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第5話 逮捕された時の行動が何なのかは知りたくもなかった。

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「あれ、今日はジュラさんお休みですか?」

 カウンターで、今日使うジョッキの整頓をしていたキディはその声にはっとする。奥からシィズンが出てくるところだった。

「あ、シィズン来てたの?」
「来てたの、なんてひどいわ。私今日の非番、変わったのよ? せっかくのお休みだったのに。まあ約束とか無かったから良かったけど」
「あれ、どうして?」
「知らないわ。今朝いきなりマスターから『今日出られる?』って連絡があったんだから」
「ああ……」

 何となくふくれ気味な彼女を見て、キディは納得したようにうなづく。

「あのさあ、たぶんそれ、ジュラが居ないからだよ」
「あら、どうして?」
「今日はあっちの仕事が忙しいらしいから」
「あっちの仕事?」
「うん何か、写真。それでビリアーまで出かけてるらしいんだ」
「写真なの」

 ふうん、とやや皮肉気に彼女はうなづく。

「いいわね。そうやって幾つも幾つもできることあるだから」
「……嫌い? そういうのは」

 彼女の口調に、キディは毒の様なものを感じた。

「嫌いって言うか。何か、私、わりとこうゆう仕事でないと、着くことができないんですよねえ。ほら、中等出ただけだし。なのに、そういうちゃんとした仕事持ちながら、それでもこっちでもあっちでもこなしてる人って見ると、何となく、しゃくに触るじゃあないの」

 ああ、とキディはうなづいた。
 それは自分にも言えることだった。自分が一体何を過去にしてきたか判らないから、とりあえず、食うための仕事として、こういうことしか思いつかない。
 あのクーデターの頃だったら、まだ何か、彼自身がこの店に居る理由が他にもあった。
 だがクーデターは終わり、この店の裏の顔である組織「赤」とは直接的関係を切ってしまった彼としては、何となく、ここでこうやって勤めていていいのか、という気もする。
 店長ウトホフトは、小回りの利く彼を、案外重宝しているようで、組織と関係した仕事から手を引いた以後も、できるだけ居てほしい、とキディに言ってはいた。
 だが。

「……でもまあ、それって、結局私次第なんだけどね」
「シィズンはそう思うの? 何かしたいことがある?」
「ううん私には特にはないわ。私は別に、毎日を楽しく、私なりに平和に過ごせればいいなあと思うだけだもの」
「ふうん。それもいいね」
「あら、含みのある言い方」
「別に無いよ」

 少なくとも、彼女の言葉よりは無い、と思う。キディは本当に、それでもいい、と思っていたのだ。
 今の生活は彼は好きだった。悪くはない仕事に毎日通い、部屋に帰れば相棒が居る。

 ……まあ今日のように、居ない日もあるけれど。

 相棒が出かけたのは昨日からだった。
 戻ってくるのが、数日だか一週間二週間だか、それは判らない。それが組織絡みの仕事だろうことは彼も知っていたが、それ以上ことは知らない。相棒も言わなかったし、彼も聞かなかった。自分はもう手を引いている。下手に聞くことで、相棒に迷惑がかかってもいけない。
 しかしキディにしてみれば、どうして相棒が、マーチ・ラビットが、きっちりとした職に就かず、相変わらず組織の仕事に手を染めているのか、不思議だった。
 あの相棒は何かと役に立つ人材だろう。少なくとも自分よりは。

 ジュラがピリアーから戻って来たのは、その翌日だった。
 いやあまたごめん、と明るく言いながら、彼はやはり明るい色の長い髪を後ろに流してまとめる。
 そんな同僚に対し、皆、またか、という顔をしながらも、そういうものだ、という顔をしている。
 当の本人は、きょろきょろとフロアーを見ながら、気楽そうな顔でキディに問いかけた。

「ねえねえキディ、シィズンは?」
「今日はお休み」
「え? でも彼女、今日は番と違うんじゃないか?」
「あんたが急に休むから、彼女が代わりで出たんだよ。だから今日はその代休」
「あらら」

 ジュラは口の前で長い指を交差させる。

「そーかあ。そりゃ悪いことしちまったなあ」
「そうだよ。後で謝っておけよぉ」

 イリジャもどう聞きつけたのか、そう声を飛ばした。へいへい、とジュラは生返事をする。
 奥でクリーニングの車が来た合図が鳴った。キディはそれを聞きつけると、いち早く通路へと飛び出す。その後からジュラが着いてきた。

「手伝うよ」
「俺一人でも平気だってば」
「何言ってんのキディ君。いつも重そうじゃない。腕でも悪いの?」

 う、とキディは思わず声を立て、時々痛んだりだるくなる左の二の腕を押さえる。

「悪い、って程じゃないけど……」

 困る程度ではない。一応、毎日毎日ジョッキや料理の盆を幾つも幾つもひっきりなしに運んでいるのだ。ただ、無理はさせないだけで。

「ちょっとね、昔ケガしたとこが、時々響くから」
「ありゃそれは大変。医者には診てもらったのかい?」
「それはまあ」

 友人のドクトルKに診てもらったことは、ある。彼に言わせると、日常生活には支障はない程度のことらしい。ただ、戦場の古傷同様、気圧や体調に関係して痛むことはあるから、気を付けたほうがいい、とは言われている。

「若いのに大変だよな。何か事故?」
「そういうこと、聞く?」

 わざとしかめっ面をしてキディは問いをはぐらかした。答えられないのだから。彼自身にも。
 あの冬の惑星で転がされ、意識を取り戻した時、そこには包帯が巻かれていたような気がする。
 はっきりとは覚えていない。もしかしたら、雪の白さと包帯の白さが頭の中でごちゃごちゃになっているのかもしれない。
 何かしら、逮捕された時の行動が関連しているとは思う。だがそれが何なのかは判らない。知りたくもなかった。

「ああ、悪い悪い…… 俺結構、軽はずみかなあ」
「あんたは充分軽はずみだよ、ジュラ。代わりに俺から聞いてもいい?」
「何?」
「あんたの写真って、今度どんな雑誌に載るの?」

 裏口から出て、そこに置かれていた伝票をチェックし、専用の引き出しに入れる。カートンには、洗濯されたクロスやエプロン、制服や台拭きがぎっしりと詰められている。

「俺の? あれ、珍しい。君がキョーミ持ってくれるとは思わなかったけど」
「キョーミ無いけどさ。でも、こうよく『用事』があるってことは、結構あんた売れてるんじゃない?」
「……ああ。と言っても今はねえ」
「今は?」
「いーや、別に…… ああ、ここに越して来る前の写真雑誌だったら、ウチに来ればまだ何冊かあるけど、見に来る?」
「え?」
「どうせ今はヒマだし」
「……あ、うん」

 あっさりとそう言われたことに、キディは驚いた。特別、写真に興味がある訳ではないのだ。
 そしてまた、ジュラ本人に格別な興味がある訳でもないのだ。
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