20 / 45
18.「確かに外見は怪しいが」
しおりを挟む
中佐もまた少尉に言われるまでもなく、ある程度の情報は連絡員の口から聞いてもいた。
シミョーン医師は、カシーリン教授のようにその思想や方針が書かれた本がある訳ではない。
ただ、十五年前の大学の学費値上げ闘争に始まり、次々と「独立」を明言する外の州との交流、つい最近の、「学祭時の大通りの使用規制」に至るまで、実際の運動に参加し、その名前をつらねている。
そしてまた、当局との交渉に当たっているという点において、実績があることは事実だった。
ただ、あくまでそれがこの有名ではあるが狭い都市、学校に属している動きであるということではあるが。
「だから確かに彼が一声掛ければ学内のシンパは参加するとは思いますが、学内に止まるということも考えられます」
「そうだな」
そうでなくてはいけない。中佐は喫い尽くした煙草を足下に落とし、ぎり、と踵で地面になすりつける。途端にそれまで煙草のにおいにかき消されていたキンモクセイの匂いが押し寄せてくる。
「……もの凄い匂いだな」
「キンモクセイですか」
「そうなのか?」
「あ、上に……」
ふうん、と中佐はうなづく。何の興味も示していないように少尉の目には映る。
「でかい家だな」
不意に言われて少尉はえ、と中佐の方を向く。
「家、ですか?」
「そこの門から見えた。ずいぶんと金持ちの家だったようだな」
「ああ、そうですか?」
「気付かなかったのか?」
ええ、と少尉はうなづく。うなづいて、みせた。
*
「見たか?」
イリヤは訊ねた。
「見た」
ゾーヤはうなづいた。
「君に言われた通りだ。あの廃屋敷の前に、確かに居た」
そして彼女は厳しい顔つきになり、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「ちょっとした広場」から一歩引っ込んだ通りの、百貨店の段差にべったりと腰を下ろし、学内新聞の編集長とその友人は数十分前から話し込んでいた。
当初は、世間話だった。
「コルネル君か? イリヤ、君は彼が怪しいというのか?」
彼女は灰色の瞳を動かすと、彼女の友人に訊ねる。友人は迷うことなくうなづく。
「確かに外見は怪しいが」
「中身も充分怪しいと思うけどな? 先日ヴェラの妹がカシーリン教授拉致の現場に居合わせただろ? その時彼女と一緒に居たのが、あのコルネル君、の友人らしいな」
「ヴェラはそんなことは言っていなかったが。君は聞いたのか? イリヤ」
いや、と彼は首を横に振る。
「ヴェラはああ見えて、妹のことになると口が固い。それは昔からそうだ」
「君は昔から彼女を知っているからな」
「ああよく知っている。彼女達がここに昔住んでいた頃から知っている」
それは初耳だ、とゾーヤはほんの微かに笑みを浮かべた。
「君はそんなこと私に言ったことはないではないか」
「君に特別、言う程の事柄ではないと思ったからさ。それともゾーヤ、君は俺に言って欲しかったとでも言うか?」
「ふん」
ゾーヤは鼻を鳴らしながら、すっきりとした眉を片方上げた。
「私がそういうことを言わないと知って言う。君のそういうところが私は嫌いだ」
「だが全般的に見れば、君は俺のことを好きだろう?」
「ふん」
再び彼女は鼻を鳴らす。
「あいにくな。どうにもこうにも自分がこう趣味が悪いのかと唖然とする」
「散々な言い方だな」
くくく、とイリヤは笑う。そんな時、イリヤの眼鏡の下の瞳は、宝の地図を見付けた子供のようにひらめく。
事件も革命も、この男にとっては同じなのだ、とゾーヤは知っている。そこが嫌なのだが、そこが好きである自分も知っている。理性的であれ、と律する自分の、唯一律しきれない部分だった。
感情は、理性では制御しきれない。
「吸うか?」
彼は彼女に細い煙草を差し出した。もらおう、と彼女はすっと細い指で一本取り出す。
「ヴェラは私が喫煙するのを嫌うからな。君と居る時くらいしか気楽には喫えない」
「よく我慢していると思うけどな?」
「ヴェラはああいうひとだ。彼女はとても正しいことを言う。だから私は気に入っている。彼女が妥協して声の一つも上げない事態など、私は好かない」
同じ煙の匂いが辺りに漂う。百貨店の高い壁の上に見える空が青い。高い秋空。
「まあ尤も、ヴェラがああなのは、妹のせいでもあるんだがな」
煙をぱあ、と吐き出しながらイリヤはやや呆れたように言う。
「また妹か。全く、羨ましい妹だ。ジーナと言ったな」
「君でさえそう思うか?」
「思う。女の私から見ても、ヴェラの中身を独占している相手というのは何やら羨まれる。まあそういう時、相手は気付かないのだがな」
「それを俺の前で言う訳?」
