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第45話 皇太后との駆け引き

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 紅はシラを抱き上げたまま、一礼すると、階段を上っていく。女性としてはかなりの力だ。ただ者ではない。
 だとしたら、自分を後ろから押さえつけた者もまた、ただ者ではないとナギは思う。女ではない、と感じた。手が大きいのだ。指と指を広げた時の感触が違う。それは制服の襟ごしにもよく判った。

「いったい貴女は私に何の用なんですか!」

 怒りに声が詰まりそうになるのをこらえて、ナギはこの一見実に大人しそうな女性を見据えた。

「ああようやく判ったみたいね。そう。私は貴女に用があったのよ。そのためにまず彼女を引っぱり出させてもらった」
「私のために彼女を? それは尋常じゃない。どうして貴女が私に、ただの男爵令嬢の勉強相手に用があるというのです? 皇太后様!」
「私はただの『男爵令嬢の勉強相手』を捜していた訳ではないわ。逆よ。貴女を捜していたら、たまたまそれが男爵の家にぶつかっただけだわ」

 カラシュのその理屈臭さは少女の頃から変わらない。例え百年経っても基本的な部分はそう変わるものではないのだ。

「私を捜していたというんですか?」
「ええそうよ。ずいぶん苦労したわ。男爵が話を持ち出すまでは雲を掴むようなものだったわ」

 ということは。ナギは上った血が引くのを感じる。彼女は自分の正体を知っている!

「ホロベシ男爵は何を」
「私と取引がしたいと言ってきたわ」
「取引」

 カラシュはうなづく。そして掛けたらどう、と再び椅子を勧め、自分はさっさと座り込んだ。そしてナギが掛けるかどうかなとどちらでもいいかのように、そのまま話を続けた。

「うちに私の捜している女性が居る、と。証拠は幾らでも見せられる。渡してもいい。だが条件がある、と」
「どんな条件ですか?」

 ナギは眉をひそめる。あの男は。

「青海区からの航路独占権」
「青海区からの? そんな」

 航路は帝都本土の極側にある北海区がわのルートと、赤道側にある南海区側のルートが現在の主流である、とナギは「家庭教師」の一人から学び、学校でも学んでいる。
 何故か。それは付近は気候条件的には最も良い青海区側の海が、「進めない海」だったからである。
 海も、大陸棚のあたりまでなら良い。だがある一点を越えると、異常が起こるのだ。
 まず一つは気象異常である。霧が異様に多い。かつてその海に迷い込んで、ほうほうの体で帰還した船長は、その時の霧を「手を伸ばしたら、その自分の指が見えないんだ」と表現した。
 もう一つは計器異常である。技術が発達した現在、いくら霧が深くとも、計器が大丈夫ならよいだろう、と誰もが思った。
 だがそれも甘かった。計器も狂うのである。磁場が狂っているのだろう、と教師は言っていた。だがその狂う原因が判らない。そしてその件を研究する者は近年、不穏分子として捕まる者が多い。結局研究は進まないのだ。

「そう思うでしょう?」
「青海区から船を出すなど自殺行為」
「そうよ。実際遭難した船が大半だわ。だけど、その磁場の狂う原因が判って、それを撤去できたらどうかしら」
「航海が可能になる?」

 即座にナギは答える。

「そう。そうしたら、青海区からの航路は、直線距離的に見て、連合首都に最短距離になるわ。そこを独占したらどうかしら。ホロベシ社団はとんでもない利益を上げることにはならないかしら」
「でも」

 ナギはそこでようやく腰を下ろす。

「その原因と、その撤去法が判るというのだろうか」
「実際ははったりかもしれない」

 カラシュは傍らのポットから茶を自分のカップに注ぐ。乳茶だった。一杯如何、と彼女はナギに訊ねる。結構、とナギは手をひらひらと振る。

「だけどマキヤ・ホロベシが何かと反体制的な学者達を自分の手元に置いていたことは事実。それは貴女もご存知でしょう?」

 ナギはうなづく。何せ自分はその学者達から学んだのだ。

「無論あれがその本当の意味に気付いたとは思えないけれど、ただそれが完全にただの自然の条件でないことには気付いたようね。もちろん自然の条件などではないわ」

 ナギは顔を上げた。カラシュは海の異常は自然のせいではない、と断言しているのだ。

「さてそこで私は考えたわ。そしてホロベシへの返事は保留にしておいた。ねえひどく不思議だと思わないかしら?何故彼は私にそれを持ちかけるのかしら?私には何の政治的権限はないわ。皇帝陛下に進言することはできても、現在の陛下に私の意見を通すことはできないでしょう」
「無理なのですか?」

 カラシュはそれには答えなかった。ただにっこりと微笑んだだけだった。

「そして保留にしておいたところでホロベシが殺されたという知らせが入ったわ。さて辺境民族の流れ弾と報告は受けたけれど」

 カラシュはカップを置く。そして極上の笑みをナギに向ける。

「あなたが殺させたんでしょう? イラ・ナギ」

 ナギは形の良い眉を片方吊り上げた。
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