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第18話 ナギと草原のカラ・ハン族
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そんな彼の考えにはお構いなしに、彼女は再びシルベスタの上着をベッドに放り投げる。そして血のついたタオルを彼の手から取って、すっと立ち上がると浴室へ向かって行った。
「何するつもりだ!」
「血の染みってのは落ちにくいんだ。浴槽につけておけばそれでもある程度は消えるさ。そうしたら続きをしよう」
「ナギ!」
「まだ話は終わっていないんだ」
密談は情事の時が一番いいんだ、と彼女は浴室から言った。まだ天井裏に何が潜んでいるか判らないというのにそんな声で言っていいのだろうか。
「だけど俺はかなり気が抜けてるぞ。できないかもな」
「ああ大丈夫だ。そんなのは何とかなる」
にこやかに言われても。そういう問題ではないと彼は思う。
*
「カナーシュ先生は三等車に乗り込んだ。私は男爵の命令通り一等車に乗り込んだので、彼と話す機会もない。下手に彼と話したりすれば、何やら疑われかねない」
「カナーシュ氏は見張られていたのか?」
「さすがにな。何と言っても全国指名手配だ。第一級不敬罪と言えば、反乱の首謀者に次ぐ扱いだ。哀しいかな、先生は学者であって、テロリストではない。変装とかは実に下手なんだ」
彼女が苦笑するのが、明るくない室内でも彼には判った。
「別に誰も彼にそんな能力は期待しなかったしな。私の方の車両にも、男爵が帝都から乗り込んできて、私自身動きが取れなくなってしまった」
「その後馬賊に襲われたと聞いたが」
「耳が早いな」
「その程度は当然だろ? で、その時、人質が取られたとも」
「ああ」
「その人質の連れが、後で殺されたとも聞いた」
「そうだな」
「それは君だろう?」
「そうだ」
彼女は思った以上にあっさりと答える。
「ずっと気になっていたんだ」
「でしょうね。そんな気はしてた」
「その割には君はずいぶんと平然としている」
「私にはあなたの方が不思議ですけど?」
くす、と彼女は笑った。
「何が?」
「気が抜けた、と聞いたけど? 元気じゃないですか。思いの他」
「君がそうさせたんだろう?」
「それはそうだけど、所詮技術は技術。あなた何だかんだ言って、神経太いですよ」
「それは誉め言葉と取っていいのかい?」
「当然でしょう?」
彼はつ、とナギの胸の、縦一文字のラインをなぞった。ん、と喉の奥で彼女は鳴く。
「馬賊の話をして欲しいな」
「いいですよ。私は私の知っていることを教える約束ですものね。ええ。馬賊は、その朝早く、いきなり襲ってきたんですよ」
「うん」
「馬賊というのは正確じゃないです。正確に言えば、帝国の西に、華西という管区があるんですが、そこに住む、カラ・ハンという部族がありまして」
「その部族が馬賊なのか?」
「まあそう急がないで。馬賊、というのは卑称であるということはあなた聞いてませんか?」
「一応。『賊』だもんな」
「ええ。とはいえ、カラ・ハンだのその近くのアファダ・ハンだのが騎馬民族というのは事実だ。この辺りは草原地帯で、昔から馬に乗って、遊牧して生活してきています。最近はそれでも多少帝都や副帝都の生活様式が入れられてきてはいるけれど、それでも基本は」
「騎馬遊牧民族だと」
「ええ。それが一番あの地に合っている。だから無闇に向こうの文化を取り入れようとは思わない。そうすることが害になることは彼らは知っている」
「詳しいね」
「私も昔住んでいたことがあるから」
そう言えば、彼女の外見は、北に近い華西区の民族のものに近いな、と彼は今更のように思い出した。
「ところが帝都教育庁は違う。かの地を『教化』しようなどというとんでもない考えを持っている」
「……」
「年に一人、学都に『留学生』を出させ、帝都教育庁流の『文明』をかの地に植え付けようとしている」
