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四章

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 その頃、ジブリパークで有名になった愛知県長久手市にある黒田法務大臣の自宅に、北川が来日の報告と一昨日の事件についての説明をする為に訪れていた。
「北川君、リモートや電話で連絡はしていたが、こうして面と向かって話すのは久しぶりたね。君の活躍もあり、全て順調に進んでいることを嬉しく思っているよ」
 和服姿の黒田は北川から手渡された土産を受け取り満足そうに話し掛けた。
「それも皆、先生のお陰です。私の方こそ感謝しています」
 応接に案内され2人きりになったところで北川が言葉を返した。
「しかし、秘書から聞いたよ、帰国早々大変だったようだね」
 部屋に入り北川に席を進めて自分も腰を下ろした。
「先生から頂いた顔写真付きのリストが役に立ったのですが、その後警察の捜査についてはどうなっているのでしょうか」
 家政婦がお茶を出し終えたタイミングで北川が話を続けた。
 黒田は、目の前にあったケースから、小説『モンテクリスト伯爵』の主人公の名前から名付けられたと言われる、六本のサーベルのロゴが特徴のモンテクリスト社の葉巻を取り出し、パンチカッターを使って先端を慣れた手付きでカットし、口へ運ぶとジッポーのライターで火を点けた。
「担当しているのは所轄の中央署だったんだが、状況により急性心不全による病死と判断しようとしたんだが、何故か駆け付けて心臓マッサージなどの救急処置をした店のスタッフが居て、全くの素人なのに刑事に向かって病気の可能性を否定したものだから、胃の内容物まで検査することになってしまってね、そこからフグ毒のテトロドトキシンが検出されたと言うことで、今は食中毒を疑って辺りの店を捜査しているようだ。本当に、いらないお節介をしてくれたものだから、仕事が増えて大変だと所轄の所長もぼやいていたよ。世の中には変わった人物もいるもんだな」
 煙をゆっくりと口の中に吸い込んで、鼻で呼吸を続けながら煙を口の中でコロコロと転がして味わっていた。
「フグ中毒ですか・・・・・警察に身元は特定されているのですか」
 病死と判断されると思っていたので、少し動揺していた。
「今のところは何も分かっていないようだ。今のところ警察は、過去に犯罪を犯して身元を知られてはまずい人物か組関係の人間だと考えているようだ。ただ、一つ気になるのは、君がその時に一緒にいた女性が、朝比奈麗子弁護士事務所のパラリーガルだったことは、少し想定外だったね。まぁ、事務所を訪れたのは、エリートコースを外れた同期の姿を見ておきたいと思う気持があったのだとは推測できるがね」
 北川の心の中を読んで、もう一度葉巻の煙を味わった。
「別にそんな気持ちは無かったのですが、たまたまタイミングが合ってしまったということです。一旦は、店に戻ろうとは思ったのですが、警察のサイレンも聞こえてきましたし、警察に事情を聞かれては仕事にも差し支えると、その場を立ち去りホテルに帰りました。部屋に戻った後、朝比奈には侘びの連絡を入れようとしましたが、連絡先を伝えていないことを思い出し、面倒なことにならないように何も告げない選択をしました」
 お茶を手に当時のことを思い出していた。
「まぁ、仕事が最優先、これから君も忙しくなるだろうから、事件や朝比奈弁護士には関わらない方が無難だろう、君の選択は正解だったと思うよ。その件に関しては、私の方からそれとなく侘びを入れておくから、そのことは心配しなくても大丈夫だ。それに、すぐに事件も解決するだろう」
 北川の心配気な表情とは反対に、自信があるのか余裕な表情で返した。
「愛知県警においての先生の影響力は絶大で、色々な情報もその賜物だと思います。ただ、店のスタッフのことがちょっと気になります。先生のお話では、男性が倒れた後ですぐに
心臓マッサージをしたり、警察に胃の内容物を検査するように指示するなんて、どんな人物なのか分かっているのですか」
