紅の薔薇

碧 春海

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十章

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 その日の夕刻、アルバイト先である『ゼア・イズ』をマスターの許可を得て早目に切り上げた朝比奈は、先日2人の女性を助けた路地裏にあるバー『ホークズ・アイ』の入口に立っていた。
『鷹の目か・・・・・』
 そう呟いて扉を開けると男性の従業員に近づいた。
「あの、警察の方から来たのですが、この人物に心当たりはないでしょうか」
 朝比奈はスマホに映し出された人物の顔を見せて店員に見せた。
「えっ、警察の方ですか」
 店員が大きな声を上げた。
「どうしたんだ」
 その声を聞いたマスターが2人に近付いて声を掛けた。
「警察の方がこの人物に心当たりがないかとお尋ねなのです」
 朝比奈のスマホを指差して答えた。
「勿論警察の方なら協力は惜しみませんが、確かあなたは『ゼア・イズ』のスタッフの方ですよね。お得意様ではないですが、お店で何度かお会いしているはずでがね。警察官を騙ると罪に問われることもあるから気を付けた方がいいですよ」
 鋭い視線で朝比奈の顔を見た。
「随分お詳しいですね。でも僕は警察の方から来たと言っただけで警察官だとは名乗ってはいませんよ。まぁ、そんなことはどうでもいいですが、店員さんにもお聞きしたのですがお答えいただけなかったのですよ。再度お聞きしますが、お2人はこの人物をご存知ではないですか」
 スマホの画面をマスターにも見せた。
「知っていますよ。県会議員だった川野太郎さんですよね。まぁ、会ったことはありませんがね」
 そう言うとスマホの画面から視線を外した。
「こちらに来店されたことはなかったのですか」
 スマホを胸ポケットに戻すと顔の表情の変化を確かめた。
「ご覧の通り、内の店はそんな議員さんが来られるようなバーではありませんよ。あの方はよくテレビに出られていましたからね。画面や街頭演説で拝見したから知っているだけですよ。それに彼はもう亡くなっているんですよね」
 亡くなった人間の何を聞こうとしているのか全く想像が出来なかった。
「殺害を犯して自殺したと、警察の会見やテレビなどのマスコミが大々的に取り上げられていますが、本当にそうなんでしょうかね。実を言いますと、川野さんが殺害したと言われている大池議員のホテルの部屋の隣に泊まる予定だったのですよ。事件があった当時、部屋から出てきた人物と擦れ違っていたのです。そんな事件が起こっているとは知らなかったので気に止めなかったのですが、その人物が川野さんだったとは思えないです。ああっ、僕はボランティアで選挙の時に川野さんの事務所で働いていて、何度もお会いし話もしたことがありますので、彼本人であれば気付いたはずなのですよ。そのことは警察に伝えたのですが、ホテルの防犯カメラでは確認できなかったものの、近くのあった他の防犯カメラや川野さんを自宅まで乗せたというタクシーが確認されたことで、残念ながら僕の意見は無視されました。途中で入れ替わったとの指摘も、そんな偶然は有り得ないと受け入れられませんでした。でも、僕はまだ自分の感性を信じていて、警察の推測には納得できないので、こうして個人で調べているのです」
 サングラスを掛けたマスターの顔を見詰めて話した。
「カフェバーの店員が探偵の真似事ですか。サスペンスドラマではそんな素人がよく登場しますが、捜査権のある警察以外に事件を調べるとは驚きましたね。ただ事件があったホテルの隣に部屋を取っていたというだけで何の利益にもならないことにどうして首を突っ込むのですか。加害者である川野議員の家族にでも頼まれたのですか」
 どうしてカフェバーの店員が事件を調べているのか理解できなかった。
「別に誰に頼まれた訳ではありません。アニメの主人公の言葉ではありませんが『常に真実は1つ』なのですよ。でも、今回の警察の判断は残念ながら真実だとは思えないのですよ。つまり、今のままではもしかしたら冤罪を生み出してしまう可能性があるので、自らの手で真実を突き止めたいと思っただけです」
