【R18・完結】その美しき牡丹は龍の背で狂い咲く

hill&peanutbutter

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第一部

4 牡丹は龍の懐に

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「代表! お忙しい所すみません、こちらお願いします!」
 
「虎谷か、すまない。すぐ出なきゃならないんだ、後で見ておくからデスクに置いておいてくれ」
 
「……かしこまりました」
 
 やっぱりか、という気持ちのまま、私は代表のデスクの上に退職願と退職届の両方を提出した。
 退職の方は、これまでに散々退職の意思を示してきたため、不要かとも思ったが、一応円満に退職したいので、“三ヶ月前に代表に相談したが職務環境が改善されなかった”事などを記載しておいた。
 退職の方は、就業規則に則り、一ヶ月後に退職する意思決定を示した。
 
 何も言わずに受理してくれることを祈る。
 
 
 
 
 私はその日のうちに、事務引き継ぎ書を仕上げ、午後は有休をとった。有休も、40日フルで残っているので、退職時に買い取ってもらえなければ、可能な限り残りのひと月で消化するつもりだ。
 
 幸い、誰かに引き継がなければならない仕事は数日前に区切りがついた所だったので、あの問題児二人の指導を誰かに任せる事以外は、退職にあたり、そんなに迷惑はかけずに済みそうだ。
 
 
 この日、私はいつもの喫茶店には寄らずにまっすぐに帰宅し、久しぶりに履歴書作りに勤しんだのだった。
 
 
 
 
 
 
 そして翌日、出社するなりデスクにおいた届出の件で代表に呼び出された私は、いつものように丸め込まれないように先制攻撃を仕掛けるように、退職の意志は固い事、そして絶対に撤回はしない事をハッキリと告げた。
 
 受理を先延ばしにされてしまうかもと、少し不安ではあったが、私が退職願に書いた有無を言わさない完璧な退職理由に、代表も、これでは受理せざるを得ない、と頭を抱え、結果的には、受理してくれたのである。
 
 その場で代表と相談し退職日が決定したので、その日の朝礼で全員に私の退職を通達してもらった後、すぐに上司に事務引き継ぎ書を提出した。
 
 上司には、え、もう終わったの? と言われたが、私はあのZ世代の二人が入社し、私の指示を無視し始めた頃から、いつでも辞めれるようにと、前々から引継ぎ書を準備をし、日々修正を繰り返していたのである。
 
 
 引継ぎ書に書くまでもない事については、後任が決まったら口頭で伝えればいいし、残る仕事は書類とデータ整理くらいだ。
 
 
 さて、また半休とるかな、と思っていると……。
 
「虎谷さん、辞めてどうするんですかぁ? まさか、その歳で今更結婚じゃないですよねぇ?」
 
 ──まさか? その歳で? 今更? ……失礼が渋滞してますけど……。
 
「お構いなく、私の事はいいので仕事に戻ってください」
 
 せっかく、退職が決まって清々した気分だったのに、ぶち壊しやがって……本当にもう、話しかけないでほしい。
 
「え~虎谷さん私にだけ冷たくないですかぁ~? あ! 来月、ラウル先生が戻って来られるって話なのに入れ違いですね! あ、でももうフラれたんでしたっけ? すみませぇん」
 
 ──だからどうした? ラウル先生なんて、激しくどうでもいいから、変なマウントとるの勘弁して。
 
 もう辞めるし、無視でいいだろうか。
 
 
 
 
 丁度お昼の時間になり、休暇の届出をすませると、スマホに着信が入った。
 
 ディスプレイには“龍虎先生”と表示されていたので、慌てて通話ボタンを押し事務所を出る。
 
『虎谷さん、お昼時にすみません。先日のお答えですが、ご都合よろしければ今夜直接お会いしてお聞かせいただいてもよろしいですか?』
 
 そうだった。今日が約束の三日目だ。本来ならば私の方から連絡すべきであるのに、先生の方から連絡をくださるとは、本当に急いで人が欲しいのかもしれない。
 
「こちらからご連絡すべきところ、申し訳ございませんでした。先生のご都合がよろしければ今日の午後一番に伺ってもよろしいでしょうか? 私、午後は休暇をとりましたので」
 
