もう転生しませんから!

さかなの

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建国 編Ⅱ【L.A 2071】

 くろいおおかみ

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 数十年、目の前に広がるのは途方もない砂漠の色だけだった。
 それから大地が、何度色を変えただろうか。日陰の湿った土と、日に当たる乾いた土がまだら模様を作る。砂は土になり、土の上には草が伸び、その先には花々が風に揺れる。
 寒さが厳しい季節は、彩りが土一色になるときもあれば、十年に一度の雪が大地を覆うこともあった。
 そうした年の若草は雪解け水を葉に乗せて空を見上げるのだ。

「我が王」

「あっ……イグテラ様」

 冬の寒さを忘れてしまうような暑さだった。ベネットは毎日の習慣と化した畑の水まきを終わらせて、朝食の準備へ向かおうと城へ戻る途中でイグテラに呼び止められる。

「お久しぶりでございます。不躾で申し訳ありませんが……折り入ってお願いがございます」

 確かにここ数年……最後に姿を現したのは七年前に赤い狼たちが来たときだったろうか、それ以来ずっと静かだったと記憶している。

「お久しぶりです……あのっ! 私からも、お願いがあります!」
「なんなりと」

 ふわりと微笑む顔は母を思い出させる。とは言っても前世より以前の思い出だが。

「私は……確かに、魔王になるつもりです。でも、まだ力不足です。ですから、その、呼び方は」
「我が王、という呼び名をあまり好まないと?」
「うぅ……そ、そうです」

 今度会ったら言おうと思っていたがイグテラは常にその姿を現しているわけではないし、呼んで目覚めるわけでもない。だから七年、ずっと心に留めていたことをようやく口にした。

「承知しました。では、ベネット様と呼ばせて頂いても?」
「はいっ!」

 本当はベネットでも構わないのだが、ベネット自身そう呼ばれることに慣れてしまっていて違和感を忘れていた。しかし思い出したときには時すでに遅し。まぁいいか、と自分を納得させる。

「あ、イグテラ様のお話を遮ってごめんなさい。その、お願いというのは?」

「……それが」


 数年前までは、ほとんどの仕事場にベネットが立ち会っていることが当たり前だった。
 年を追うごとに少女は女性になり、少年は青年になる。変わらない者も、いる。
 踏み台を引きずって皿洗いをしていた女性は今や大鍋を抱えるようになった。小ぶりな木材をよろめきながら運んでいた少年は、自分の身長よりも長く大きな木材を軽々と担いで走り回るほどだ。
 朝食の準備を、と向かってもベネットより早く起きた者たちのおかげでもうほとんど終わってしまっていることが多い。それを少し寂しいとも思うし、大人になっていく民たちを見て別の感情も沸き上がる。
 健やかに育ち、穏やかに生きている民たちを見て、ベネットは十分に満たされていた。それは瞬きの間ほどだけ。

「一部で古い大樹の伐採が行われている……ですか」

 朝食の片付けも終えて皆が持ち場に向かい始めている中、トーマたちはその足を止める。

「はい。デントロータスの皆さんが目覚めたことで、驚いて新たな魔族だと言って切り倒したり、大地の栄養を吸収していると言ったり……ひどいです」

 イグテラの穏やかな表情が言葉を紡ぐごとに悲痛なものに変わる様を、ベネットは同じ表情で胸を痛ませながら聞いた。この七年、続けざまに起こった出来事が夢だったのかと思うくらいに静かだった。そう思おうとしていただけかもしれない。そうであるように、願って過ごしていたのだから。

「なぜそれをイグテラ様が……最近表に出てなかったよな」
「大地に根付いているデントロータスの方々は移動が難しいそうなのです。だからその手助けにイグテラ様は魔力を送り続けていたとのことで」

 その言葉にトーマとドレアスはぎょっと目を丸くする。他者へ魔力を供給するなんてこと、聞いたこともない、と。しかし、彼らはデントロータス……樹木族なのだ。そういう特別なことができて当たり前なのかもしれない。

「世界の樹木たちの声はイグテラ様に届くと言っていました。日々、続けざまに聞こえる我が子の悲鳴に悲しんでおられました……」

 普段はやさしく微笑むベネットが俯いて眉間に力を込めてしまうところを見てしまえば、なにか策を講じなければと使命感がに駆られる。よしよし、とジェイソンはベネットの背中をやさしくさすっていた。

「樹木族というもの自体が忘れ去られた存在、架空の想像物とされている。突如として現れた樹木族に恐れたのだろうね」

 だとしてもだ。新しい魔族、そんなことは誰かが言い出さないと噂は広がらなかっただろう。樹木族について架空のものとして取り扱っている文献は希少なのだ。
 しかし知らないものが極端に少ないわけではない。歴史を研究するもの、本を取り扱うもの、少ないとしても間違った知識を正そうとするものは全くいないわけではないのに。

