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第2話 「ナガノ・ユヘイです。何だってまあ、余計なことしてくれたんですか」
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実際、久しぶりのキャンパスは美しかった。
元々綺麗な場所だとは思っていたが、ずっとコロニー暮らしをしていると忘れてしまう、天然の重力、距離の判らない程の抜ける青の空、とりどりの無造作な背の高い草、勝手気ままな葉の生い茂る木々。どれもが新鮮だ。
季節は夏。コロニーでは決して感じることのない、強い、透明な日射しが、木々のすき間から見え隠れして、きらきらとまぶしい。
教授から渡された資料を手に、私はあちこちを歩き回っていた。
広場やら掲示板の付近やら、図書館や大講義室、学生講堂…… 懐かしい場所を回っているうちに、ふと喉の乾きを覚え、目についたカフェテリアに足を向けた。
今日は向こうでいつも着ている様なスーツではない。この時期のウェネイクの蒸し暑さをよく知っているから、Tシャツに、綿の長いパンツを履いていた。
髪も下手に整えると、格好に対して浮いてしまうから、整髪料などつけない。つまりはそこいらを歩いている研究生や、研究助手程度にしか見えない格好なのだ。
まあ誰がどう見たって、会社の社長には見えないだろう、と踏んでいた。見えない方がいいのだ。こんな所でまで、会社での顔など出したくはない。
カフェテリアは昔と同じように、セルフサーヴィスだった。私はカウンタでコーヒーと、それに小腹が減っていたので、ホットドッグを注文する。
あっという間に出てくるそれは、親指と人差し指で丸を作った時くらいの太さのソーセージをパンの中にはさみ、たっぷりとケチャップとマスタードがかかっている。レタスもまた、青々として新鮮そうだ。好きだった、あの頃のままだ。
窓際の席を取り、教授から受け取った資料を見ながら一口かじると、ぱり、という触感とともに、ぎゅっ、と肉汁がしみ出してきた。
単純だが美味い。そこに懐かしさとというエッセンスを振りかけたせいか、考えていた以上の味である。
そういえば、最近こんな風に食事を美味く感じたことはなかった。
忙しいばかりではない。何となく毎日、落ち着かないままに、食事は流し込むばかりのものになっていたようだった。それがどんなに豪華なメニューであっても、良い料理人が作ったものであったとしても。
コーヒーは何もちゃんとした食器に入っている訳ではない。大学のマークの入ったのカップだ。端が多少欠けていようが大した問題ではない。
それにしても、と私は資料を見ながら思う。
教授お勧めの学生や研究生は、何やらひどく学部学科がばらばらだった。社会学部だけでも、史学科だったり経済学科だったりするし、工学系では建築や土木の専攻も居る。この学生なんか、ここの大学からの持ち上がりじゃなく、技術学校からの聴講生だ。
私はそんな一人一人の資料を、コーヒーを呑みながら興味深く眺めていた。
だいたいこういう資料というのは面白い。並べられているのは、結構ただの事実の羅列なのだが、それがただの羅列であるからこそ、そこには想像の余地がある。
それに、そのフォートに浮かび上がる姿にしても、どうもこの教授ご推薦の数名は、皆なかなかに印象的だった。私はコーヒーを飲み干すと、その中でも特に目を引く一枚を改めて取り出した。
男子学生だ。いや研究生か。持ち上がりではない。
黒い長い髪を、こういう学生登録仕様のフォートなのに、ざっと結んだきりで、全然まとまっていない。結びきれなかった髪が一筋二筋と顔の周りに垂れ下がっている。だけど不思議とだらしない、という印象は受けない。そして、何よりも、その薄青の瞳が、ひどく印象的で。
だから、それが目の前に現れた時には、目を疑った。
すとん、と目の前の席に、一人の学生が座った。
あれ、と私はその学生が置いた荷物を見る。妙に多い。まるで旅行に出るみたいだ。いや、旅行荷物そのものだ。この暑いのに、結構しっかりした上着もその上には置かれている。明らかに、気候の違う環境へと出かける用意か…… さもなくばその逆だった。
