マスクドアセッサー

碧 春海

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十章

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 ぽっかぽかを後にした朝比奈達は、名古屋方面へと向かった。
「やっぱり事件には全く関係なかった。とんだ無駄足、ただのアッシー君だった訳だ」
 大神の嫌味から始まった。
「息子の良二は勿論だけど、吉田鋼鉄弁護士が口を割らないのは、白井健吾が絶大な権力を持っているからだと思う。だから、その権力が失くなった時にはその関係はどうなるだろうね」
 朝比奈は勝手にカーナビに入力を始めた。
「妻の経営する『オメガシールド』という尻尾ではなく、帝王グループに衝撃を与えることができればの話だけどな」
「兎に角、ナビに従って運転してくれ。今向かう場所は、少しは事件解決に役立つと思いますよ」
「そんなもったいぶって、今度ハズレだったら今日の晩飯はお前のおごりで腹いっぱい食わせてもらうからな」
 ナビの音声に反応して交差点を左折した。
「腹いっぱいか、お前を連れてきても役に立たなかったし、タクシーを使った方が安かったかな」
 外の景色を見ながら答えた。
「いい加減にしろよ」
 信号で止まると、流石に睨み付けた。
「勿論、加減をするつもりはないよ。結果次第では、おごってもらうことになるかもな。あっ、そこの角を右に入ったところだ」
 フロントガラス越しに指差した。
「俺はタクシー運転手じゃないんですけど」
 それでも指示にしたがり右折して大きなビルの地下駐車場に車を止めた。
「文句、苦情は、おやすみを言う前にいくらでも聞きますので、兎に角俺の後に大人しく付いてきてくれよ」
 素早く車を降りてドアを閉めた。
「その言葉、忘れるなよ」
 仕方なく朝比奈の後を追ってエレベーターへと向かった。
「すみません、朝比奈と申します。村瀬編集長にお会いする約束をしているのですが、取り次いでいたたけませんか」
 『週刊毎朝』と掲示されたフロントを通り、受付の女性に声を掛けた。
「少々お待ち下さい」
 女性は内線で確認を取った。
「ご案内しますので、こちらへお願いします」
 女性の後を付いて3階へと上がり、ガラス張りになった応接室では茶色のジャケット姿の村瀬編集長が待っていた。
「お忙しいところ、お時間をお取りいただきありがとうございます。朝比奈優作とお供の大神崇です」
 一応先程の名刺を差し出した。
「亡くなった石川のことで、聞きたいことがあるとのことでしたが、何をお話すれば良いのでしょう」
 席を勧められ、女性がお茶を置いて立ち去ったのを待って村瀬が声を発した。
「はい、石川さんの事件に関わることになりまして、調査をしているところなのです。村瀬さんは高校時代からの友人で、お2人とも毎朝新聞に入社されていらっしゃる。毎朝新聞では主にどのような仕事をされていたのでしょう」
「そうですね。2人とも入社当時は、社会や経済の部署に配属されたけど、その後はお互い色々な部署に回されたからお互い様々な記事を書いたよ」
「グルメ記事など、地域に即した記事を書かれたこともあったのでしょうか」
「ああっ、そう言えば、レストランや和菓子店に洋菓子店などの記事を熱心に書いてたこともあったな。おいしい店を紹介してもらったこともあったし、舌が肥えていたのは間違いないよ」
「分かっている範囲で構いませんが、石川さんが毎朝新聞を辞められた理由は何だったのでしょう」
「10年も経っているし、彼が退社する時は部署が違ったから詳しい話は分からないけど、何か不祥事を起こして会社からの意向ではなく、あくまでも本人の希望によるものだと聞いています。ただ、彼が辞める前に一度飲みに行ったのですが、一区切りついてけじめを付けるんだと話してたのは印象に残っています」
「10年前のけじめですか・・・・ところで、石川さんはどのようにして生計を立てていらしたのでしょう」
「週刊毎朝にも時々記事を持ち込んで来ましたが、どこに勤めているかは最後まで教えてはくれなかったな」
「石川さんに最後に会われたのはいつでしょう」
「いつだったかな・・・・そう言えば、日時ははっきり覚えていないけど、スクープ記事を持ってくるから楽しみにしていてくれって言ってたけど、梨の礫だったから心配してたんだよね」