「無謀だな」
「やり方としては全く間違っているとは言えないでしょう。だけどどんなやり方であったにせよ、長く降り積もったものはそう簡単には変わらないでしょう?」
「そうだな」
「逆に、きちんとした体系だった考え方を身につけた連中、帝都の――― 帝国の仕組みを理解した連中は、故郷に戻って、別の意味で彼らの部族を教化しだした」
「と言うと」
「民族の独立」
なるほど、と彼はうなづいた。
「辺境の地区で、次々と民族独立の気運は上がってきている。所によっては独立軍と称しているところもある。ところが帝都はそれを認めない。何故なら」
「帝国はその存在を認める訳にはいかない」
「そうだ。はっきり言って、『独立』なんて言葉を使うのも公的には認められない。連合はともかく、この帝国の版図において、別の『独立』地域などあってはいけない」
「それで『賊』?」
「そう。馬に乗った『賊』。で馬賊という訳だ。確かに、『賊』まがいのこともしている輩も――― はっきり言えばゼロではない。だが、今回のカラ・ハンに関して言えば、あれは『賊』ではなく、独立軍の方だ」
「なるほど。そこまで連合には伝わってはこないな」
「伝わっていないということはないな。隠されているんだろう。……で、そのカラ・ハンの季節居住区カンジュルにに先生は今いらっしゃる」
「何だって?」
「正確に言えば、カラ・ハンの民に預かってもらっている、ということだ」
「預かって? 誰が?」
「私が」
「どうして君が」
「それが都合がいいと思ったからだ。男爵は知らない。これは私の個人的なことだ」
「だがカラ・ハンの独立軍に君は捕まったんだろう?」
「ああ」
ナギはうなづく。
「男爵に頼んだ方がスムーズにことは運ぶんじゃなかったか?」
「あまり男爵に借りは作りたくなかったんだ。今回の連合行きの目的が見えなかっただけに余計にな」
「すると君はカラ・ハンの連中と何か取引しているのか?」
「いや」
軽く首を振る。
「もともと彼らとは知り合いなんだ」
一瞬彼はぞくり、とした。
「ちょっと待ってナギ、じゃ、まさか」
「ああ。襲撃してもらったんだ。彼らに」
「何するつもりだ!」
「血の染みってのは落ちにくいんだ。浴槽につけておけばそれでもある程度は消えるさ。そうしたら続きをしよう」
「ナギ!」
「まだ話は終わっていないんだ」
密談は情事の時が一番いいんだ、と彼女は浴室から言った。まだ天井裏に何が潜んでいるか判らないというのにそんな声で言っていいのだろうか。
「だけど俺はかなり気が抜けてるぞ。できないかもな」
「ああ大丈夫だ。そんなのは何とかなる」
にこやかに言われても。そういう問題ではないと彼は思う。
*
「カナーシュ先生は三等車に乗り込んだ。私は男爵の命令通り一等車に乗り込んだので、彼と話す機会もない。下手に彼と話したりすれば、何やら疑われかねない」
「カナーシュ氏は見張られていたのか?」
「さすがにな。何と言っても全国指名手配だ。第一級不敬罪と言えば、反乱の首謀者に次ぐ扱いだ。哀しいかな、先生は学者であって、テロリストではない。変装とかは実に下手なんだ」
彼女が苦笑するのが、明るくない室内でも彼には判った。
「別に誰も彼にそんな能力は期待しなかったしな。私の方の車両にも、男爵が帝都から乗り込んできて、私自身動きが取れなくなってしまった」
「その後馬賊に襲われたと聞いたが」
「耳が早いな」
「その程度は当然だろ? で、その時、人質が取られたとも」
「ああ」
「その人質の連れが、後で殺されたとも聞いた」
「そうだな」
「それは君だろう?」
「そうだ」
彼女は思った以上にあっさりと答える。
「ずっと気になっていたんだ」
「でしょうね。そんな気はしてた」
「その割には君はずいぶんと平然としている」
「私にはあなたの方が不思議ですけど?」
くす、と彼女は笑った。
「何が?」
「気が抜けた、と聞いたけど? 元気じゃないですか。思いの他」