何処へ行く(もしくは行った)のかな、と私はふと資料から目を離して、それを観察していた。
ところがその観察は、目の前の相手によって、中断された。
「リルブッスさん!」
は、と私は顔を上げた。そしては? と今度は口を開けた。
幾度か目が、テーブルの上と前を往復する。私の対面に来た学生は、立ったまま、前のめりの体勢で、私の前に手を置いた。
「……あ、あれ、君、……もしや」
薄青の瞳。ひどく印象的に、くっきりとした。
だけどそれはひどく仏頂面だった。置いた手の指で、とんとん、と彼は何度か苛立たしげにテーブルを叩く。
「はじめまして、リルブッスさん。お目に掛かれて光栄です…… なんて言うと思ってます?」
は? と私は再び口を大きく開けた。一体何を言いたいのだろう。この学生は。
「えー…… 君は…… 確か、ナガノ……」
ちら、と視線を移し、資料の上に書かれた名前を見る。なかなかに発音しづらい。何ってぱきぱきとした音の集まりだ。母音だらけじゃないか。
「ナガノ・ユヘイです。何だってまあ、余計なことしてくれたんですか。ようやく渡航許可が出たっていうのに、これでおじゃんじゃないですか」
「渡航許可?」
「ボンヘミ第三惑星のコンドリアンですよ! あそこはずっとA級危険地帯だったから、なかなか入星許可出なくて、やっとそれが許可下りて、今日出発だった筈なのに、いきなり担当教官から呼び出しが掛かって! 僕は今日は宙港から引き返してきたんですよ!!」
立て板に水。彼は早口でそれだけのことを一気にまくし立てた。
ボンヘミのコンドリアンと言えば、確かに危険地帯だったはずだ。向こうからの製品もずっと来ないままだった。戦闘がひどかったことは予想される。
「何か、用があったのかい?」
「用どころじゃないですよ! 攻撃があったら、せっかくの貴重な建築物がやられてしまうじゃないですか! だから壊される前に、その姿を映像に残しておきたいと思うし、壊れたら壊れたで、その壊れた姿を残して置きたいんですよ! ああ全く。これでまた届け出して、予定を考えて予算を考えて…… 時間かかるんですからね!」
はあ、と私は思わずこの学生の剣幕に押されていた自分に気付いた。
「ま、まあ座ったら……」
「座ってる場合じゃないですよ!」
いや場合とかの問題ではないような気がするんだが。たいして大きくもないテーブルで、そんな、議場でやった方がいい位のオーバーアクションで熱弁をふるわれても。
それでも何とかこのナガノ青年は座る。ただし身は乗り出したままだった。私は思わず身を逸らし気味になる。
「リルブッスさん、コヴィエを御存知ですか?」
「コヴィエ? ああ、あそこも数年前には危険地帯だったね」
唐突な話の持って行き方。ひどく強引だが、つい答えてしまう自分に私は気付いていた。
「御存知ですね? だったら話は早い。あそこは結構植民政府自体が古いんですが、その植民初期の建築物が残ってたんですよ。本当に、つい最近まで!」
「そ、そうなのかい?」
「ええ。あれは貴重なものだったんですよ? ちゃんと都市に住んでる人々もその大切さを知っていたし、ずっと使っていようと、手入れも熱心だったって言うし。だけど一瞬ですよ? 核使われたんじゃ。僕はそれを知らずにその後で見に行ったんですが、ひどいものでした」
「……それはすごいね、で?」
「つまり、この世の中じゃ、いつそういう貴重な建物は無くなってしまうか判らないんですよ! だから機会は貴重なんですよ!」
そんな単純なことが判らないのか、と言いたげな口調に、私は思わずうなづいていた。
だが納得したのは一瞬だった。さすがにこう言われるだけでは性に合わない。私も反撃に出た。
「君の貴重な時間を奪ってしまったのは謝る、ナガノ君。タイミングが悪かった、すまない」
おや。彼の顔に一瞬驚きと戸惑いの様なものが見えた。不思議に思ったが、私は続けた。
「だが、私にしても、今この時間は貴重なんだ。一分一秒が貴重なんだ。その中で、よりよい人材を求めようとして、やってきているんだ。それはそれで、私は私で、君のそういった建築物にかける気持ちと変わらないと思わないかい?」
「違いますよ」
即座にナガノ青年は言った。当然だ、という様に。
