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第16話 「クロシャール社のベースボール・チーム『サンライズ』が、招待試合をするって言うんだよ」

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「あらそれなあに?」

 キディはその声に、雑誌から顔を上げた。
 シィズンは器用にドアを開けて、そのたくましい身体を従業員控え室にすべりこませる。食事の時間が重なるのは久しぶりだが、相変わらずだなあ、と彼は思う。

「あらそれ、『PHOTO/SPORTS』じゃない。へー、キディ君、好きだったんだあ」
「や、好きって程じゃあないけど」
「最新号? だったら後であたしにも見せてくれない?」
「あれもシィズンこそ、好きなの? ベースボール」
「うん、割とね」

 ふうん、とキディはうなづき、ミートボールをつつきながらページを繰る。
 あの古書店の、相棒のガールフレンドに頼んだバックナンバーに関しては、なかなか反応が来ない。とりあえず、と彼は同じ雑誌の最新号を購入してみたが、さすがに全星域レベルのスポーツのこととなると、自分の「知識」がちんぷんかんぶんであることが判る。

「そーいえば今、前期ASLの真っ最中じゃないの?」
「ASL?」
「全星域リーグ。確か今期は、ワイルドウイングスが1リーグでは首位じゃなかったかしら」
「詳しいね、シィズン」
「ふふん。そのくらいは好きだったら常識よ」

 同じミートボールのスパゲティを食べながら、彼女はちらちらと雑誌に視線を送る。よほど見たいのだな、とキディは感心する。

「良かったら借りてく?」
「あ! ありがとう」
「うん、だって、一応買ってはみたんだけど、俺、まだまだよく判らないんだもの」
「ああら。よく判らないものによくお金使えるわねえ」
「いや、ちょっと知りたかったから」
「ふうん?」

 やや含みのあるあいづちが少しばかり彼の耳にひっかかる。

「いや、うちの相棒が、ベースボールを昔してたらしいから」
「それで? ふーん」

 更に含みのあるあいづちになってしまう。だが他意は無いかの様に、彼女はフォークを皿に突き立てながら、くるくると器用にソースのたっぷりついたスパゲティを巻いていく。
 あれ? とキディはそれを見て引っかかるものを感じた。だがそれが何であるのか、彼には判らない。

「何?」
「あ、何でもない」
「変なひと」

 シィズンはそう言って、肩をすくめた。



「お前さー、ベースボール好きなんだって?」

 帰り際に、いきなりぐい、と肩に手を回されたので、キディは驚いて振り向き、ほっとする。

「何だよイリジャ、いきなり」
「いんや~ 俺はお前が同志だとは今まで思ってなかったよ」
「同志って何だよ同志って」

 いきなり出たそんな単語に、何だか首の後ろの毛が逆立つ思いだった。

「いやいやいやいや。実はねキディ君」

 じゃん、とイリジャはポケットから二枚の厚手のカードを取り出した。

「何だと思う?」
「何?」
「俺が聞いてんの。何だと思う?」
「……カード」
「馬鹿やろ、ちゃんと中身を見ろっていうの」

 言われて、キディはそのカードに顔を近づける。その上に印刷された文字には、クロシャール社のマークと、一週間後の日付。場所。……コアンファン。

「試合?」
「うん。クロシャール社のベースボール・チーム『サンライズ』が、招待試合をするって言うんだよ」
「って、でもコアンファンって、遠いじゃないか」

 確か相棒が出かけていった街の名がそうだったよな、と彼は思う。偶然とは恐ろしいものだ、と。

「そらまあ。でもこのアルクでさ、ベースボールの試合って、そうそう無いんたぜ? リーグあるって言ったって、あまりぱっとしないし。一応サンライズも、全星域リーグに加入してもおかしくないくらいのチームなんだしさ」
「何で入らないのさ」
「いや、政情不安な惑星のチームは、入れないの。知らなかった?」
「へー? 知らなかった」

