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第22話 「アナタはそれをよく知ってるんじゃないですか? ヤナセ先輩」
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翌日、ワタシは準備室の窓から半分に折ったチョークを投げた。
折ってしまってから、果たして届くだろうか、という気分と、チョークくらいなら窓に当たっても大丈夫だろう、という気分が半分づつあった。
生徒会室の窓に当てるためのチョーク。悪いね、とつぶやきながら、ワタシは現会長が一人で居る時を見計らって、それを投げた。当たるかどうか、という気分は揺れたが、彼を呼び出すことに関しては、ためらいはなかった。
お節介だとは思う。サエナのああいう姿を見てしまった以上、理由を問いただしたい気持ちはあった。もっともそれ以上に、ワタシの好奇心も大きかったことは事実だが。
正直言って、ワタシもなかなかのショックだったのだ。
まあ学年に一人や二人、そういう噂はある。無い年のほうが変だというくらいだ。だがそれが、身近な…… しかもサエナの思い人がそうだ、というのだと話は別だ。
しかも、それはまるで両思いのように、さりげなく当たり前のようだった。
そうなると今度は、自分のために、それは気になる。どうして、そうなれたのだろうか。
ワタシは自分が逃げていることは知っている。
サエナにはいつも安全な貼り紙をした上で接している。それは逃げだ。絶対にそれを明かさない、それ以上の展開を望まないという姿勢なのだ。
だが逃げる以外他の方法が見つからない相手だということも、ワタシは知っていた。
もしもワタシが本当に気持ちを彼女にうち明けたら。
彼女はきっと懸命の理性で、その事実は受け止めるだろう。それは個人の自由よね、とかありがとうそんなに思ってくれて、という言葉とともに。
だけど、それだからと言って、応えられるという訳ではない。少なくとも、今のように、気を許して、すがりついて泣くなんてことは無くなるだろう。それは、とても悲しい。
その特権を無くすくらいだったら、ワタシは逃げていた方がマシなのだ。
だがあの二人は、そうならなかったのだろうか。
聞きたかった。
よっ、と狙いをつけて、ワタシはチョークの半欠けを放った。
気が付いたようだったので、もう半欠けをまた投げる。今度はそれが何処から投げられたのか、気付いたようだった。
窓を開けて、とジェスチャーを送った。
生徒会室の窓が上げられた。現会長のコノエ君は、ひらひらと手を振るワタシに向かって、何ですか、と声を投げた。
ワタシは辺りをざっと見る。思った通り、人はいない。無言のまま、階下に見える「森」を指さし、お願いポーズを取った。
察しが良ければ、そのまま身を翻し、階段を降りるワタシの後をやってきてくれるだろう。良くなかったら――― その時はその時だ。
夕暮れの階段室は、高い窓からねっとりとした日射しが入り込み、そこにじっとして、天井の模様を眺めていたりすると、時間の感覚が何処か行きそうな錯覚を起こす。
だが今日はそれどころではないのだ。ワタシはばたばたと階段を降りる。
サエナは今日学校を休んでいた。病欠と言ってはいたが、そうではないだろうことは容易く想像がつく。
昨日だって、声は立てなかったにせよ、かなり長く彼女は泣いていた。
そして準備室で落ち着かせた上に、目の腫れを少しでも引かせようと、途中のあの紅茶の美味しい店で、結構な時間を過ごしたのである。
店に入っても彼女は、何から話していいのか判らない様子だった。
あの理路整然とした彼女が、話をあっちへ飛ばし、こっちへ飛ばしと何度も同じことをぐるぐると行き来した。それで何があったの、と聞かない限り、核心にはたどり着かない。そんな印象さえ受けた。
結局彼女の口からは、そこであったこと、は聞き出せなかった。知ってはいる。だが。
*
「森」へ入っていくと、夕暮れの光が斜めに木々の間を通り抜ける中、既に先客は居た。ベンチから現生徒会長のコノエ君は、ポケットに手を突っ込んだままゆらりと立ち上がる。
「こんにちはヤナセ先輩。ワタシに何の用ですか?」
低い声が、ゆっくりと問いかける。
