Assassin

碧 春海

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四章

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 翌日、名古屋市栄の昭和製薬の本社では、新宮司正勝の社長復帰の挨拶が会社内にモニター等で流され、ある部署では拍手、又違う部署では緊張感を持って迎えられた。そして、その挨拶を終えて、社長室に戻った新宮司を秘書の宇野賢治が待っていた。
「お疲れ様でした」
 労いの言葉で迎えた宇野が、付き添って席に付かせると隣に腰を下ろした。
「社長、お客様がお見えです」
 しばらくすると、ノックをして女性秘書が現れた。
「ああっ、通してくれ」
 その言葉を受け頭を下げて外へ出ると、入れ替わって新庄顧問弁護士に付き添われた、黒柳雄一郎が部屋に入って来た。
「よろしくお願いします」
 黒柳は頭を下げると、新庄の勧めで新宮司の前に腰を下ろした。
「君は、東名医科大学付属の内科の医長をされているそうだけど、どのような研究をされていらしたのですか」
 黒柳を観察しながら尋ねた。
「ガン免疫療法で、簡単に言えば、患者様に備わっている免疫力を人為的に刺激し、可能な限り活性化させる治療法を研究しています」
 少し緊張しながら答えた。
「そうですか。色々とお話を聞きたいのですが、先に手続きを済ませましょうか」
 新庄に目配りをし、書類を黒柳の前に置いた。
「ありがとうございます。これで、母の想いが少し叶えることができました」
 認知に関する項目に目を通し確認して答えた。
「私は回りくどいことが嫌いだから、はっきりと聞いておきたい。君は、昭和製薬についてどう思っているのかね」
 両肘を椅子にしっかりと置いて威厳を持って尋ねた。
「先程言いましたが、私はガンに関する研究を今までしてきました。日本では今や2人に1人がガンにかかり、3人に1人がガンで亡くなっています。社長も、周囲でガンで亡くなる人が増えたなと、実感されていらっしゃるのではないでしょうか。しかし、一方では『ガン治療はすごく進歩していて、最近ではガンになっても亡くなる事が減った』と言う話も聞いたことはないでしょうか」
 専門でもありスラスラと話し始めた。
「私の場合はガンではなかったが、ガンの治療は格段に進歩していると聞いたことがある」
「ガンの種類によって多少の違いはありますが、どのガンでも5年生存率は増加しています。そうなんです、ガンの治療は確実に進歩しているのです。では、治療は進歩しているのに、なぜ死亡者数が増えているのでしょう。実は、これは日本の高齢化が大きく関わっているのです。元々ガンは、体の細胞に含まれる遺伝子というものに、徐々に傷がついていき、それが蓄積されて起きます。その為、長く生きれば生きる程、ガンが発生する確率が高まります。実際、ガンの発生率は小児では大変低く、40代以降に急激に上がっていきます。若い人と高齢者では、何千倍もの違いがあるのです。特に日本では、ガンの発生率が高い65歳以上の割合が1980年代から急激に増加しているので、ガンの死亡数が大きく増えているのは、これが関与しているからです」
「一応、製薬会社の長として、それくらいの知識は有しているが、年齢が重なれば体力的にも仕方ないことだな」
 自分もその立場になり残念そうに答えた。
「確かに、ガンの発生を防ぐことも重要なのですが、術後5年以内の再発率が非常に高いのです。外科手術ではガンの切除を目的にしますが、見立て上全てのガンを取り去ることができても、微小なガン細胞は現在の画像診断では検出できない場合が有り、ごく小さなガン細胞が体内に残ってしまうことがあります。手術で取り切れずに残ったそうした微小なガン細胞や、薬物療法や放射線治療で一旦縮小したガン細胞が再び増殖して塊となり『がん』として発現することがあります。この状態をガンの再発というのですが、治療した場所の近くで再発が認められることもありますし、ガン細胞がリンパ液や血液の流れに乗って別の臓器に行き着いて、そこで増殖する場合もあり、こうした転移も含めて再発と呼びます。手術や放射線治療などの局所療法は目に見えるガンをなくすという点では非常に有効ですが、目に見えないがん細胞まで治療するには限界があり、そうした微小なガンを叩く為にも、抗ガン剤治療や免疫療法などの全身療法がとても重要だと考えています。ガンは、微小なガン細胞からも増殖し、再発を繰り返す本当に厄介な病気です。そして、ガンの本当の恐ろしさは再発、いかに治療後の再発を抑えるかが、ガン治療では重要なのです」
 熱弁が続いた。
「それについては私も強く感じていて、抗がん剤の開発にも力を入れているつもりだ」
 感銘し、頷きながら答えた。
「ただ、新しいワクチンにしても同様ですが、そういう研究には中々認められず、国の援助も得られづらいのが現状です」
 反対に肩を落とした。
「そうだな。目先のことばかりで、将来のことを見据えない国の方針には、苦言を呈してはいるが難しい問題だな。君は、何か新しい研究をしているのかね」