 普通では考えられない行動が、にわかには信じられなかった。
「私もそのことは気になって、その時の状況について知り合いの刑事に聞いてみたのだが、手当をしたのは店のスタッフといっても、正社員ではなくアルバイト店員だったんだ。どういう訳か、自分から刑事に同行して中央署で事情を話したようだけど、世の中には変わった奴がいるものだな。刑事ドラマが好きで、取調室の見学が目的だったりしてな」
 顔を左右に振りながら呆れた顔で話した。
「自分からですか・・・・・そのアルバイトスタッフの名前なども聞いていらっしゃるのですか」
 心臓マッサージを施したり、警察に意見する人間に興味を持った。
「名前までは分からないが、姉が弁護士で身柄もはっきりしているそうで、その日のうちに解放されたらしいな」
 少し考え込んでから答えた。
「その男の名字はひょっとすると朝比奈ではありませんか?」
 昔、朝比奈麗子にはちょっと風変わりな弟が居て、家族を困らせていたことを思い出していた。
「そこまでは覚えていないが、朝比奈ってことはまさかあの法律事務所の関係者じゃないだろうな」
 意外な問いに少し戸惑った。
「確か、朝比奈麗子弁護士には弟が居たはずですが、そのスタッフの男性がその弟で事件に関わっているとすれば、少しまずいことになりますね。父親が最高検察庁の次席検事ですからね」
 麗子のキツイ眼差しが頭に浮かんだ。
「朝比奈次席検事の息子か・・・・・・まぁ、本人が検事ではなく、カフェバーでアルバイトとして働いている人間なんだろ。そんなに大袈裟に考えることはないと思うけどな。君のこともあるから、一度挨拶に行って様子を伺ってはみるが、心配しなくても大丈夫だよ。そんなことよりも、君に来日してもらったのは、今度の選挙の表の取りまとめもあるんだからね」
 黒田にはカフェバーでの事件は、自分の裁量でどうでもなることであり、余り関心がない出来事であった。
「そのことは伺ってはいましたが、先生は現職の法務大臣でいらっしゃるし、連立与党の民自党の支援もあり地盤もしっかりしていますので、一応関連企業には念を押すつもりではいますが、私などの協力はなくても磐石ですよ」
 それでも黒田の少し弱気な態度が気になった。
「それがそうでもないんだよ。君はアメリカに居たから分からないだろうが、今は与党である民自党に逆風が吹き荒れているんだよ。衆参両議員で過半数を大きく上回っているのをいいことに、防衛費の倍増にLGBTだろ、それに大臣に副大臣と政務次官などの辞職や公費でのパリ旅行など、とんでもない問題を数多く出してたし、マイナンバー・カードに万博問題など、多くの法案を強引に通してきたことが、流石に国民にも分かってきたようだからな」
 国会本会議での答弁を思い出していた。
「来日してからは色々忙しくて、テレビなどのニュースをじっくりと観る機会が無かったものですから、与党にそんな逆風が吹いていたとは気づきませんでした。しかし、マイナンバー・カードはデジタル化には必要であり、国民からそんなにきつく避難される問題ではないですか、それに万博は日本革新党が積極的誘致を行ったんですよね」
 顎に手を当てて首を捻った。
「そう、マイナンバーまでは良かったんだけど、健康保険書にも紐付けしてその上健康保険書を廃止すると、デジタル大臣が進言して総理大臣と厚生労働大臣の3人で決めてしまったものだから、今も専門家の意見を聞かずに決めてしまったと野党に追求されているんだよ。俺に話があれば絶対に反対していたんだけどな。万博は初めは関西・大阪の名称で大阪府と大阪市が協力して誘致したと豪語していたんだが、不利な状況になると日本万博と言い始めて、政府にも責任を押し付けているんだ」
 本当に困った様子で苦虫を噛み締めるように答えた。