「知ってるの? ワタシの名前」
「ええまあ。一応この役目やってる以上は、全校生徒の名と顔は暗記しましたからね」
整った顔が、笑みを浮かべる。ワタシは自分と似た口調で一人称の代名詞を使うこの下級生に、一瞬震えがきた。
「もっとも」
ワタシは目を細めて、位置を変えた逆光の彼を見た。
「元会長どのはそうでもなかったようだけど」
「何を」
「アナタが元会長のサエナ先輩の一番の友達だってことはワタシも知ってますよ」
「一番かどうかなんて知らないよ」
彼はそれには笑って答えない。
「それよりも。何の用ですか? わざわざワタシを呼びだすというのは。アナタ、ワタシと話すの初めてでしょう。そんな、わざわざ」
「昨日」
「ああ、見えましたか」
「気付いていたの?」
「ワタシはワタシで、アナタと元会長が、仲良く話している図が見えましたからね。だったらきっとそっちからも見えてるでしょうと」
「……」
ワタシは息を呑んだ。そんなあっさりと。
「まあでもそんなことはどうでもいいんですよ。ワタシはアナタがサエナ先輩をどう思ってようが知ったことではない。つまりヤナセ先輩、アナタの大好きな、アナタの一番の友達が、ひどく傷ついたので、その理由を聞きに来た。そんなところでしょう?」
「そうだよ」
「彼とワタシがどんな関係か、ということ」
「……」
あきれる程、堂々としている。いや、関心が無いのかもしれない。そんなことに。それが大きな価値を持っている訳ではないのかもしれない。
「まあ、そういう仲ですよ」
「そういう仲って」
「何度も寝てますがね。でも安心して下さいな先輩。別にワタシはカナイの本命って訳じゃあないですから」
そうそんなにあっさりと言われると。
後頭部を、思い切り殴られた様な感覚。血の気が一気に下がる感覚。眩暈がする。だけどここで倒れる訳にはいかない。
「そ ―――れじゃ、遊びってこと?」
「別に遊びじゃないですがね。と言ってもワタシにも本命は別にいるのですが。でも、無いですかね? 先輩。そういうのが、本命でなくても、欲しいということが」
判る。それはとてもよく判る。判りすぎるくらいに、ワタシは判る。
「それは――― つまりコノエ君、カナイ君もそうだっていうの?」
「さあ。そこまではワタシも知りませんよ」
「だって、そんな仲だったら」
「それを聞くのが、そんなに大切なことですかね?」
ふらり、と彼は一歩、こちらへと踏み出した。ワタシは思わず後ずさりする。一年前のことがオーバーラップする。先輩はここでワタシに貼り紙をした。
「アナタはそれをよく知ってるんじゃないですか? ヤナセ先輩」
また一歩彼は近づく。ワタシはまた一歩後ずさる。
「だから…… カナイ君は、それで君とそうできる、訳?」
「そうですよ」
「それは、彼が、どちらでも構わない、という訳?」
「どうなんでしょうね。そこまではワタシは知らない」
一歩、二歩。ワタシもまた一歩、二歩……
背中が、木にぶつかる。
彼は腕を伸ばして、ワタシの肩越しに、木に手をついた。
「ヤナセ先輩」
低い声が、耳に響く。
「それは、アナタが聞くべきことじゃあない。いくらアナタがサエナ先輩を好きでも、それは、アナタの問題じゃあない。サエナ先輩と、カナイの問題ですよ。奴が何考えてワタシと寝てるのかなんて、ワタシは知らないし、そんなことはどうでもいい。ワタシ達はそれで心地よいし、それがいつまでも続くなんて考えていない」
「じゃどうして君は、自分の本命にそうしないの? ワタシは、―――言えないから―――」
ぽろ、と本音がこぼれた。それはナオキ先輩以外に口に出したことが無いことだ。
負ける。どうしても、この後輩には負けるのだ。
それは迫力とか男女の力の差とかそういうことではない。向こうには、知られて惜しいことが無いのだ。
「君は言えなくて苦しいなんてことがないんだ!」
「でもヤナセ先輩。そんなのは言い訳に過ぎませんよ。少なくともアナタは、アナタの大事な人に、会えるんだから」
え、と問い返す。
「アナタは大事な人を目の前にして、ただ何もできずに手をこまねいてるだけじゃないですか。本当に欲しいものだったら、手段なんか選びませんよ、ワタシなら」
迷わない、その言葉。反射的に、肩が竦む。
