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第2話 キディの店の新人嬢シィズン
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店は開店直前に、その日のスタッフを揃えて、特別な予約や、時間帯の打ち合わせをしてから仕事に入ることになっていた。
その日も店長ウトホフト氏の点呼に始まり、幾つかの予約のことについて説明が入った。それで終わるだろう、とキディは思っていた。
だがその日はそれでは終わらなかった。
「ところで皆さん、今日は新しいスタッフが仲間入りします。先日マニェラが辞めたでしょう。その代わりとして、彼女が入ります。シィズンです」
あ、とキディは口の中でつぶやく。そうか道理で見覚えがないはずだ、と。
同じ黒いギャルソンのエプロンをつけ、だけどズボンではなく、ひざよりやや長めの黒いスカート。それが今の女性店員の制服だった。
少し前までは、女性店員は白いエプロンだったけれど、黒の方がいい、という声が多かったのだろうか。ある日突然、それは変わった。
よろしくお願いします、とシィズンは皆の前に進み出てあいさつをした。へえ、と周囲の声が飛ぶ。
おいおい、と隣でイリジャがキディの脇をつつく。何だよ、と彼は小声で問い返した。
「店長にしては、珍しいよなー。何か可愛くないじゃん」
「うーん……」
確かに、とキディも思った。店長ウトホフトが入れるのは、何だかんだ言っても、いつも「綺麗」か「可愛い」のどちらかの形容詞が付けられる少女か女性だった。
だが目の前に居るシィズンと言う女は、そのどちらでもないようだった。
少なくとも、キディの頭の中にある「綺麗もしくは可愛い女の子」の基準からは外れていた。
顔立ちは悪くはない。どちらかというと整っている方である。だがいかんせん、実にそのつくりは地味だった。
そして化粧気がない。あればいいというものではないが、全くないから、地味な顔が平板に見えてしまうのだ。目のあたりとか、もう少しいじれば綺麗になるのになあ、とキディは残念に思う。
そして体つき。少し彼の美的感覚からすれば、豊満に過ぎた。
「そりゃなあ、胸がでかいにこしたことはねーけど、他も膨れてちゃなあ……」
イリジャが小さく囁く。むむむ、とキディは喉の奥でうなる。
別に彼は太っているいないは気にする方ではなかった。少なくとも女の子に関しては。
どちらかというと、体型に関しては、男の方が気になる。それは関心がある、というよりは、自分の身体が貧弱だ、と気にしているからだが。
同居人であるマーチ・ラビットは、実にいい身体をしている。まるでスポーツ選手のようだ、とキディは時々思う。それに対して自分は。
しかしすぐに、店長が彼女を雇った理由が判った。
開店してすぐに、彼女はスタッフとしてそこに配置されたのだが、その豊満な身体は、実に小回りがきくのだ。へえ、とカウンターの中で次のジョッキを手にしながら、くるくるとフロアの中、狭い通路、人の間をすり抜ける彼女の姿にいつの間にかキディはやや爽快なものすら感じていた。
動いていると、止まってる時よりその魅力が膨れ上がる奴がいるんだぜ。
脱走仲間の一人が、以前そんなことを彼に言ったことがある。なるほど、と不意にそんな言葉が頭の中に浮かび上がるのを感じた。たくましい腕は、ジョッキを持ってさらに筋肉質。しかしそれは安心感さえ覚えさせる。
「あと三杯追加ください!」
書き足した伝票を、ずらりと並んだテーブル番号の書かれた吊り環に通して彼女は声を張り上げた。声すらも。がらんとした開店前の店で上げたそれとは格段に通り方が違っている。
面白いなあ、とキディはくすっと笑った。
*
「あ、すいません」
従業員は交代で食事を摂る。キディがその日の食事であるパンとシチュウを控え室で半分ほどかき込んでいた時、扉が開いた。
「シィズンもおいでよ」
一緒に食べていた同僚のジュラがすかさず声をかけた。はい、とシィズンは迷わず彼らの近くに陣取った。もともと広い部屋ではない。交代交代で食事をしないことには、スペースはおぼつかない。
「疲れたんじゃない?」
にこやかにジュラは彼女に話しかける。
キディはこの男のことはそう良くは知らない。ただ、イリジャから聞いた話によると、この男は、時々首府近くの都市、ピリアーの出版社から出ているフォト・ジャーナルに写真を提供しているらしい。