「人間は通り過ぎて、それでおしまいかもしれないけど、あれは違う。死んで骨を残しても強烈な存在感という奴があるんだ」
「人間には無いっていうのかい?」
「少なくとも、それ程には」
私は思わず目を大きく開く。何ってまあ、傲慢な程に。
「でもそれは、君がまだ、そんな人間を知らないから、ってことはないかい? それに、建築物だって、元々作るのは人間だ」
すると彼はいいえ違いますよ、と首を横に振った。
「作った瞬間は、確かに人間のものですけど、それはその瞬間から人間の手を離れる。そしてその場所や、社会や、人間と絡んで、それ自体が次第に変化していくんだ。例えば……」
彼はごそごそと、大きく脹らんだカバンのジッパーを開けると、ファイル入れを取り出した。何処だったたな、とぶつぶつ口の中でつぶやきながら、一つのページを開ける。
そこについたポケットには3Dフォートが幾枚か入っていた。その一つに指を触れると、画像はぼうっと浮き上がった。
「これが何処だか判りますか?」
「この大学の本館だろう?」
「そう、本館です。今やずいぶんとどっしりとして、冒してはならないくらいの風格すら持ってますよね」
確かに。灰色の石造りの本館は、三階建ての横に長い建物なのだが、玄関の車寄せといい、窓の一つ一つに刻まれた模様といい、内装といい、この大学の数百年に渡る歴史そのものとも言える。
「だけどこっちを見てくださいよ」
「え? 2Dじゃないか」
「ええ。当時はまだ2Dが普通でしたからね。データ合成するにも資料が足りない。でもだいたい雰囲気は判るでしょう?」
うーん、と私はうなった。実際、見せられた2Dフォートの中にあるそれは、今の本館とはずいぶんと異なっていた。はっきり言ってしまえば、ちゃち。
「どんな建物でも、できたばかりなんて、そんなものですよ。故郷の惑星の、そこいらにあったものをそのまんま真似ただけのものです。そこにはせいぜい、その作り手のノスタルジアくらいしか感じられない。だけど、この数百年って年月が、そのちゃちな建物にも今の様な風格だって与えるんですよ? 作った人間だけ、のものじゃあない」
ふう、と私は思わず息をつく。熱気に当てられてしまったかのようだった。
「なるほど。君の建築物に関する情熱はよく判った」
「いえこっちこそすみません。お忙しいのは判ってるんです。ただ、こっちもちょっとばかり気が立っていて」
おや、と私は目を見張る。冷静にもなれるんじゃないか。
「ただ、今回でしばらくこう言った遠出は一段落つけようと思っていたんですよ」
「そうだったのかい?」
「ええ。まあ正直言えば、こう言ったことを繰り返しているから、かなり僕も、僕としては蓄えが底をついてきてるんですよ。研究は研究として、ずっと続けるつもりではあるんですが、職も欲しいのは事実です」
ああ、と私はうなづいた。
「だから一応教授にも時々紹介を頼んでましたから…… ひどく失礼を申し上げました。すみません」
そして彼はそれまで乗り出していた身を引き、一瞬立ち上がると頭を下げる。後ろに回していた長い黒い髪がざっと肩から落ちた。
私はそんな彼を手で制すと、再び座るようにと頭を振った。
「頭を下げる程のことじゃないさ。かえって君という人間が判りやすくて私は嬉しかったよ、ナガノ君」
私はあらためて、彼に手を差し出す。彼は臆することもなく、すっと手を伸ばした。ずいぶんと綺麗な手だった。あちこち飛び回っているというわりには傷一つ、染み一つ無い。そして握った手は、暖かい。
「そう言っていただければ嬉しいです。だけど僕じゃ、そちらの求める人材にはならないでしょう?」
そう言って彼はくす、と笑う。
「何故?」
「だってあなたは、確か軌道会社の社長でしょう? リルブッスさん。僕がいくら建築の知識が役に立つとは思えない。それに僕の専門は、今現在の建築じゃあなくて、過去に作られたものですよ。史学の分野に近い」
「それは私の決めることさ」
私はそう言うと、コップの中で既に冷めてしまっていたコーヒーを飲み干した。カップの隅にわずかに溜まる飲み干せないコーヒーを見ながら、ふと私はまだホットドッグが半分残っていることに気付いた。コップを掴み、私は立ち上がる。
