
「意地を張っている場合じゃないだろう。大神に頼むのがそんなに嫌なら、自力で解くか解ける人間を探すことだな」
「もう少しだけ考える時間を下さい」
「そんなに時間はやれないな。そうだな、今日一日考えて解けなければ、明日には連絡を取って大神に会いに行き頭を下げて暗号を解いてもらえよ、いいな」
「分かりました。彼の力を借りなくても済むように頑張ってみます」
 不服そうに頭を下げると、自分の席に戻って行った。
 一方、セレモニーホール美終苑では、清水優作の告別式が予定通り執り行われていて、会葬していた多くの人たちは蜘蛛の子を散らすように帰って行く中で、優子は一人の男性に近付いた。
「貴田先生」
 背後から声を掛け、貴田は振り返って優子の顔を見た。
「お聞きしたいことがあります。しばらくお時間を頂けないでしょうか」
「君は確か、内科の・・・・・」
「はい、澤田優子です」
「すみません。急いでいますので、出直して頂けませんか」
 迷惑そうに答えると、足早に駐車場に停めてある車へと向かった。
「清水先生とは同期だったのですよね。お二人は親しいご関係だったのでしょうか」
 遅れないように小走りで貴田を追った。
「そう、初めは仲も良かったな。でも、いずれあなたも分る時が来るでしょうが、仲間と呼べる期間は本当に短くて、誰か一人でも出世の事を考えた時点でライバルと変わってしまうのです。寂しいけれど、それが現実です。ですから、最近の清水君のことは何も知りませんよ」
「・・・・・・・・」
「先を急ぎますので」
 シルバーメタルのベンツの扉を開け本皮のシートに身を沈めて勢い良くドアを閉めた。
「同期は全てライバルですか」
 あっと言う間に姿を消した貴田准教授のベンツを見送って、優子はセレモニーホールに戻ろうとした。
「あの、警察の方でしょうか」
 黒のワンピース姿の小柄な女性が優子に近付いて声を掛けた。
「いいえ、違いますけど・・・・・・」
 見知らぬ女性の問い掛けに一瞬戸惑った。
「そうですか、どうも失礼しました」
 女性は残念そうに頭を下げて立ち去ろうとした。
「ちょっと待って下さい。警察に何か聞きたい事があったのですか」
「あっ、いえ、別に」
 声を発するまでに、しばらくの時間を要していた。
「失礼ですが、亡くなられた清水先生とは、どのような関係でいらしたのですか」
 女性の目の腫れと頬の辺りの化粧崩れが気になって尋ねた。
「関係と言われても困るのですが・・・・・・優作さんとはいずれ結婚するつもりでいました」
 清水の事を思い出したのか、声が潤んでいた。
「婚約されていたのですか」
 興味を持って聞き返した。
「二人で決めていただけで、家族にはまだ伝えていませんでした」
 涙が零れそうになり、慌ててハンカチを目頭に当てた。
「清水先生とはどこで知り合われたのでしょう」
「優作さんのお姉さんが経営されている喫茶店に私が勤めていて、そこで知り合ったのですが・・・・・・」
 警察の人間でもない見知らぬ人物に、そんな話までする必要はないと警戒心が働き途中で言葉を止めた。
「あっ、私は清水先生が勤めていらした病院の内科に勤めています澤田優子と言います」
 女性の疑惑の目に気付いて、慌てて名乗りバックの中から名刺を取り出して女性に差し出した。
「私は細川広美と言います。でも、内科の先生がどうして優作さんの事件を調べているのですか」
 名刺の肩書きを目にし、改めて優子の顔を見た。
「清水先生は『空満』と言うビジネス倶楽部に入っていらしたのですが、ご存知だったでしょうか」
「はい、その話なら聞いた事があります。色々な会社の人が集まって、月に二度土曜日の夜に集まっていたようで、優作さんはそのビジネス倶楽部の書記係だと言っていました」
「私の兄も『空満』の一員で、副幹事でした」
「どうかされたのですか」
 優子の過去形の表現が気になった。
「誰かに殺害されてしまいました。一週間前に徳川美術館の近くにあるレストランで青酸入りのカプセルを飲まされたのです」
「えっ、あの時に亡くなったのが、あなたのお兄さんだったのですか。あっ、それで優作さんの事件との関係を調べる為に、色々な人から事情を聞こうとされていらしたのですね。真剣な眼差しでしたので、刑事さんだと勘違いしてしまいました」
