未来史シリーズ⑦目覚めよと呼ぶ声あり~野球を忘れたウサギと家族を忘れた猫のはなし

江戸川ばた散歩

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第34話 「もしかして、俺のことを言っているのか?」

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 8回の裏にそれは起こった。
 それまでも少なからず、スタンドの観客席から聞こえてはいた。つぶやきと、問いかけのような形で、それは、ざわざわと。
 何だろう、とマーチ・ラビットは思っていた。妙にそのざわざわしたものは、彼のやや長く伸びた後ろ髪にまとわりつく。
 彼の居た三塁側ベンチの真上でも、そのざわめきは次第に大きくなってきてはいた。いや、むしろそれは、そこを中心にしておきつつあった、と言ってもおかしくはなかった。
 波は、次第に広がっていく。
 マーチ・ラビットは首をかしげつつも、マウンドに向かった。
 気にはなる。だが現在は試合中だった。試合中に気を散らしてはならない、と彼は考えていた。それが誰に言われた訳ではなく、自分の中から湧いてくるものであることを、彼は気付いていなかったのだが。
 現在、一点の優勢。その一点をどうしても守らなくてはならない。
 一度引っ込んでしまったからには、彼に変わってストンウェルが出るということはない。マーチ・ラビットは何とかして、自分がこの回を押さえなくてはならないことを心に刻む。
 ヒュ・ホイのサインを見てうなづき、彼はワインドアップから思い切り投げた。
 最初に彼が出てきた時には見送ったサンライズの打者達は、その次の回から、攻撃に出てきた。やはりある程度様子を見ていたのか、と彼は納得する。
 三振もとったが、打たせてアウトにする、というパターンも多かった。それには守備陣の力も大きい。
 スクェアは彼の背後で、派手ではないが、確実にボールを取って、安定した送球で一塁を刺したし、テディベァルは三塁側に飛んだ打球を、その持ち前の足腰で、ジャンピングキャッチの離れ業を何度もやってのけた。
 皆が皆、このサンライズと対等に戦っているのだ。自分はそれに応えなくてはならない。

「ストラック・アウト!」

 主審が手を挙げる。三球三振、だった。ふう、と彼は帽子を取り、汗をぬぐう。
 その時、だった。一つの声が、高く、球場内を飛んだ。

「D・D!」

 彼は格別、その声に気を取られることはなかった。―――その声が一つであるうちは。
 だが同じ名を呼ぶ声は、次第に増えていった。ざわめきの中にある戸惑いの、次第に膨らみつつあったものが、その一つの声を皮切りに、ついに弾けた。

「D・D!」
「D・D!」
「D・D!」

 次第にその声は、球場の中で、大合唱となる。
 彼は一体何が起きたんだ、とその大合唱の真ん中で、大きな目を見開き、この急激に変化した空気に戸惑っていた。
 首筋が、ざわざわとする。長めの髪が逆立つ思いだった。

「タイム」

 審判が手を挙げる。何だろう、と思っていたら、スクェアが、彼のそばに寄ってきた。他のメンバーも、それが合図であったかの様に、マウンドのマーチ・ラビットの元へと集合する。
 その間にも、スタンドからの声は続いていた。いや、どんどん大きくなって来る。怖いくらいに揃いつつあった。

「……何だと思う? ラビイ」

 腰に手を当てたスクェアは、落ち着いた声でマーチ・ラビットに問いかけた。

「何って」
「それとも、それでも、判らないか?」

 彼は眉を大きく寄せた。言っている意味が、理解できない。

「あれは、お前を呼んでるんだぜ」
「俺?」

 何を言ってるんだ、とマーチ・ラビットは眉を寄せる。

「嘘じゃあないさ」

 ライトからゆっくりと近づいてきたペトローネも、そう付け足した。

「スタンドを埋めている、あの観客達は、あのD・Dが、この場に復活したことを、感じてるんだ。コモドドラゴンズの、伝説の投手の男を」

 は? とマーチ・ラビットは顔を歪める。ふむ、という顔で、トマソンはうなづく。

「やっぱりそうだったのかよ。名前はともかく、どっかで見たことあるよなあ、と思ったけど」
「俺なんかちゃーんと気付いてたもんねー」

 へへへ、とテディベァルは笑う。

「けど皆さん、早のみこみはいけない。彼自身はどうなのです」

 ミュリエルはあごに手を当てると、マーチ・ラビットの方を見た。

「何だよ先生、あんたは見たことないのかよ? あんな有名人だったんだぜ?」
「そうかもしれない。だけど、他人の空似ということもあるかもしれない」
「ふうん?」

 テディベァルは口を尖らせて、くい、とマーチ・ラビットの顔をのぞきこむ。

「ちょ…… ちょっと待ってくれよ」

 のぞき込まれた方は首を横に振りながら、グラブを付けた手で、球をぎゅっと握りこむ。

「さっきから、一体何のことを言ってるんだ? もしかして、俺のことを言っている、のか?」
「そうだ」

 スクェアは短く答えた。真剣な目が、自分を見据えているのを、マーチ・ラビットは感じる。その視線を受け止めているのが、ふとたまらなくなり、彼はまた目を逸らし、首を横に振る。

「嘘だ」
「あんたが嘘だと言おうと、客は正直なんだぜ?」

 聞き覚えのある声が、彼の右の耳に届いた。

「ビーダー?」
「ほらよく聞いてみろよ。あれは、あんたを呼ぶ声なんだ」

 マーチ・ラビットはつ、と観客席を見上げた。ぐるりと彼らを囲む、小さな小さな、顔顔顔。その顔が、口々に、こう呼んでいる。D・D、と。

「それが俺の、本当の名だと言うのか?」

 ビーダーはうなづく。

「俺の、消された記憶は、そういうものだったのか?」
「そうだ」

 そして断言する。

「俺達は、あの頃、一緒に戦う仲間だったはずだぜ? 俺も、スクェア先輩も、ペトローネ先輩も………… そして」

 ビーダーは一塁ベンチの方へあごをしゃくる。

「キダー・ビリシガージャ監督も」
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