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魔王と勇者 編【L.A 2034】
えがおのうらがわ
しおりを挟む「お待たせしました!」
「すすだらけじゃないですか!」
息を切らして戻ってきたベネットは顔も服もすすにまみれ、埃をくっつけていた。
「そうですね、書庫もお掃除しないと……これです!このページの!」
バサリと広げたページには挿絵と模様が添えられている。それを見た彼らはぎょっとした。
「……いやぁ、ちょっと待ちな……まさかこの本に幻術とか移動魔術が載ってたのかい?」
「はい!」
元気に返事をされて、さらにその顔があまりにいい笑顔なものだから毒づくこともできずドレアスは言葉を選びながら声を発することが出来ずにいた。
「この模様はおそらく魔術陣にあたるものなのでしょうが……私には理解できません、しかもこの文字も見たことがない……挿絵から察するに、岩を砕く、というものなのでしょうが」
「ベネット様、本当に何者なんだ?」
やっと出てきたドレアスの言葉は結局それだった。説明を聞いていると『ただなぞった』と言うものだからますます頭を抱える。同じように自分たちがなぞっても何も起きないのだから。ひょっとすると魔王にしか使えない……ということも考えたが挿絵に描かれているのはどのページを開いても、市井の人々だ。
「何者っていうこともありません……前世は服屋でした、ただの庶民です、ずっとずっと……」
自身を重ねるように挿絵の少女を撫でる。庶民は魔術など使わない、使う意味がない。他者を攻撃する魔術など、生活する上では不要なのだから。けれどこの本はどうだ、めくってもめくっても挿絵の人々は笑顔を浮かべている。高いところのものをとるだとか、植物の成長を早めるだとか、今まで自分たちの使用していた魔術とはなんなのだ、と疑問は膨れるばり。
「長生きはできなかったですけど、戦争もしらない、魔術を使わなくても生きていける人生だったんです。なのに……どうして、魔王になんか……」
きゅっとスカートを握る手は震えていた。今にもこぼれそうな涙は大粒のまま下睫毛の上で揺れている。瞬きをすれば、きっと落ちてしまうだろう。
「……オレは、前世は戦争にいった、その前も、そのまた前も……今は、奴隷から始まったけど……ベネットと一緒なら今までの人生の中で、きっと……絶対、楽しい」
ジェイソンは優しく語りかける。震えていた手に、折れてしまいそうなほどに細い指を重ねて。
「これ、外そう。ベネットが魔王じゃなかったら、オレたちはここにいない、これは外れない。今のベネットだから、できる」
「はい……はいっ!やります!いっぱい勉強して、いっぱい魔術を使えるようになって、ここをみんなの家にするんです!」
トーマの口はぽかんと開いているが息が止まっている。ドレアスはあと何秒したら息を吹き返すのかと待ってみたが微動だにしない。背中をばしんと叩いて、自分はにっかり笑ってみせた。
「でっかい目標ができたじゃないか」
「ん"ッッ、家……にしては随分大きいですが、いいですね」
ベネットはたまっていた涙をぬぐって満面の笑みで頷く。トーマはどちらかといえばふにゃふにゃとにやついていた。
「ま、ひとまずちょいと試してみるか」
日常生活に取り入れるような挿絵だったから、威力はあまりないのだろう……という考えが甘かったのだ。彼らは大きなことを忘れかけている。
ベネットが模様をなぞった指先は光を帯び、ジェイソンの枷についた鎖の先を指し示す。光が指を離れたのと、信じられない音が鼓膜を震わせたのは同時だった。
「ひェ……」
鎖にはひびが入っていた……だが、床はもっと抉れていた。ここが一階で良かったと思うには時間が掛かるくらい、脳内での処理が追いついていないのはその場にいる全員に当てはまることだった。
「こっ……」
「壊れましたよ!ベネット様!!いけます!」
「逝っちまうだろーがよ……おい、ジェイソンのやつ、気絶したぞ」
蚊の鳴くような声を発したきり動かなくなったジェイソンはパタリと倒れる。トーマは威力に興奮してはいるが、もし自分だったらと考えて少し静かになった。当のベネットからは悲鳴も何も聞こえない。ドレアスは立ち尽くすベネットの顔を覗きこんだ。
「わ、私……こんなのをジェイソンさんに、向けようと……」
大粒の涙はパタパタと雨のように床に落ち続ける。震える膝は体重を支え切れず、崩れ落ちてしまった。ドレアスが背をさすっても、トーマが慰める言葉をかけても、ベネットは泣きじゃくるばかりでようやく泣き止んだ頃にはもう夕日は沈んでいた。
ベネットは顔を俯かせたまま『書庫に戻ります』と言ったきり戻って来ない。
トーマたちは窓から差し込む月明かりを眺めてぼうっとしている。
「……すっかり落ち込んじまったな」
「あまりに優しすぎるんでしょう、虫も殺せないような方なんです、きっと」
「虫も殺せないは盛りすぎだろ」
軽口に笑って流す気力もなかった。目の前で見たことのない魔術を使われ、ベネットが認めたくなくともあの威力は魔術で簡単に出せるものではない。魔王だから、とでもいうのか。我慢したくても我慢しきれないあの泣き声が頭の中でずっと響いている。それが一番、精神的に辛いものだった。虫も殺せない、は本当に言い過ぎだろうけれど、ヒトを殴ったこともないのだろう。自分たちと違って。
「気絶してから普通に寝ましたよ、こいつ」
「市場で目開けながら寝てたな、そういえば」
「えっ、きもちわるっ」
「お前が言えたことじゃねーだろ」
気絶していたはずのジェイソンはすやすやと眠りこけていた。自分も、ジェイソンも、色濃くなってしまった目の下のクマはしばらく残るだろう。奴隷市場ではずっと気を張っていた状態だったのだから、仕方ないと肩を竦めジェイソンの頭を撫でた。
「もう夜も更けちまったな、交替で寝ようぜ」
「それじゃあ私が先に見張ります、その次はジェイソンを叩き起こしますから」
「おう、よろしく」
ドレアスも今の今までずっと気を張っていたのだろう。転生者、という立場は死んでも次がある、と安易に死を選ぶものもいるらしい。けれど、自分たちはまた死んでも同じことの繰り返しだ。ずっと追われ続ける身になってしまった。眠ったらそのまま息をせず朝が来る前に死んでしまうかもしれないとか、奴隷に堕とすだけでは飽きたらず刺客を差し向けるのではと考えて。そして眠れない日々が続いていたのだ。深い眠りにつくジェイソンとドレアスの寝顔を、トーマはずっと見ていた。
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