もう転生しませんから!

さかなの

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建国 編Ⅱ【L.A 2071】

ゆいいつの いきのこり

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 トーマはわざと聞こえるように大きく息を吐く。エッゾが飛び出す寸前のところをカスピが制していたが、そのカスピもついに牙を剥いていた。
 真っ黒な鎧の兜を脱ぎ、その下から現れたのは獣の姿をとった獣人で間違いない。そして鎧の色よりもさらに深い漆黒の毛並み。
 赤い狼たちが来た日に、マテウスが狼には赤毛と黒毛がいて……色が濃いほど強い、ような話をしていたことをベネットは思い出した。

「なんとでも言うがいい、盗むことを義と語る賊めが、貴様らこそ我ら狼種の恥だ」
「だめだめ! けんかしないの! ファミも、めっ!!」
「やめてくれ、ジェイソンはちょっと静かに……空気が緩む」
「んむぅ」

 一触即発の状況はジェイソンの仲裁でほんの少し緩んだ。少しどころではなかったかもしれない。とにかく、エッゾもカスピもその牙を唇の裏側にしまっていたから悪い状況にはなっていないと言えるだろう。
 そして、ファミ、というのは黒い狼の使者の名前だろうか。ベネットがそれを聞こうにも、ジェイソンはドレアスに口を塞がれた状態のまま羽交い絞めにされている。

「あなた方が何者かも分かっております、指導者殿。その上で私が馳せ参じました」

 二度目の大きなため息をいっぱいに出して、トーマはファミと目を合わせる。何が何だか、とベネットは理解ができていない。だが後ろのエッゾとカスピも「知り合いかよ」と悪態をつく。
 指導者殿、とファミはトーマに向かって告げていた。なぜ見ただけで彼が傭兵だと判断できたのかも、知っている相手ならば簡単だろう。

「ユリウス殿のことはどうか……咎めないで頂きたい。仲間も自身も魔獣に皆殺しにされ、転生して戻ってみれば妹も亡くされていたなどと。その上、ジェロシアに魂を呪いで縛られるなんて……あまりの仕打ちではないですか」
「あの、妹は私です」

 思わず前に進みだしてファミの目の前まで近付く。見上げるほどに大きい体と大きな口。数年を赤い狼たちと過ごして慣れたはずの姿と思っていた。しかし毛色が違うだけで、目の色が違うだけで、体が勝手に委縮してしまう。
 彼は何度か瞬きを繰り返しながら言葉を紡げずにいた。仕方のないことだ、ベネットの姿を見たものは開口一番に言う。魔王、魔族だと。さらに妹は死んだと思っているところに何の説明もなしに「妹です」などと言えば虚言妄言だとそしられて当たり前だろう。

「私も、転生者なんです。兄は……ユリウスは、魔族として転生した私に一度ならず二度も、自身の命を削って会いに来てくれました」
「なんと……なんと。あぁ、良かった、あの方は家族に会うことができたのですね」

 真っ黒く大きな瞳いっぱいに、今にも零れ落ちそうな涙が溜まる。顎を震わせながらファミは何度か深呼吸をしていた。

「ユリウス殿は、パーティーとしてご活躍されていた頃からの付き合いです」
「ずーっとちっちゃい頃に黒い狼のみんなと来たよね」

 ゴン、と岩でも殴ったような音にベネットの肩が跳ねる。目の前のファミも心なしか小さく唸っている気がした。見なくても大体は想像できてしまうが、きっとジェイソンのことをドレアスとサイロンの二人掛かりで押さえているに違いない。

「私が幼少の頃から、ユリウス殿や後ろにいるトーマ殿、ジェイソン殿にも世話になりました。我々、黒い狼を何人も救ってくださったのです。そして一度亡くなられ、戻ってこられた際にジェロシアの圧制に苦しむ我々を手助けして頂いて……」

 心の底からユリウスを慕っている、表情からも言葉からもそう見受けられた。ベネットにはそれらがうそ偽りのないのもだと信じられた。

「年々、ジェロシアの悪行は拍車をかけて酷くなる一方です。ユリウス殿を失った今、ヒト族以外の種族は……っ!」

 ユリウスのことを語っている間は穏やかだった顔に苦悶の色が濃くなっていく。ともに語調も激しくなっていった。

「どうか! 他のミドラスの使者がここへ来て、どのような交渉を持ちかけようと、強制しようとも退けてください!」
「一体どういうことです。ジェロシアは、ミドラスで何をしているんですか」

 ベネットの隣に立ちトーマは彼をまくし立てる。ファミの瞳に映るのは強い憎しみだ。

「新たな黒魔術の開発です、その、ために……っ! 犠牲になっているのは、獣人や妖精族なのです!」

 言葉を失うしかなかった。そんなことが、許されるのか。いや、自分たちが許さないだけでジェロシアはそれを当然のことだと思っている。そしてジェロシアを魔族討伐団の現団長としたミドラスの国そのものが、悪行を許しているということだ。

「此度の樹木族の出現にヒト族の国家は恐れています。我々、獣人は樹木族は大地に恵みをもたらし、その地に住まうものたちに精霊の祝福を与えると言い伝えられております。けれど……ヒト族は違う、ヒト族の頂点に立つ王族や軍の上層部は、違うのです」