「自力で移動できる方たちはこちらへ向かっているそうですが、道半ばで倒れる方も……」
「ベネットは、デントロータスをヒトみたいに呼ぶね。すごく優しい」

 ジェイソンの言葉にトーマは心臓が跳ねたように息を詰まらせる。思い至りもしなかった。デントロータスは樹木だ、ヒト族やエルフ、獣人とはまるで違うと。木は燃えるものだ、燃えて当たり前のものなのだ。
 けれどベネットはデントロータスをヒトと同等に扱う。
 燃えるものだから仕方がないと、イグテラの言葉を伝えられても心のどこかでヒトと区別をしていた自分に気が付く。

「樹木族……デントロータスはエルフ、ドワーフ、竜と等しく妖精族です。ヒトも、妖精族も、魔族も、全部全部同じなんです」

 その言葉はあまりにも重い。だって、木は家を作り火をおこすために使う。イグテラやデントロータスたちは、そのために木材を民に与えていたじゃないか。いいや、あの木材は彼らの体の一部であることに見て見ぬふりをしていたのは、自分なのだ。

「それで、イグテラ様の願いとは……集まっているデントロータスたちの手助けですか」

 言葉にするのは簡単だ、意志を見せることも。話を聞く限り、どうあっても不可能に近いのだ。
 イグテラほどの巨大な木なら発見は容易いだろう。しかしデントロータスはその多くが森にいれば普通の木だと思うような大きさである。どのくらいの数なのか、どの場所にいるのか、その方法がまるで浮かばない。

「全てをここへ集めなくともよいとのことです。主にヒト族、ミドラスやアラル国内、及び魔族の国で行われているそうなので」
「ダークエルフは国樹が灰色の大きい木だったよね? 千年前からあるとか……おしゃべりできるんじゃないのかな」
「ドワーフと獣人族で樹木族の伝説を信仰している部族は多いはずなのだよ。近いものはそちらに避難させた方が無難だ。ここは遠すぎる」

 だがそれを為すためにはデントロータスたちを探さなければならないのだ。そしてどうやって誘導するか。揃って思案しても言葉が出ることはなかった。
 ミドラスやアラルの国の名前が出ると思い出すのは、勇者パーティーとして共にいた記憶ではない。ミドラスへ送り返したジェロシアのことや、アラルの貴族を殺害して回ったアオイのことだ。

「お話の最中に申し訳ありません! 急ぎの用件でして……」

 何事か、とトーマたちの方が驚いたくらいの取り乱しよう。彼は砂漠とこの街の境を監視する役割になっていたはず。

「ミドラスより、使者が参りました……っ」

 噂をすればなんとやら。一気に空気が凍る。少しばかり心臓が早く動き出した。
 なぜ今になって……ジェロシアの報復を最初に数年は危惧していた。しかしそれは杞憂に終わったことだと思っていたのに。

「も、もしかして、ジェロなんとかじゃない……よね?」
「あいつが近付いた時点でアオイの仕掛けた魔術が発動するだろ、それが何も動いてねぇ」

 コンパスやらトランシーバーやらと既にとんでもない発明品を作っていたアオイは、さらに機能を追加したものを作ったり新しいものを作ったりと年に一度は皆を驚かせていた。数回、魔獣の襲撃に遭ったもののどれもアオイが街全体に張り巡らせた魔術のおかげで事なきを得たのだ。
 アオイへの信頼はなくとも、発明品や魔術における信頼はしている。

「敵意はないと?」
「彼の術をかいくぐれる知識でも身に付けたか、なのだよ」

 訪れた使者とやらに敵意はなくとも、もしジェロシアの使いのものであればどんな危険をはらんでいるか分からない。

「私も立ち会います。赤い狼の方にも数人、来て頂きましょう」

 険しい顔に浮かぶ恐怖の色。ベネットの手が震えていたことをトーマたちは分かっていた。
 それでもしっかり前を見据えて歩く。ベネットをあるじに、領主に、魔王にと望んだ。本人もそうあろうとしている。
 魔王として生まれても、強大な魔力を持っていても……他者には使えない魔術を使えたとしても。ベネットはまだ気持ちが追い付いていないのだ。

 境に辿り着いたベネットは、その姿がジェロシアではなかったことに安堵する。しかし後方にいる赤い狼は敵意と共に喉からこみ上げる唸りを抑えきれず歯もむき出しにしている。
 一人だけ、パッと笑ったと思えば困惑し、周りをキョロキョロと見回しているジェイソンだけが浮いている。

「突然の訪問、大変失礼と存じますが何卒、寛大なご容赦を」
「おい……何ふざけたこと抜かしてやがる」

 真っ先に口を出したのは赤い狼のエッゾだった。もう一人控えている同じ狼のカスピも敵意を向けてはいるが冷静になろうと努めている。
 知り合いなのだろうか、ベネットとジェイソンは同時に後ろを見た。

「彼らはミドラスの使者であり傭兵です。丁重に……」
「丁重もクソもあるか……あいつらは、ヒトに下った狼種族の恥さらしだ、黒い狼共!」
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