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七章

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 朝比奈は姉の事務所を後にすると、フリーライターの大野和夫の事務所を尋ねることにした。記憶していた住所は、スマホで確認したところ地下鉄で3つ先の駅を降りたところにあるようで、立ち並ぶ大きなビルを通り過ぎて、表通りから少し狭い路地に入った6階建てのビルの2階にあった。自分が刑事と誤解している事と、先日県警で掴んだ情報を伝えるべきか悩みながら、階段を上ってフロアの一番にある部屋に足を進めた。
「失礼します」
 朝比奈は3度ノックした後、ノブを回して扉を開けると声を掛けた。
「あっ、はい、いらっしゃいませ」
 20代半ばの女性が奥の部屋から出てきた。
「あの、朝比奈優作と言いますが、大野和夫さんにお会いしたいのですが、いらっしゃいますでしょうか」
 女性に姉の事務所の名刺を差し出した。
「折角お越しいただいたのに申し訳ありません。兄は、今出掛けていて居ないのです」
 名刺を受け取り申し訳なさそうに答えた。
「ああっ、妹さんでしたか。お兄さんはフリーのライターでいらっしゃるので、事務所に居る方が珍しいですよね。残念です、電話を掛けてから来るべきでしたね」
 頭を下げて部屋を出ようとした。
「あの、どのようなご用事だったのでしょう」
 女性は朝比奈の背中に声を掛けた。
「いえ、大野さん、あっ、お兄さんに誤解を与えることがありまして、できれば電話ではなく直接お会いして謝罪するつもりでうかがったのです」
 朝比奈は振り返って申し訳なさそうに答えた。
「そうだったのですか、それは申し訳ありませんでした。あの、初対面でお尋ねするのは失礼とは思いますが、兄とはどの様な関係なのでしょう」
 弁護士事務所の名刺をもう一度確認して尋ねた。
「今は中区にある『ゼア・イズ』というカフェバーに勤めていますが、アルバイトでお兄さんと同じフリーのライターをしていまして、時々姉の法律事務所の仕事を手伝っていたもので、お兄さんが調査している事件についてちょっと調べていて、誤解を解く事もですがその調査の報告もするつもりでいました」
 ニセ警官のことは伏せて正直に話を続けた。
「弁護士の調査員として兄の記事について調べてくださっていたのですね。あの、その事件は、何か危険を伴うものなのでしょうか。あっ、いえ、実は昨日から兄と連絡が取れなくなっているのです。取材で家に帰れない時も必ず連絡を入れてくれていて、今までこんなことは無かったものですから、事務所の整理整頓の予定もあり、こうして訪ねて来たのですが、残念ながらここに居た形跡も無く、私が知っている兄の関係者に連絡を取っていたところです。でも、残念ながら何の情報も得ることができず、途方に暮れていたところなのです」
 本当に困っていて、藁にもすがる思いで朝比奈に声を掛けたのであった。
「今もお兄さんと連絡が取れていないのですね」
 妹さんの言葉から只事でないことを感じ取っていた。
「はい、何度も何度も兄のスマホに連絡を取っているのですが、電源が入ってないのか応答はなく、LINEを送っても返答がないのです」
 朝比奈の言葉に更に不安となっていた。
「それはちょっと心配ですね。あの、もし良ければ調べてみましょうか」
 本当に心配している表情に、つい言葉が出てしまった。
「えっ、兄の居所を調べていただけるのですか?あっ、すみません、まだ名乗っていませんでしたね。私大野友美と言います」
 朝比奈の意外な申し入れに驚いていた。
「大野友美さんのお話しを聞いていて、僕も気になってきました」
「でも、どうやって調べるのですか。昨夜から私も、知っている限り連絡を取ってみたのですが、誰も兄の所在については知らなかったのですよ」
 疑う訳ではないけれど、いくら弁護士の調査員でも、自分の知る限りの知人に連絡を取って見付けられなかったのにとの思いがあった。
「警察に知り合いがいるので、もしスマホの電源が入れば位置情報で居場所を特定することは可能だと思います。ただその前に、少しお兄さんのことについて教えていただけませんか」
 電源が切られている場合も考え、手掛かりが少しでもあればとの思いであった。
「わっ、分かりました。どこから・・・・・そうですね、兄が高校3年生で私が1年生の時に両親が交通事故で亡くなったのですが、私達は両親以外に家族は居なくて、2人で生活することになってしまいました。幸い両親が残してくれた生命保険金がありましたので、当面の生活には困らなかったのですが、それでも兄は私を大学に進学させたくて、高校を卒業すると頑張って入社試験と面接を突破して、毎朝新聞社に入社することができて社会部に配属されました。兄は良い先輩にも恵まれて多くの記事を書く事ができて、スクープも何度か載せることもあったようです。ですが、政治家のパーティー券に絡む汚職について記事を上げようとしたのですが、その件に関して上層部と揉めたそうなのです。昔から曲がったことが大嫌いだったので、記事を載せられないことに対して憤りを感じ、自分の不甲斐なさを責めて会社を退職して、フリーのルポライターになったのです」