 ベネットのように、どんな種族の違いがあろうとも皆平等であると唱えるものも居れば。その逆で種族、肌の色、国が違えば同じものではないと他種族を認められないものも居る。この世界には、その後者が圧倒的に多いのだ。いや、ベネットのように考えられる存在があまりに少ないと言えるだろう。

「王国の最上位騎士としての地位を賜っても……我々は狼種、獣人です。地位など、奴らには関係のないこと」
「……他の黒い狼たちはどうした」

 始めからおかしいと思っていた。確かにファミは強い、そのことをトーマたちは知っている。しかし他と比べて、の話だ。たった一人で来ることが利口だと言えようか。あまりも無謀すぎる……そう、せざるを得なかったとでも言いたいように。

「ヒト族以外は……いいや、同じヒト族の国民であっても奴隷や貧民街のヒト族ですら奴らはその存在を認めない。我々は狩られるものになり、そして黒魔術の贄にしかならないのだ!」

 目眩がする、吐き気で背中から肩までが冷たくなる。俯いたベネットの目に入ったファミの拳は、血を流すほど強く握られていた。

「……てめぇらの自業自得だろうが」
「貴様らには分かるまい! 自由に国をまたぎ、弱者から奪い、踏みつけるだけの貴様らには!」
「なんだと」

 違う毛色の狼でさえこうして仲違いしてしまうのだ。理解を深めようなどとあまりに愚かで浅はかすぎる。
 一度許せなくなった存在を、たやすく許すことはさぞ難しいだろう。一生涯かけても許せないものだっているだろう。けれど。

「やめてください!!」

 引き絞った高音が鼓膜を震わせる。互いに向けられた敵意はこそげ落ち、みながゆっくりとベネットに目を向けるしかなかった。

「小さな諍いをするために、ここへ来たんですか? ちがうでしょう」

 ぐっと言葉を飲み込み、ファミは目蓋を閉じる。拳の震えが止まるまで。

「私は、この地へ危機が差し迫っているという忠告に参りました」

 仲間の死を、自国の悪政を嘆くために来たのではない。自身の身だって危ういのだろう。それでも彼は他者のためにはるばるこの地まで来たのだ。

「王国最凶の魔術師は魔族の村々を潰し、国内のヒト族以外のものは贄となるためだけに招集され毎日幾十、幾百の命をないがしろにしています。その強欲は留まることを知らず……シンドラの一部地域を植民地とし、武器を押収、製造……スヴァラルへ宣戦布告をしました。次の魔族の集落として、ここを狙うか、中継地として植民地とするかは定かではありませんが必ずここへも来るでしょう」
「シンドラ……あの、ドワーフをどうやって強制的に傘下へ取り込んだのです」
「女子供を人質にとって、脅迫を」

 ひどい、各々がその言葉を口にした。ミドラス国内でも同じことをしているのだろう。反発するものの人質をとって従わせていることは考えるに容易い。
 ファミはこの地が狙われると思っているだろうが、あのアオイがいるここにもう一度仕掛けてくるだろうか。それともアオイを狙っているがための犠牲なのか……あまり考えたくないことだった。

「隣国であるシンドラを狙うのは分かる。だがわざわざ離れているスヴァラルをなぜ狙うんだ」
「そればかりはジェロシア付近の存在でなければ情報がないでしょう」
「……ブロクルは昨今、水晶に魔術を彫りこんで剣や盾に付与する武器を製造しているとのことだよ。スヴァラルを制圧すれば、ブロクルを囲い込めるだろう」

 いつそんな情報を仕入れてくるのか、隠密行動に長けているサイロンは度々こうして驚く発言をする。むしろその図体で隠密と結びつけることがどうやっても難しい。
 シンドラとブロクルは同じドワーフの国であり、王族は元を辿れば血脈は同一のもの。シンドラが植民地化されたことで武器の製造を始めたとしてもおかしくはない。両国ともに長きにわたり内戦も起きることなく宝石や古の遺物が主な輸出物だったのだ。
 だからこそ、戦の知識や経験が乏しいだろうと狙われたのかもしれない。

 とにかく、ここにいる者たちだけで決められることじゃなかった。さらなる情報が必要なのだ。他の国が脅かされているというならこの街だって例外ではないのだから。


「まさか、そんな……馬鹿な」

 城へと同行してもらったファミは立ち止まり、わなないている。明らかな動揺だった。一体なにに、と視線の先を探す。

「黒い狼か。フン、生き延びたか」
「あり得ない、その巨体、炎のような赤毛……あの時、獣種の姿ではなかったが、お前はフリードリヒか」

 名を呼ばれた男はパンを食いかじるだけで話を続ける気はないらしい。
 獣人は大きく分けて二つの姿をとることができる。ヒトに近く、耳や尻尾も隠すことで擬態を可能にする姿。対して野生の姿に限りなく近い姿の獣種。それは個体ごとで大きく変わる。
 フリードリヒは赤い狼の頭目としてこの地へ来た時から、いやその前から獣の姿だったと聞いている。だからてっきり最初から獣種の姿なのだろう、と。

 しかし気にすることはそんなことではない。

「生きているはずが、ない」
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