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第5話 「君、天使種が嫌いなのかい?」

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 そうかな、と思いながら、私は一日の仕事を終え、夜時間も半ばに近づいた頃、本社と隣接した自宅へと戻った。
 正確に言えば、社屋のビルの一フロアを自宅にしているという方が正しい。私が未婚だからできることだ。実際、そこに居ても、結局頭の中は仕事のことで埋められているのだから。
 エレヴェイタで昇りながら、しょうもないですね、と言うミス・レンゲの言葉を思い出す。度々彼女は冗談の様に私に言うのだ。社長たるもの、早く身を固めて、一人前になって云々。
 まあ彼女の言うのは冗談である。だがそれを大まじめに言うものも無論居る。
 だがさしあたり興味が湧かないものには仕方がない。
 それに、所詮雇われ社長である。あくまで上の人事一つで首をすげ替えられるポストに過ぎない。まあこれが自分自身の会社であったとしても、血のつながりだけで相続させるのは好きではないので、結局は同じなんだが。
 別に女に興味が無い訳ではない。学生の頃には、それなりに恋愛沙汰もあった。そのたびに本気になって、結婚すら考えたこともあった。
 だがそれはたいがい、向こうが離れていく形で終わった。
 私にはよく判らないのだが、どうも私は、その別れた女性達に言わせると、彼女達自身を見ていないらしい。「らしい」と言ってしまうあたり、私自身が意識していないのは事実である。
 しかし言われてみれば、そうだったかもしれない、という気も確かにする。
 何なのだろう。確かにつきあっていた時には、彼女達は、確かに自分にとって魅力的なのだ。一緒に居ると安心できた女性も居た。私を振り回してしまう程の気強い女性も居た。
 しかし今になって思い返すと、確かに彼女達の姿すら、今でははっきり思い出せないのだ。
 そしてここしばらくは、仕事のあまりの忙しさと、それに伴う達成感からか、そういったつき合いをしている女性がいない状況だ。一夜の何とやらすら無い。それで大丈夫か、と問うようなお節介な仲間、というのが学生以来しばらくいなかったせいもあるかもしれない。この孤立無援に近い中での社長業は、私からそういう部分を忘れさせていた。

 ―――いや、一人だけお節介を出す者もあるのだが。

 そういえば、と私は船の中でナガノが言ったことを思い出す。彼の場合はどうなのだろうか。



「お帰りなさい」
「お先に失礼してます」

 二つの声が、自宅の居間から飛んだ。ナガノとミンホウが、既にそこには居た。
 ハウスキーパーももう帰った時刻であり、彼等は、私が常々言っていたように、居間の冷蔵庫から何かしら出してつまんでいた。私は私で、夕刻には帰るハウスキーパーに、何かしら食事になるようなものを冷蔵庫に補給しておくように、と言いつけてあった。
 彼等は自分の仕事を終えると、社宅に戻る前に、一度ここへ寄る。そして末端に置かれた自分の立場から見た、社の様子を私に報告するのが日課になっていた。
 無論これは、社内では秘密の行動だ。

「社屋のあちこちを修繕がてらに見回ってきましたがね、結構いけないものが取り付けられてますね。あれは社長の指示ですか?」

 ミンホウは社屋の見取り図に赤鉛筆で星印をつけながら、私に問いかけた。

「いや、私ではない。だがそんなに沢山あったか?」
「ええ。……まあここは大丈夫だと思います。先日、見付けた分は、配線をショートさせておきましたから」

 そう言って彼は、赤鉛筆で天井の一部分を指す。少しばかり天井の壁紙をはがした跡がある。
 つまりは、自然事故に見せかけて使用不能にしてある、ということである。もし取り替えようとするなら、相手は何かしら私のこの自宅に入り込む手段を考えるだろう。

「結構多いな」
「どうします? 同じ様に処理しますか?」

 彼は人差し指と中指で赤鉛筆をふらふらさせながら聞く。

「いやいい。そのままにしておいてくれ。とりあえずそれはそこにある、ということが判ればいい。下手に撤去すると、向こうに疑いを持たせる」
「はい。あと、やっぱり全体的に社屋の管理がずさんになってました」
「それは、ここだけ、ということではなく?」
「全体的、です。時々暇見て、あちこちの支社にも聞いてみたんですがね、結構あちこちにほころびが」
「そうか。じゃそれはなるべく早く処理してくれ」
「判りました」

