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第一部

12 牡丹の涙

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「牡丹! 待て、どこへ行くつもりだ? こっちに来て座れ」
 
 母の部屋を出て、こっそり帰ろうと忍び足で玄関へ向かったが、行く手を阻むように待ち構えていた兄に停められ、背後から弟に拘束されてしまった。
 
 
 二人の様子から察するに、父から大体の状況を聞いたのだろう。
 
 母との会話の最中に割り込んで来なかったのは幸いだったかもしれない。
 
 
 
 
 ソファーに座り腕を組む兄と弟と祖父を前に、なぜか私は床に正座させられている。
 
 
「それで? 仕事にかこつけてお前を誑かして同居させたのは、どこの馬の骨だって? 男だったら、ただじゃおかないからな」
 
 兄がものすごい剣幕で怒っている。
 
 一方で弟は、死んだ魚のような眼をして、僕の牡丹ちゃんを……、とブツブツを呟いている。
 
 祖父は、ただ心配そうに私を見つめている。
 
「守秘義務がありますので、黙秘します!」
 
「黙秘は認めない! 俺達が黙っていれば、守秘義務は守られるだろ? 問題ない!」
 
 それは守られるとは言わないし、そもそもこの三人にそこまでの信用はない。
 
 
「……話したら、大人しくしててくれる? 乗り込んだりしない?」
 
「話の内容と相手の素性次第だ」
 
「なら黙秘します」
 
「黙秘は認めないと言っただろ! 家族に隠し事をするなんて、許さないぞ! お兄ちゃんは牡丹をそんな子に育てた覚えはない!」
 
「当然です! 私はゆっちゃんに育てられた覚えはありません!」
 
「「……」」
 
 両者一歩も譲らない状態となり、口を開いたのは弟だった。
 
「牡丹ちゃん、正直に話した方がいいと思うよ? 僕がその気になれば、牡丹ちゃんの居場所も行動もリアルタイムで調べられるんだからね? 引っ越し先に突然僕と兄さんに押しかけられたくはないでしょ?」
 
「……っ」
 
 兄は、弟の私に対する脅迫の言葉に対して、満足気に鼻をならした。
 
「ほんっと、最低! わかったわよ! お母様に全部話してあるから、後で聞いて! 私は帰る! ……いーい? 余計な事したら、二度とこの家には来ないから! ゆっちゃんもももちゃんも大っ嫌い!」
 
 私は逆切れして立ち上がり、そのままドカドカと速足に玄関を通過し、一気に門まで走り抜けた。
 
 
「……ワシは? ワシの事は嫌いじゃないよね牡丹や……」
 
 そんな祖父の呟きは、私には届いていない。
 
 
 
 
 
 
 ○○●●
 
 
 
 
 ──牡丹が去った虎谷家では……その夜、家族会議が開かれていた。
 
 
 牡丹の“大嫌い”がかなり響いている柚一郎と桃一郎だったが、それでもはやり牡丹の事が心配で、母百合子から詳しい話を聞いたのだった。
 
 その場にはもちろん、牡丹の祖父源一郎と父純一郎も同席している。
 
 
「つまり牡丹は……その“龍虎”とかゆう小説家の秘書兼恋人で、同じマンションで暮らしてるっていうのか?」
 
 純一郎は低い声で、確認するように妻の百合子に聞き返した。
 
「ええ、そうよ。あの子、恋する女の顔をしていたわ……とてもいい表情をしてた。ねぇみんな、私からもお願いするわ、あの子の恋路を邪魔しないであげて。牡丹はもう36歳よ? そろそろ自由にさせてあげない?」
 
「……」
「……」
「……」
 
 百合子の言葉に、源一郎を除く三人は無言を貫いた。
 
 しかし、源一郎はこの日、珍しく百合子と牡丹の肩を持ったのである。
 
「今回ばかりはワシも百合子ちゃんに賛成じゃ……牡丹はもう立派な社会人じゃし、親兄弟が口を出すべきではない。それに……ワシは牡丹の花嫁姿が見たい! ひ孫も抱きたい!」
 
