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第10話 「君はホロベシ男爵の何?」「人形」
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そんなことをぼんやり思い出しながら煙草をふかしていたら、通信室からナギが出てきたのが見えたので、吸いかけをもみ消した。
「お待たせしました」
「もういいんですか?」
「ええ。何とか話は付きましたから。そちらこそ何か通信をしなくてはならないことは……」
「今の所は、ないですね」
「そうですか…… それは?」
彼女は彼の手にしている本に目を止めた。
「ああこれですか」
待っている間の暇潰し用に、本を一冊持ち出していた。
「やはり専門の?」
「まあそうですね。時々こういう遠くまでくると、妙な本が見つかったりして嬉しいこともあるし……」
「本当に歴史がお好きなんですね」
くっ、と彼女は笑う。
「そりゃ好きでなくては研究の対象になぞしませんよ。あなたにはそういう好きな教科というものはないんですか?ナギさん」
「さあ。私には別に好きも嫌いも関係ないから……」
「でも結構な優等生と見ましたが? 帝国でも第一中等なんでしょう? あなたは」
「ええ、まあ。でもそれは別に勉強好きということとは同じではないでしょう?」
「まあそれはそうですが」
取り付くシマもない、とはこういうことか、と彼は思った。
彼女はいいですか? と一言断って、彼の横に腰掛けた。彼の持っていた本を借りてぱらぱらと繰り、しばらくそれを眺めていた。
何となく居心地が悪い。彼は思う。
やがて、彼女はいきなり本をぱたんと閉じた。そしてくるっと彼の方を向いた。
「もうやめましょうか」
「え?」
そしてぴ、と人差し指で彼女はシルベスタを指す。
「その口調。どうも慣れなくて」
「と言うと?」
「何っか探り合いしているでしょう、あなたも私も」
「まあ、そうですね」
彼は正直に答える。はっきり言って、彼にとっても居心地の悪い原因はそこにあった。
「何せ、あなたに会わなくてはならない理由が私には判らないから」
「そう」
彼女はうなづく。
「そして私にも判らないんですよ。何のために男爵が私をわざわざここまで連れだしたのか…… つまり判らないという一点においては、私もあなたも同じなんですよね…… それって何となく気持ち悪くないですか?」
「気持ち良くないですね」
「ではやめましょう。そういう探り合い。疲れます。ついでに言うなら、その敬語も。面倒で仕方ないですから」
そして、せいの、と小さく声をかけると、ぱ、と両手を彼の前で開いた。
「取引しましょう、シルベスタ。私は私の知っていることをある程度あなたに教えます。ですからあなたもあなたの知っている程度のことを教えて下さい」
「取引?」
「取引という言葉が聞こえが悪ければ、『お互いの知ってることを教え合って事態の打開をしましょう』ってところですか。何か気持ち悪いんですよ。このままじゃ私も」
「まあそれはそうだね」
「で、正直言って、ここへ来た理由がきちんと掴めない限り、私も私の友人も不利な状況になりそうだってことが判ったんですよ」
「友人……? ではさっきの高速通信で」
「ええ。明らかに男爵は、何らかの目的を持って連合へやってきた――― ところがそれは男爵とその相手だけが知っていて、当事者の私も、男爵の相続人である私の友人も、全然判らないんです。これは不利です」
「そういうものなの?」
「連合ではどうか知りませんが、帝国では女子の相続はすさまじく難しい問題なんですよ」
「ああ、聞いたことがある。じゃそういう問題が向こうで起きていると?でも君、よくそんなことまで」
「だってあなた、私が優等生って言いましたでしょ? 私優等生ですもの。その位のことは判りますよ」
ナギはさらりと受け流す。だが、表情は険しかった。
彼はこういう表情には見覚えがあった。
自分の行く手のうち一番大事なところを塞がれた時の顔だ。
苛立ちと、怒り。
静かな中にも、どれだけそれを理性で押さえつけたとしても溢れ出してくる感情である。
「ですから…… こちらのことばかり言って申し訳ないとは思いますが、あなたの知っていることを教えてもらいたいんです」
「でも俺の知っていることなど大したことではないと思うが」
「あなたはそう思っていても、私にはそうでないかもしれない。その判断は私がする」
「そうか?」
「ええ」
彼女はうなづく。
「では君のことをまず聞いていい?」
「ええどうぞ」
「君はホロベシ男爵の何?」
ナギは軽く腕を組むと、少し考える。
「何と言ったらいいんだろうな?」
「分かりやすい方向でなくてもいい。君の言い表しやすい方向でいいよ」
「そうだな」
いつの間にか、ナギの口調が記憶の中の母親に近いものに変わっていることに彼は気付いた。自分もまた、女子学生に話しかける時のものに変わっていたが。
よほど自分はこの類の女性に縁があるんだろうか?