彼は苦笑を浮かべる。
シミョーン医師は、カシーリン教授のようにその思想や方針が書かれた本がある訳ではない。
ただ、十五年前の大学の学費値上げ闘争に始まり、次々と「独立」を明言する外の州との交流、つい最近の、「学祭時の大通りの使用規制」に至るまで、実際の運動に参加し、その名前をつらねている。
そしてまた、当局との交渉に当たっているという点において、実績があることは事実だった。
ただ、あくまでそれがこの有名ではあるが狭い都市、学校に属している動きであるということではあるが。
「だから確かに彼が一声掛ければ学内のシンパは参加するとは思いますが、学内に止まるということも考えられます」
「そうだな」
そうでなくてはいけない。中佐は喫い尽くした煙草を足下に落とし、ぎり、と踵で地面になすりつける。途端にそれまで煙草のにおいにかき消されていたキンモクセイの匂いが押し寄せてくる。
「……もの凄い匂いだな」
「キンモクセイですか」
「そうなのか?」
「あ、上に……」
ふうん、と中佐はうなづく。何の興味も示していないように少尉の目には映る。
「でかい家だな」
不意に言われて少尉はえ、と中佐の方を向く。
「家、ですか?」
「そこの門から見えた。ずいぶんと金持ちの家だったようだな」
「ああ、そうですか?」
「気付かなかったのか?」
ええ、と少尉はうなづく。うなづいて、みせた。
*
「見たか?」
イリヤは訊ねた。
「見た」
ゾーヤはうなづいた。
「君に言われた通りだ。あの廃屋敷の前に、確かに居た」
そして彼女は厳しい顔つきになり、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「ちょっとした広場」から一歩引っ込んだ通りの、百貨店の段差にべったりと腰を下ろし、学内新聞の編集長とその友人は数十分前から話し込んでいた。
当初は、世間話だった。
「コルネル君か? イリヤ、君は彼が怪しいというのか?」
彼女は灰色の瞳を動かすと、彼女の友人に訊ねる。友人は迷うことなくうなづく。
「確かに外見は怪しいが」
「中身も充分怪しいと思うけどな? 先日ヴェラの妹がカシーリン教授拉致の現場に居合わせただろ? その時彼女と一緒に居たのが、あのコルネル君、の友人らしいな」
「ヴェラはそんなことは言っていなかったが。君は聞いたのか? イリヤ」
いや、と彼は首を横に振る。
「ヴェラはああ見えて、妹のことになると口が固い。それは昔からそうだ」
「君は昔から彼女を知っているからな」
「ああよく知っている。彼女達がここに昔住んでいた頃から知っている」
それは初耳だ、とゾーヤはほんの微かに笑みを浮かべた。
「君はそんなこと私に言ったことはないではないか」
「君に特別、言う程の事柄ではないと思ったからさ。それともゾーヤ、君は俺に言って欲しかったとでも言うか?」
「ふん」
ゾーヤは鼻を鳴らしながら、すっきりとした眉を片方上げた。
「私がそういうことを言わないと知って言う。君のそういうところが私は嫌いだ」
「だが全般的に見れば、君は俺のことを好きだろう?」
「ふん」
再び彼女は鼻を鳴らす。
「あいにくな。どうにもこうにも自分がこう趣味が悪いのかと唖然とする」
「散々な言い方だな」
くくく、とイリヤは笑う。そんな時、イリヤの眼鏡の下の瞳は、宝の地図を見付けた子供のようにひらめく。
事件も革命も、この男にとっては同じなのだ、とゾーヤは知っている。そこが嫌なのだが、そこが好きである自分も知っている。理性的であれ、と律する自分の、唯一律しきれない部分だった。
感情は、理性では制御しきれない。
「吸うか?」
彼は彼女に細い煙草を差し出した。もらおう、と彼女はすっと細い指で一本取り出す。
「ヴェラは私が喫煙するのを嫌うからな。君と居る時くらいしか気楽には喫えない」
「よく我慢していると思うけどな?」
「ヴェラはああいうひとだ。彼女はとても正しいことを言う。だから私は気に入っている。彼女が妥協して声の一つも上げない事態など、私は好かない」
同じ煙の匂いが辺りに漂う。百貨店の高い壁の上に見える空が青い。高い秋空。
「まあ尤も、ヴェラがああなのは、妹のせいでもあるんだがな」
煙をぱあ、と吐き出しながらイリヤはやや呆れたように言う。
「また妹か。全く、羨ましい妹だ。ジーナと言ったな」
「君でさえそう思うか?」
「思う。女の私から見ても、ヴェラの中身を独占している相手というのは何やら羨まれる。まあそういう時、相手は気付かないのだがな」
「それを俺の前で言う訳?」
彼は苦笑を浮かべる。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる