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15 彼女はどこに
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「アギット・オスマンサス、貴様、婚約者だなどと私に嘘を言ったな。今すぐイヴリン・チュベローズ伯爵令嬢を我が国へ返してもらおうか。」
「そうです、彼女はどこですか。ここにいるのはわかっているのですよ。」
イヴリンが我が家を出て二週間程経った頃、ヘキシルカノールの王太子とフリッツ・オークモスが我が家に押しかけてきた。
まぁ、来ることはわかっていたが、彼らは、親父が転移門の修理が済んだと言った途端に来たのである。
一国の王太子と侯爵家の嫡男ともあろう御方達が、ご苦労なことだ。
「残念ですか……彼女はここにはもういません。」
いないんだよな。本当にもう。
「ふざけるな。また嘘をつく気か? さすがに不愉快だぞ。」
「そうですよ。イヴリンはチュベローズ伯爵家には戻っていないのですから、こちら以外、どこにいると言うのですか。」
なぜチュベローズ伯爵家に戻っていないと、確認済みなんだフリッツ・オークモス……。まさか見張っているのか? 暇か? 暇なのか?
……俺は嘘なんて言っていないというのに、二人が信じてくれない。ぐすん。
俺はゆっくりとソファーから立ち上がり、窓の外に見える遠くの山々を見つめながら、この二人にわかりやすく丁寧に説明してやる事にした。
「……イヴリンは貴族籍を捨て、平民になりました。」
な? わかりやすく丁寧だろ?
「「……?」」
「っ貴様……私は冗談など聞いている暇はないのだが?」
「そうですよ。そんなわけないではないですか。」
……えぇっと……冗談じゃないのですけど……。やっぱり信じてくれないのか。
だがしかし、お前もまだまだだなフリッツ・オークモス。そんなわけなくなは、ないのだよ。
とはいえ、俺の言葉は半分事実で、半分は事実とは異なるのも確かだったりする。
実は、イヴリンの貴族籍を廃止する届出書、略して“廃貴届”は未だに母上がサイン出来ずに持っている。
イヴリンは廃貴届に必要な二名の貴族の証人のサインを、俺の親父と母上に記入してもらい提出しようとしていたのだが、いざ彼女に用紙を渡された母上が、その場で『どうしても今はサインできないわ』と泣き崩れ、気持ちの整理がついたらサインして出しておくから、預からせてほしい、とイヴリンを説得したのだ。
母上の迫真の演技とウソ泣きは、その場にいたイヴリン以外の全員が見破っていたが、イヴリンだけは素直に困った顔をした後、渋々了承していた。
途中までイヴリンを影ながら見守っていたマーベル曰く、彼女はオスマンサスを発つ前に何度か役所で自分の戸籍を確認していたらしいが、その度に困った顔をして宿へ戻っていたという。
きっと未だに自分が貴族籍から消えていない事に不安になっていたのだろう。
だが、彼女は事実、貴族としての生活から抜け出すことに成功しているわけで、オスマンサスを発ったということは、彼女の性格からすると、“もういいや戸籍なんか”、と割り切ったのかもしれない。
「冗談ではありませんよ、この屋敷をくまなくお探し頂ても結構です。信じたくないのはわかりますが、彼女はいませんよ。二週間ほど前に、それはそれは素敵な笑顔で出ていきました。」
あの時のイヴリンは、プレゼントを前にし、期待に胸を膨らませた子供のような笑みを浮かべていた。
……可愛かったな。
二人は、イヴリンの笑顔を反芻しニヤける俺の表情から、事実であると察したのか、先ほどまでの勢いはどこへやら、急に黙ってしまった。
そのしばしの沈黙をやぶり口を開いたのは王太子だ。
「わかった……信じよう。では尋ねる……彼女はどこへ行ったのだ?」
「わかりません。」
「……わからない、だと? 貴様、仮にも数か月間共に生活していた女性を、そのままたった一人行かせたと言うのか? ……ふむ……叔母上のことだ、影か何かをつけているのだろう?」
なんて鋭いんだ王太子め。女の尻を追いかけまわしていても、しっかり王族だということか……母上の事をよくわかってるな。
「そのとおりです。彼女がこの屋敷を出てしばらくは見守らせておりましたが、彼女は数日前にオスマンサス領からも出たようで、それ以降追うことはしませんでした。彼女には彼女の人生がありますから。」
まぁ、マーベルは途中で彼女を見失ってしまったようなので、正確に言えば、追えなくなった、が正しい。
「彼女の人生と言えば聞こえはいいが、若く美しい女性一人での領地を跨いだ移動など、危険すぎるだろう! ましてや、ここは辺境だ、獣どころか、ドラゴンまでも生息しているというではないか! なぜそこまで薄情になれるのだ!」
ダンッ! っと、テーブルをたたく王太子。
……短気だな。そんなに心配なのか?
しかし、チラリと視線を向ければ、王太子の隣に座るフリッツ・オークモスも、静かに拳を握りしめ、プルプルしている。俺に対して、王太子と同じ気持ちなのだろう。
「では逆に伺いますが、彼女の居場所を知ってどうなさるおつもりですか? ようやく自由を得た彼女を、無理に国へ連れ戻すのですか?」
そもそも言わせてもらいたいのは、お二人からの婚約も求婚も、イヴリンはハッキリと手紙で断っているはずだ。
フラれた相手を、いつまで追いかけ回すつもりなんだか。
「無理に連れ戻すようなことなどしない。折を見てだな……」
「もちろんです。私は彼女の気が済むまでは、平民のように自由にさせてあげたいと思います。」
“平民のように自由にさせてあげる”、だと?
