上 下
28 / 45

27.《言葉は、それだけで大きな武器となる》

しおりを挟む
 遅いな、とジナイーダはカーテンを少し持ち上げて、窓の外をのぞき込む。
 彼女の部屋は五階建ての寮の三階にあった。高くもなく低くもない。その中の、一番出口の階段からは遠い部屋が、彼女達姉妹の部屋だった。
 帰ってくれば、常夜灯の灯りの中に、姉の姿は見えるはずだ。だがその気配はない。もう門限が近いというのに。外泊するならするで、連絡をしてもいいのに。だけど電話番のアナウンスは聞こえてこない。
 ぼんやりと、やがて彼女は視線を遠くに飛ばす。街の灯り。やや高台にあるこの学校の寮から見える夜景は美しい。
 ぼそぼそと、アンテナを長く伸ばしたラジオからは、乱れた電波の中に時々やや変わったイントネーションが混じる。他州の放送だ。カシーリン教授が「放送の力」で紹介していた、「外の情報」。

 彼女がカシーリン教授のことを知ったのは、まだバウナンの高級中学に居た頃だった。
 学校は、六年間の小学校の上に、四年制の初級中学と、二年制の高級中学があった。
 高級中学は中等教育機関というよりは、高等教育機関への予備教育機関としての役割が大きい。だからそこではスキップが可能だった。
 その頃から、姉は学校では派手な存在だった。
 そして自分は、確かに成績はいいが、それだけの存在のような気がしていた。
 抜きん出ているのは、普通の学科一般と、多少の文章表現だけ。姉とは違う。ヴェラは当時から、演劇部に属し、いつもその場の中心的存在だった。
 同級生も先輩も、姉を誉める。それは別に悪い気持ちはしない。それでも、いつもその言葉の脇には、その時期トップクラスに居た自分の席次のことも告げられるのだから。
 ヴェラと自分は違うし、違う能力をもっているんだから、とジナイーダは思ってきた。ともすれば、それだけの存在、と思いがちな自分を何とか納得させてきた。
 だが、無理矢理押さえつけている心には多少のひずみが生じる。ひずみはやがて不安というものに形を変える。 
 だが何の不安なのか、それがジナイーダには判らなかった。
 ヴェラは自分を何かと守ろうとしていたような気はする。そんな態度は、見ていれば判る。例えば寄ってくる軽薄な男子学生、例えば怪しげな新入生狙いの勧誘、世間知らずの妹を常にかばってきたことは判る。

 だけど。

 彼女は思う。本当にそれだけだったのかしら?
 高級中学で、一年スキップした時の表情は、なかなか忘れられないものがあった。
 驚いたのか、焦ったのか、失望したのか? そのどれともとろうと思えばとれた。ただどれとも取りたくはない自分が居る。それは知っている。
 そして進学の時、入学資格試験に二人して受かった時、姉は自分がこのシェンフンに来るのを反対した。
 ヴェラは自分にそう言った訳じゃない。両親に言っただけだ。

 姉さんはこう言っていたけど、あんたはどうする? 

 母親が、そう自分に告げた。
 何故だ、と思った。その、それまでぼんやりとしていた姉に対する疑問が、形を持ち始めた。
 守っているのか、隠しているのか。それとも。
 聞きたい。
 だけど聞けない。彼女は怖かった。
 その頃、カシーリン教授の本を手にした。本当に偶然に手にしたのだ。
 「言葉の力」というタイトルの堅さに似合わない程、少女の向けのエッセイ集にしか見えないそれは、彼女の欲しかった言葉をくれた。

《言葉は、それだけで大きな武器となる》

 目に見える鮮やかな姿でなくても。直接触れることのできないものでも。
 それは、使いようによっては、それらよりも、効果的に、物事の芯を捕らえ、そして目的を達することができるだろう。
 抑えて書かれた文章は、その中に危険なものを感じさせた。 と。
 かつん、と窓に軽く何かが当たる音がした。ジナイーダは何ごと、とそれまで夜景を眺めていた視線を下界に落とした。
 ひらひら、と誰かが手を振っている。一階の部屋の灯りが、その人の表情はともかく、一目見たら忘れられない程の長い髪を映し出した。
 あ、と彼女は慌てて部屋を飛び出し、三階分の階段を駆け下りた。勢いよく駆け下りていく彼女に、珍しい、と寮生達は不思議そうに眺める。
 息せき切って出口へと向かい、慌てて外へ飛び出すと、いつもの笑いを浮かべて、キムが一人、立っていた。