 おそらくこの男は、仕方ないなあ、とか大きな声で言いながら、あちこちを修繕していたのだろう。
 そして大きな声で、こっちは最近建物の傷みが激しいけど、そっちはどうだ、とか簡単に聞いているのだろう。そういう行動が似合う男だ。まさかこの男が、それを全部データ化しているとは誰も思ってはいまい。
 それでいて、この男は昔ながらの紙の図面という奴が大好きだった。理由は簡単だった。いちいち端末を起こすのが面倒らしい。紙なら折り畳めば済むから、と。
 それなのに端末に入力するのはそう不得意ではないから、よく判らないのだが。見かけと行動が一致しない男である。

「しかしそんなに何処が、盗聴器やカメラを仕掛けてるんですか? 配線でつながってないですね。これは無線です」
「ああ。ここの大元だよ」

 二人は嫌そうに言う私の顔を見据えた。
 ドリンク・コート伯爵は、私に厄介物の処理を任せておきながら、その一方で監視を続けている。それは私が立て直しに成功してから、露骨になった。

「それにしても、確かに多いな」
「社長は、親会社から独立する気はないのですか?」

 不意にナガノは訊ねた。相変わらず唐突な質問だった。

「何で、そんなことを聞く?」
「僕だったら、独立する方法を考えますね」
「ふうん?」

 私は何となく楽しくなって、身体ごとナガノの方を向いた。

「ちょっと君のそっち側にあるチーズを私にも回してくれないか?」



 私達はそれから延々と話を続けていた。一応、翌日は基本的に休日、という日だったので、時間には余裕があった。
 無論、翌日も朝から呼び出される可能性はある。この職にある以上、本当の意味での「休暇」は、まず無いと言ってもいい。ナガノやミンホウを連れてきた時も、休暇という名はありつつも、やはり仕事の一環ではあったのだ。
 しかしそれは私の事情であり、彼等の事情ではない。
 だが彼等はこんな夜には、私と夜を徹して話し込んだ。冷蔵庫から軽いつまむ物を出し、だけどアルコールではなく、冷えた水や炭酸水を口にしながら、私達は素面で話し込んだ。
 既に頭が熱くなってるのだ。それ以上アルコールで熱くする必要はない。
 だがだいたい先に眠りに落ちるのはミンホウの方だった。ナガノは呆れる程タフだった。
 そしてある夜、私はそれを口にしたら、彼はあっさりとそれを肯定した。ミンホウはこの時も先にダウンして、ベッドの中だった。翌日に婚約者との連絡を取るために、体力を残しておきたいのだろう、とも思えたが。

「そうですね。あまり眠らなくても大丈夫だし、身体に疲れがたまることもそうありませんね」
「全く君には驚かされるよ」

 それは本音だった。そして他意は無かった。私はただ単に驚いていたのだ。だがその時私は、彼の表情に見覚えの無いものを見た。

「そんなに驚くべきことでしょうかね」

 彼は私に問いかけた。

「色んな星系に色んな種族がいる今の時代ですよ。僕がただ単にタフだってことくらいで、驚くべきことじゃあない。もっと色んな種族が居るでしょう?」
「あ? ああ、そうだね。だが、稀少種族は最近は更に少なくなってるだろう?」
「そうですね。何処かの誰かが狩ってるし」

 言葉は途中から、ひどく小さくなった。だが、私の耳にははっきりと届いた。

「ナガノ……」
「ああ、失言ですよ。幾ら何でも、今そうそう彼等のことを悪く言うことはいけませんよね。輝かしい戦歴が彼等を飾り立ててるうちは」

 失言に悪意を二重三重にもかぶせていることに、どうやら気付いていないのだろうか。私は初めて聞く、彼の露骨な悪態に目を細めた。

「君、天使種が嫌いなのかい?」

 彼はぱっと顔を上げて、咎めるような目で私を見た。

「嫌いですよ」

 即答だった。
 天使種。この長い戦争の中で、とうとうその覇権を手に入れようとしている種族。
 一辺境に過ぎなかったアンジェラス星域から出たその種族は、戦争という状況の中で、「最も優秀な兵士」の集団となり、やがて、受け身の状態から、覇権を握るための闘争に参加し始めた。
 何が「優秀」なのか?
 答えは簡単だった。彼等は「死なない」兵士だったからである。
 ナイフで身体を裂かれようが、弾丸で蜂の巣にされようが、彼等は恐ろしい程の回復力で生き延びる。私は実際に見たことはないが、見た者の話では、ナイフで裂かれた傷が、あっという間に治っていった、とのことである。
 不気味だったよ、とそれを私に言った者は、そう感想を付け加えていたものだ。
 それに加えて、彼等の中には「老人」が居ない。聞く話によると、不老なのだという。
 そんなことがあるものか、と思いつつ、過去のニュースを紐解くと、確かに彼等の中には年輩の顔をした者はいないのだ。私はそれに気付いた時、さすがに背筋がぞっとした。
 まあそれを考えれば、ナガノが天使種を嫌いだというのも、判らなくもない。
 それに加えて、ここしばらく、天使種の軍隊は、ひどく不穏な動きを見せている。弾圧? いやこれは「粛正」が一番よく似合う言葉だと思う。
 「危険」の名の元に、稀少種族が狩られ、天使種内部でも、軍の脱走者には容赦ない処置が取られているという。
 もっとも、「不死」の天使種がどうやって「処置」されるのか、所詮この安全な星域を転々としている私には、予想すらできないことなのだが。