 次第に興味が湧いてきた。
「私が注目しているのは、自家ガンワクチンです」
 身を乗り出して答えた。
「自家ガンワクチン?聞き慣れないな」
 鼻元に皺を寄せた。
「ガンの標準治療、手術、抗ガン剤、放射線治療を行った患者さんに対し、ガンの再発を予防する目的で行うものです。患者さん自身のガン組織を使用しますので、完全オーダーメイドの治療法となります」
「オーダーメイドのワクチンを作るということなのか」
「そのワクチンを安く製造して提供できないかと考えています」
「そっ、それはすごいな。そんな探究心を持ち合わせる君に、できれば昭和製薬に来てもらえないかな、それ相応の役職で是非迎えたいと思う。一度前向きに考えて欲しい」
 新宮司は一目で惚れ込んでしまった。
「ありがとうございます。医者としての遣り甲斐もありますが、もっと大勢の人を助けることができるワクチンなどの新薬の開発にも、以前から興味がありました。社長の熱意も良く伝わりましたので、良い方向で考えたいと思います」
「そうか、よろしく頼むよ」
 新宮司が嬉しそうに頷いた時、ドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
 話を一通り終えたので、新宮司が答えた。
「お話のところ申し訳ありません。社長、厚生労働大臣の後藤田国広様からお花が届きました。メッセージもついていましたのでお持ちしました。
「そうか、棚に飾っといてくれたまえ」
 右手で示した。
「畏まりました」
 籠に盛られた大きな花束のビニールを外して、一緒に添えられたメッセージを取り出そうとした。
「あっ、痛い」
 葉に触れた時に一瞬痛みを感じたが、棚に花束を置くとメッセージを取り出して社長に差し出した。
「ありがとう」
 手渡した女性は頭を下げて部屋を出た。
「それではよろしくお願いします」
 新宮司がそう言葉を発した時、朝比奈は『ゼア・イズ』のコーヒーと紅茶をブレンドしてゼリーで固め、その上に生クリームに砕いたカシューナッツとアーモンドを振り掛けたデザート『インヨン』が幾つも入った箱が収まった紙袋を手に、東名医科大学附属病院を訪れていた。
「あの、すみませんが、内科の澤田優子先生にお会いしたいのですが、連絡していただけないでしょうか。朝比奈がきたと伝えて頂ければ分かると思います」
 そう受付の女性に告げると、暫くして優子がロビーへと降りてきた。
「優作さん、今日はどうされたんですか」
 朝比奈の姿を見付けて近づいてきた。
「ああっ、これ、この前のお詫びと口止め料です。沢山買ってきましたから、皆さんにも渡しておいてください」
 大きな紙袋を差し出した。
「えっ、口止め料。どういうことですか」
 手渡された手にズッシリとくる重さのお土産をもらう理由が見当たらなかった。
「少し、お時間をいただけませんか」
 『サニー・優』の口調で尋ねた。
「えっ、まさか、あの占い師が朝比奈さん」
 驚きの余り固まった。
「まぁ、美紀に色々と聞いているとは思いますが、僕にも諸事情がありまして。でも、まだ美紀にはバレていないようですので、それは口止め料です」
 紙袋を示した。
「でも、朝比奈さんのことですから、その話をしにわざわざこられた訳じゃないでしょ」
 紙袋を持ちながらロビーにあるテーブル席へと案内した。
「崇から聞いたんだけど、優子さんは一昨日亡くなった野神さんと面識があったそうですね。興信所の調査員、つまり探偵さんと聞いて心当たりは本当に無いんですか」
「私も気になって、あれから考えてみたのですが、思い当たらないんですよ」
 首を傾げた。
「そうですか。もし思い出したら、連絡もらってもいいですか」
 ゆっくりと腰を上げた。
「あの、それを知ってどうされるのですか」
 朝比奈の顔を見上げて尋ねた。
「勿論、事件の真相を突き止めようと思っています。野神さんがどうして亡くなったのか、優子さんは気になりませんか」
 座り直して尋ね返した。
「えっ、朝比奈さんは、野神さんとそんなに親しかったのですか」
「いえ、面識がある程度ですよ」
「それじゃどうして、刑事でもないあなたがそこまで事件に拘るのですか」
 以前から感じていたことであった。
「それは単純なことですよ。因果応報、罪を犯した人にはそれ相当の罰を受けて欲しいと思っているからです。実際、優子さんはお兄さんを、目の前で殺害されたのですよね」
「そっ、そうですけど、実際には血は繋がってなかったんですけどね。でも、その瞬間は、頭の中が真っ白になってしまって、崇さんを犯人だと叫んでしまいました」
「その時は毒殺だったと聞いていますが、もし刃物などで刺されて死亡していたらどうでしょう」
「えっ、どういうことですか」
 朝比奈の質問の意図が分からなかった。
「僕は家族や大切な人を、犯罪で亡くしたことはありませんから、犯人に対する怒りの感情は理解できません。しかし、死に対しては死を持って償うしかないと思います」
「どんな方法であれ、私も兄が亡くなったと知らされた時は、確かに犯人を殺したいと思いました」