「こんばんわジーナ」
「ど、どうしたの? キム君…… こんな時間に」
「こないだの、もう大丈夫?」

 彼はジナイーダの問いには答えずに、あいさつとも何とも取れる言葉を彼女に投げる。ふと彼女は彼の胸元に目を止める。きらきら、と銀色にペンダントが光っている。それが時々何かの拍子で揺れる。

「ええ…… もう大丈夫だけど…… あ」

 そういえば、と先日のことを思い出して、彼女は一気に自分の頬が赤くなるのをおぼえる。気がつかなかったのが良かったのか悪かったのか。

「この間は、ありがとう」
「いえいえ」

 彼はまたひらひら、と手を振る。
 にこやかな笑顔。何とも思っていなければいいけど、とジナイーダはやや不安になる。そして先ほど聞いたのに答えてもらえなかった質問を繰り返す。

「今日は…… どうしたの? こんな時間に……」
「ん? 今暇かな?」
「暇は暇だけど、もう門限よ。ヴェラを待っているの。まだ帰ってこないのよ?」
「でも演劇部にはよくそういうことはあるよね?」
「あるわ。だけどそういう時はいつも、彼女、ちゃんと連絡をよこしたから……」
「うんうん」

 彼はそうだろう、と言いたげにうなづく。その拍子に、ペンダントが揺れた。銀色が、彼女のまぶたの中にゆるい軌跡を描く。
 何となく、彼女の中に、ひらりと裏返るものがあった。

「心配?」

 キムはそんな彼女の一瞬の戸惑いなど気付かないかのように訊ねた。

「心配…… はしていないけど…… ヴェラのことだから、そうそう馬鹿なことはしないだろうし……」
「ねーさんは、あなたのこと心配していたよ。ジーナ」

 はっ、と彼女は顔を上げた。目の前の相手の顔には、変わらない笑みがある。

「聞いたの? 彼女から」
「聞いたよ」
「いつ? 何を?」

 急かされるような気持ちで彼女は言葉を飛ばす自分に気付く。
 それが何故なのか、彼女にはよく判らなかった。自分のことを勝手に話されたことになのか、ヴェラと彼が会話していたことになのか、それとも。

「さっき」
「さっき?」

 彼女は自分の背中がすっと寒くなるのを感じた。いや背中だけではない。腕が、首が、急に何かざわり、とする感覚に満たされる。

「……ちょっと待って」

 瞬き。首を軽く振ってよく考える。目にちらちら、とペンダントの光が、うるさい。

「……ヴェラとさっきまで、居たの?」
「居たよ。俺と、俺の友達と、それと」

 そしてジナイーダは耳を疑った。

「カシーリン教授と」

 え? と彼女は問い返す。目を見開く。
 その時、彼は胸元のペンダントを持ち上げると、ぱっと彼女の目の前で開いた。
 きらきら、と一階の光が、銀色に反射して、彼女の視界を奪う。揺れる、揺れる、揺れる……
 ぐらり、と頭の芯がゆがむ。

「言っておいで。自分とねーさんは、外泊するから、と」

 ジナイーダは口を開けられない自分に気付いていた。頭はうまりにも自然に、うなづきを返していた。
 ふらり、とその足は入り口の寮管室へと向かう。当番に、口は、勝手なことを言っている。急すぎる、と渋い顔をする「今日の当番」に、平気な顔で、何とかしてよ、とその口は喋る……

 ……あたし、じゃ、ない……
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後天スキル【ブラックスミス】で最強無双⁈~魔砲使いは今日も機械魔を屠り続ける~

華音 楓
SF
7歳で受けた職業診断によって憧れの狩猟者になれず、リヒテルは失望の淵に立たされていた。 しかし、その冒険心は消えず、立入禁止区域に足を踏み入れ、そこに巣食う機械魔に襲われ、命の危機に晒される。 すると一人の中年男性が颯爽と現れ、魔砲と呼ばれる銃火器を使い、全ての機械魔を駆逐していった。 その姿にあこがれたリヒテルは、男に弟子入りを志願するが、取り合ってもらえない。 しかし、それでも諦められず、それからの日々を修行に明け暮れたのだった。 それから8年後、リヒテルはついに憧れの狩猟者となり、後天的に得た「ブラックスミス」のスキルを駆使し、魔砲を武器にして機械魔と戦い続ける。 《この物語は、スチームパンクの世界観を背景に、リヒテルが機械魔を次々と倒しながら、成長してい物語です》 ※お願い 前作、【最弱無双は【スキルを創るスキル】だった⁈~レベルを犠牲に【スキルクリエイター】起動!!レベルが低くて使えないってどういうこと⁈~】からの続編となります より内容を楽しみたい方は、前作を一度読んでいただければ幸いです