「私が刑事に見えますか」
「テレビの刑事ドラマでは、澤田さんのような女性刑事が活躍していますよ」
 大切な人を亡くした者同士親しみを感じ、始めて笑顔で答えた。
「それは光栄です。ところで、もし私が刑事だったら、どんな事を尋ねるつもりだったのですか」
「ニュースでは、優作さんを殺害した犯人が逮捕されたと言っていたのですが、犯人が何処の誰なのかなど、その後何も報道されていません。一体どんな人物がどんな理由で犯行に及んだのか知りたかったものですから」
 事件の事を調べても、死んだ人間は二度と生き返ることはない。そんなことは分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
「その事は私も気になって調べたのですが、犯行現場には犯人と思われる人物が居まして、警察に連行されて取調べを受けたのは事実です。しかし、その人物は清水先生を殺害してはいませんでした」
「澤田さんは、その人物が何処の誰なのか知っていらっしゃるのですか」
 強い口調で問い質した。
「・・・・・・・・」
「病院の関係者なのですね」
 無言の意味を勝手に理解して尋ねた。
「いえ、その人は病院の関係者ではありません」
「それならば、澤田さんがその人を庇う理由は何なのですか。他言はしませんので、何処の誰なのか教えて頂けないでしょうか」
「知ってどうされるのですか」
「犯人でなければどうして殺害現場に居たのか、優作さんとの関係など色々聞いてみたいのです」
「事件に関係する事は全て警察が聞いています。それに、その人は本当に犯人ではなかったのです」
「どうしてそんなにはっきりと否定できるのですか。その人物が嘘をついているかも知れないでしょう。私自身が、私の目と耳でそれを確かめたいのです」
 並々ならぬ執念が感じられた。
「分かりました。その人物も細川さんから色々と聞きたいことがあるでしょうから、一度連絡を取ってみます」
 優子は思い直してバックから携帯電話を取り出した。
「澤田です。今、どちらにいらっしゃいますか・・・・・・・・今からお会いしたいのですが、よろしいでしょうか・・・・・・わかりました。場所はこの前のファミリーレストランでよろしいでしょうか・・・・・・・それでは、三十分後と言うことでお願いします」
 携帯電話を切ると、表面に表示されたデジタル表示の時計で待ち合わせ時間を確認した。
「今から三十分後に会うことになりますが、細川さんは公共交通機関でこちらに来られていますか」
「いいえ、自動車ですけれど」
「待ち合わせ場所は千種区にあるファミリーレストランですが、車でも三十分あれば着けると思います。ご案内しますので、乗せて頂けませんか」
「はい、よろしくお願いします」
 細川は頷き、車に向かって歩き出した。
「あの、今から会う人と澤田さんは随分親しいのですね」
 白いカローラセダンの運転席に腰を下ろし、シートベルトを装着した細川が、先程の携帯電話の会話を思い出して尋ねた。
「初めて出会ったのは、兄が亡くなったレストランです」
 細川がエンジンキーを回すと、四つのスピーカーから『オリビアを聴きながら』のサビの部分が流れて来た。
「その人も『空満』の会員だったのですか」
「いいえ、兄が亡くなったレストランのアルバイトをされていました」
「お兄さんが亡くなった時も近くに居たなんて、とても偶然とは思えません」
 千種方面に向かって車を発進させながらも、今から会う男に疑惑を募らせていた。
「実は、その人が持って来たコーヒーを飲んでから直ぐに苦しみ出してその後で倒れ亡くなったものですから、警察が駆け付けた時には『この人が犯人です』なんて叫んでしまいました」
 その時の大神の驚いた顔を思い出して目を細めた。
「えっ、それは間違いないですよ。その男が犯人です。どうして警察はしっかりと調べないのでしょう」
 犯人と思われる疑わしい人物と親しく話せる優子や、警察の捜査が信じられなかった。