「まぁ、マイナンバー・カードの制度設計に問題があると思っていましたからね。アメリカでも似たようなシステムはありますが、税や資産分野、健康保険分野、戸籍等の公的分野、免許書等の証明分野など、それぞれの分野で独立しています。それを無理やり一本化しようとすることが無理なんですよ。本来、戸籍の氏名が漢字登録なのに、マイナンバーや銀行口座がカナ入力だからリンクしようがない。それは全て人間が一つひとつ確認して入力するなんて、それこそデジタルではなくアナログですよ。そもそも、このようなシステムを作成するのには、百人の秀才よりも一人の天才が必要なのです。しかし、いま日本にはそんな天才は数少ないと思います。自分も感じていたことなのですが、大学の理工学部は文系に比べて授業料が高いんですよ。ですから、天才がいたとしても理工学部では学べない環境にあるのです。アメリカや他の国では反対に理工系の学生は優遇され、優秀な学生は授業料などの免除もあるくらいです。デジタル推進するのであれば、まずそこから変えなければ無理だと思います。全てとは言いませんが、今回のマイナンバー・カードの件については大臣もですが官僚にも責任があると思います。自分の地位にあぐらをかいて現場無視で進めてしまった結果なんですからね」
 実際に日本を離れて初めて違いを感じ取れることでもあった。
「耳が痛いことでもあるし、同感できることだな。本当にこのままでは知的財産が技術が外国に完全に流出してしまう。現に、半導体の技術では日本がトップの時代があったのだが、今は見る影もない状態だ」
 自社制作の高額な製品よりも、他社の安価に手に入る製品を使うことで利潤を得ようとし、製品開発への未来の投資を惜しんだ結果が今の現状へと繋がっていることに黒田も嘆いていた。
「それと、LGBT法案についてなのですが、与党内でも反対意見も多く、そもそも総理の公約にも入っていませんでした。国民にも反対されている法案を、強引に通したのが理解できません」
 北川は真面目な表情で黒田を見た。
「ここだけの話なんだが、あれは色々な事情が絡まっているんだよ。元はといえば、広島サミットが原因なんだよ」
「G7の広島サミットがですか」
 全く違う二つの案件がどう結びついているのか、黒田の意外な言葉に驚いた。
「そう、首相が選挙区でもある広島でのサミットで、どうしても宣言書に核廃絶の文章を入れたかったようだ。しかし、核を保有するドイツとフランスが参加しているし、ましてやアメリカは広島に原子爆弾を落とした国なんだ。アメリカは、どうしてもその一文を入れるのであれば、アメリカが勧めているLGBTについての法案を先に日本で議決して欲しいと、首相に無理難題を押し付けてきたって事だ。だから、その条件を飲んで、LGBT法案を強引に議決した訳だ」
 苦虫を噛み締めた顔をしながら答えた。
「折角、広島サミットで支持率を上げたのに台無しにしてしまったって訳ですね」
 法務大臣として入閣している為に批判の対象となるのは仕方ないことではあると同情の表情で黒田を見た。
「それに追い討ちを掛けたのが入管法の改正案だ」
「ああっ、出入国管理及び難民認定法の改正についてですね。確か、二0一九年に大きな変更がありましたが、特に今回は難民認定三回以降の申請者が強制送還されるとされたことですね。他国では大勢の難民を受け入れているのに、日本は裁判を起こした一名しか受け入れていないのですからね。外国諸国から避難を受けても仕方ない事案であり、法務省の管轄だったので先生にも負の影響が及んだのですか」
 国会で野党議員に責められている黒田の姿が目に浮かんだ。
「地元名古屋の出入国管理局の施設内でマラトリア人が亡くなったり、他の施設では飲酒をした医師が常設していたとか、本会議でも色々と追求されたよ」
 同じように、野党議員の質疑に大きな声で答弁する自分の姿が蘇った。
「色々事情は分かりました。今回の選挙では、企業に呼び掛けて最高の結果が得られるように頑張らせていただきます」
「比例復活での当選では威厳を保つことができないからよろしく頼むよ。今回の取引で、ニューランドリー社と国とのパイプを築けたことだし、君には選挙を終えた後には公設秘書として頑張ってもらいたいと思っている。その為には是非今回の案件を進めてもらいたい、君には期待しているぞよろしく頼む」
 その言葉に北川が頷いた。
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