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十章

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 翌日、朝比奈と大神は場所を変えて愛知県警で会うことになった。
「鑑識の結果が出たよ。お前の予想通り、焼死体から検出されたDNAと大野和夫さんの歯ブラシなどから検出されたDNAが一致したよ」
 大神は、検査結果が表示された書類を朝比奈に差し出した。
「妹さんの気持ちを考えれば、大変残念な結果になってしまったけれど、起こった事実は変えられないからな」
 書類を大神に差し戻して近くにあった椅子に腰を下ろした。
「事務所では妹さんも居たし、お前あれから直ぐにバイトに行っちまったから詳しく聞けなかったけれど、亡くなった大野和夫さんとお前はどんな関係だったんだ。高校までは一緒だったし、大学や仕事先でもお前が友人を作れるとは思えないからな」
 大神も椅子に座ると顎に手を当てて朝比奈の顔を見た。
「知り合ったのは最近のことで、たまたま偶然に出会い港区の事件のことで調べていることを知ったばかりだったんだ。その事件の話をする為に事務所に訪れた時に、妹さんに行方が不明になっていることを聞いて、ちょっと気になって寄ったところ事務所が荒らされていたってことだ」
 頭を掻きながら答えた。
「でも、それだけであの焼死体が大野和夫だとどうして推理できたんだ」
 朝比奈の言葉に納得できなかった。
「そもそも『ゼア・イズ』で亡くなったのがFBI捜査官だったこと。それの犯人が北川龍一である可能性が高く、北川の勤めるニューランドリーと黒田大臣が警察拳銃の取引での不正があり、港区での銃の暴発事件からそのことに気が付いてしまったとすれば、抹殺されてしまう可能性があるかもと思っただけだ」
「それだけで
 そう言い終えた時、川瀬刑事が書類を手にして戻ってきた。
「班長、被害者の大学時代及び以前の会社で特に親しくしていたと思われる関係者をまとめたリストです。事件の可能性が高くなりましたので、高橋刑事と順次話を聞いてみようと思います」
 川瀬刑事が1枚の書類を大神に差し出した。
「流石川瀬刑事仕事が早いですね」
 朝比奈は立ち上がって大神が手にしていたリストを覗き込んだ。
「先ずは、新聞社の方から調べてみてくれないか」
 リストに目を通してから川瀬に指示をした。
「ちょっと待ってくださいよ。この人物は確か・・・・そうか、そういうことだったんだ」
 朝比奈は目を閉じ左の顳かみを叩いた。
「知っている人物が居たのか?」
 大神が尋ねた。
「警察はまだ北川の居所を掴んでいないのか?」
 大神の質問に答えることなく、反対に問を返した。
「何とかスマホの番号は突き止めたのだが、電源が切られているようで何処に隠れているのか分からない状態だ。警察に指名手配されていることを察して、スマホを買い換えたのかも知れないな。ただ、国外に出たという形跡はないので、船で密航していない限り日本に居ると考えて間違いはないと思う」
 眉間に皺を寄せた不服な表情で答えた。
「既に指名手配されていることは本人も分かっていても、絶対に捕まる訳には行かない・・・・・余にも事情を知りすぎている人物だからな」
 ある思いが朝比奈の頭の中に浮かんだ。
「おいおい、まさか・・・・」
 大神も朝比奈の考えが感じ取れて言葉が漏れた時、市内にあるニューハイアットホテルでは、西暦の偶数年に催される愛知県出身の東京大学法学部卒業生による同窓会が開かれていて、ドレスコードの指定はない為に朝比奈麗子はいつ仕事の依頼があっても良い様にとスーツ姿で参加していた。勿論、大神も参加する予定でいたが、事件捜査の為に欠席の旨を幹事に伝えていた。パーティーはバイキングでの立食形式ではあったが、同期生同士が所々で集まり会話を弾ませていた。
「ああっ、西村君今年は参加してたんだ」
 麗子はブランドのスーツに高級時計を身に付けた西村晃に近寄って声を掛けた。
「えっ、朝比奈なのか。確か、名古屋地方検察庁の検事になったと聞いていたけど、今はどんな事件を担当しているんだ」