 朝比奈に近くにあった椅子を勧め、友美も腰を下ろした。
「今までの生立ちや経緯は良く分かりました。それで、最近はどの様な事件を調べていらしたのか何か聞いていませんか」
「いえ、私には取材など仕事のことについては余り話さないものですから、今何処で何をしているのか全く分からないので、心配で朝から事務所に駆け付けたと言う訳です。朝比奈さんは何かご存知ないですか」
 今までない出来事に反対に朝比奈に聞き返した。
「そうですね・・・・これは、まだ誰にも話していないことですので、他言無用でお願いしたいのですが、お兄さんはあなたには話していなかったようですが、名古屋市港区で起きた事件に関して調べていたようなのです。でも、どうもその事件の情報はお兄さんが直接調べたものではなく、以前に勤められていらした毎朝新聞社の親しい先輩からのものだったと思われます。その親しかった先輩について思い当たる人物をご存知ないでしょうか」
 朝比奈は最低限の情報を提示して、大野の行方を突き止めることにした。
「毎朝新聞社の社員で、兄と親しい人物ですか・・・・・確か以前一度だけ一緒に飲みに行った時に紹介されたことがあったのですが、その時会った男性が同じ会社の先輩だったと思います。多分その人が朝比奈さんの知りたい人物、そう、三浦・・・・三浦裕司さんだったと思います」
 記憶を絞り出すようにして言葉を発した
「毎朝新聞社の名古屋支社、三浦裕司さんですね。僕が会って話を聞いてみます。お兄さんの居所が分かりましたら、直ぐに友美さんに連絡させていただきますので、お2人のスマホの番号を教えてください」
 友美は、朝比奈の言葉に頷くと、ジャケットのポケットからスマホを取り出して、自分と兄の番号を表示させ、朝比奈は自分のスマホにその番号を登録した。
「あの、兄のことどうかよろしくお願いします」
 立ち上がった朝比奈に友美も立ち上がって頭を下げた。その後、大野の事務所を後にした朝比奈は、取り敢えず愛知県警へと向かった。
「大神、北川の居所は分かったのか」
 朝比奈はいつもの様に受付をスルーすると、エレベーターを使ってお目当ての捜査1課へ向かうと、ノックもしないで大神班の部屋の扉を開けた。
「刑事でもないし、ましてや大神班でもない人間がノックもしないで顔を出し、そんな偉そうな言葉を吐くなんていい度胸だな。どんな教育をされてきたのか、育てた親の顔が見た・・・・・・くはないな」
 最高検察庁の次席検事の後ろ姿が頭に浮かんで、振り向かないでと願った。
「そうか、じゃ育てた姉さんならいつでも連れてくるぞ。そんなことより、どうなんだ北川の居所は?」
 朝比奈は間髪を容れずに言い返した。
「それなんだが、ニューランドリーの日本支社に連絡を取ってみたが、出社もしていないし何処に居るのかも把握していないそうだ。スマホの番号を問い合わせてみたが、外資系の企業の特異性なのか、事件に関係する事実がなければ個人情報などは、教えられないと取り付く島もなかったよ」
 電話のそっけない返事が記憶として戻ってきた。
「つまり何の手掛かりも掴めていないって事なんだな。居所を調べる方法が無いこともないけど、警察ではちょっと無理かなぁ」
 そう言うと、大神の机の上にあったボールペンと使って、メモ用紙に番号を書き始めた。
「おいおい、調べる方法があるのに、警察ではその方法が使えないってことなのか」
 眉間に皺を寄せて尋ねた。
「つい先程、姉さんの事務所に黒田法務大臣が秘書を従えて訪ねて来たんだけど、結論から言えば事件現場から姿を消した北川に代わって、黒田法務大臣が侘びを入れに訪れたってことなんだ。だから、黒田法務大臣に聞けば北川の居所は分かるってこと。でも、警察から法務大臣に対して、北川の居所を教えてくださいなんて聞けるのかな」
 書き終えて大神にスマホの番号が書かれたメモ紙を差し出した。
「それは・・・・・えっ、この番号が、北川の連絡先なのか?」
 メモ紙を受け取ってスマホの番号を確認した。
「残念ながら、北川の番号ではないけれど、そのスマホの持ち主も身元が不明になっているようなんだ。まぁ、北川の方は諦めて、ちょっと別な角度から考えてみようと思うんだ。そのスマホの番号の位置情報を調べてくれないか」
 一応顔の前で両手を合わせた。
「この番号の所有者との連絡も取れない。つまり、北川に関係している人物なんだな」
 納得して川瀬刑事にメモ用紙を差し出した。
「いや、直接は関係していないかも・・・・・・でも、事件には関係している人物には間違いないと思う」
 不味いと思ったのか、話のトーンが落ちていた。
「別の角度って、どんな角度なんだよ。そんなこと言って、北川には全く関係していないってことなんだろ。探偵まがいのことをしていると言って、直ぐに見付け出してあげますよなんて、安請け合いしたってところなんだろ」
 川瀬に渡したメモ用紙を取り戻した。
