紅の薔薇

碧 春海

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九章

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 翌日朝比奈は、父親から得た情報を元にもう少し田中実の事を調べる為に愛知県警を訪れていた。
「角畑課長お久しぶりです」
 搜査2課の扉を開け、奥のテーブルに腰を下ろした白のカッターシャツにブルーチョッキをまとった年輩の男性に近づいて声を掛けた。
「ああっ、朝比奈班なら事件捜査の為に3人共出掛けているぞ。何か、港区の小さな倉庫が火事になって、消火現場から男性と思われる焼死体が発見されて、現状から他殺の可能性が高いとの事で、1課の応援に向かっているんだ」
 不似合いの大きなコアラのコーヒーカップが右手に握られていた。
「焼死体ですか・・・・・・今日は大神ではなく角畑課長にお願いがあって伺いました。この人物なのですが、16年程前に詐欺事件で愛知県警に捕まり、6年の刑期を経て10年前に出所しているのですが、課長はこの『田中実』について覚えていませんよね」
 朝比奈は父親からもらった資料を見せながら尋ねた。
「16年前か・・・・・・ちょっと待ってろよ」
 角畑はパソコンのキーボードを叩いた。
朝比奈は角畑の後ろに回ってパソコンの画面を見た。
「田中実って平凡な名前だったから分からなかったが、この詐欺事件は良く覚えているよ。当時は中田署の地域環境課だったんだが、一斉摘発の時に応援として現場に踏み込んだ事を思い出したよ。この男が組織のボス的存在で、オレオレ詐欺がまだ今ほど認識されていなかったが、掛け子や受け子の役割がはっきりしていて、特に老人を相手に始まった頃だったが、被害総額は当時で1億を越していたから話題になった事件だ」
 画面の一部分をも右手の人差し指で示して答えた。
「出所後は何処で何をしているのか分かっているのですか。息子が居たそうなのですがそれについても分かっているなら教えてください」
 朝比奈は近くにあった椅子を手にして引き寄せると角畑の隣に腰を下ろした。
「ちょっと待てよ、その組織の中の掛け子に田中と言う苗字の若い男が居るな。ああっ、こいつだ、田中次郎と言う名前だな。田中という苗字は多いから気にはしなかったし、田中は勿論組織にいた人間からはそういう話はなかったと思うから、皆も知らなかったかもしれないな」
 画面を変えて指で示した。
「田中次郎、間違いなく田中実の息子ですね。彼は掛け子であり、首謀者でなく初犯ということもあり執行猶予が付いていますね。2人は何処で何をしているのか分からないですよね」
 一度立ち上って資料を見てから椅子に腰を戻して尋ねた。
「居所は分からないが、地下に潜って新手の詐欺や強盗などの事件を繰り返しているだろうな。流石にオレオレ詐欺は国民にも知れ渡り、警察やマスコミでの情報提示と銀行やコンビニのATМでは張り紙がされて告知されて、騙される人も急激に減少したのは確かだが、敵もさるもの今度は新しい詐欺の方法を作り出してきたんだな」
 残念そうに肩を落とした。
「オレオレに代わる新しい詐欺方法って、まさか保険証に絡んだものなのでしょうか」
 デジタル大臣や厚生労働保険証での不正が多いという言葉が頭に浮かんだ。