ではフォトグラファなのか、と聞けば、今はそうではないとイリジャは答えた。今は、ということは、かつてはそうだったのか、とも考えられるが、あえてそこで訊ねたことはなかった。それほどにはキディはジュラにも写真にも興味はなかった。
ただ、それでは自分がどんな分野に興味があるのか、と問われたら、困るのだが。
流刑地の冬の惑星から戻ってきた時、まず自分が何をしたらいいのか、彼には判らなかった。
判らなくて、船から降り立った時、自分がこの暖かい惑星の上で、まずどちらへ歩き出したらいいのか、本当に迷った。迷って――― その場で目眩を起こしてしまったくらいだった。
その時、倒れそうになる身体を受け止めたのが、現在の同居人であるマーチ・ラビットだった。
自分の二倍の太さはありそうな、筋肉質の腕が、頭一つ分は高い、そして自分が隠れてしまいそうな身体は、がっしりと彼の小柄な身体を支えた。
それ以来、何故か一緒に居る。
特に意味はない。ただ何故か向こうが自分を妙に気に入って、キディも自分は自分で、自分の非力さを知っているから、渡りに船というものだった。
あの性欲すら減退してしまう程の極寒の惑星の上でも、一度解放されてからというもの、彼は何度となく、「仲間」達に襲われかけた。ただ他より若くて華奢で可愛げのある容姿であるということだけで。そして反撃ができる程の力を持っていないということで。
だがそれは仕方がない、と彼は思っていた。
思わなくては、やって来られなかった。非力なら非力なりに、生き延びる術は身につけなくてはならなかったのだ。
いくら歳が近くても、脱走劇の中心となった連中のように、実戦で役立つ程の戦闘能力を持っている訳でもなく、かと言って、その後で残って研究を続けてしまうような学者上がりのような頭がある訳でもない。
だけどだからと言って、生きることを放棄してしまうことをキディはしなかった。それだけはするまい、と考えていた。彼にしてみれば、そんな、寒さや食事、といった点以外では、「解放」されてからの方が必死だったと言ってもいい。
だからこそ、あの冬の惑星を脱出し、たどりついた南国の雨の中で、彼は思わず目眩を感じたのだ。もう何処へでも行ける。自分の身体をことさらに守る必要はない。そう思った瞬間、安堵からなのか、それとも別の不安からなのか、世界が彼の目の前で揺らいだ。
抵抗する対象や、我慢する対象があるうちは、世界は単純である。ただ相手を憎めばいい。だがそれが失せた時。
狂おしいほどの緑の中、濡れたからと言って凍り付くことのない暖かい雨の中で、彼はぐらぐらと大地にまっすぐ立てない自分を感じた。
おい大丈夫かしっかりしろ、と言って彼を受け止めたマーチ・ラビットは、この脱走集団の中でも人気者の一人だった。そして外見通り強かった。やや派手な外見も、さっぱりとした気性も、大声でよく笑う表情も、まず嫌う者はいなかった。
だからその男が、皆組になって動くことを提案された時、何故その相手が自分なのか、理解できなかった。未だに彼はそれが理解できない。
それが当時の彼の周りのように、欲望のはけ口にしようとする、というならまだ判る。だがそんなことを、この「でかウサギ」はしようとしない。性的にノーマルだ、と言ってしまえばそれまでなのだが―――
あくまで、ただの相棒として、この男は、キディを連れ歩いたのである。……各地を転々と。
「おいぼんやりしてるとこぼれるぜ」
ジュラは長い人差し指をキディに向かって突きつける。はっ、として彼はたらたらと流れ落ちていたシチュウを口に運んだ。
「それにしても、ここの食事美味しいですね」
シィズンは席を確保したと思うと、すぐにまだ湯気の立っているシチュウにスプーンを入れた。
中にはごろごろとしたじゃがいもが割れてクリーム色の顔をのぞかせている。よく煮込まれた塊の肉は、繊維が今にもはがれそうな程だった。
「そりゃねえ。うちみたいな店はこの街にはごろごろしてる。何かしらこれ! というものが無いと生き残ってやしねえって」
ジュラは先ほどキディに向けた人差し指を立てた。
「味が決め手、ということかしら?」
彼女はスプーンを動かす手は止めずに訊ねる。
「味も、だね。やっぱり従業員にもよるしねえ」
「ふふ? じゃあ私みたいのって、結構興ざめじゃなかったかしら?」
「そんなことないよ」
キディは思わず口を出していた。
「ああら。あまり心にもないことを言わない方がいいわよ」
「心にもって」
「だーいたい何処に行ってもそうでしょ? 看板娘ってのは、もっと可愛らしい子を使うものだわ」