「社長!」

 明るい声に、私はふと振り向いた。人気の無い、階段室。吹き抜けの、広々とした空間が気に入って、私はたびたび、時間に余裕がある時は、各階への昇降に自前の足を使っている。
 だがさすがに二十階建てのビルでそれを自主的にしようとする者はあまり居ない。それだけにその空間は、私が一人になりたい時に、しばしば活用されたりする。
 ミンホウによると、この階段室には監視の目は無いとのことである。まあそれはそうかもしれない。この吹き抜けの階段室は、誰が居ようとすぐに判ってしまう。
 マーブルの、柔らかな曲線を描く手摺りを掴み、声のするほうへ顔を上げると、そこには、見覚えのある女性が居た。

「やあ君か」
「憶えてて下さいました?」

 実に軽やかな足取りで、彼女は階段を駆け下りてくる。私はすぐ近くの踊り場まで昇ると、わが社期待株の踊り子の名を呼んだ。

「憶えているよ、ヴィヴィエンヌ・コルベール。先日の大劇場での『螺旋』の役は素晴らしかった」

 すると彼女は、私よりやや身長の高い身体を深々と折り曲げ、こう言った。

「ありがとうございます! 初演の日、関係者席に社長の姿を見付けた時には、私とても感動しました」
「いや、前からこの作品の評判は、劇団の総監督からも聞いていたしね。私も演劇は好きな方だ。できるだけ見ておきたかったんだ」

 実際そうだった。演劇も音楽も美術も嫌いではない。そもそも私は、綺麗なものが好きなのだ。
 この目の前に居る女優もそうだった。大きな黒い目と長い黒い髪と、そして浅黒い肌を持つヴィヴィアン・コルベールという名の彼女について、十人中八人までは「綺麗」と評するだろう。私もその八人のうちの一人だった。
 実際、先日の公演「光の街路」の中でも、彼女は決して主役ではなかったが、最も光っていた存在であった、と私は言い切れる。

「千秋楽にはまたいらして下さいますか?」

 彼女は黒い瞳をきらきらと輝かせながら訊ねる。できるだけそうしよう、と私は答えて、彼女とそこでは別れた。彼女はそのままその軽やかな足取りのまま、階下へ降りて行き、私は踊り場から階上へと足を踏み出した。
 ちょうど半階分昇った所で、再び聞き覚えのある声が、私を呼び止めた。

「綺麗な人ですね」

 ナガノが、マーブルの手摺りにもたれかかりながら、一つ上の階から私を見下ろしていた。

「君か」
「ええ。僕もここはお気に入りなんです」

 僕も。私はここがお気に入りということは彼に言ったことはない。だが当たり前のことの様に彼は言うと、ひらり、と半階のそのまた半分の高さから踊り場まで飛び降りた。
 あ、と私は思わず声を立てるが、彼はそのまま私の居る段までと足を進めてくる。私は思わず顔を上げ、彼の姿を目に捉えようとする。
 と、窓からの光が、私の目を灼いた。吹き抜けには、窓が上から下まで延々と続く。ちょうど見上げた私の目に、その一つから入り込む外の光が飛び込んできたのだ。
 くらり、と目の痛みとともに、頭の芯が回る様な感覚があった。あ、と思わず声を立てていた。
 倒れる!
 ……だが、倒れない。
 足は既に半分踏み外しているというのに、私の身体は、何か力強いものにがっしりと支えられて、その場から動こうとはしない。

「大丈夫ですか?」

 逆光で、表情は見えないが、それがナガノの声であることは判る。大丈夫だ、と私は手を手摺りに伸ばし、ゆっくりと足を段の上に踏みしめ、そのまま踊り場まで昇った。

「ありがとう。助かったよ。それにしても君は案外力が強いな」
「ああ、僕は力ありますよ。そういう体質なんです」
「タフだとは思っていたが…… 見かけと中身がつくづく一致しないな、君という男は」
「お誉めに預かって恐縮です」