「それは何も、アナタにそうしろということではないですがね、先輩」
それができたら、こんなに悩まないのだ。
折ってしまってから、果たして届くだろうか、という気分と、チョークくらいなら窓に当たっても大丈夫だろう、という気分が半分づつあった。
生徒会室の窓に当てるためのチョーク。悪いね、とつぶやきながら、ワタシは現会長が一人で居る時を見計らって、それを投げた。当たるかどうか、という気分は揺れたが、彼を呼び出すことに関しては、ためらいはなかった。
お節介だとは思う。サエナのああいう姿を見てしまった以上、理由を問いただしたい気持ちはあった。もっともそれ以上に、ワタシの好奇心も大きかったことは事実だが。
正直言って、ワタシもなかなかのショックだったのだ。
まあ学年に一人や二人、そういう噂はある。無い年のほうが変だというくらいだ。だがそれが、身近な…… しかもサエナの思い人がそうだ、というのだと話は別だ。
しかも、それはまるで両思いのように、さりげなく当たり前のようだった。
そうなると今度は、自分のために、それは気になる。どうして、そうなれたのだろうか。
ワタシは自分が逃げていることは知っている。
サエナにはいつも安全な貼り紙をした上で接している。それは逃げだ。絶対にそれを明かさない、それ以上の展開を望まないという姿勢なのだ。
だが逃げる以外他の方法が見つからない相手だということも、ワタシは知っていた。
もしもワタシが本当に気持ちを彼女にうち明けたら。
彼女はきっと懸命の理性で、その事実は受け止めるだろう。それは個人の自由よね、とかありがとうそんなに思ってくれて、という言葉とともに。
だけど、それだからと言って、応えられるという訳ではない。少なくとも、今のように、気を許して、すがりついて泣くなんてことは無くなるだろう。それは、とても悲しい。
その特権を無くすくらいだったら、ワタシは逃げていた方がマシなのだ。
だがあの二人は、そうならなかったのだろうか。
聞きたかった。
よっ、と狙いをつけて、ワタシはチョークの半欠けを放った。
気が付いたようだったので、もう半欠けをまた投げる。今度はそれが何処から投げられたのか、気付いたようだった。
窓を開けて、とジェスチャーを送った。
生徒会室の窓が上げられた。現会長のコノエ君は、ひらひらと手を振るワタシに向かって、何ですか、と声を投げた。
ワタシは辺りをざっと見る。思った通り、人はいない。無言のまま、階下に見える「森」を指さし、お願いポーズを取った。
察しが良ければ、そのまま身を翻し、階段を降りるワタシの後をやってきてくれるだろう。良くなかったら――― その時はその時だ。
夕暮れの階段室は、高い窓からねっとりとした日射しが入り込み、そこにじっとして、天井の模様を眺めていたりすると、時間の感覚が何処か行きそうな錯覚を起こす。
だが今日はそれどころではないのだ。ワタシはばたばたと階段を降りる。
サエナは今日学校を休んでいた。病欠と言ってはいたが、そうではないだろうことは容易く想像がつく。
昨日だって、声は立てなかったにせよ、かなり長く彼女は泣いていた。
そして準備室で落ち着かせた上に、目の腫れを少しでも引かせようと、途中のあの紅茶の美味しい店で、結構な時間を過ごしたのである。
店に入っても彼女は、何から話していいのか判らない様子だった。
あの理路整然とした彼女が、話をあっちへ飛ばし、こっちへ飛ばしと何度も同じことをぐるぐると行き来した。それで何があったの、と聞かない限り、核心にはたどり着かない。そんな印象さえ受けた。
結局彼女の口からは、そこであったこと、は聞き出せなかった。知ってはいる。だが。
*
「森」へ入っていくと、夕暮れの光が斜めに木々の間を通り抜ける中、既に先客は居た。ベンチから現生徒会長のコノエ君は、ポケットに手を突っ込んだままゆらりと立ち上がる。
「こんにちはヤナセ先輩。ワタシに何の用ですか?」
低い声が、ゆっくりと問いかける。
「知ってるの? ワタシの名前」
「ええまあ。一応この役目やってる以上は、全校生徒の名と顔は暗記しましたからね」
整った顔が、笑みを浮かべる。ワタシは自分と似た口調で一人称の代名詞を使うこの下級生に、一瞬震えがきた。