「確かに、顔写真が添付されていない保険証を使っての、なりすまし契約などの被害があるのは確かだが、保険証はもう何十年も使用しているので、銀行や不動産などの機関では怪しいと感じれば住民票や免許証の添付を義務付けていて、政府が言う程に被害が出ているとは思えない。根本的に保険の不正と言うけれど、日本国民は住民票がある限り健康保険は義務化されているから、どこの機関が補填するかに違いがあっても、利用者には3割等の負担が有り利益を得ることはないんだよな。今は、マイナンバーカードが普及していて、都合よく預金口座まで紐づけられている。確かにICチップまでは偽造できないが、本人の氏名・住所・生年月日が分かればマイナンバーカードを作ることは容易いってことだから、例えばホームページ等で掲示している人物や、そんなデータが手に入ればマイナンバーカード偽造できてしまい、本人になりすまして携帯ショップで機種変更を依頼し、そのスマホを使って高価な商品を買い漁ることも可能で、実際に事件も増えているんだ」
 机の中から資料を取り出して朝比奈に差し出した。
「安全と自信満々に告知していたマイナンバーカードによる詐欺事件ですか。マイナンバー導入に際して最も大きなメリットが、健康保険証による不正行為の防止だったはずなのに本末転倒ですね。ただ、顔写真とICチップが搭載されていると胸を張っていますが、マイナンバーカードが盗まれその暗証番号が分かれば、カードリーダーを自由に利用できる訳ですからね。カードの表面には生年月日が印字されていて、殆どの人が生年月日を暗証番号にしているのを考えれば、盗まれた時点で悪用されるのは明白なのに、民間のクレジットカードと違って国は責任を取ってはくれないとは如何なものでしょうね」
 担当大臣の顔を思い浮かべて肩を落とした。
「確かにな、国のすることだから間違いないと信じている人間には酷い仕打ちだよな。ああっ、それともう1つは闇バイトだな」
 違う資料を取り出した。
「えっ、闇バイトはマスコミ等で報道されて減ってきているんじゃないのですか」
 渡された資料を手に疑問を口にした。
「敵もさるもの引っ掻くもの、SNSにはホワイト案件・高収入などと表示し、初めは物を運ぶ等の簡単な仕事を依頼し、頃合を見て免許書などの個人情報を提示させ、強盗などの仕事をしないと家族に危害を加えると脅してくるんだ。まぁ、世の中には金に困っている人間が掃いて捨てる程いるから、少し危険を冒しても金が欲しい人ばかり、悪党には飛んで火に入る夏の虫みたいなものだ」
 角畑の頭の中には騙された何人もの人間の顔が浮かんだ。
「自分の思い込みや願望を強化する情報に注目し、そうでない情報は軽視したり排除したりする。認知心理学や社会心理学で取り上げられる確証バイアスを匠に利用してて、若者たちの心をうまくコントロールしているのでしょうね。次から次へと新しい詐欺方法を考えつくものですね。全く恐ろしい時代になったのものですね」
 書類を角畑に返して溜息を吐いた。
「多くの人間が被害にあったのだが、その元締め的な存在が『ダークキング』と呼ばれる人物なんだが、捕まえた人間に問い質しても誰も対面で会ったことはなく、年齢や性別は勿論日本人かさえも分かっていない。ただ、捕まえることはできなかったけれど、その組織の中にジローと呼ばれる人物がいることは分かっていて、それがもし田中次郎だったとすれば、『ダークキング』はひょっとすると父親の田中実である可能性が高いと思うけどな。しかし、今のところはなんの手掛かりがない状態なんだ。何度か所在を突き止める機会があったのだが、どういう訳かいつも蛻の殻で首謀者の『ダークキング』までは辿り着けなかったんだ」
 そう言うと悔しそうに唇を噛み締めた。
「塀の中で反省することなく、また新しい詐欺方法や闇バイト組織を作り上げたのでしょうね。その巻き上げた金が・・・・・・ああっ、そうだ、先程の焼死体の事件ですが、今どうなっているか分かりますか」
 朝比奈が話を変えて尋ねた。
「えっ、また事件に首を突っ込むつもりなのか。一応捜査1課が出動していったが、只の火災による焼死なんだろう。それに、状況なら大神が応援に行っているんだから直接聞けばいいだろう」
 不思議そうに顔を傾げた。
「ちょっと事情がありまして・・・・・・」
 朝比奈は気まずそうに頭を掻いた。