 当たり前と言わんばかりにさらりと言いのけた。
「しかし、警察の捜査結果を疑う様な確実な証拠をお持ちなのですか」
 呆れ顔で尋ねた。
「素人探偵の勘とでも言いましょうか、何か全て計画的に行われた感じがするのです。これでも、警察が解決できなかった事件を何度か真実へと導いたことがあるのですよ。まぁ、趣味というか、自己満足なんでしょうかね」
「もし仮にあなたが言う様に警察が犯人に騙され、2人とも同じ人物によって殺害されたとすれば、相手は凶悪な殺人犯と言うことになる。警察でもないあなたが、そう1円にもならないことに興味本意で首を突っ込むことでは無いと思いますけどね」
 話す度に益々朝比奈が理解できなかった。
「仏教の言葉で善因善果・悪因悪果・自因自果があります。善い行いからは善い結果が起こり、悪い行いからは悪い結果が起こる。そして、自らの行いの結果は自分に帰ってくるというものです。誰かの為に善い行いを施せば、何れは回りまわって己にも戻ってくるとあてにしないで待っています。上杉鷹山の残した『何事も為せば成る為さねばならぬ何事も。成らぬは人の成さぬなりけり』と言う言葉があります。被害者の名誉を挽回しなくてはならない事件が有り、警察が対応してくれないのであれば、誰かがそれをしなくてはならないと思うのです。ただそれが僕だったということなのです」
 そうは言っても、目の前の人に理解してもらおうとは思ってはいなかった。
「そんな奇特な人間が居るなんて驚きですね。あなたの話を信じるとすれば、相手は計画的な殺人を犯す人間なんですよ。そんなことが犯人に知られたら、あなた自身も危険な目にあうと考えたりはしないのですか」
 能天気な性格なのか、リスクヘッジを全く考えていない行動に驚いていた。
「あっ、そう言えばそうですね、全く気が付きませんでした。僕の好きな言葉をもう1つ紹介すれば、会津藩主松平保が残した言葉に『義に死すとも不義には生きず』です。まぁ、もしそうなったとしても悔いはありませんよ。今日は色々ありがとうございました」
 そう告げるとその言葉にマスターは背を向け、朝比奈はテーブルに置かれていた灰皿から素早く吸殻を手に取りポケットに突っ込むと頭を下げて店の出入口へと向かい外へ出た。今の会話を振り返りながら扉を閉じて向きを変えて表通りに足を進めると、見覚えのある人物達が朝比奈に近付いてきた。
「この前は大層世話になったな。今日はきっちりとお返しをさせていたくよ」
 先頭に立った男が指を鳴らしながら言い放った。
「人数を増やしてのお返し痛み入ります。本気で受け止めさせていただきます」
 男は、朝比奈の言葉を待って『にやり』と笑って早速襲いかかったが、胸ぐらを掴もうとしたその瞬間、素早く男の腕を掴み前に押し投げ体が傾き地面に転がった。それを見て後ろにいた男が襲いかかったが、小手返しと呼ばれる薬指の第3関節をひねって同じように地面に崩れ落ちた。その後も次々と襲いかかったてきたが、同じように体制が崩されて倒れていった。力学的技術を使い、相手の重心を制御することで、大きな力を使わず相手を制する合気道の技である、片手持ち・両手持ち・正面打ち・横面打ち・突きの攻撃技のオンパレードだった。朝比奈は幼い頃より父親の影響もあって合気道を習い、今では実力的には師範代クラスである。全ての男達に当身技を繰り出して気を失わせた所で、様子を見ていた誰かが警察に連絡をしたのであろう、パトロールカーのサイレンが近付いてきた。所轄の警察官2名が駆け寄ってくると、1人の人間に対して倒れている人間の多さに驚き、空かさず若い方の警察官が応援を依頼して、愛知県警からのパトロールカーも次々と到着した。一応の説明を終えると、倒れていた男達は愛知県警に送られることが告げられ、朝比奈も当事者としてもう一度詳しく話を聞きたいと向かうことになった。
「おいおい、今度は障害事件か。色々と忙しいんだな」
 話を終えた朝比奈に大神が近寄ってきた。
「その言い方だと誤解が生じるからやめてくれよ。俺の方から仕掛けたんじゃない、大勢で襲ってきたのはあいつらの方で、あくまでも被害者なんだからな」