 その時の状況を思い出していた。
「死刑廃止制度に関して『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』と『場合によっては死刑もやむを得ない』の2つの意見がある中で、廃止と答えた者は5.7%、死刑はやむを得ないは85.6%だった。まぁ、実際は、無期懲役の判決が出てる者は1,800人程で、死刑囚は約100人です。刑事訴訟法では死刑の執行は判決の確定後、原則として6ヶ月以内に執行するように定められているけど、現実は確定してから執行まで平均5年かかっています。法務大臣が認めなければ執行はされませんが、誰でも自分が承認印を押して死刑を執行させたくないですからね。でも、それも法務大臣の仕事の1つですので、法律に基づいて速やかに執行すべきだと思います」
「でも、冤罪だったり、世界でも死刑廃止の国が多いですよね」
 優子は異論を唱えた。
「法律上の死刑廃止国が144国に対して死刑としての刑が存在するのは55ヶ国で、約7割の国が実質上廃止しています。でもね、日本は確かに死刑制度は導入していますが、欧米諸国に比べて、現場で警察官が犯人を射殺することは殆んどありません。交番の警察官も拳銃を携帯していますが、退職するまで発砲どころか拳銃をベルトにつけたケースから抜くことが1度もないのが現状です。それに、どんな凶悪な犯罪を犯しても、3回の裁判を受けることができるのですよ」
「確かにそうですね」
 優子は朝比奈の言葉に納得して頷いた。
「僕は反対に刑法に対しては、反対にもっと厳しくする必要があると考えています。つまり、刑法の上限を決めない方がいいと思うのです。先程尋ねたお兄さんの事件に置き換えると、刃物で刺されて亡くなっていたとしたら、殺害したにもかかわらず、殺意がないことが認められれば傷害致死となり、懲役刑の上限は20年です。そして、検察がその上限の懲役20年を求刑しても、今までの判例とか、いわゆる8割ルールなどが存在して、求刑通りの20年で決心することはほとんどない。そんな上限を設けているから、人を殺害しても15年程で出所してきてしまう。優子さんどうですか」
「そっ、そこまでの話に発展するのですか」
 意外な展開について行けなかった。
「あっ、すみません。熱中すると、ついのめり込んでしまって。あっ、お兄さんといえば、新宮司家の跡取りのことはどうなりました。川瀬刑事と優子さんのどちらが継ぐんですか。話によると、崇まで後継の話が来てたみたいだけど」
 話を変えて尋ねた。
「まだ全然進んでいません。新宮司さんのことを昔から良く知っている崇さんの話では、長男夫婦が亡くなってからは、何か人が変わってしまったようだと言ってました。入院の時に担当していた私も、時々怖いと思うことがありました。やはり、誰でも後継に関しては人が変わってしまうのでしょうか」
 恐ろしい表情をする新宮司の顔が浮かんできた。
「まぁ、一代であれだけ巨大な企業に育てたのですから、その跡取り問題で悩む気持ちも分からなくはないですね」
 そう言うと、救急車のサイレンが聞こえ、次第に大きくなってきた。
「朝比奈さん、お土産ありがとうございました」
 優子は立ち上って紙袋を抱えて職場へと向かっていった。朝比奈は気になって救急搬送口へと向かうと、制服を着た女性が搬送されてきた。
「体全身の痛みを訴えています」
 救急隊員が病院の担当者に告げた。
「分かりました。受け入れさせていただきます」
 救急隊員から引き継いで病院内へと運び込んだ。
「あの女性の知り合いなんですが、どこで倒れられたんですか」
 朝比奈は救急隊員に近づいて尋ねた。
「ああっ、昭和製薬の本社です」
 何の警戒もなく答えた。
「会社でしたか。事故なんですかね」
「いえ、外傷はなく、全身の激しい痛みを訴えられていましたので、何かの病気なんでしょうね」
 隊員は頭を下げて戻る準備を始めた。
「優子さん、先程運ばれてきた女性、ちょっと知っている人だったのですが、状態はどうですか」
 朝比奈は優子の姿を探して尋ねた。
「そうだったのですか。全身の痛みを訴えていまして、鎮痛剤を投与したのですが、まだ痛みが取れないようです」
 どういう関係が気になっていた。
「症状が現れる前に何か口にしていませんか」
「本人の意識は有り尋ねてみましたが、何も口にしていないようです」
「そうですか・・・・・・」
 そう言うと、ポケットのスマホが鳴った。
『ああっ、崇か』
『この前の監視カメラの結果なんだけど』
『どうせ、犯人に繋がる手掛かりはなかったんだろ。車も盗難車だったりしてね』
『その通りだ』
『でもよく連絡してきたな』
『一応、筋は通さなくちゃな』
『こちらは、ちょっと面白いことを発見しましたよ。ちょっと今忙しいから、後で掛け直すよ』
『えっ、なんだ。っていうか、今どこにいるんだよ』
『今は、優子さんとデート中だよ、またな』
 大神の返事を待たずにスマホを切った。
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