「あ、コーヒーのお代わりだったら、僕取ってきますよ」
「いや、これは私の」
「僕もちょっと腹減ったんです。ここで食べてもいいですか」
断る理由は無かった。
元々綺麗な場所だとは思っていたが、ずっとコロニー暮らしをしていると忘れてしまう、天然の重力、距離の判らない程の抜ける青の空、とりどりの無造作な背の高い草、勝手気ままな葉の生い茂る木々。どれもが新鮮だ。
季節は夏。コロニーでは決して感じることのない、強い、透明な日射しが、木々のすき間から見え隠れして、きらきらとまぶしい。
教授から渡された資料を手に、私はあちこちを歩き回っていた。
広場やら掲示板の付近やら、図書館や大講義室、学生講堂…… 懐かしい場所を回っているうちに、ふと喉の乾きを覚え、目についたカフェテリアに足を向けた。
今日は向こうでいつも着ている様なスーツではない。この時期のウェネイクの蒸し暑さをよく知っているから、Tシャツに、綿の長いパンツを履いていた。
髪も下手に整えると、格好に対して浮いてしまうから、整髪料などつけない。つまりはそこいらを歩いている研究生や、研究助手程度にしか見えない格好なのだ。
まあ誰がどう見たって、会社の社長には見えないだろう、と踏んでいた。見えない方がいいのだ。こんな所でまで、会社での顔など出したくはない。
カフェテリアは昔と同じように、セルフサーヴィスだった。私はカウンタでコーヒーと、それに小腹が減っていたので、ホットドッグを注文する。
あっという間に出てくるそれは、親指と人差し指で丸を作った時くらいの太さのソーセージをパンの中にはさみ、たっぷりとケチャップとマスタードがかかっている。レタスもまた、青々として新鮮そうだ。好きだった、あの頃のままだ。
窓際の席を取り、教授から受け取った資料を見ながら一口かじると、ぱり、という触感とともに、ぎゅっ、と肉汁がしみ出してきた。
単純だが美味い。そこに懐かしさとというエッセンスを振りかけたせいか、考えていた以上の味である。
そういえば、最近こんな風に食事を美味く感じたことはなかった。
忙しいばかりではない。何となく毎日、落ち着かないままに、食事は流し込むばかりのものになっていたようだった。それがどんなに豪華なメニューであっても、良い料理人が作ったものであったとしても。
コーヒーは何もちゃんとした食器に入っている訳ではない。大学のマークの入ったのカップだ。端が多少欠けていようが大した問題ではない。
それにしても、と私は資料を見ながら思う。
教授お勧めの学生や研究生は、何やらひどく学部学科がばらばらだった。社会学部だけでも、史学科だったり経済学科だったりするし、工学系では建築や土木の専攻も居る。この学生なんか、ここの大学からの持ち上がりじゃなく、技術学校からの聴講生だ。
私はそんな一人一人の資料を、コーヒーを呑みながら興味深く眺めていた。
だいたいこういう資料というのは面白い。並べられているのは、結構ただの事実の羅列なのだが、それがただの羅列であるからこそ、そこには想像の余地がある。
それに、そのフォートに浮かび上がる姿にしても、どうもこの教授ご推薦の数名は、皆なかなかに印象的だった。私はコーヒーを飲み干すと、その中でも特に目を引く一枚を改めて取り出した。
男子学生だ。いや研究生か。持ち上がりではない。
黒い長い髪を、こういう学生登録仕様のフォートなのに、ざっと結んだきりで、全然まとまっていない。結びきれなかった髪が一筋二筋と顔の周りに垂れ下がっている。だけど不思議とだらしない、という印象は受けない。そして、何よりも、その薄青の瞳が、ひどく印象的で。
だから、それが目の前に現れた時には、目を疑った。
すとん、と目の前の席に、一人の学生が座った。
あれ、と私はその学生が置いた荷物を見る。妙に多い。まるで旅行に出るみたいだ。いや、旅行荷物そのものだ。この暑いのに、結構しっかりした上着もその上には置かれている。明らかに、気候の違う環境へと出かける用意か…… さもなくばその逆だった。
何処へ行く(もしくは行った)のかな、と私はふと資料から目を離して、それを観察していた。
ところがその観察は、目の前の相手によって、中断された。
「リルブッスさん!」