「君がそうさせたんだろう?」
「それはそうだけど、所詮技術は技術。あなた何だかんだ言って、神経太いですよ」
「それは誉め言葉と取っていいのかい?」
「当然でしょう?」
彼はつ、とナギの胸の、縦一文字のラインをなぞった。ん、と喉の奥で彼女は鳴く。
「馬賊の話をして欲しいな」
「いいですよ。私は私の知っていることを教える約束ですものね。ええ。馬賊は、その朝早く、いきなり襲ってきたんですよ」
「うん」
「馬賊というのは正確じゃないです。正確に言えば、帝国の西に、華西という管区があるんですが、そこに住む、カラ・ハンという部族がありまして」
「その部族が馬賊なのか?」
「まあそう急がないで。馬賊、というのは卑称であるということはあなた聞いてませんか?」
「一応。『賊』だもんな」
「ええ。とはいえ、カラ・ハンだのその近くのアファダ・ハンだのが騎馬民族というのは事実だ。この辺りは草原地帯で、昔から馬に乗って、遊牧して生活してきています。最近はそれでも多少帝都や副帝都の生活様式が入れられてきてはいるけれど、それでも基本は」
「騎馬遊牧民族だと」
「ええ。それが一番あの地に合っている。だから無闇に向こうの文化を取り入れようとは思わない。そうすることが害になることは彼らは知っている」
「詳しいね」
「私も昔住んでいたことがあるから」
そう言えば、彼女の外見は、北に近い華西区の民族のものに近いな、と彼は今更のように思い出した。
「ところが帝都教育庁は違う。かの地を『教化』しようなどというとんでもない考えを持っている」
「……」
「年に一人、学都に『留学生』を出させ、帝都教育庁流の『文明』をかの地に植え付けようとしている」
「無謀だな」
「やり方としては全く間違っているとは言えないでしょう。だけどどんなやり方であったにせよ、長く降り積もったものはそう簡単には変わらないでしょう?」
「そうだな」
「逆に、きちんとした体系だった考え方を身につけた連中、帝都の――― 帝国の仕組みを理解した連中は、故郷に戻って、別の意味で彼らの部族を教化しだした」
「と言うと」
「民族の独立」
なるほど、と彼はうなづいた。
「辺境の地区で、次々と民族独立の気運は上がってきている。所によっては独立軍と称しているところもある。ところが帝都はそれを認めない。何故なら」
「帝国はその存在を認める訳にはいかない」
「そうだ。はっきり言って、『独立』なんて言葉を使うのも公的には認められない。連合はともかく、この帝国の版図において、別の『独立』地域などあってはいけない」
「それで『賊』?」
「そう。馬に乗った『賊』。で馬賊という訳だ。確かに、『賊』まがいのこともしている輩も――― はっきり言えばゼロではない。だが、今回のカラ・ハンに関して言えば、あれは『賊』ではなく、独立軍の方だ」
「なるほど。そこまで連合には伝わってはこないな」
「伝わっていないということはないな。隠されているんだろう。……で、そのカラ・ハンの季節居住区カンジュルにに先生は今いらっしゃる」
「何だって?」
「正確に言えば、カラ・ハンの民に預かってもらっている、ということだ」
「預かって? 誰が?」
「私が」
「どうして君が」
「それが都合がいいと思ったからだ。男爵は知らない。これは私の個人的なことだ」
「だがカラ・ハンの独立軍に君は捕まったんだろう?」
「ああ」
ナギはうなづく。
「男爵に頼んだ方がスムーズにことは運ぶんじゃなかったか?」
「あまり男爵に借りは作りたくなかったんだ。今回の連合行きの目的が見えなかっただけに余計にな」
「すると君はカラ・ハンの連中と何か取引しているのか?」
「いや」
軽く首を振る。
「もともと彼らとは知り合いなんだ」
一瞬彼はぞくり、とした。
「ちょっと待ってナギ、じゃ、まさか」
「ああ。襲撃してもらったんだ。彼らに」
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