「ちょっと待てよ。2人の県内議員の死亡事件で、警察の捜査に批判記事を書いたのは大学館の雑誌だったよな。確か、朝比奈は大学館の雑誌にコラム記事を書いているって聞いたことがある。まさか、その記事の提供をしたのがお前だったって事なのか。警察を混乱に導き、捜査1課を再捜査させることになった犯人が・・・・・・・・」
 角畑の言葉に朝比奈は小さく頷いた。
「まぁ良いさ、大学館も何も根拠が無く、ある程度裏付けが有ったから掲載したのだろうからな」
 角畑は長い付き合いでもあり、朝比奈がそんな無責任な人間ではないことは知っているので、記事の提供者であっても責めることはしなかった。そして、ポケットからスマホを取り出すと1課の刑事の一人に連絡を取った。
「検視は済んだそうだが、念の為に東名医科大学附属病院に運んで解剖するそうだ」
 会話を終えて朝比奈に伝えた。
「課長ありがとうございます。今度『ゼア・イズ』に来てください、奢りますから」
 朝比奈は立ち上がると頭を下げて部屋を後にした。そして、愛知県警を出ると名古屋市の東部に位置する東区にある総合病院の東名医科大学附属病院の法医学室へと向かうことにした。東名医科大学付属病院に到着すると別棟にある解剖室へと進むと、捜査1課の刑事2名が解剖を終えた女性法医学者に解剖結果を聞き終えて慌てて出口へ向かって駆け出した。壁に隠れてその様子を見ていた朝比奈がゆっくり歩いて近づいてくる女性医学者の前に姿を見せた。
「あっ、優作さん、どうしたのですか。また事件を嗅ぎ付けてきたのですか」
 驚いて少し大きな声を出した女性医学者は大神優子。ある事件で大神刑事と出会い、それが切っ掛けで付き合い初めて結婚していた。東名医科大学付属病院には内科、外科医として経験を積み、夫である大神に少しでも役に立ちたいと法医学を学ぶ道を選んでいた。
「お久しぶりです、港区の焼死体の案件は優子さんが担当していたのですね。1課の刑事が慌てて駆け出したということは、事故ではなく事件性が高いということでしょうか」
 途中のファミレスで買い込んだ、優子の好物のスイーツが入った袋を差し出した。
「壁に耳あり障子に目あり、僕には事件を嗅ぎつける鼻があったりなんてね。いつもの様にある事件に巻き込まれまして、いま事件解決の為に色々情報を集めているところです」
 袋を手にした優子に微笑んだ。
「でも優作さんが巻き込まれたという事件は解決したんじゃないですか。聞いていますよ、それも優作さんが原因で県警が振り回されたんですよね」
 眉間に皺を寄せて話す大神の顔が頭に浮かんだ。
「嫌だな、そうやっていつも僕の悪口を話しているのですか。少しはあいつの役に立っていると自負しているんですけどね。早速ですが、やはり、港区の倉庫で発見された焼死体は殺害によるものですね。2人の刑事の様子からすると、事故ではなく事件性が高いみたいですね」
 歩きながら核心を付く質問をした。
「警察及び事件関係者以外には解剖結果は教えられません・・・・・・ただ、私は時々独り言を呟くのでそれを聞かれたら仕方ないですよね・・・・・・解剖の結果、遺体のほとんどが焼け爛れていて、性別が男性ということ位しか分からなかった。骨に至る外傷はなかったが、遺体の焼け工合が酷く、通常の焼死ではなく詳しく調べてみなければ判断はできないけれど、灯油かガソリンを衣類に掛けて火を着けたのだと思う。胃腸内から睡眠薬の成分が検出されたから、被害者を眠らせてからの反抗に間違いないわ」
 辺を気にしながら自分の部屋へ向かった。
「身元を証明するものは所持していなかったのでしょうか」
 正面を向いて歩きながら尋ねた。
「殆んど丸焦げ状態だったから、所持していたとしても再生は不可能だし、スマホらしい物は残されていなかったそうだから、念の為に全て持ち去ったのではないかと思われる。勿論焼死体の状態もだけど、そのことを考えても被害者は誰かに焼き殺されたってことね」