 キディは目を丸くする。そんなことがあるのか。

「だから、向こうの加入チームが招待試合ってことで来ることはあるんだよ? 結構そういう時って、中央放送局の中継とか入るんだけど、お前知らない?」
「ローカルなベースボール中継ならたまーに見るけど…… そういう招待試合ってのは知らないなあ」
「そりゃそうそう無いものな。そーいえば、俺がまだ中等のガキの頃、一度そういう試合、あったよなあ」

 イリジャはんー、とつぶやきながら、視線を天井に飛ばした。

「そうそう、あったあった。えーと、何だったけ……」
「コモドドラゴンズ?」

 するり、とキディの口からその単語が飛び出していた。驚いたのはイリジャの方だった。

「何お前、知ってるじゃないの」
「ううん俺、大して知ってる訳じゃないって。こないだジュラに聞いたんだ」
「ジュラねえ」

 急にイリジャの表情が曇る。どうしたんだろう、とキディは首をかしげる。

「何かそういえば、お前、最近奴と仲いいじゃないの」
「仲いいって」

 どき、と心臓が一瞬飛び上がる。あまりこの同僚には問われたくない類の質問だった。

「ま、俺があれこれ言うことじゃないけどさあ」
「あ、のけ者にされたと思ってる? もしかして」

 くすくす、とキディは笑う。もっとも内心、どう勘ぐられるものか、と不安が漂っていた。大丈夫だ、とは思う。この星系では、そういう習慣は少ない。

「そんなんじゃなくて」

 イリジャは慌てて否定する。そしてその後に、やや困った様な顔になり、頬をかりかりとひっかいた。

「んー……、まあ、それもあるけどさ。お前最近付き合い悪いし……」
「あ、ごめん」
「別にいいんだよ別に。たださ、ジュラって、何か不思議だから、俺よく判らないの。その判らない奴とお前が仲いいと、お前までよく判らないみたいだろ? ちょっとそれが怖いから」
「不思議って」 

 キディは問い返そうとして、言葉を切った。
 言われてみれば、そうだろう。自分にしたところで、ついそこらまでは、何なのかさっぱり判らない人物だったのだ。確かに仲良くはしているけれど。成り行きで仲良く以上のこともしてしまったけど。
 それに彼は、夢うつつの明け方に、こんなことも言っていた。

 もうじきここの仕事が終わるかもしれない。そしたらまた前の仕事に戻るんだ。もし良かったら、一緒に来ないか?

 冗談だろう、とキディは半分眠った頭で聞いていた。でも律儀にこう問いかけていた。俺に何させたいの?
 そうしたら相手は思いの他、真面目に答えていた。
 君が気に入ったから、仕事を手伝ってくれるなら、色んな星系を回らせてあげる、と。色々なものを見せられる、と。
 それも面白いかもしれない、と彼は思った。だがその時は、眠気が先に立った。答えは保留のままだった。他人の体温も久しぶりだったから、それが何処か得体の知れない相手だったにも関わらず、彼はその時、奇妙なほどよく眠ることができた。悪い夢も見ずに。
 けど、そんな自分のことは、この同僚には知られたくない。彼は話題を逸らす。

「でもさ、あそこまで行くんだったら、泊まりがけだよなあ。二人して休み取ることになるんじゃないの?」
「あ、それでも昼のゲームらしいから、ほら」

 イリジャはカードを指す。確かにそこに書かれていた日時は、昼のものだった。

「あ、休みの日なんだ」
「うん。だから二人して休むにしても、一日で済むかなあ、とか俺も思ってしまった訳よ。じゃなかったら、誰か女の子、向こうで引っかけてもいいかなあって」
「お前ねえ……」

 キディはふう、とため息をつく。

「いいよ。一緒に行こう」
「やった」

 良かった良かった、とイリジャはばんばん、とキディの背中をはたく。思わず彼はせき込む。

「でもさイリジャ、誰から俺がベースボール好きって聞いたのさ?」
「シィズン」
「彼女が?」
「雑誌貸してくれたから、いい人ですねー、って言ってたよ」
「ふうん……」

