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第12話 親愛なる生徒会長どのは、いつになく沈んでいた。
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「どうしようヤナセ。やっぱり私嫌われてる」
重い足取りで準備室に入ってきたサエナは、吐き出すように、ワタシに言った。
五月も終わりに近づく、そろそろ一番陽が長くなる頃だ。
二年になったワタシは、それでも最近は、近い将来のことを考えつつある。いや考えなくてはならないのだ。美大芸大という類を受験しようというなら。
デッサンは、何処も共通だ。
どんな学科に入ろうと、それは必要だから、ワタシは暇さえあれば何かしら描いていた。
目に映るものをそのまま、正確に、光と影だけ追っておく。光しか見えないようなものにも、必ず影がある。そしてその影を追うことによって、その光の存在もまた大きくなっていくのだ。
とりあえず、ワタシはうちの学校の光に顔を向けた。
親愛なる生徒会長どのは、いつになく沈んでいた。何かあったの、とワタシはつとめていつものように声を掛ける。最近彼女はひどく不安定に見えた。
新学期に入って、最初は楽しそうだったのに、ひと月ふた月と過ぎるうちに、ひどく明るい日とひどく沈んだ日が目立つようになってきたのだ。
―――原因は、判っていたけど。
「さっき、図書室に彼が居たから、最近帰り遅いんじゃないかってこと、つい言ってしまって」
「それで?」
彼、とサエナが言うたび、自分の表情が、ひどく凍り付くのにワタシは気付いている。
ちら、と壁の鏡に視線をやると、一見笑顔を作っている自分の姿が見える。平然として、彼女の話を聞いている、ふりをしている。
「怒らせてしまったみたい。最初から先輩呼ばわりだし、その話切り出したら、他に用が無いなら帰るって」
ま、彼の気持ちも判らなくはない。幼なじみの年上の少女が、いきなり編入してきて生徒会長になんてなっていて、それでいて昔のように――― あくまでサエナの話を聞く限りだが――― 世話やき姉さんのような顔されたら、たまらないものはあるだろう。
いっそこの、今のこの姿を見せればいいのに、とワタシは思う。
「それで、帰ってしまったって訳?」
「友達が居たみたいだから。ヤナセ知ってるかしら? 今度の編入生なんだけど、コノエ君って」
「ああ」
さすがにその名前には覚えがあった。いや名前に覚えがあった訳ではない。入学式の次の週にあった、新入生歓迎会。その時に、彼はひどくワタシの目を引いたのだ。
整った顔つきとか高い背とか、そういうことではない。
確かにそれも一つだったが、それより何より、コノエ君というこの新入生が、ワタシの目にはどう見ても、自分より年上にしか見えなかったのだ。
バランス。そう、バランスだ。
他の新入生とは、何か身体つきのバランスが違っていた。
成長半ばの他の新入生と違って、そこにするりと立っていた姿は、既にその時期の不安定さを抜けだした、大人の男の持つラインを持っていた。
絵をやっていると、時々人の身体をそういう目で見てしまう時がある。物体としての、肉体。そのバランスのちょっとした差異が、毎日絵を描くという日々の訓練のために、「何となく」見えてしまうのだ。
だからさすがに、その時には興味をそそられ、わざわざ近くまで寄って、名札をのぞき込んだりもした。
そんなことをすれば、気があるのか、とクラスや美術部の同級生は言いそうなものだが、ナオキ先輩の貼り紙は、まだずいぶんと効果を持っていた。
口さのない彼女達は、ワタシの知らない所で、それを広めていたらしい。何せ、サエナすらがある日それを口にしたのだから。
そして彼女曰く。
「良かった」
何で、とワタシが訊ねると、彼女は極上の笑顔でこう言った。
「だって、私ばかりそういうことで浮かれていて、あなた何もそういうこと無いのって、何か、悲しいじゃない」
ワタシはその時は何と言っていいか判らずに、ただ苦笑した。そしてかろうじて口から出た言葉は、こんなものだった。
「それじゃサエナは、ワタシに彼氏が居た方がいい?」
彼女は実に素直にうなづいた。
こういう所が、ワタシが決して彼女を理解できない所であり、彼女がワタシの中身を絶対突き止めない理由なのだ。
彼女にとっては、男女がカップルになるのは、当たり前のことであり、それ以外のことは考えつかない。
それはそれでいい。そういう彼女が、ワタシにはある意味、ひどく光輝いて見える。
それは、自分には掴めないものだから、余計に輝いているのだ。
最初からそうなのだ。
サエナは、まるで努力目標のようなことばかりを口にする。
端から聞けば、それはきれい事に過ぎないと言いたくなるような事も多い。
ただ彼女はそれが、本気なのだ。冗談でなく本気なのだ。
誰もやったことがないから女子の生徒会長になろう。学校を活性化させよう。人には疲れた顔を見せないようにしよう。好きな人が居るからその人のために努力しなくちゃ。
胸が痛くなる。