「それはどうでしょうね。この番号のスマホの持ち主は、現在はフリーのライターなんだけど、何故か以前在籍した毎朝新聞社会部の先輩からの情報を得て、この前話していた港区で起きた銃の暴発事件について知っていた。まぁ、どこまで調査していたのかは不明だけれど、ニューランドリーが銃の搬入先の企業だと分かっていたのなら、来日していた北川と接していた可能性も考えられる。その人間が、妹さんの話では昨日から連絡が取れないと教えてくれたのだから、居所を調べて話を聞く必要はあると思いませんか」
 メモ用紙を川瀬に戻すように手で合図を送った。
「ちょっとその説明だけでは納得できないな。そもそも、スマホの持ち主であるフリーライターとお前の関係が見えてこない。ただの知り合いなんてことはないだろうし、お姉さんからの依頼だとも考え難い。ましてや、お前という人間と親しくしているのは俺達くらいだから、一日程度連絡が取れないくらいで心配する友達がいるとはは想像もできないな。本当のところどうなんだ」
 朝比奈の合図を無視して問い詰めた。
「それは・・・・・・」
 朝比奈が言葉を詰まらせている時、机の上の内線電話が鳴った。
「はい、大神班・・・・・・分かりました」
 慌てて川瀬が受話器を取って話を聞き応対した。
「班長、守山区のアオンモール西店の北側にある貸し倉庫内で焼死体が見つかったそうで、応援を要請されました」
 受話器を置いて内容を大神に伝えた。
「よし、早速向かうぞ」
 大神はメモ用紙を朝比奈に戻して声を掛けた。
「焼死体ですか、初めてですね。じゃ行きましょうか」
 メモを受け取り立ち上がった。
「おいおい、お前には関係ない事件、ど素人は黙っていてくれないか。何でもかんでも直ぐに首を突っ込む、お前の悪い癖だぞ」
 帰れとばかりにしっしと手をで合図した。
「どうでだろうね、本当に関係ないだろうかなぁ。勿論関係なければ直ぐに手を引きますので、連れていってくれませんかね。役に立つかもしれませんよ」
「役に立つ?そんなことは万に一つもないし、ただの興味本位なら邪魔になるだけだから、ご遠慮いただけますか」
 一応拒否はしたものの、朝比奈が諦めることはなく付いてくるとは分かっていた。 
「邪魔にならなければいいんですよね」
 朝比奈は3人の刑事の後ろについて行ったが、車の中では何も話さなかった。事件現場は、名古屋市の東部にある守山区の貸し倉庫で、既に所轄のパトカーや車両が到着していて、黄色い規制テープが貼られていて、その前に待機していた警察官は顔の知れている大神に敬礼をして、規制テープを上に上げると大神を先頭に4人は現場に入っていった。
「あっ、大神警部お疲れ様です」
 所轄の刑事が大神の姿を発見し声を掛けた。
「お世話になります。被害者は・・・・・・・」
 内ポケットから白の手袋を取り出し、朝比奈にも予備の手袋を渡した。
「こちらです。焼死体と連絡が入っているとは思いますが、殆んど黒焦げ状態で男性か女性かの判断もできない程です。鑑識の報告では、ガソリンを体にかぶって火を点火したと思われます。これ程の酷い状態ですので死因は解剖して見ないと解らないとのことです」 
 所轄の刑事は、本当に黒焦げになった遺体を示して答えた。
「本当にこれは酷いですね。これでは指紋どころか、歯型での確認も難しいかも知れませんね。それに、遺体の周りが乱れていない事を考えれば、遺体は殺害された後に燃やされたと考えるのが自然でしょう。いくら覚悟の上だとしても、高熱の火に体が包まれておとなしくしていることはできなくて、その熱さと痛みで暴れまわるのが普通でしょうからね」
 遺体に触れながら朝比奈が答えた。
「鑑識もそう話していました。本部の鑑識の方ですか」
 刑事が朝比奈に尋ねた。
「鑑識ではありませんけれど・・・・・・それで、身分を示す物は残っていたのですか」
 朝比奈が聞き返した。
「いえ、身に付けていたいた物は全て焼き焦げていまして、確認できるものは何も残っていませんでした」
 一応鑑識の報告を思い出していた。
「スマホも残っていなかったのですか」
 朝比奈は焼死体を確認しながら質問を続けた。
「それらしいものは発見されていませんね」
 記入されたリストを見ながらこたえた。
「多分、犯人が持ち去ったのでしょうね。最近は遺体を埋める山林もすくなって来ましたし、海や湖に沈めるのも難しくなってきましたからね。それで、監視カメラのチェックはどうなっていますか」
 朝比奈は辺を見渡しながら尋ねた。
「室内は、残念ながら防犯カメラが設置されていません。今は周りの防犯カメラを確認しているところです」
 話を聞いていたのか、若い刑事が近寄って答えた。
「この場所で遺体を焼いたことを考えれば、防犯カメラのことは知っていて、その映像には映らない方法を取っている可能性が高いでしょうね。まぁ、映像や足取りを確認できる証拠が出てくるといいですけどね」
 手袋を外して大神に返した。
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