「結婚もされていなかったようですが、いつもはどこを中心に活動されていたのですか」
「時々顔を出すくらいで、生活については全く知らなかったな。色々なところで取材なんかをしてたと聞いたことはあるけど」
「取材ですか・・・・村瀬編集長は帝王ホテルのレストランに行ったことはありますか」
「えっ、あの三ツ星ホテルのレストランですよね。一品だけでも何万円もすると言われていますよね。残念ながら、まだ一度も行ったことはありません」
「その三ツ星についてなのですが、確か半年ごとに審査され更新されると聞いたのですが、実際はどうなのでしょう」
「専門じゃないから詳しくは知らないけど、3月と9月の年2回行われているようだ」
「どんな人がその査定をするのでしょう」
「前もって、いつ何処を審査するなんて公表する訳はなく、誰がその審査員なのかも知らされてはいない」
「覆面調査員、マスクドアセッサーと呼ばれる人物ですね。村瀬編集長、今日はありがとうございました。とても参考になりました」
 朝比奈は席を立ち頭を下げると、 大神と2人週刊毎朝を後にした。
「姉さん、悪いんだけど、帝王ホテルのレストランで今から食事をしたいんだ、大神と行くからこの前と同じフルコースで2人分の予約を取ってくれないかな・・・・・そう言わずに、偉い人の紹介で何とかお願いしますよ・・・・・・今は、新型ウイルスですのですぐに取れると思います・・・・・・・ありがとうございます」
 朝比奈は車の助手席に腰を下ろすと、慌ててスマホを取り出し姉に連絡を取った。
「おいおい、まさか今から三ツ星レストランで食事。そんな勝手に決めるなよな」
 大神は早速財布の中身を確認した。
「大丈夫、クレジット払いもできるから」
「そういう問題じゃないだろ」
 呆れ顔で答え、レストランに向けて車を走らせた。
「ああっ、三ツ星レストランガイドの格付けは、元々は車の故障や燃料補給、そしてタイヤのパンクなど、ミシュラン創業当時はほとんど普及しておらず、ドライブにはトラブルがつきものだったんだ。そこでミシュラン兄弟はより遠くまで快適に楽しくドライブができるように、タイヤの正しい使い方や修理方法、各都市の駐車場やガソリンスタンド、車の整備場、ドライバーが長旅から体を休める為の宿泊施設やレストランなど、ドライブに欠かせない様々な情報をまとめた赤い表紙の小さな冊子を作ったのが始まりで、今では世界各国の飲食店やレストランを紹介するミシュランガイドに進化したんだ」
 朝比奈は、左の顳かみを叩いた。
「それは聞いたことがある」
「その星の格付けは知ってるか」
「星が多いほど美味いということだろ」
「そんな単純なものじゃない。1つ星はその分野で特に美味しい料理。2つ星は極めて美味であり遠回りしてでも訪れる価値がある料理。3つ星はそれを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理と表現されているんだ」
「まさか、石川さんがそれを評価する覆面調査員だったと言うんじゃないだろうな」
「先ほどの話を聞けば、可能性が全く無いとはお前だって思っちゃいないだろ」
「それは・・・・だけど、それが三ツ星レストランに向かうのと、どんな関係があるんだ」
「実際に確かめてみなければ分からないだろう。まぁ、分かればの話だけどね」
 そう言っている間に帝王ホテルの駐車場に着いた。2人は受付を済ませてレストランの席に着き、順序よくコース料理が運ばれ無言のまま食した後、コーヒーが運ばれて来た。
「大神、どうだった」
 女性が去ったタイミングで朝比奈が尋ねた。
「あっ、ああ、美味しかったけど。ただ、支払いのことを考えると、味わうという余裕はなかったかな」
 コーヒーを手に苦笑いで答えた。
「あーあ、残念。ちっちゃな人間だな」
 顔を左右に振った。
「お前も結婚して家族を持てば分かるよ。いつまでも、独身貴族って訳にはいかないんだからね。まぁ、その可能性は、優作にはほとんど無いと思うけど」
 ほろ苦いコーヒーを味わいゆっくりと皿に置いた。
「それなら、愛情がたっぷりこもった料理をいただける訳ですよね。俺はつくるばかり、本当に羨ましいですね」
 朝比奈は器を眺めコーヒーの香りを楽しんでいた。