 あくまでも独り言を装っていた。
「お礼と言っては何ですが、焼死体のDNAを調べてみてください。身元が分かるかもしれません。それでは情報ありがとうございました。今日はこれで失礼します」
 朝比奈は軽く頭を下げると、早足で出口へと向かった。その頃知事室に林田幹事長が訪れていて、テーブルを挟んで吉原と話し込んでいた。
「先生、今回は本当にお世話になりました。御蔭様で議員数も確保でき、来年3月の万博誘致の立候補についてもスムーズに行えます。過半数を割った時にはどうなるかと目の前が真っ暗になりましたよ。特に川野と大池は万博誘致に大反対で、県議会においては民自党は勿論のこと、無所属や他の党を先導して法案を阻止しようとしていたのですからね」
 隣の椅子に用意してあった菓子折りを林田の目の前に置いた。
「こちらとしても、あの2人は我が林田派と敵対する生宗派に所属していて、力があり煙たい存在でした。もし解散総選挙になれば、それぞれの選挙区から立候補して当選していたら、裏金に対して比較的打撃が少なかった生宗派の勢力が益々幅を利かせることになっていたからね」
 差し出された菓子折りを丁寧にカバンに仕舞い込んだ。
「今民自党は裏金問題で逆風を受けているのですが、来年の総裁選に向けて党内ではとの様な流れになっているのでしょう」
 世間で噂される解散総選挙を含み影の首相に意見を聞いてみたかった。
「一応、記載漏れの金額によって処罰をすると首相は考えているようだが、それだけでは世間の批判が収まるとは思えない。これ以上の不祥事が出てくる前の傷の浅い内に解散総選挙に打って出て、多少の議員数減になっても記載漏れがあった議員は非公認にして、国民の審判を仰ぐことが最も良い案ではないかと思う。まぁ、非公認といっても、元々力のある議員であれば落選することはないだろうし、通常5百万円の公認料を10倍の五千万円払うことにして、金に物を言わせて選挙を勝ち抜いてもらうつもりだ。当選後は禊が終えたという名目で復党してもらえば良いからね」
 そう言いながらここだけの話という意味で唇に右の人差し指を当てた。
「しかし、今この逆風が吹きまくる時期に解散総選挙をしても本当に大丈夫なのですか。非公認の当員を当選後に復党させても、相当多くの議員減になると思うのですがどれくらいを見込んでいるのですか」
 今解散総選挙になれば、不祥事が多発している新鮮の会も候補者の選出などの時間も無く、議席数も現状維持どころか大幅減も考えられる。
「確かに減らすことは免れないが、民自党以外の党が政治を担えると思っている国民はそんなに多くはないだろう。30議席減らしたとしても過半数を失うことはない。もし仮に、有り得ないとは思うが過半数を割る事になっても、新鮮の会の協力があれば与党を明け渡すことはない。その時は日頃の恩を返していただけますよね」
 意味ありげな微笑みを見せた。
「その話なのですが、本当に大丈夫なのでしょうか。この前、大学館の雑誌で警察の捜査が批判され、警察は再捜査に動きましたよね。先生のお蔭で大事には至らなかったのですが、大学館も面子を掛けて第2弾とかを打ってきて、警察が動くことになったりはしないでしょうか。知人の話によると、私に取材をしてきた朝比奈優作と言う記者が、まだ事件に対して疑いを持って調べている様なのです。もし仮に、事件の実行犯に辿り着いたら不味いのではないでしょうか」
 心配そうに尋ねた。
「それなら大丈夫ですよ。実行犯まで辿り着くことは決してありません。朝比奈優作ですか。まぁ、念には念を入れて、手を打っておくことにしましょうかね」
 林田はゾッとするような笑みを見せた。
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