「もっとも」
ワタシは目を細めて、位置を変えた逆光の彼を見た。
「元会長どのはそうでもなかったようだけど」
「何を」
「アナタが元会長のサエナ先輩の一番の友達だってことはワタシも知ってますよ」
「一番かどうかなんて知らないよ」
彼はそれには笑って答えない。
「それよりも。何の用ですか? わざわざワタシを呼びだすというのは。アナタ、ワタシと話すの初めてでしょう。そんな、わざわざ」
「昨日」
「ああ、見えましたか」
「気付いていたの?」
「ワタシはワタシで、アナタと元会長が、仲良く話している図が見えましたからね。だったらきっとそっちからも見えてるでしょうと」
「……」
ワタシは息を呑んだ。そんなあっさりと。
「まあでもそんなことはどうでもいいんですよ。ワタシはアナタがサエナ先輩をどう思ってようが知ったことではない。つまりヤナセ先輩、アナタの大好きな、アナタの一番の友達が、ひどく傷ついたので、その理由を聞きに来た。そんなところでしょう?」
「そうだよ」
「彼とワタシがどんな関係か、ということ」
「……」
あきれる程、堂々としている。いや、関心が無いのかもしれない。そんなことに。それが大きな価値を持っている訳ではないのかもしれない。
「まあ、そういう仲ですよ」
「そういう仲って」
「何度も寝てますがね。でも安心して下さいな先輩。別にワタシはカナイの本命って訳じゃあないですから」
そうそんなにあっさりと言われると。
後頭部を、思い切り殴られた様な感覚。血の気が一気に下がる感覚。眩暈がする。だけどここで倒れる訳にはいかない。
「そ ―――れじゃ、遊びってこと?」
「別に遊びじゃないですがね。と言ってもワタシにも本命は別にいるのですが。でも、無いですかね? 先輩。そういうのが、本命でなくても、欲しいということが」
判る。それはとてもよく判る。判りすぎるくらいに、ワタシは判る。
「それは――― つまりコノエ君、カナイ君もそうだっていうの?」
「さあ。そこまではワタシも知りませんよ」
「だって、そんな仲だったら」
「それを聞くのが、そんなに大切なことですかね?」
ふらり、と彼は一歩、こちらへと踏み出した。ワタシは思わず後ずさりする。一年前のことがオーバーラップする。先輩はここでワタシに貼り紙をした。
「アナタはそれをよく知ってるんじゃないですか? ヤナセ先輩」
また一歩彼は近づく。ワタシはまた一歩後ずさる。
「だから…… カナイ君は、それで君とそうできる、訳?」
「そうですよ」
「それは、彼が、どちらでも構わない、という訳?」
「どうなんでしょうね。そこまではワタシは知らない」
一歩、二歩。ワタシもまた一歩、二歩……
背中が、木にぶつかる。
彼は腕を伸ばして、ワタシの肩越しに、木に手をついた。
「ヤナセ先輩」
低い声が、耳に響く。
「それは、アナタが聞くべきことじゃあない。いくらアナタがサエナ先輩を好きでも、それは、アナタの問題じゃあない。サエナ先輩と、カナイの問題ですよ。奴が何考えてワタシと寝てるのかなんて、ワタシは知らないし、そんなことはどうでもいい。ワタシ達はそれで心地よいし、それがいつまでも続くなんて考えていない」
「じゃどうして君は、自分の本命にそうしないの? ワタシは、―――言えないから―――」
ぽろ、と本音がこぼれた。それはナオキ先輩以外に口に出したことが無いことだ。
負ける。どうしても、この後輩には負けるのだ。
それは迫力とか男女の力の差とかそういうことではない。向こうには、知られて惜しいことが無いのだ。
「君は言えなくて苦しいなんてことがないんだ!」
「でもヤナセ先輩。そんなのは言い訳に過ぎませんよ。少なくともアナタは、アナタの大事な人に、会えるんだから」
え、と問い返す。
「アナタは大事な人を目の前にして、ただ何もできずに手をこまねいてるだけじゃないですか。本当に欲しいものだったら、手段なんか選びませんよ、ワタシなら」
迷わない、その言葉。反射的に、肩が竦む。
「それは何も、アナタにそうしろということではないですがね、先輩」
それができたら、こんなに悩まないのだ。
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