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第一部
15 龍の事情1
しおりを挟む(一八視点)
念願叶いようやく恋人として側にいることを許された愛しい女性、虎屋牡丹との生活は、控えめに言っても最高に幸せだった。
牡丹との一分一秒は、彼女を想い続けた21歳から38歳までの俺の17年間の隙間を、少しづつ埋めていってくれるようだ。
もう何があっても、絶対に俺からは手放すことなどできない、かけがえのない時間である。
────
大学三年のある日、俺は授業の課題で小説を書いていた。
もちろん、課題でもなければ小説を書くことなどすることもなかったし、興味もなかったことだ。
とはいえ、課題である以上は成果品を提出しなければならないため、ただなんとなくその時の自分の書き進めやすいテーマを選び、なんとなく書き進めていたが、起承転結の転から結までのストーリーに行き詰り、数日を無駄にしてしまったのである。
課題の締め切りまでは時間があったとはいえ、このままでは先に進まない、と焦った俺はその日、初めて外で小説を書いてみることにしたのだ。
出来れば人のいない静かな場所がいいと思い、キャンパス内をうろうろしていると、丁度人の出入りの少ないはずれに、大きな桜の木があり、その下に良さそうなベンチを見つけ、そこで作業を始めた。
桜の花びらが風に乗ってひらひらと舞う、暖かな日だった。
外という解放感からか、なんとなく初めは気分が乗り、キーボードを叩く手も弾んでいたが、すぐに俺の指はbackspaceキーばかりを連打するようになった。
これではこれまでと同じだ、そう思いながらもなんとか進めようとしたが、何を入力しても納得がいなかった。
そんな時、隣のベンチに女性が一人座った。
無害そうな女性だったので、気にせず作業を続けたが、全くはかどらない。
俺がイライラしながらキーボードを叩いている音が気になったのか、隣に座った女性が話しかけてきたのだが、実にどうでもいい質問だったので、ひと言だけ返答し、会話は続かなかった。
小説も書けない、女性との会話も面倒……思わず無意識に大きなため息がでてしまう。
女性は自分のせいで俺がため息をついたを勘違いし、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしたので、いや違うんだ、君のせいではない、と、喉元まで出かかったが、課題が進まない苛立ちからか、なんだかすべてが面倒になっていたからか、結局、俺がフォローの言葉を口に出す事はなかった。
しかし、何を血迷ったのか、しばらくの気まずい沈黙の後、俺は隣の女性に尋ねた。
“……大切な人が敵になったら、どうしますか”
尋ねた直後、少し戸惑うような女性の表情を見て、俺は一体見知らぬ相手に何を聞いているんだ、っと、自己嫌悪に陥った。
正気じゃなかった、忘れてくれ、と言おうとしたが、女性は少し考えて、きちんとした答えを返してくれたのだ。
その回答を聞いた俺は、行き詰っていた小説の道筋が見えてきたような気がした。
そのひらめきを忘れないうちにと思い、女性にお礼のひと言も言わずに、ただひたすら目の前のキーボードを叩きはじめ、その一瞬、女性の存在を忘れていたのである。
しかし、途中でハッと女性の存在を思い出した俺が隣のベンチを見ると、女性は春の陽気にあてられたのかウトウトし、船を漕いでいた。
グラングランと身体を揺らしながら眠りこける女性は、見ているとなんだか頭をぶつけそうで怖くなるほどで、俺はなんとなく先ほどのお礼にと思い、隣のベンチに移り肩を貸した。
女性は俺の肩に落ち着いたのか、揺れ動くことなく眠り続けたので、俺もそのまま小説の続きを書き進めることにした。
何とも言えない、穏やかな時間だった。
思いのほか集中できたため、ようやく小説の起承転結の結まで進み、一区切りついたところで、俺は手を止め身体を伸ばすと、直後、寝ていたと思っていた女性に小説の内容について注文をつけられた。
初めは驚いたが、すぐに、人のパソコンを勝手に覗き見やがって、とその羞恥心から、少し頭にきた。
しかし、聞けば女性の指摘はなかなかに面白い内容で、俺の気はすぐに変わる。
なによりも、俺が“なんとなく”で書いていた小説の、わずかなひと場面に対して、こんなにも夢中になり、熱く考察してくれたことが俺は嬉しかったのだ。