『あ、それならランチをご一緒しませんか? これから作る所だったので、虎谷さんの分も作りますよ、ぜひいらしてください』
 
「え、いやそれは……っ……いいえ、ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます」
 
 と、断ろうとしたのだがこれから上司となる人の誘いを断るのもどうかと思い、お言葉に甘えることにした。
 
 
 鞄の中には昨夜作った履歴書が入っている……私は今日、先生に履歴書を提出して正式に仕事を受けると伝えるつもりだ。
 
 会社の化粧室で身なりを整え、三時のおやつにと手土産のスイーツを購入し、先生のマンションへと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いらっしゃい、丁度できたところです」
 
 先生はマンションのエントランスまで私を出迎えに降りてきてくださり、部屋へ案内してくれた。
 スマートなその行動は、野暮ったい見た目に似合わずジェントルマンだ。
 
「わっ、すごい、これ全部先生がお作りになったのですか? おいしそう……」
 
「あり合わせですけどね、どうぞ、手を洗ってかけていてください。私はメインに火を入れてますので」
 
 大きなダイニングデーブルには、一汁三菜がきちんとセットした状態で並べられており、食器もオシャレで、まるで料理番組のようである。
 
 手を洗いダイニングに戻ると、衝撃の光景が目に入った。
 
 エプロン姿でキッチンに立つ先生の……前髪がクリップで止められていたのである。
 
 ──ちょ、ちょっと、なんですか前髪上げるとイケメンって! そんなベタなことある?! それにしたって、神々し過ぎやませんか?!
 
「……え、エプロンがよくお似合いで……」
 
 私の口からはこんな陳腐な言葉しか出てこなかった。
 
 
 
 
 幸いなことに、食事の際はクリップを外し前髪もっさりの先生に戻ってくださったので、緊張は半分程度で済んだが、あの前髪に隠された美しさを知ってしまったからには、もう戻れない。
 
 ──ラウル先生でイケメン耐性はついたはずなのに……ワイルド系イケメンには免疫がなかった……。
 
 イケメンは正義である。
 
 
 食事のあと、片付けを手伝おうとしたが、今日はお客様ですから、とやんわりお断りされてしまった。
 あれだけの料理を作ってしまう人だ。キッチンに他人を入れたくないタイプなのかもしれない。
 
 ソファーで待つように言われたので、窓から見える景色を眺めながら待っていると、二人分のコーヒーを持った先生が現れた。
 
「何から何までありがとうございます、すごくおいしかったです、ごちそうさまでした」
 
「いえいえ、一人での食事程味気ないものはありませんから。こちらこそ、お付き合いくださりありがとうございました」
 
 いい人だ。とてもいい人だ。
 
「あの先生、お仕事の件ですが……こちらをご確認いただければと! お読みいただいて、私でもよろしければ、是非こちらでお世話になれたらと決心してまいりました」
 
 私は用意していた履歴書を先生の前に広げ手渡した。
 
「本当ですか! よかった! よろしくお願いします虎谷さん!」
 
 先生は、私の履歴書を受け取りはしたが、関係ないとばかりにテーブルの上に置き、私に握手の手を差し出している。
 
 恐る恐るその手を取ると、先生は少し待ってくれといい、奥の部屋に消えた。
 
 そして、戻って来るなり私の目の前に一枚の紙を広げたかと思えば、ご丁寧にペンまで添えられている。
 
  
 
「では、こちらにサインをお願いします」
 
 この状況でサインと言われれば当然、雇用契約書だと思うだろう。
 しかし、先生が持ってきたのは全く異なる用紙だった。
 
「……あの、こちらにはサイン出来かねますが……」
 
「っ……なぜ?!」
 
 ──いや、何故って……本気で言ってんの?
 
 本気で疑問を抱いている様子の頭のイカれた男に、これは転職先を見誤ったな、と後悔した私は、今からでも辞退しようと決め、なんと言おうか頭の中で言葉を見繕う。
 
「雇用契約書でしたら内容を確認してサインするのですが、こちらの用紙はどう見ても……」
 
「……どう見ても?」
 
「どう見ても……婚姻届、ですよね?」
 
「ええ、婚姻届です。結婚しましょう、虎谷牡丹さん」
 
「……え?」
 
 
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