「で、そのコノエ君、あんたはあまり好きじゃあないんだ」
すると彼女は首をかしげる。そうじゃなくてね、と付け加える。
「好きじゃないって訳じゃないわ。私には別に好きでも嫌いでもないもの」
「ふうん?」
「ただうらやましかったのよ。だって、図書室から出て、二人して結構じゃれあいながら学校出てくじゃない」
「あんた、見ていたの?」
「別に見ようとして見ていた訳じゃないわよ。目が追っちゃったのよ」
ああ全く。
*
「じゃれあう二人」に関してはワタシも時々目撃している。
別段強制ではない部活動をしていない者は、授業が終わればさっさと帰る。もしくは学校以外の活動に走る。
美術室に行くには、ワタシの教室からはやや距離がある。その間、一年生が脇を走り抜けていくことだって珍しくはない。
ちなみに彼女が好きなカナイ君という下級生については、コノエ君以上にワタシは知らなかった。幼稚園からずっと同じ学校の中に居たというのにこうだ。
としたら、大して目立つ奴ではないだろう。少なくとも、ワタシの興味を引く外見ではないはずだ。
ナオキ先輩のような、派手な色の髪や、コノエ君のような、他と違う印象を持つ身体つきでもないだろう。
そしてサエナのように飛び抜けた成績でもないだろう。
うちの学校は、中等部からずっと、成績は校内に貼り出される。だいたい一年二年三年、全部並べられるから、その中で上位に居れば、嫌でも目につく。
コノエ君に目が行ったのは、もう一つ、彼が外部生だからだった。外部生というのは、程度の差はあれど、何かと新しい風を運んでくる存在だ。
今年もまた、ある程度の外部生が入ってきていた。
サエナの言うカナイ君と同じクラスにも数名。
どちらかというと、ワタシはもう一人、目につく子が居ることは気付いていた。目敏く耳聡い美術部の同級生が言うには、その子はマキノ君というのだという。
その「子」とワタシが称したくなるくらい、彼は「可愛い」感じがした。単純に外見の話である。
美術部の同級生からも、サエナからも、ワタシは「面食い」だと言われている。
まあ仕方ないだろう。一応噂にされているナオキ先輩は飛び抜けてはいないが、整った方だし、「あれはいいね」と口にするのはだいたい造形的に整った男だった。
結局、綺麗なものが好きなのだ。それが男でも女でも。
コノエ君にはその制服の中の体つきの、バランスや線そのものに、マキノ君にはぱっと見の印象としての可愛らしさを。それを目で見たまま、紙の上に写し取りたい、という衝動。そういう意味の「好き」「気に入っている」。
だがそういう見方をしているということは、そう人には言わない。
ただ、例外は居る。遠距離の向こうに。
重い足取りで準備室に入ってきたサエナは、吐き出すように、ワタシに言った。
五月も終わりに近づく、そろそろ一番陽が長くなる頃だ。
二年になったワタシは、それでも最近は、近い将来のことを考えつつある。いや考えなくてはならないのだ。美大芸大という類を受験しようというなら。
デッサンは、何処も共通だ。
どんな学科に入ろうと、それは必要だから、ワタシは暇さえあれば何かしら描いていた。
目に映るものをそのまま、正確に、光と影だけ追っておく。光しか見えないようなものにも、必ず影がある。そしてその影を追うことによって、その光の存在もまた大きくなっていくのだ。
とりあえず、ワタシはうちの学校の光に顔を向けた。
親愛なる生徒会長どのは、いつになく沈んでいた。何かあったの、とワタシはつとめていつものように声を掛ける。最近彼女はひどく不安定に見えた。
新学期に入って、最初は楽しそうだったのに、ひと月ふた月と過ぎるうちに、ひどく明るい日とひどく沈んだ日が目立つようになってきたのだ。
―――原因は、判っていたけど。
「さっき、図書室に彼が居たから、最近帰り遅いんじゃないかってこと、つい言ってしまって」
「それで?」
彼、とサエナが言うたび、自分の表情が、ひどく凍り付くのにワタシは気付いている。
ちら、と壁の鏡に視線をやると、一見笑顔を作っている自分の姿が見える。平然として、彼女の話を聞いている、ふりをしている。
「怒らせてしまったみたい。最初から先輩呼ばわりだし、その話切り出したら、他に用が無いなら帰るって」
ま、彼の気持ちも判らなくはない。幼なじみの年上の少女が、いきなり編入してきて生徒会長になんてなっていて、それでいて昔のように――― あくまでサエナの話を聞く限りだが――― 世話やき姉さんのような顔されたら、たまらないものはあるだろう。
いっそこの、今のこの姿を見せればいいのに、とワタシは思う。
「それで、帰ってしまったって訳?」
「友達が居たみたいだから。ヤナセ知ってるかしら? 今度の編入生なんだけど、コノエ君って」
「ああ」
さすがにその名前には覚えがあった。いや名前に覚えがあった訳ではない。入学式の次の週にあった、新入生歓迎会。その時に、彼はひどくワタシの目を引いたのだ。
整った顔つきとか高い背とか、そういうことではない。