受けた指摘に対して、ならどうしたらいいか、と尋ねれば、彼女は自分なりの考えを偉そうに語った。
まるで、自分が小説の主人公であるかのようにその情景を思い浮かべ語ってくれていたのだ。
俺は嬉しさと気恥ずかしさのあまり、笑いがこらえられず、耐えかねてその場からすぐに逃げてしまったが、後で後悔した。
もっと彼女を話してみたかった──と。
どうせなら、課題を提出する前に最初から読んでもらい、色々と指摘してもらいたいくらいだと思った。
とにかく俺は、それ以来、彼女としたあの会話が……いや、彼女の事が忘れられなかったのである。
その後、課題を提出した後しばらくして講師に呼び出された俺は、少しの手直しの後、自分が審査員の一人である純文学の分野での公募に推薦するから応募してみないか、と言われ、どうでもいいです、と答えたはずが、いつの間にか応募したことになっていた。
それからは何が何だかよくわからないが、賞を取り、あれよあれよと作家としてのデビューまで担ぎ上げられたのだ。
しかし、俺は徹底して名前と姿を隠したかった。
勝手に応募した講師に詰め寄り、融通を聞かせてもらい、新人にもかかわらず授賞式には代理人をたて出席しなかったし、インタビューなども受けなかった。
受賞直後は“期待の新人”などともてはやされたが、すぐにメディアからの興味は薄れ、本当に本が好きな人達だけに注目されるのみとなった。
その後も俺は徹底して氏名、年齢、性別などの一切を公表せず、出版社も一社に限定したのだ。
俺の処女作は、発売から一年でダブルミリオンとなり、バカ売れした。
印税もなかなかに夢のある額が振り込まれ、大学卒業後はそのまま小説家の道に進むこととなったのである。
しかし俺には大学卒業後、物書き以外にもやらなければならい仕事があった。
それは、実家が行っていた事業だ。
実は、俺には双子の弟がいる。
名前は俺が一八で、弟は八一だ。
実に適当なネーミングセンスだが、一卵性双生児であるため顔も同じ、背格好も同じ、名前もそっくり、とくれば、俺達を見た目に判別できる他人はほとんどいなかった。
これが、俺が徹底して名前と容姿を隠したかった理由だ。
高校卒業後、弟は俺のように大学には進まず、すぐに家業を学ぶべく父親の下についたため、俺はそのまま弟が家業を継ぐものだとばかり思っていたのである。
しかし、弟は生まれながらに左目に欠陥があった。
今は若干だがまだ見えているが、徐々に見えなくなり、いずれ視力を失うだろうと診断された病気だ。
そんな話が噂になると、次期代表候補として俺を立てようとする者たちが現れたのである。
俺は大学に進学したことや弟の存在もあり、家業を継ぐつもりは全くなかったので、そんな話が出ていると知った時はとんでもなく面倒に思っただけで、どうせ実際は弟に決まるだろうと適当に考えていたのだが……。
そう考えていたのは俺だけだった。
弟は俺を恨んでいた。
俺の存在が自分の欠陥を目立たせ、代表の座すら奪われてしまう、と考えたようなのだ。
何度も話し合いを行ったが、誰も俺の話など聞いてはくれず、本当に弟と次期代表の座を巡り争わなければならない状況になってしまった。
家業に全く興味の無い自分と、家業に向き合い継ぐ事を目標にしていた弟とでは、どちらが事業と部下達にとっていいかは明白である。
単位を取り終えた後の大学卒業の直前、俺は行動を起こした。
その結果、俺の次期代表の話は消え去り、今では正式に弟が次期代表の座に就くことが決まっている。
ようやく俺は小説家として実家に縛られることなく悠々自適に暮らせるっと、思っていたのだが、そうもいかなかった。
兄妹のわだかまりが解決した後、弟は俺に頭を下げてきた。
すでにほとんど視力を失っている弟の左目の事を、知られてなならない相手がいる場などでは、俺に弟のふりをして表に出てして欲しいと言うのだ。
これが、牡丹にはまだ話していない俺の“副業”だ。
────
日曜日の朝、牡丹と共に眠っているところに、珍しく朝から弟の腹心の蓮司から連絡が入った。
ついに、弟の左目の視力が完全に失われたようだと言うのだ。
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寝ぼけた牡丹はすこぶる可愛い。
後ろ髪をひかれながら、俺は弟の病院へと向かったのだった。
(2に続く)
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