ワークロボット社

シュレディンガーのうさぎ
SF
舞台は2180年で、人間そっくりなアンドロイドが世界に普及しているという設定です。 そんな世界でアンドロイド業界を支配する会社『ワークロボット社』に秘書(セクレ)として勤めることになった人間、サラがその会社のCEOや従業員たちと絆を深めながら、アンドロイドと人間がどのような関係であるべきかを模索していきます。 *気が向いたら続きを書くという感じになります。

Koruseit world online〜魔力特化した私は体力10しかありません。なので幻術使ってどうにかしたいと思います〜

ゆうらしあ
SF
それは、あらゆる生物と心通わせるVRゲーム。その名もKoruseit world online。 都内に住む29歳OLの四月一日 春(わたぬき はる)は、ブラック企業で仕事をしており、彼氏も出来ず、不毛な毎日を送っていた。 ある時電話で弟から、面白そうなゲームがある!癒しとか求めてるねーちゃんにぴったり!と言われ電話をぶち切った私は、そのゲームを衝動買い。 後悔したものの、『生きる為に何をする?限定された時間で何をする?癒しと刺激を貴方に。』というパッケージに気持ちはぶち上がり! よし、やってみるか。 私の退屈な日常に少しでも癒しと刺激をくれ。 やがて『幻想姫』と呼ばれる様になり、敬われ、恐れられる、そんなゲームライフが今始まる。

知らないうちに実ってた

キトー
BL
※BLです。 専門学生の蓮は同級生の翔に告白をするが快い返事はもらえなかった。 振られたショックで逃げて裏路地で泣いていたら追いかけてきた人物がいて── fujossyや小説家になろうにも掲載中。 感想など反応もらえると嬉しいです!  

待ちに待ったVRMMO!でもコミュ障な僕はぼっちでプレイしています…

はにゃ
SF
20XX年。 夢にまでみたVRMMOゲーム機『ダイブオン』と剣と魔法を駆使してダンジョンを踏破していくVRMMORPG『アトランティス』が発売された。 五感全てで没入できるタイプのゲームに、心奪われ、血湧き肉躍る僕の名は、佐藤健一(高校2年生)。 学校でぼっちでいじめられっ子な僕は、学校を休んでバイトに明け暮れ、バカ高いゲーム(本体二十九万八千円+ソフト九万八千円也)と面倒くさい手続きと倍率の高い購入予約券を運良く手に入れることができた。 普通のオンラインRPGでギルドのタンク(壁役)を務めていた僕は、同じく購入できたギルメンのフレとまた一緒にプレイするこのを約束した。 そして『アトランティス』発売初日、学校を休んだ僕は、開始時間と同時にダイブした。 …はいいんだけど、キャラがリアル過ぎてテンパってしまう! みんなキャラメイキングでイケメンや美少女、美女ばかりだし(僕もイケメンキャラだけど)、コミュ障な僕はテンパりすぎてまともに会話ができない! 目を合わせられないし、身体も壊れたロボットのようにギクシャクしてしまう。 こんなはずじゃなかったのに!と嘆く僕を陰で嘲笑うプレイヤーとフレ達…。 ブルータスよ、お前もか………。 ゲームの中でもイジメられ、ある出来事をキッカケにソロでやっていくことを決意する。 これは、NPCを仲間にギルドを立ち上げ、プレイヤーと対峙し、ダンジョンに挑む僕の独りよがりだけどそうでもないぼっちな話。  ただいま不定期更新中m(_ _)m  モチベーションが上がらないので半ば打ち切り状態です。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり

柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日―― 東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。 中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。 彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。 無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。 政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。 「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」 ただ、一人を除いて―― これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、 たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。

機動幻想戦機

神無月ナデシコ
SF
リストニア大陸に位置する超大国ヴァルキューレ帝国は人型強襲兵器HARBT(ハービット)の製造に成功し勢力を拡大他国の領土を侵略していった。各国はレジスタンス組織を結成し対抗するも軍事力の差に圧倒され次々と壊滅状態にされていった。 これはその戦火の中で戦う戦士達と友情と愛、そして苦悩と決断の物語である。 神無月ナデシコ新シリーズ始動、美しき戦士達が戦場を駆ける。

処理中です...