 久しぶりに会う麗子に聞き返した。
「随分前の情報ね。今は弁護士で頑張っているわよ。まぁ、ずっと警視庁にいたから知らなくても無理ないか」
 スモークサーモンとグレープフルーツのサラダが盛られた皿を手に答えた。
「まさか、検事を辞めて弁護士、つまりヤメ検弁護士ってことなのか」
 ワインを持っていた手が驚きで震えた。
「そんなに驚くことはないと思うけど。ご存知だとは思いますが、職業に上下はないし弁護士も弱者であり困窮している依頼者に寄り添うことができる素晴らしい職業だと思っているわ。まぁ、警視になって愛知県警に赴任して来たエリート街道驀進中のあなたにはその感覚は分からないかもしれないけどね」
 嫌味を込めて答えた。
「いや、そう言う意味ではなく、朝比奈の父親も検事でお前もずっと検事志望だったから検事を辞めたというのが意外だったんだよ」
 ワインを一気に飲み干した。
「まぁ珍しい、覚えていてくれたんだ。でも、検事を辞めてなぜ弁護士になったかなんて聞かないでよ。2時間のサスペンスドラマでも語り尽くせないからね。それよりあなた、大学時代から北川君と仲が良かったよね。先日一応私の事務所の方にも顔を出してくれたんだけど、こちらの友達にも会うつもりだと言っていたから、勿論連絡も入っていて会ってもいるんだよね」
 サラダを頬張り、グレープフルーツの程よい苦味とドレッシングの酸味が口に広がった。
「あいつは外資系の商社に就職して出世したとは聞いてはいたけど、日本に帰っていたとは知らなかったなぁ。スマホの番号を変えていなければ連絡は付くけれど、俺が地元に戻っていることもあいつは知らないと思うよ」
 麗子がどうして北川について尋ねてくるのか分からないでいた。
「そうか・・・・・・」
 残念そうに呟いた。
「担当する弁護案件に北川が関わっているのか」
 麗子が漏らした言葉から察して尋ねた。
「西村君の様な上層部の人間には情報として入って来ない程の小さな事件なんだけど、市内のカフェバーで男性が亡くなる事件が発生して、その現場に北川君が居たはずなのに何故か立ち去ってしまって、その後連絡が取れないのよ」
 立ち話では済みそうではないと感じ、椅子のあるテーブルへと導いた。
「こちらに戻ってきてまだ間がないので、県内はもとより市内で起きている事件についても、まだ何も関わってはいないけれど、朝比奈が調べていると言うことは自殺や事故ではなく、事件だったという事なんだな」
 空になったワイングラスを交換してテーブルのある席で腰を下ろした。
「所轄の初動捜査では、急性心筋梗塞などの急病での病死と判断されたのだけれど、その場にいた人物の助言により胃の内容物を検出した結果、フグ毒であるテトロドトキシンが検出され、毒殺の可能性が高くなりもう一度捜査が開始され、その場にいた人間が全て調べられることになったのよ。結果としては、対象となった全ての人間は亡くなった人間との接点はなく、唯一事件現場から立ち去った北川君へ疑惑の目が向けられているの」
 麗子もオレンジジュースを手に腰を下ろした。
「つまり、警察は北川が犯人だと考えているんだな。でも、その亡くなった人物は何処の誰だったんだ」
 親しかった友人が警察に疑われていることを、同じ同期の麗子から聞くのは良い気分ではない。
「それは私も聞いて驚いたのだけれど、亡くなったのはFBIの捜査官で北川君が勤めている外資系の会社ニューランドリーを調べていた可能性が高く、殺害の動機に関しても有り得たのだと考えているのよ。現場にいた他の人間を調べた結果、亡くなった人物との関係性や動機の面では犯人と思われる人物は発見されず、北川君は連絡が取れなくて姿を消したことを考えれば、警察に犯人として疑われても仕方ないわ。ただ、渡米記録は無いことから日本に居ることは間違いない様ね」
 辺を気にして西村に近づき声のトーンを下げて答えた。
「どんな事情があったか分からないが、まさか北川が殺人なんて・・・・・・早く居所を突き止めなければならないが、警察が捜査を開始しても掴めないということは、スマホでの位置情報でも追えていないと言うことか・・・・・・・しかし、その事件にどうして朝比奈が関わっているんだ。それに、現場にいた人間の助言に基づいて胃の内容物の検査をしたって言ってたけれど、警察に助言する人物って誰だったんだ」