シィズンはややおどけた口調で言う。聞きようによっては、ひがみっぽく聞こえるこの言葉だが、どうもこの口調のせいで、キディにはそう感じられない。
うらやましいことだ、と彼は思う。
その日も店長ウトホフト氏の点呼に始まり、幾つかの予約のことについて説明が入った。それで終わるだろう、とキディは思っていた。
だがその日はそれでは終わらなかった。
「ところで皆さん、今日は新しいスタッフが仲間入りします。先日マニェラが辞めたでしょう。その代わりとして、彼女が入ります。シィズンです」
あ、とキディは口の中でつぶやく。そうか道理で見覚えがないはずだ、と。
同じ黒いギャルソンのエプロンをつけ、だけどズボンではなく、ひざよりやや長めの黒いスカート。それが今の女性店員の制服だった。
少し前までは、女性店員は白いエプロンだったけれど、黒の方がいい、という声が多かったのだろうか。ある日突然、それは変わった。
よろしくお願いします、とシィズンは皆の前に進み出てあいさつをした。へえ、と周囲の声が飛ぶ。
おいおい、と隣でイリジャがキディの脇をつつく。何だよ、と彼は小声で問い返した。
「店長にしては、珍しいよなー。何か可愛くないじゃん」
「うーん……」
確かに、とキディも思った。店長ウトホフトが入れるのは、何だかんだ言っても、いつも「綺麗」か「可愛い」のどちらかの形容詞が付けられる少女か女性だった。
だが目の前に居るシィズンと言う女は、そのどちらでもないようだった。
少なくとも、キディの頭の中にある「綺麗もしくは可愛い女の子」の基準からは外れていた。
顔立ちは悪くはない。どちらかというと整っている方である。だがいかんせん、実にそのつくりは地味だった。
そして化粧気がない。あればいいというものではないが、全くないから、地味な顔が平板に見えてしまうのだ。目のあたりとか、もう少しいじれば綺麗になるのになあ、とキディは残念に思う。
そして体つき。少し彼の美的感覚からすれば、豊満に過ぎた。
「そりゃなあ、胸がでかいにこしたことはねーけど、他も膨れてちゃなあ……」
イリジャが小さく囁く。むむむ、とキディは喉の奥でうなる。
別に彼は太っているいないは気にする方ではなかった。少なくとも女の子に関しては。
どちらかというと、体型に関しては、男の方が気になる。それは関心がある、というよりは、自分の身体が貧弱だ、と気にしているからだが。
同居人であるマーチ・ラビットは、実にいい身体をしている。まるでスポーツ選手のようだ、とキディは時々思う。それに対して自分は。
しかしすぐに、店長が彼女を雇った理由が判った。
開店してすぐに、彼女はスタッフとしてそこに配置されたのだが、その豊満な身体は、実に小回りがきくのだ。へえ、とカウンターの中で次のジョッキを手にしながら、くるくるとフロアの中、狭い通路、人の間をすり抜ける彼女の姿にいつの間にかキディはやや爽快なものすら感じていた。
動いていると、止まってる時よりその魅力が膨れ上がる奴がいるんだぜ。
脱走仲間の一人が、以前そんなことを彼に言ったことがある。なるほど、と不意にそんな言葉が頭の中に浮かび上がるのを感じた。たくましい腕は、ジョッキを持ってさらに筋肉質。しかしそれは安心感さえ覚えさせる。
「あと三杯追加ください!」
書き足した伝票を、ずらりと並んだテーブル番号の書かれた吊り環に通して彼女は声を張り上げた。声すらも。がらんとした開店前の店で上げたそれとは格段に通り方が違っている。
面白いなあ、とキディはくすっと笑った。
*
「あ、すいません」
従業員は交代で食事を摂る。キディがその日の食事であるパンとシチュウを控え室で半分ほどかき込んでいた時、扉が開いた。
「シィズンもおいでよ」
一緒に食べていた同僚のジュラがすかさず声をかけた。はい、とシィズンは迷わず彼らの近くに陣取った。もともと広い部屋ではない。交代交代で食事をしないことには、スペースはおぼつかない。
「疲れたんじゃない?」
にこやかにジュラは彼女に話しかける。
キディはこの男のことはそう良くは知らない。ただ、イリジャから聞いた話によると、この男は、時々首府近くの都市、ピリアーの出版社から出ているフォト・ジャーナルに写真を提供しているらしい。
ではフォトグラファなのか、と聞けば、今はそうではないとイリジャは答えた。今は、ということは、かつてはそうだったのか、とも考えられるが、あえてそこで訊ねたことはなかった。それほどにはキディはジュラにも写真にも興味はなかった。
ただ、それでは自分がどんな分野に興味があるのか、と問われたら、困るのだが。