こっそりと彼はため息をついた。
「『人形』と帝国では呼ばれることが多い」
「『人形』?」
「俗語だ。貴族連中が、まだ帝都に入れない年齢の少女を引き取って育てたりする。そういう時のその引き取られた少女の方をそう呼ぶことが多い」
「『人形』の用途は?」
聞いていいものか、と彼は一瞬思った。
だがナギの受け答えは冷静である。逆に聞かない方が失礼にあたるのではなかろうか、と彼は思った。
「お待たせしました」
「もういいんですか?」
「ええ。何とか話は付きましたから。そちらこそ何か通信をしなくてはならないことは……」
「今の所は、ないですね」
「そうですか…… それは?」
彼女は彼の手にしている本に目を止めた。
「ああこれですか」
待っている間の暇潰し用に、本を一冊持ち出していた。
「やはり専門の?」
「まあそうですね。時々こういう遠くまでくると、妙な本が見つかったりして嬉しいこともあるし……」
「本当に歴史がお好きなんですね」
くっ、と彼女は笑う。
「そりゃ好きでなくては研究の対象になぞしませんよ。あなたにはそういう好きな教科というものはないんですか?ナギさん」
「さあ。私には別に好きも嫌いも関係ないから……」
「でも結構な優等生と見ましたが? 帝国でも第一中等なんでしょう? あなたは」
「ええ、まあ。でもそれは別に勉強好きということとは同じではないでしょう?」
「まあそれはそうですが」
取り付くシマもない、とはこういうことか、と彼は思った。
彼女はいいですか? と一言断って、彼の横に腰掛けた。彼の持っていた本を借りてぱらぱらと繰り、しばらくそれを眺めていた。
何となく居心地が悪い。彼は思う。
やがて、彼女はいきなり本をぱたんと閉じた。そしてくるっと彼の方を向いた。
「もうやめましょうか」
「え?」
そしてぴ、と人差し指で彼女はシルベスタを指す。
「その口調。どうも慣れなくて」
「と言うと?」
「何っか探り合いしているでしょう、あなたも私も」
「まあ、そうですね」
彼は正直に答える。はっきり言って、彼にとっても居心地の悪い原因はそこにあった。
「何せ、あなたに会わなくてはならない理由が私には判らないから」
「そう」
彼女はうなづく。
「そして私にも判らないんですよ。何のために男爵が私をわざわざここまで連れだしたのか…… つまり判らないという一点においては、私もあなたも同じなんですよね…… それって何となく気持ち悪くないですか?」
「気持ち良くないですね」
「ではやめましょう。そういう探り合い。疲れます。ついでに言うなら、その敬語も。面倒で仕方ないですから」
そして、せいの、と小さく声をかけると、ぱ、と両手を彼の前で開いた。
「取引しましょう、シルベスタ。私は私の知っていることをある程度あなたに教えます。ですからあなたもあなたの知っている程度のことを教えて下さい」
「取引?」
「取引という言葉が聞こえが悪ければ、『お互いの知ってることを教え合って事態の打開をしましょう』ってところですか。何か気持ち悪いんですよ。このままじゃ私も」
「まあそれはそうだね」
「で、正直言って、ここへ来た理由がきちんと掴めない限り、私も私の友人も不利な状況になりそうだってことが判ったんですよ」
「友人……? ではさっきの高速通信で」
「ええ。明らかに男爵は、何らかの目的を持って連合へやってきた――― ところがそれは男爵とその相手だけが知っていて、当事者の私も、男爵の相続人である私の友人も、全然判らないんです。これは不利です」
「そういうものなの?」
「連合ではどうか知りませんが、帝国では女子の相続はすさまじく難しい問題なんですよ」
「ああ、聞いたことがある。じゃそういう問題が向こうで起きていると?でも君、よくそんなことまで」
「だってあなた、私が優等生って言いましたでしょ? 私優等生ですもの。その位のことは判りますよ」
ナギはさらりと受け流す。だが、表情は険しかった。
彼はこういう表情には見覚えがあった。
自分の行く手のうち一番大事なところを塞がれた時の顔だ。
苛立ちと、怒り。
静かな中にも、どれだけそれを理性で押さえつけたとしても溢れ出してくる感情である。
「ですから…… こちらのことばかり言って申し訳ないとは思いますが、あなたの知っていることを教えてもらいたいんです」
「でも俺の知っていることなど大したことではないと思うが」
「あなたはそう思っていても、私にはそうでないかもしれない。その判断は私がする」
「そうか?」
「ええ」
彼女はうなづく。
「では君のことをまず聞いていい?」
「ええどうぞ」
「君はホロベシ男爵の何?」
ナギは軽く腕を組むと、少し考える。
「何と言ったらいいんだろうな?」
「分かりやすい方向でなくてもいい。君の言い表しやすい方向でいいよ」
「そうだな」
いつの間にか、ナギの口調が記憶の中の母親に近いものに変わっていることに彼は気付いた。自分もまた、女子学生に話しかける時のものに変わっていたが。
よほど自分はこの類の女性に縁があるんだろうか?
こっそりと彼はため息をついた。
「『人形』と帝国では呼ばれることが多い」
「『人形』?」
「俗語だ。貴族連中が、まだ帝都に入れない年齢の少女を引き取って育てたりする。そういう時のその引き取られた少女の方をそう呼ぶことが多い」
「『人形』の用途は?」
聞いていいものか、と彼は一瞬思った。
だがナギの受け答えは冷静である。逆に聞かない方が失礼にあたるのではなかろうか、と彼は思った。
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