「私も彼が犯人だと信じて疑わなかったものですから、彼が釈放され私を訪ねて来た時には、驚きと供に恐怖心さえありました。でも、兄が飲み残したコーヒーからは、毒物が検出されなかったのです」
「澤田さんは、お兄さんがコーヒーを飲まれた後のコーヒーカップをずっと見ていたのですか。その人はレストランの関係者ですから、カップを摩り替えることも出来たのではないですか」
「その時は彼が犯人だと思っていましたから、警察が到着するまで行動をチェックしていましたので、カップを摩り替えたりは出来ませんでした」
「でも、他に方法があったかも知れません」
 どうしても無実だとは思えず、狡賢くて恐ろしい人物を想像した細川は、目的のレストランに近付くのが怖くなり、横目で助手席を見ると優子の微笑んだ顔が目に入りドキッとした。ひょっとすると、隣に座っている澤田と言う女性は犯人の仲間ではないのか、自分は騙されているのではないかと言う考えが頭に浮かんだ。
「細川さんの言葉を聞いて、思い出してしまいました」
「何をですか」
「私も今の細川さんと全く同じような質問を担当の刑事さんにぶつけて、困らせていたのかなって。だから、細川さんの気持ちは良く分かります。なぜ彼が釈放されなければならないのか理解出来なくて、釈放した警察を恨んでもいましたから。でも、何度か会って話をするうちに、この人は犯人ではないと思うようになったのです」
「きっとあなたは騙されているのです。あなたのお兄さんや優作さんを殺害した可能性が少しでもある人物の言葉を信じるなんて事は絶対にありません」
 細川ははっきり否定した。
「私は『信じます』と彼に言いました。それなのに彼は、そんなに簡単に人を信じるなって怒ったのです。変な人でしょ。あっ、次の交差点を左折して下さい」
 優子の指示に従って左折すると、待ち合わせ場所のファミリーレストランの大きな看板が見えて来た。
「兎に角、自分の目と耳で確かめて下さい」
 約束の時間より五分ほど遅れて駐車場に車を停めた。
「お待たせしました」
 優子は窓際の席に座っている大神を見付けると、ゆっくりと歩み寄って頭を下げた。
「いいえ、僕も今来たばかりです。あれ、一人じゃないのですね」
 大神は、優子の後ろから歩いて来た女性に気付いて首を傾げた。
「亡くなった清水さんの婚約者の細川広美さんです」
「そうでしたか。それは申し訳ないことをしました」
 大神は立ち上がって頭を下げた。
「えっ」
 思いも寄らない大神の言動と態度に細川は言葉を詰まらせた。
「大神さん、細川さんはあなたが清水さんを殺害したと思い込んでいて、どんな人なのかと疑惑の目を持って会いに来られたのです。それなのに、謝ったりしたら益々誤解されてしまいますよ」
 大神の対応に苦言を呈した。
「胡散臭い三十前の男が、殺人現場に凶器を持って立っていれば、犯人と疑われても仕方がないですよ。それに、僕が清水さんの家を訪ねようとしななければ、殺害されることはなかったのかも知れません。まぁ、立ち話もなんですので、お二人とも座りませんか」
「大神さんは何も悪くないです。それどころか、警察に犯人扱いされたり色々な人にも疑われたりして、被害者と言っても良い位です」
 隣に座った細川の大神を見詰める視線が気になったが、それより今は大神の事を庇いたかった。
「あの、大神さんと言われるのですか」
 二人の会話に割り込んで細川が尋ねた。
「あっ、すみません。自己紹介が遅れまして、大神崇と言います」
「失礼ですが、推理作家の碧春海先生ではありませんか」
 羨望の眼差に変わって大神を見た。
「あっ、はい、売れない推理小説を書いていますが」
「それで分かりました。あの日、優作さんが会う約束をしていたのが、碧春海先生だったからなのですね」
「どう言う事ですか」
「亡くなる前日の夜遅くに優作さんから電話があり、いつもは疲れていたり落ち込んでいたりして会話も弾まない事が多かったのですが、あの日はとても機嫌が良く今度会う時に何かプレゼントをくれるなんて言っていました。優作は、碧先生のファンでしたので、会うのを楽しみにしていたのでしょう」
 清水のことを思い出して途中から涙声になっていた。
「そうだったのですか。でもどうして、僕が碧春海だと分かったのですか」