は、と私は顔を上げた。そしては? と今度は口を開けた。
幾度か目が、テーブルの上と前を往復する。私の対面に来た学生は、立ったまま、前のめりの体勢で、私の前に手を置いた。
「……あ、あれ、君、……もしや」
薄青の瞳。ひどく印象的に、くっきりとした。
だけどそれはひどく仏頂面だった。置いた手の指で、とんとん、と彼は何度か苛立たしげにテーブルを叩く。
「はじめまして、リルブッスさん。お目に掛かれて光栄です…… なんて言うと思ってます?」
は? と私は再び口を大きく開けた。一体何を言いたいのだろう。この学生は。
「えー…… 君は…… 確か、ナガノ……」
ちら、と視線を移し、資料の上に書かれた名前を見る。なかなかに発音しづらい。何ってぱきぱきとした音の集まりだ。母音だらけじゃないか。
「ナガノ・ユヘイです。何だってまあ、余計なことしてくれたんですか。ようやく渡航許可が出たっていうのに、これでおじゃんじゃないですか」
「渡航許可?」
「ボンヘミ第三惑星のコンドリアンですよ! あそこはずっとA級危険地帯だったから、なかなか入星許可出なくて、やっとそれが許可下りて、今日出発だった筈なのに、いきなり担当教官から呼び出しが掛かって! 僕は今日は宙港から引き返してきたんですよ!!」
立て板に水。彼は早口でそれだけのことを一気にまくし立てた。
ボンヘミのコンドリアンと言えば、確かに危険地帯だったはずだ。向こうからの製品もずっと来ないままだった。戦闘がひどかったことは予想される。
「何か、用があったのかい?」
「用どころじゃないですよ! 攻撃があったら、せっかくの貴重な建築物がやられてしまうじゃないですか! だから壊される前に、その姿を映像に残しておきたいと思うし、壊れたら壊れたで、その壊れた姿を残して置きたいんですよ! ああ全く。これでまた届け出して、予定を考えて予算を考えて…… 時間かかるんですからね!」
はあ、と私は思わずこの学生の剣幕に押されていた自分に気付いた。
「ま、まあ座ったら……」
「座ってる場合じゃないですよ!」
いや場合とかの問題ではないような気がするんだが。たいして大きくもないテーブルで、そんな、議場でやった方がいい位のオーバーアクションで熱弁をふるわれても。
それでも何とかこのナガノ青年は座る。ただし身は乗り出したままだった。私は思わず身を逸らし気味になる。
「リルブッスさん、コヴィエを御存知ですか?」
「コヴィエ? ああ、あそこも数年前には危険地帯だったね」
唐突な話の持って行き方。ひどく強引だが、つい答えてしまう自分に私は気付いていた。
「御存知ですね? だったら話は早い。あそこは結構植民政府自体が古いんですが、その植民初期の建築物が残ってたんですよ。本当に、つい最近まで!」
「そ、そうなのかい?」
「ええ。あれは貴重なものだったんですよ? ちゃんと都市に住んでる人々もその大切さを知っていたし、ずっと使っていようと、手入れも熱心だったって言うし。だけど一瞬ですよ? 核使われたんじゃ。僕はそれを知らずにその後で見に行ったんですが、ひどいものでした」
「……それはすごいね、で?」
「つまり、この世の中じゃ、いつそういう貴重な建物は無くなってしまうか判らないんですよ! だから機会は貴重なんですよ!」
そんな単純なことが判らないのか、と言いたげな口調に、私は思わずうなづいていた。
だが納得したのは一瞬だった。さすがにこう言われるだけでは性に合わない。私も反撃に出た。
「君の貴重な時間を奪ってしまったのは謝る、ナガノ君。タイミングが悪かった、すまない」
おや。彼の顔に一瞬驚きと戸惑いの様なものが見えた。不思議に思ったが、私は続けた。
「だが、私にしても、今この時間は貴重なんだ。一分一秒が貴重なんだ。その中で、よりよい人材を求めようとして、やってきているんだ。それはそれで、私は私で、君のそういった建築物にかける気持ちと変わらないと思わないかい?」
「違いますよ」
即座にナガノ青年は言った。当然だ、という様に。
「人間は通り過ぎて、それでおしまいかもしれないけど、あれは違う。死んで骨を残しても強烈な存在感という奴があるんだ」
「人間には無いっていうのかい?」