「お義父さん……」
「じいさん……」
「おじいちゃん……」
 
 なんとなく、いい雰囲気になるも、ここで純一郎が黙ってはいなかった。
 
「俺だって牡丹の花嫁姿を見たいし、孫も抱きたい! でもな! 虎谷牡丹を任せる男は、俺が納得できるような男じゃないと認めない!」
 
「……確かにそうだな親父っ! 小説家なんぞ、金はあるかもしれないが、ひ弱に決まってる」
 
 純一郎に賛同したのは、柚一郎だ。
 
「でもさ、旦那がひ弱でも牡丹ちゃんが強いんだから大丈夫じゃない?」
 
 牡丹は幼い頃から兄弟達と一緒に、護身術として道場で柔道・空手・合気道と、すべて黒帯以上の腕前なのである。
 
「馬鹿言え、牡丹が子供を守って怪我したらどうする! 誰が牡丹を守るんだ!」
 
「……え、もう子供の話まで妄想が膨らんでるの?」
 
 
 桃一郎はどっちにつくか決めかねていた。
 なぜなら、牡丹に嫌われることを何より誰より恐れているのは、桃一郎だからだ。
 それほどに、桃一郎にとって牡丹は愛する姉であった。
 
 
「親父、俺達で牡丹にふさわしい相手を見繕って、見合いさせようぜ! 牡丹だって、実家の事を隠して疎遠にならなきゃならん相手に嫁ぐよりも、同じ世界の相手と一緒になる方が後々幸せに決まってる! なぁ、そうだろ母さん!」
 
 それを言われると、違うともいえない百合子は、困ってしまった。
 
 
「だって牡丹、俺達に“大っ嫌い”って吐き捨てて帰ったんだぜ? 絶対にその男の影響だ……極道なんて嫌いになったんだ……“ゆっちゃん大好きっ”って俺について回っていた牡丹が……俺に向かって大っ嫌いだなんて言うわけない……っ」
 
 牡丹の“大嫌い”は、思いのほか、柚一郎に大きなダメージを負わせていたが、そのダメージからの怒りの矛先が良からぬ方へを向こうとしていたのである。
 
 
「僕はもうこれ以上牡丹ちゃんに嫌われたくないから、無理強いするつもりなら反対かな」
 
「ワシも反対じゃ」
 
「私も反対よ」
 
 
 
 
 結果的に、虎谷家の家族会議は真っ二つに割れた。
 
 父純一郎と長男柚一郎は二人結託し、その日から婿探しを始めたのだった。
 
 
 
 
 
 
 そんなことになっているとも知らずに、実家からマンションへと戻った牡丹は、昼食作りでキッチンに立つ一八の腰に腕を回し、後ろから無言で抱き着いた。
 
 
「おかえり、無事に帰ってこれてよかったね。実家はどうだった?」
 
「……」
 
「……転職も引っ越しも認めてもらえなかった?」
 
「……」
 
 帰って来るなり無言の牡丹に、一八は調理の手を止め、手を洗って、振り返り牡丹を抱きしめた。
 
「やっぱり、俺がきちんとご挨拶に……」
 
「っ……」
 
 身体をすっぽりと包み込む一八の優しい温もりに、牡丹の目から涙がこぼれる。
 
 
 実家を飛び出した時は、なぜ頭ごなしに反対するのだろうか、と苛立ちを感じていた牡丹だったが、冷静になってみれば、自分の家族の事を大切な人に打ち明ける勇気のない自分が一番問題だということに気付いた。
 
 
 ラウルと交際していた頃も、牡丹は同じことで悩み、結婚を匂わせてきたラウルと向き合うことなく逃げたのだ。
 その結果、順調だった関係も結局はうまくいかず、終わりを迎えた。
 
 しかし牡丹は今、ラウルの時のような終わり方は絶対に嫌だと思うほどに、一八を愛していたのである。
 
 
「一八さん、私、いつか必ず打ち明けますから……もう少しだけ、時間をください……」
 
 
 今の牡丹には、そう伝えるのが精一杯だった。
 
 恋人が極道の一人娘だと聞かされて、喜ぶ者はいないだろう。間違いなく、待っているのは別れだけだ。
 
 百万が一、一八が牡丹を受け入れてくれたとしても……一八の家族には絶対に明かすことは出来ない。明かせば反対され、拒絶されるに決まっている。
 
 牡丹とて、自分の家族が憎いわけでも愛していないわけでもない。あんな風に激しめの父と兄弟、祖父だが、とても大切な家族であり、心から愛している。結婚のために、縁を切るなんてことはしたくないのだ。
 
 
 牡丹はこの日から、何かいい方法はないか、と、真剣に考えることにしたのだった。
 
 
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