七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
72 / 125

第72話 出すべき部分は出して、隠すべき部分は隠せ

しおりを挟む
「じょおだんじゃないわよっ!」

 盗聴器のことも忘れて、大声を立て、持っていた本を相棒に投げつけた。器用なもので、ナギはそれを片手で受けとめた。 
 できたてのシチュウを流し込んだように、胸の中で、どろどろとした熱いものが煮えたぎっている気分だった。こんなに怒ったのは初めてだった。他の誰にも、こんなに怒りをかきたてられたことはない。
 他のどんな万年トップの女子生徒に言われたとしても、自分は馬耳東風を決め込むことができただろうと思われるのに。

 そしてシラは次の定期試験では、文学以外の教科の筆記試験で全て二番を取った。文学は一番である。

「ああやっぱりあなたの方が上だ」
「どの面下げてそんなこと言うのよ」

 校内総合掲示板の前には、高等科全校生徒の三分の一が群がっているかと思われた。なのでさすがにそんな悪態は声をひそめている。
 横書きのフルネームは、一つ以外は全て自分の上に相棒が居る。シラは文学以外の教科で勝てるとは思わなかったが、さすがに結果が出てみると悔しさは倍増する。

「でも実力でしょう?」

 シラは唇を噛みしめる。何となく、このひどく冷静な相棒を思いっきり驚かせてやりたくなった。

「きっとあんたは世界は自分の思うように回るって思ってるんじゃない?」
「そんな……」

 いきなりシラはナギの首に両腕を回した。シラの方が明らかに小さいから、思いきり背伸びをして。目の前に金色の瞳。そして。

「……!」

 周囲が一斉に引いた。
 衆人環視の中、シラは相棒に思いっきり濃厚なキスをしたのだ。

   **
    
  つまりは、出すべき部分は出して、隠すべき部分は隠せ、ということをナギは言いたかったんだ、とシラは思う。隠さなくともいい部分にエネルギーを使うのは無駄なことだと。
 とは言え、この現在目の前にいる黒夫人には、どれだけ自分の何を隠して、何を見せるべきなのか、それとも何も考えない方がいいのか、どうにも判らないのだ。
 いつもならそういう時に適切なアドバイスをくれる相棒が居る。だが今はそういう訳にもいかない。シラは自分で考えなくてはならないのだ。

「そのまま帝都へ向かうのですか?」

 食事の後、シラは訊ねた。夫人は首を横に振る。

「とりあえずはあなたの副帝都のお家へ向かうわ。そのまま帝都へ行っても何でしょう?」

 何が何なのかさっぱり判らないが、とにかく一度副帝都の家に戻れるというのは嬉しい。
 その家自体に愛着がある訳ではないが、勝手を知っているのは帝都の家より副帝都の本宅の方である。
 帝都の家には足を踏み入れたのは一度しかない。それも、ついこの間の冬のことである。そこの執事のコレファレスよりは、副帝都の執事のクーツの方がよほど気楽に話すことができる。

 それに、高速通信を使えるわ。

 何とかしてナギに連絡を付けたかった。
 ナギに頼ってしまおうという訳ではない。頼った瞬間、あの相棒は自分を見放すのは目に見えている。それは許せない。相手も許せないし、頼らざるを得ない自分も許せない。
 だけど、自分で上手く答えが出せないのも確かなのだ。
 全部の答えが欲しい訳ではない。正しく考えるためのヒントが欲しいだけなのだ。
 それだけではない。
 シラは身体を固くする。問題は今なのだ。今現在、自分は黒夫人から自分をどう守ればいいのか、考えなくてはならないのだ。
 黒夫人の視線は、奇妙なほどシラの身体に絡み付いてくるのだ。
 どこをどう、という訳ではない。
 だが、どうも似ているのだ。あの、休日の茶屋で自分と相棒を値定めする男子学生のような、そのまま想像の中で服を一枚一枚脱がせているような視線である。
 学校で自分達にそうするような度胸のある女子生徒はいない。最初に上位を独占したあの時以来、誰も自分達にそういう意味で近付いてはこなかった。
 だから、怖くないと言ったら嘘になる。いや、はっきり言って、シラは怖いのだ。
 列車の中に居るうちはよかった。都市間列車は、いくら長距離でも、基本的には一日の中で行ける距離を走る列車である。個室であっても、それは昼の生活のための個室だ。
 だがホテルと、大陸横断列車は違う。彼女はもちろん二等個室を取ったと言った。そうだろう、と思った。予約でない場合の一番いい車両は二等個室である。

 どうしたものかしら?

 シラは考える。相棒なら。ナギだったら?
 ナギだったらあっさりと身体くらい投げ出すだろう、とシラは思った。
 相棒はそういうことに全く頓着がない。世間のモラルは一応知っていても、それが自分に窮屈なものだったらご丁寧に無視する。反抗はあまりしない。する必要もないから、と言われたこともある。

 どうしよう。

 シラは考える。

「嫌ねえ、いつまでもしかめっつらしてちゃ」

 夫人は帽子を頭に留めていたピンを一つ一つ抜き取る。黒い帽子の下には、黒い、やや固そうに波打つ黒い髪があった。
 母と同じ歳くらいとしたら、三十をとうに越しているだろう。だが二十代半ばと言ってもおかしくない。

「しかめっ面なんかしていません」

 くすくす、と夫人は笑う。

「まあいいわ。じゃあ一つ言い渡しておきましょうか。確かに私は可愛い女の子は好きだけど、別に無闇やたらに何かれしたいという訳ではないのよ」
「……」
「ま、別に信じなくともいいけどね。とりあえず私の今の目的は、あなたを無事に副帝都へ、そして帝都へ連れて行くことなのよ。その間に傷物にしたとなっちゃ、私もあの方に会わせる顔がないわ」

 あの方? ふとその言葉がシラの中に引っかかった。

「あなた一人の考えではないのですか?」

 ふふん、と夫人は鼻で笑った。そして答えない。無言は時に、ひどく雄弁である。誰か裏に居るのだ。それはたやすく予想ができることだった。

「判りました。聞きません」
「そう、それが利口よね」

 ええ全く。シラは内心思いきり悪態をついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて

千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、娘の幼稚園の親子イベントで娘の友達と一緒にいた千春と出会う。 ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。 ハッピーエンドになると思うのでご安心ください。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

檸檬色に染まる泉

鈴懸 嶺
青春
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...