「それは、優作から先生の作品を何冊か借りて読んで、興味を持った私に優作が色々と先生の事を教えてくれたからです。名古屋市出身の情報から何処かで会うこともあるかと先生の写真を私にくれましたから、こうして肌身離さず持っているのです」
 細川はバックの中から大神の写真を取り出して二人に見せた。
「それで謎が一つ解けました。清水さんの部屋の居間に僕の書いた本とサインペンが用意してありましたから」
「あっ、私へのプレゼントは先生のサイン本だったのですね」
 清水の微笑む顔が目に浮かんで涙が湧き上がって来た。
「細川さんのお話から清水先生が大神さんのファンだったと言うことは分かりましたが、大神さんは清水さんの事を以前からご存知だったのですか」
「清水さんから何度かファンレターをもらったことがあったから『空満』の名簿に清水さんの名前があった時は驚きました。事件のこともあり、一度会う約束をしたのですが、メンバーの中の二人が亡くなっていたのですから、もう少し注意すべきでした。本当に申し訳ありませんでした」
 大神は殺害現場の状況を思い出してもう一度頭を下げた。
「出来ることなら、先生に会わせてあげたかったな」
 細川の瞳から涙が零れ落ちた。
「今回の事件のことなのですが、清水さんがなぜ殺害されなければならなかったのか、その理由が今ひとつはっきりとしないのです。亡くなる前に、病院の不正行為や医療ミスなどについての話を聞いたことはなかったでしょうか」
「私に病院のことを話しても分かってもらえないと思っていたのでしょうか、職場の話は殆どしなかったのです。ですから、もし仮に病院内でそんな事件があったとしても、私に話すことはなかったと思います」
「そうですか・・・・・」
 残念そうに溜息を吐いた。
「今日も病院関係者に話を聞いてみたのですが、確かな情報を得ることは出来ませんでした。警察のように上手くは聞けませんし、もしそんな事実があったとしても研修医の私に打ち明けてはくれないでしょうね」
 優子も肩を落とし同じように溜息を吐いた。
「病院の方から攻めるのは無理と言うことですね」
「ただ、ちょっと気になる人物が一人居ます」
「気になる人物」
「はい、外科の貴田准教授です。清水先生とは同期なのですが、事件について聞く前に上手くあしらわれてしまいました」
「病院での評判はどうなのですか」
 大神は優子の話しに興味を示した。
「そうですね。外科に居る研修医から聞いた話では、上司の西村副部長にコバンザメのように張り付いて胡麻を擂り、その威光を笠に着て医師や看護師に無理難題を押し付ける嫌な奴だと愚痴っていました」
「そう言う先入観があるから、怪しいと思われたのではないのですか。どんな職場であっても、三人集まれば派閥ができると言われるくらいだから、出世の為には胡麻をすることも必要なのでしょう」
「でも、私は出世なんて望んでいません」
 貴田の言葉が頭を過ぎった。
「自分はそう思っても、後から入って来た人間がどんどん出世すれば、どうしても焦るだろうし気分だって良くないでしょう」
「それは・・・・・・・」
「出世のために上手に胡麻をすったり、媚を売ったりしなさいなんて言っている訳じゃないのです。でも、評価するのが人間である以上、主観や感情で判断され実力に合った正しい評価がされないのも事実なのです。少しでも自分を良く見せる為に色々な手段が取られる、これもまたより良い生活を得る為には仕方のないことだと思います」
「あの、大神先生は、事件の事を調べていらっしゃるようですが、警察から協力を依頼されたのですか」
 二人の会話に細川が割り込んだ。
「いいえ、その反対です。どう言う訳か、澤田さんの事件から縁がありまして、清水さんの事件では一晩中警察で絞られました。ですから、自分に掛けられた疑惑は自分の手で晴らすしかないと澤田さんに手伝って頂いている訳です」
「先生が犯人だなんてとんでもない話です。是非私にも協力させて下さい」
 熱く語る細川の言葉に、優子は目を丸くしていた。
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