フリッツ・オークモス君、違う違う。わかっていないな。
「彼女が望む自由とは、そういうことではないのです。イヴリンはお遊びなんかではなく、本気で貴族籍を捨てたのです。王太子殿下は平民とは結婚できませんし、フリッツ卿も平民との結婚など、オークモス侯爵が許すのですか? お二人とも、彼女の事は諦めた方がよろしいかと。」
そもそも、二人はイヴリンに関して言えばライバルだろう。
何だか知らないが、二人で結託して俺をせめて……。
「アギット・オスマンサス、君はどうなんだ?」
「どう、とは?」
「ずいぶんと余裕があるように見せているが、君だって彼女の事を想っていたのではないのか? そうでなければ、デビュタントの日、わざわざ婚約者などと嘘をつき、あのように必死になって私のもとまで連れ戻しには来ないだろう。」
王太子め。あの時、俺に邪魔されたことを根に持っているのだな……。切れ者と聞いていたが、アレクと大差ないな。
それにしても、どいつもこいつもみんな恋愛脳が絶好調だな。逆に羨ましいぞ。
「あの時私は、母から彼女を預かった身でしたので、それは焦りましたよ。一国の王太子に突然求婚された挙げ句、彼女の意思に関係なく連れ去られ、断ることのできない状況に追い込まれていたのですから。」
……少し失礼なことを言い過ぎたか? 不敬だと言われてしまうかもしれないな。
「あれは私も彼女には悪いことをしたと思っている。私が聞いているのは、そういうことではない。君の気持ちの話だ。誤魔化すな。」
「……わざわざ言わなければお分かりになりませんか? 私が彼女に想いを寄せていたのなら、どこにも行かせりしませんよ。閉じ込めてでも、私の側から離しません。」
そうに決まっている。本当に俺が彼女を愛していたとすれば、片時も離れたくない、側に置いておきたい、と思うはずだ。でも俺は……。
そんな自分の願望がなかった事は言うまでもなく、彼女の望みを優先してやりたかった。
あんなにも目を輝かせて、平民になった後のことを話す彼女を見れば、出来れば引き留めたいという自分の気持ちなど、しょうもないわがままであるように感じたのである。
「それもそうだな……。」
「ええ、そう言われてみれば、彼は唯一引き留めることが出来る立場だったのに、そうはしなかったのですから、本当にイヴリンに気持ちはなかったのでしょう。」
何だか知らないが、勝手に納得してくれたようだ。
「では、質問を変えよう、彼女が行きそうな場所に心当たりはあるか? ここを発つ前、彼女は何をしていた?」
俺は迷った。
イヴリンから聞いた、“母親のルーツを辿りたい”というあの言葉を、この二人に話してもいいのだろうか。
彼女は、特に言いにくそうにしていたわけでもなく、大したことないと言って、俺に話してくれてはいたが……。
いや、駄目だ。俺の口からは言えない。
言えることとしたら……。
「イブリンは、毎晩遅くまで我が家の書庫から本を借りてきて、勉強をしていましたね。」
「勉強? 一体何のだ。」
「私が見た本のタイトルのは……“素人でもできる家庭菜園”、“これであなたも天才料理人! ”、“はじめよう、DIY! ”などですかね。」
イヴリンは、平民として生きていくために使えそうな様々なスキルを、生真面目にも、本から習得しようとしていた。
そんな彼女を見た俺は、なんとなくだが、本で学べるものではないと思ったので、我が家の庭師や料理人、用務員を紹介してやったのだ。
実際にそれらを本業とするプロの人間から直接指導を受け、体験することで、一人でもすぐに実践できそうだ、と言って、彼女はとても喜んでくれた。
確かあの時、初めて俺に心からの笑顔を見せてくれたような気がする。
……可愛かったな。
と、俺が彼女との思い出に浸っていると、王太子とフリッツ・オークモスが何やらコソコソ話しを始めた。
「……家庭菜園? 料理人? ……ディ、ディーアイワイ? ……とはなんだ? ……君はわかるか?」
「家庭菜園と料理人まではわかりますが、ディーアイワイは……申し訳ございません殿下、存じあげません……。」
っふ、都会っ子だな……。
「DIYは、ざっくり言えば大工仕事のことです。王太子殿下や侯爵家のご子息には縁のない言葉ですよ、お気になさらないでください。」
「……しかし、彼女はなぜ大工仕事の本を……?」
「家庭菜園と料理についてもです。まさか、自分で野菜を育て、調理して食事をするつもりだということでしょうか……。」
各々がイヴリンの行動について勝手に考察しているその様子を、俺は客観的に見ていたが、なかなかに面白い。
そして二人は最後には視線を上に向け、妄想を膨らませたのだろう……。
「「……イヴリンの手料理……か。」」
と、同時に呟き、勝手に頬を染めていた。
おい、そこハモるな。似た者同士か。
それに、なんか話が反れているぞ。
俺は心の中で盛大にツッコミを入れながら、目を細めて無言で二人を眺めていたのだった。
最終的に二人は、“イヴリンの消息が掴めたら教え合おう”と……お前が一番絶対に教えないくせに、何言ってんだ、と思うような事を言って、慌ただしく帰って行った。
イヴリン、あの二人には絶対に見つかるなよ。
イヴリン……俺だけが君の居場所をわかっていればいい。何かあればすぐに駆けつけるからな。
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