流刑地の冬の惑星から戻ってきた時、まず自分が何をしたらいいのか、彼には判らなかった。
判らなくて、船から降り立った時、自分がこの暖かい惑星の上で、まずどちらへ歩き出したらいいのか、本当に迷った。迷って――― その場で目眩を起こしてしまったくらいだった。
その時、倒れそうになる身体を受け止めたのが、現在の同居人であるマーチ・ラビットだった。
自分の二倍の太さはありそうな、筋肉質の腕が、頭一つ分は高い、そして自分が隠れてしまいそうな身体は、がっしりと彼の小柄な身体を支えた。
それ以来、何故か一緒に居る。
特に意味はない。ただ何故か向こうが自分を妙に気に入って、キディも自分は自分で、自分の非力さを知っているから、渡りに船というものだった。
あの性欲すら減退してしまう程の極寒の惑星の上でも、一度解放されてからというもの、彼は何度となく、「仲間」達に襲われかけた。ただ他より若くて華奢で可愛げのある容姿であるということだけで。そして反撃ができる程の力を持っていないということで。
だがそれは仕方がない、と彼は思っていた。
思わなくては、やって来られなかった。非力なら非力なりに、生き延びる術は身につけなくてはならなかったのだ。
いくら歳が近くても、脱走劇の中心となった連中のように、実戦で役立つ程の戦闘能力を持っている訳でもなく、かと言って、その後で残って研究を続けてしまうような学者上がりのような頭がある訳でもない。
だけどだからと言って、生きることを放棄してしまうことをキディはしなかった。それだけはするまい、と考えていた。彼にしてみれば、そんな、寒さや食事、といった点以外では、「解放」されてからの方が必死だったと言ってもいい。
だからこそ、あの冬の惑星を脱出し、たどりついた南国の雨の中で、彼は思わず目眩を感じたのだ。もう何処へでも行ける。自分の身体をことさらに守る必要はない。そう思った瞬間、安堵からなのか、それとも別の不安からなのか、世界が彼の目の前で揺らいだ。
抵抗する対象や、我慢する対象があるうちは、世界は単純である。ただ相手を憎めばいい。だがそれが失せた時。
狂おしいほどの緑の中、濡れたからと言って凍り付くことのない暖かい雨の中で、彼はぐらぐらと大地にまっすぐ立てない自分を感じた。
おい大丈夫かしっかりしろ、と言って彼を受け止めたマーチ・ラビットは、この脱走集団の中でも人気者の一人だった。そして外見通り強かった。やや派手な外見も、さっぱりとした気性も、大声でよく笑う表情も、まず嫌う者はいなかった。
だからその男が、皆組になって動くことを提案された時、何故その相手が自分なのか、理解できなかった。未だに彼はそれが理解できない。
それが当時の彼の周りのように、欲望のはけ口にしようとする、というならまだ判る。だがそんなことを、この「でかウサギ」はしようとしない。性的にノーマルだ、と言ってしまえばそれまでなのだが―――
あくまで、ただの相棒として、この男は、キディを連れ歩いたのである。……各地を転々と。
「おいぼんやりしてるとこぼれるぜ」
ジュラは長い人差し指をキディに向かって突きつける。はっ、として彼はたらたらと流れ落ちていたシチュウを口に運んだ。
「それにしても、ここの食事美味しいですね」
シィズンは席を確保したと思うと、すぐにまだ湯気の立っているシチュウにスプーンを入れた。
中にはごろごろとしたじゃがいもが割れてクリーム色の顔をのぞかせている。よく煮込まれた塊の肉は、繊維が今にもはがれそうな程だった。
「そりゃねえ。うちみたいな店はこの街にはごろごろしてる。何かしらこれ! というものが無いと生き残ってやしねえって」
ジュラは先ほどキディに向けた人差し指を立てた。
「味が決め手、ということかしら?」
彼女はスプーンを動かす手は止めずに訊ねる。
「味も、だね。やっぱり従業員にもよるしねえ」
「ふふ? じゃあ私みたいのって、結構興ざめじゃなかったかしら?」
「そんなことないよ」
キディは思わず口を出していた。
「ああら。あまり心にもないことを言わない方がいいわよ」
「心にもって」
「だーいたい何処に行ってもそうでしょ? 看板娘ってのは、もっと可愛らしい子を使うものだわ」
シィズンはややおどけた口調で言う。聞きようによっては、ひがみっぽく聞こえるこの言葉だが、どうもこの口調のせいで、キディにはそう感じられない。
うらやましいことだ、と彼は思う。
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