 曖昧にキディは返す。

「何だよ、考え込んじゃって」
「……いや……」

 何かがまだ引っかかっている。

「そんな難しい顔してないでさ、メシでも食ってかない? だまには外でさ」
「ふうん? でもさあ、何か妙にお前、優しくない? 今日」
「ええっいやそんな」

 イリジャは急に声を裏返す。

「何か俺に頼みでもあるの?」
「いやそんなことはっ」

 キディは苦笑する。

「だってさ、そんな、滅多に入らないベースボールのチケットとかさ、それに外へ食事に行こうなんてさ、珍しいじゃないの」
「別に下心なんて無いよ」
「ふうん?」
「でもあるとしても、別にそれって、『たまにはお前独り占めして遊びたい』くらいしかないぜ?」
「何かすごく歯が浮くこと言ってないか?」
「ない」

 きっぱりとイリジャは言う。黒い髪がぴん、と跳ね上がる。キディは眉間と口をゆがめる。一体どういう反応を返していいのか、よく判らなかった。

「いい歳した男が『遊びたい』もないだろ……」
「そぉかぁ? 俺は単に楽しみに正直なだけだってば」
「だったらそれこそ女の子でも引っかけたらいいだろ」
「それはそれ、これはこれだってば。そりゃそういう遊び、は女の子の方がいいけどさ、そーでない純粋にお遊び、はやっぱりさー」

 そこまで言って、イリジャは言葉を切った。黙っていれば端正な顔立ち、と呼ばれるその顔が、真面目なものになる。

「と言うか、キディ君や、お前、何をいつも警戒してる訳?」
「警戒……?」
「俺にどうのこうの、じゃなくてさ。割と仕事終わるとさっさと帰っちまうし」
「それは……」

 痛い所を突かれた、と彼は思う。

「家に帰って、何か別にすることとかある訳?」
「や、相棒が……」
「でも今、出張中なんだろ? それに居たとしても、そんな、お前に毎日さっさと帰って来いって言うひと?」
「まあそうだけど……」

 これと言った理由がある訳ではない。ただ、いまいちこの同僚との距離感が上手く取れないのだ。
 冬の惑星から脱走して以来、マーチ・ラビットとあちこちを転々としてきた。その間は、なるべくその土地土地で出会った人々とは深く関わらない様にしてきたし、彼らのその時の立場上、それが妥当だった。
 だが今は違う。現在の彼は合法的な籍もあれば、このハルゲウに、そのまま延々と留まることができるのである。
 そうなってくると、関わってくる人々と、どの程度まで仲良くなっていいものか、キディは未だ戸惑うのだ。
 加えて、冬の惑星で「仲間」達に受けた扱いもあった。ジュラの様に、多少なりともその含みのある相手だったら、それはそれで判りやすいのだ。それにつきあうこともできる。慣れてはいるから、大した問題ではない。時にはそれが心地よいとすら思う自分が居ることを彼は知っている。
 だがイリジャはなまじそれが無いから、キディは戸惑う。
 こういう付き合いが、昔はあったのかもしれない。あっただろう。中等学校の頃が自分にあったのなら。いや別に中等でなくてもいい。打算も裏も何もなしに、「友達」と付き合えた時期があったはずなのだ。

「……ごめん」
「え? 何謝るのさ」

 イリジャはロッカーに手をつき、困った様な表情になる。

「俺、お前を困らせたい訳じゃないのに」
「イリジャは悪くないよ。悪いとこがあるとしたら、それは俺の方なんだ」
「よく言ってることが判らないな」
「うんこれは俺の問題なんだ。……うん、だから、イリジャと遊ぶのは、俺も楽しいよ。だからつまり……」

 彼は言いよどむ。イリジャは手を広げた。

「判った。そういうの、聞こうとは思わない。でもできるだけ、楽しくやってこうや。俺はキディとは仲良くやっていきたい。お前が良かったら、だけど」
「うん。俺もお前と居るのは楽しい」
「じゃそれでよし、と。も少し肩の力抜いてね。とりあえず何処にメシ食いに行く?」

 キディは少し考えた。

「パスタがいい」
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