「少なくとも、それ程には」
私は思わず目を大きく開く。何ってまあ、傲慢な程に。
「でもそれは、君がまだ、そんな人間を知らないから、ってことはないかい? それに、建築物だって、元々作るのは人間だ」
すると彼はいいえ違いますよ、と首を横に振った。
「作った瞬間は、確かに人間のものですけど、それはその瞬間から人間の手を離れる。そしてその場所や、社会や、人間と絡んで、それ自体が次第に変化していくんだ。例えば……」
彼はごそごそと、大きく脹らんだカバンのジッパーを開けると、ファイル入れを取り出した。何処だったたな、とぶつぶつ口の中でつぶやきながら、一つのページを開ける。
そこについたポケットには3Dフォートが幾枚か入っていた。その一つに指を触れると、画像はぼうっと浮き上がった。
「これが何処だか判りますか?」
「この大学の本館だろう?」
「そう、本館です。今やずいぶんとどっしりとして、冒してはならないくらいの風格すら持ってますよね」
確かに。灰色の石造りの本館は、三階建ての横に長い建物なのだが、玄関の車寄せといい、窓の一つ一つに刻まれた模様といい、内装といい、この大学の数百年に渡る歴史そのものとも言える。
「だけどこっちを見てくださいよ」
「え? 2Dじゃないか」
「ええ。当時はまだ2Dが普通でしたからね。データ合成するにも資料が足りない。でもだいたい雰囲気は判るでしょう?」
うーん、と私はうなった。実際、見せられた2Dフォートの中にあるそれは、今の本館とはずいぶんと異なっていた。はっきり言ってしまえば、ちゃち。
「どんな建物でも、できたばかりなんて、そんなものですよ。故郷の惑星の、そこいらにあったものをそのまんま真似ただけのものです。そこにはせいぜい、その作り手のノスタルジアくらいしか感じられない。だけど、この数百年って年月が、そのちゃちな建物にも今の様な風格だって与えるんですよ? 作った人間だけ、のものじゃあない」
ふう、と私は思わず息をつく。熱気に当てられてしまったかのようだった。
「なるほど。君の建築物に関する情熱はよく判った」
「いえこっちこそすみません。お忙しいのは判ってるんです。ただ、こっちもちょっとばかり気が立っていて」
おや、と私は目を見張る。冷静にもなれるんじゃないか。
「ただ、今回でしばらくこう言った遠出は一段落つけようと思っていたんですよ」
「そうだったのかい?」
「ええ。まあ正直言えば、こう言ったことを繰り返しているから、かなり僕も、僕としては蓄えが底をついてきてるんですよ。研究は研究として、ずっと続けるつもりではあるんですが、職も欲しいのは事実です」
ああ、と私はうなづいた。
「だから一応教授にも時々紹介を頼んでましたから…… ひどく失礼を申し上げました。すみません」
そして彼はそれまで乗り出していた身を引き、一瞬立ち上がると頭を下げる。後ろに回していた長い黒い髪がざっと肩から落ちた。
私はそんな彼を手で制すと、再び座るようにと頭を振った。
「頭を下げる程のことじゃないさ。かえって君という人間が判りやすくて私は嬉しかったよ、ナガノ君」
私はあらためて、彼に手を差し出す。彼は臆することもなく、すっと手を伸ばした。ずいぶんと綺麗な手だった。あちこち飛び回っているというわりには傷一つ、染み一つ無い。そして握った手は、暖かい。
「そう言っていただければ嬉しいです。だけど僕じゃ、そちらの求める人材にはならないでしょう?」
そう言って彼はくす、と笑う。
「何故?」
「だってあなたは、確か軌道会社の社長でしょう? リルブッスさん。僕がいくら建築の知識が役に立つとは思えない。それに僕の専門は、今現在の建築じゃあなくて、過去に作られたものですよ。史学の分野に近い」
「それは私の決めることさ」
私はそう言うと、コップの中で既に冷めてしまっていたコーヒーを飲み干した。カップの隅にわずかに溜まる飲み干せないコーヒーを見ながら、ふと私はまだホットドッグが半分残っていることに気付いた。コップを掴み、私は立ち上がる。
「あ、コーヒーのお代わりだったら、僕取ってきますよ」
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