「暇な部署なんて言われているけど、それなりに忙しいし、誰かさんのお蔭で色々な捜査もさせられています。内科医の優子は、今は新型ウイルスで家に帰る時間も限られ、最近の朝食は食パンか菓子パンに牛乳、夕食はコンビニ弁当か24時間営業の牛丼屋だったものですからね。暇だったら、家に来て料理作ってくれよな」
「断るよ。優子さんに誤解されてもこ・ま・るからね。だけど、本当に美味しいって思った。三ツ星レストランのフルコースだぞ」
「そう言われれば、肉は松阪牛のA5ランクと書かれているが繊維が口に残ったし、キャビアもつぶつぶ感が強く磯の香りや濃縮された魚卵の旨味も少なかったな」
 目を閉じて記憶を思い出していた。
「冷静になれば分かるじゃない。伊達にアメリカで3年間も洋食の修行をしてた訳じゃないな。そうなんだよ、先回来た時は勘違いかなって思ったけど、やっぱり間違いなかったんだよな」
 周りのお客を改めて確認し、満足げに話し合う姿に驚いていた。
「つまり、食品偽造があるってことか」
「俺たちが気づくくらいだから、食通の石川さんが気づかない訳がない。実際、名簿にも名前があったからな。恐らく、黒字は普段客、青は少し上級で、赤色はVIP客と色分けされていたんだと思う」
 その言葉を吐くと、同じように食事を終えた2人の男女の姿に目が止まった。
「君の方から連絡が来るなんて思ってもいなかったよ。俺に会う目的は金、それとも仕事かな。まぁ、どちらでも叶えることはできるとは思うけど、それなりにこちらも見返りをいただかないとね」
 白井良二は右手で顎を撫でた。
「小さな事務所ですから、最近はテレビやドラマなどの仕事はほとんどいただけなくて、できれば『オメガシールド』への移籍をお母様に口添えしていただけないかと、もし約束していただければどんなことでも・・・・・・・」
 下を向き肩を落とした。
「そうですか、よく分かりました」
 ほほ笑みを浮かべて女性を見た。
「あっ、あれは、マスコミでは」
 女性の声に反応し白井が窓の外へと目を写した瞬間、女性は手にしていた小瓶の液体を2つのワイングラスへ注いだ。
「えっ、どこ、勘違いじゃないのか」
 それらしい姿が見つけられず、元の姿勢に戻った。
「少し過敏になりすぎているかもしれません。すみませんでした」
 素直に頭を下げた。
「それでは改めて、2人の再開を祝して乾杯しましょうか」
 白井はワイングラスを手に取り、それに続くように女性がグラスを持ち上げ重ねた。それぞれ口元へ運んだ。
「今の事務所はいつ辞めれるの。できれば早い方がいいね。でもその前に・・・・・・」
 その時、白井の手が震えだしワインがグラスと共に床に落ちて割れた。
「なっ、何をした・・・・・・」
 白井は倒れ込みながらも女性に近づこうとしていた。
「自分が犯した罪を悔い改めることね。一緒に地獄へ落ちましょう」
 女性も痺れが唇に現れたのか、上手くしゃべれなかった。
「お姉ちゃん、今行くよ・・・・・・」
 床に倒れこんだ女性に朝比奈が駆け寄った。
「恵子さん、しっかりして下さい。こんな奴の為に死んじゃダメです。他にすることがあるでしょう」
 朝比奈は耳元で大きな声で叫び、恵子の口に指を突っ込んだその時、救急車のサイレンが近づいてきて、救急隊員がストレッチャーを運び込んだ。
「すみません、東名医科大学に運んでください」
 朝比奈は、応急処置をした救急隊員に床に落ちていた小瓶を渡すと、スマホを手にした。
「朝比奈です、今から患者を2名救急搬送してもらいます・・・・・・毒を飲み込んでいますので、処置をお願いします・・・・・・・詳しくは後で連絡します」
 そう話し終えると、今度は朝比奈のスマホが着信音を奏でた。
「朝比奈です・・・・ああっ、今日はお世話になりました・・・・・・えっ、娘さんが美鶴代さんと恵子さんを2人を引き取った人物の名前を知っていたのですか・・・・・・それは本当ですか、ありがとうございます、大変参考になりましたそれでは失礼します」
 朝比奈はスマホ切ると満足気に頷いた。
「おい、どうなっているんだ。何が何だかさっぱり分からない」
 隣で大神が髪をかきあげた。
「石川さんのパソコンの12桁のパスワードが分かったかもしれない。ここの勘定は警察の経費で落ちるよね。あっ、請求はされないよね、きっと」
 嬉しそうに首を傾げた。
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