 麗子の言葉を思い出しながら眉間に皺を寄せて問いただした。
「いくら警察官でも弁護士が未解決の殺人事件に絡むのは驚くよね。実はね、現場にいて警察に助言をした人物は私の弟なのよ。西村君も確か高校時代に一度会ったことがあるんじゃないかな。今は定職にも就かずに事件が起きたカフェバーでアルバイトをしているのよ。なぜかまた事件に巻き込まれたようで、少しでも早く解決してくれないと私にも影響が出て、ひょっとして父にも迷惑を掛けることになっては大変だからね」
「ああっ、ちょっと変わった弟が居たよな。名門朝比奈家でカフェバーのアルバイトとは今も変わらず変人なんだな。そう言えば、朝比奈の父親は最高検察庁の刑事部の部長だから大変だろうな」
「いえ、今はもっと出世して最高検のナンバー2よ」
「えっ、もしかして、次期検事総長って噂されているのは朝比奈の親父さんのことだったのか」
 流石に驚いていた。
「まぁ、父は今回の事件は何も関わっていないし、今のところは何も知らないはずよ。でも、未解決のまま時が経てば父の耳にも届く可能性も高くなる。だから、北川君と連絡が取れる方法があれば、一刻も早く警察へ出頭して無実であれば弁明をするように伝えたいのよ」
 真剣な表情で西村を見た。
「そっ、そうだな。現場の詳しい事情を含め、現在の捜査状況についても調べてみるよ。しかし、朝比奈の弟が現場に居たとしても、どうして事件に関わっていると言うか、関われているんだよ。ただのアルバイトなんだろ」
 少し視線を外して尋ねた。
「そうなのよね。警察に意見したり、いい加減面倒掛けないで欲しいわ。逆に疑われて取調室で説教される始末なのよ」
 呆れ顔で答えた。
「それにしても、いくら弁護士とは言え捜査中の事件の情報がよく入手できたな。どんな手を使ったんだ」
「蛇の道は蛇、壁に耳あり障子に目ありよ。まぁ、これでも広い情報網を持っているものですからね。でも、事件に関しては警察官僚の西村君には敵わないでしょうけどね」
 嫌味を込めて言い返した。
「分かった、後は自分で調べてみるよ。それはそうと、朝比奈は何処の法律事務所に勤めているんだ。大手の法律事務所って競争も激しいんだろうな」
 警視庁のエリートコースを歩んできた西村には、大手の法律事務所の事情について興味があった。
「法律事務所には勤めていないわ。私、根本的に他人に指図されるのは好きじゃないの。検事を辞めた原因もその1つだったからね。だから、弁護士は私1人で、パラリーガル1人の小さな事務所を開いているわ。私1人だけで自由にやっていたんだけど、そのパラリーガルの彼女はちょっと変わっていて、弟の絡んだ事件で出会って助けられたこともあり、何を勘違いしたのか変人の弟に好意を持っているようで、まぁ弁護士を目指していることもあって、弟の魔の手から守る為にもパラリーガルとして雇うことにしてるのよ」
 弟の顔を思い浮かべてオレンジジュースを一気に飲み干した。
「弁護士1人にワケアリのパラリーガル。それに変人の弟とは、色々大変なんだな。でも、話は戻るけれど、カフェバーのアルバイト店員の弟が依頼されてもいない事件の案件で、今も調査をしているんじゃないよな」
 麗子の変人と言う言葉に反応して質問を返した。
「勿論、警察でもないのだから、変な事件に関わらないでと一応釘は刺したけれど、一度走り出すと誰にも止められなくってね。つい最近、苦言を呈する為に問い詰めたら、事件解決の手掛かりになる証拠が手に入ったって言ってたけど、言い訳かもしれないから余り当てにはならないわね。毎回毎回振り回されてほんといい加減にして欲しいわ」
 まぁ、同級生であり警察官僚なのでつい愚痴を漏らしたが、話しているうちに次第に腹が立ってきた。
「お父さんに影響が及ばないように、警察としても愚弟の協力を得なくてもできるだけ早期に事件を解決するように発破を掛けておくよ」
 西村としては貸しを作ったつもりでの発言だった。
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