 大神の皮肉を込めた言葉に言い返した。
「それにしても、お前に牙を向くなんて身の程知らずな奴らだよな」
 逮捕された男達を気の毒そうに語った。
「それであいつらの身元は分かったのか」
 大神の言葉を無視して尋ねた。
「2課の情報によると、殆どの男は何処の暴力団組織にも属していない人間達だったんだが、集団のリーダーと思われるあの大柄の人物だけは、元住友組の構成員で1度詐欺と恐喝等で逮捕されていた記録が残っていたよ。取り締まり強化や法整備によって暴力団組織力が低下する中、街のアウトロー世界で新たな勢力として台頭してきたのが『半グレ』と呼ばれる集団だ。暴力団にも属さないが正業もしない、暴力や違法なシノギを生業、もしくは生業とかねてする者たちを『グレーゾーン』や『半分グレている』と言う言葉に掛けて表現したものだそうだ」
 資料を朝比奈の前に差し出した。
「半グレ集団か・・・・・」
「しかし、その半グレ集団がどうしてお前を襲うことになったんだ。それにどうしてあんな路地裏に行くことになったんだ」
 相手と場所に疑問を持った。
「ああっ、襲ってくる前に先日の借りを返すと言ってたから、あの場所で2人の女性があの男達に絡まれていたところを助けたことがあって、その仕返しに来たと言っていたんだがタイミングが良すぎるんだよな。何処の誰なのか知らないはずなのに、どうして俺があの場所に居ることが分かったってことだ。それに、向かってくる時に一瞬驚いた表情が見えて、慌てて取って付けた様に仕返しの為なんて言い出したからな」
 その時の表情の変化を思い出していた。
「つまり襲いかかったのがお前だとは知らなかったってことなのか。動機が他にあったって事なんだな」
 朝比奈の意外な言葉に驚いていた。
「そう、多分誰かに依頼されたのがたまたま俺だったって事に驚いていた。まぁ、この前の仕返しができると、あの時点では喜んでいたのかもしれないけどな」
「その依頼者に心当たりがあるのか」
「恐らく今回の事件の犯人がこれ以上俺に調べさせたくなくて、口封じの為にあいつらに依頼したのだろう。まぁ、あいつらのことを考えれば、痛い目に合わせて病院送にしてしばらく動けない様にするのが目的で、命までは奪うつもりはなかったかもな」
「おいおい、今回の事件て、まさか県会議員が亡くなった事件のことを、まだ諦めずに調べているのか」
 呆れ顔で尋ねた。
「解決した事件をまだ追い続けているのか、いい加減に諦めろと言いたいのだろうけれど、こうして俺が襲われたってことが警察が終わらせた事件が間違いだってことを示しているんじゃないのかな」
 今度は朝比奈が嫌味を込めて言い返した。
「まぁ、お前を襲った理由がその事件に関係していた場合だったらな。お前は他にも色々恨みを買っている人物が居るんじゃないのか」
 大神は警察の判断を否定する朝比奈の意見に、簡単には同意できなかった。
「まともな人間には恨まれることはないけれど、逆恨みをされる人物はそうだな・・・・」 朝比奈は右手の指を折り始めた。
「おい、そんなに居るんかい」
 途中で大神が止めた。
「お前も警察の組織の一員である以上、間違いを認めることは難しいとは思うけれど、やはり今回の事件は川野議員が大池議員を殺害して自殺したとは思えない。確かに、防犯カメラの映像とタクシーの運転手の証言に間違いはないだろうが、エアコンの設定温度やパソコンのキーボードの指紋のことを、すっかり無視して事件を終わらせるのは危険だぞ。色々な可能性を考えて、もう一度捜査をやり直すことをお薦めします。そのヒントを優子さんに託したから、検出されたDNAを今回の事件の関係者と照合すれば新しい事実が分かると思う。できればその結果を知らせてもらえると助かるので、優子さんによろしくお伝えください」
 そう言うと朝比奈は、大神の肩をを叩いてから出口へと向かった。
「えっ、一体何のことだ」
 大神は朝比奈の背中に声を掛けたが、朝比奈は振り向かず右手を上げて左右に振った。
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