確かにそれも一つだったが、それより何より、コノエ君というこの新入生が、ワタシの目にはどう見ても、自分より年上にしか見えなかったのだ。
バランス。そう、バランスだ。
他の新入生とは、何か身体つきのバランスが違っていた。
成長半ばの他の新入生と違って、そこにするりと立っていた姿は、既にその時期の不安定さを抜けだした、大人の男の持つラインを持っていた。
絵をやっていると、時々人の身体をそういう目で見てしまう時がある。物体としての、肉体。そのバランスのちょっとした差異が、毎日絵を描くという日々の訓練のために、「何となく」見えてしまうのだ。
だからさすがに、その時には興味をそそられ、わざわざ近くまで寄って、名札をのぞき込んだりもした。
そんなことをすれば、気があるのか、とクラスや美術部の同級生は言いそうなものだが、ナオキ先輩の貼り紙は、まだずいぶんと効果を持っていた。
口さのない彼女達は、ワタシの知らない所で、それを広めていたらしい。何せ、サエナすらがある日それを口にしたのだから。
そして彼女曰く。
「良かった」
何で、とワタシが訊ねると、彼女は極上の笑顔でこう言った。
「だって、私ばかりそういうことで浮かれていて、あなた何もそういうこと無いのって、何か、悲しいじゃない」
ワタシはその時は何と言っていいか判らずに、ただ苦笑した。そしてかろうじて口から出た言葉は、こんなものだった。
「それじゃサエナは、ワタシに彼氏が居た方がいい?」
彼女は実に素直にうなづいた。
こういう所が、ワタシが決して彼女を理解できない所であり、彼女がワタシの中身を絶対突き止めない理由なのだ。
彼女にとっては、男女がカップルになるのは、当たり前のことであり、それ以外のことは考えつかない。
それはそれでいい。そういう彼女が、ワタシにはある意味、ひどく光輝いて見える。
それは、自分には掴めないものだから、余計に輝いているのだ。
最初からそうなのだ。
サエナは、まるで努力目標のようなことばかりを口にする。
端から聞けば、それはきれい事に過ぎないと言いたくなるような事も多い。
ただ彼女はそれが、本気なのだ。冗談でなく本気なのだ。
誰もやったことがないから女子の生徒会長になろう。学校を活性化させよう。人には疲れた顔を見せないようにしよう。好きな人が居るからその人のために努力しなくちゃ。
胸が痛くなる。
「で、そのコノエ君、あんたはあまり好きじゃあないんだ」
すると彼女は首をかしげる。そうじゃなくてね、と付け加える。
「好きじゃないって訳じゃないわ。私には別に好きでも嫌いでもないもの」
「ふうん?」
「ただうらやましかったのよ。だって、図書室から出て、二人して結構じゃれあいながら学校出てくじゃない」
「あんた、見ていたの?」
「別に見ようとして見ていた訳じゃないわよ。目が追っちゃったのよ」
ああ全く。
*
「じゃれあう二人」に関してはワタシも時々目撃している。
別段強制ではない部活動をしていない者は、授業が終わればさっさと帰る。もしくは学校以外の活動に走る。
美術室に行くには、ワタシの教室からはやや距離がある。その間、一年生が脇を走り抜けていくことだって珍しくはない。
ちなみに彼女が好きなカナイ君という下級生については、コノエ君以上にワタシは知らなかった。幼稚園からずっと同じ学校の中に居たというのにこうだ。
としたら、大して目立つ奴ではないだろう。少なくとも、ワタシの興味を引く外見ではないはずだ。
ナオキ先輩のような、派手な色の髪や、コノエ君のような、他と違う印象を持つ身体つきでもないだろう。
そしてサエナのように飛び抜けた成績でもないだろう。
うちの学校は、中等部からずっと、成績は校内に貼り出される。だいたい一年二年三年、全部並べられるから、その中で上位に居れば、嫌でも目につく。
コノエ君に目が行ったのは、もう一つ、彼が外部生だからだった。外部生というのは、程度の差はあれど、何かと新しい風を運んでくる存在だ。
今年もまた、ある程度の外部生が入ってきていた。
サエナの言うカナイ君と同じクラスにも数名。
どちらかというと、ワタシはもう一人、目につく子が居ることは気付いていた。目敏く耳聡い美術部の同級生が言うには、その子はマキノ君というのだという。
その「子」とワタシが称したくなるくらい、彼は「可愛い」感じがした。単純に外見の話である。
美術部の同級生からも、サエナからも、ワタシは「面食い」だと言われている。
まあ仕方ないだろう。一応噂にされているナオキ先輩は飛び抜けてはいないが、整った方だし、「あれはいいね」と口にするのはだいたい造形的に整った男だった。
結局、綺麗なものが好きなのだ。それが男でも女でも。
コノエ君にはその制服の中の体つきの、バランスや線そのものに、マキノ君にはぱっと見の印象としての可愛らしさを。それを目で見たまま、紙の上に写し取りたい、という衝動。そういう意味の「好き」「気に入っている」。
だがそういう見方をしているということは、そう人には言わない。
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