 さらさら、とそんな言い方をして、彼はにっこりと笑った。

「それにしても、綺麗な人でしたね。歌劇団の人ですか?」
「ああ。ヴィヴィエンヌは今期はともかく、来期には主役をも手に入れるかもしれない、と噂されているね」
「ああ、でも、それは無いんじゃないですか?」

 さらり、と彼は言った。

「ん?」
「いや、何となく…… ですが」

 ふうん? と私は手摺りにもたれながら、彼の表情を読み取ろうとした。

「君は、うちの歌劇団の公演を見たことがあるかい?」
「あ、……いや、無いです」

 私はくす、と軽く笑った。なるほどな、と思った。

「ではナガノ、今度の公演には、一緒に行かないか?」
「公演に、ですか?」
「うちの会社の花形の姿を観ずしてどうする? 別に遊びじゃあないさ。それに君、うちの大劇場は、照明が点いた時が素晴らしいんだ」

 うーん、と彼は苦い顔をする。案の定、とナガノはその最後の文句には反応したようだった。私は何となく面白くなって、もう一押し、と言葉を投げてみる。

「何だったら、何もしていない時の劇場も一度見てみるといい。比べられるのは内部の人間だけだしね」
「お願いします」

 私は思わず自分の顔がほころぶのを感じた。  


 
 綺麗なものや、楽しいものは小さい頃から好きだった。
 まあどちらかと言うと、裕福な家に生まれたので、そういったものを手に入れることはそう難しくはないことだった。
 ただ、家自体は、決してそういったものを手放しで与えるようなところではなかった。
 むしろ、「そういったもの」を嫌う様なところがあった。父親は役に立たないものは嫌いだったし、母親は実家がひどく厳格だったらしい。兄は芸術の「げ」の字も理解できない堅物だったし、姉や妹は綺麗なものは嫌いではなかったが、格別無くても困らない様子だった。むしろ自分の周りの友達の間でそういうものが流行っているから、手にする、というだけに見えた。
 だから私が「そういったもの」を今現在、殊更に好むのは、当時の反動がある。確実にある。
 無論その当時も、親きょうだい、家庭教師やら使用人の目を盗んで、自分なりに好きなもの、私の目に映る綺麗なもの、輝いていると思うものを手の中に集めてはいた。
 だがそれはやはり隠れて行うものだったので、結局私の手の中に入る様なスケールのものでしかない。わざわざ有名な歌劇を観に行くために、自分の住んでいた惑星を離れるような冒険は当時の私にはできなかった。
 その反動が、一つの社を動かすことができる立場になった途端、出てきたらしい。
 確かに何かしら人を休日に集めたりする場所は欲しかったのだ。ただそれが歌劇になってしまったのは、確実に私の趣味だった。
 もっとも、最初はその場所は歌劇のための劇場ではなかった。現在の「LB大劇場」があるその場所は、私が赴任する前には、クアハウスだった。ただし流行っていなかった。
 まあ理由は色々考えられた。温泉と言っても、そもそもそれが天然でないことなんて、ここがコロニーである以上、判りすぎるほど判っているし、ウェストウェスト本星にだって、有名な温泉地があるのだ。
 その上で温泉商売などおこがましいというものである。クアハウスで養生なりする余裕がある人なら、間違いなく本星へ行くだろう。天然の良い温泉が、自然に囲まれて存在するのだ。
 だからそんな所で真似しても駄目なのだ。私はさっさとクアハウスを閉じ、そのだだっ広い空間を別のものにしようとした。
 その時浮かんだのが、とりあえず「ステージ」だったのだ。それも、できるだけ安く、誰もが楽しめるような。
 だが、「ステージ」を作ることに決めた時、そこに上がるべき歌手や役者といったものが何処に居るのだろう、とはたと私は悩んだ。
 本職の「歌手」や「役者」というものがひどく少なくなっていたのだ。
 種族的な能力で知られている「銀の歌姫」種は既にその能力を持つ者はいなくなってしまったというし、そうでない普通の芸人としての者も、「場所」が少なくなってしまった今、名の通った者はごくごく少数である。
 だが星の数ほどの候補生は居るはずだ、とその時私は考えついた。質より量、だった。とりあえず、は。
 高い一回一回のステージギャラを払って、「一流」と呼ばれる芸人を一年に数回引っ張ってくるよりは、多少質の面で劣ってもいい、毎週の休みに楽しい舞台を見せてくれるほうが楽しいのではないか。
 それに、質は、上げることができるのだ。 
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