懐古的希望少女~昭和初期の令嬢と不良少女のそれぞれの夢

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
4 / 14

第4話 高等女学校の運動少女な友人

しおりを挟む
「おはようございます」
「おはよう、多希子たきこさん」

 いつもの朝が始まる。
 夏服に替わった女学生の群れが校門の中へと吸い込まれて行く。
 多希子の通う府立の高等女学校は、官立ながら、リベラルな校風で知られていた。
 それは校長の考えが大きく反映しているらしい。
 ポーン、とその反映した結果が耳に届く。
 彼女は教室に向かう前に、テニスコートへと向かっていた。

皐月さつき!」

 壁打ちをしていた一人が、手を止めた。
 ボールを拾い、ラケットを肩にかつぐと、小走りで彼女の方へと近付いてくる。

「おはよう、多希子」

 耳の下くらいまで短くした髪を揺らし、皐月は汗をかいた額をぬぐいながら、多希子に笑いかけた。

「今日もあなた、朝早いのね」
「まあな。最後の試合も近いことだし」

 ふふ、と多希子もつられて笑う。
 彼女達五年生は、次の試合で引退だった。

「高等師範でもあなた、続けるつもり?」
「まあ受かってからの心配さ。体育科だから、何かとできることはあるだろうし」

 そうよね、と多希子はうなづいた。

「いいわね、皐月は」
「何だよいきなり」

 タオルを首に掛け、皐月はコートのベンチに放り出してあったカバンを取ると、行こうか、と多希子をうながした。
 二人が並んで歩くと、多希子は長身の皐月の肩くらいしか無い。
 その長身を活かして、友人はこの学校時代、運動にいそしんだのだ。

 女子の体育活動が世間一般に認められるようになったのは、そう遠い昔のことではない。
 激しい運動は体を損なう、とか、大事な部分を傷つけてしまう、等言われていて、「嫁入り前」の少女達の二の足を踏ませている。
 だが近づくオリンピックは、多少その風向きを変えているようだった。
 そんな校風の中で学ぶ中には、進学して体育の教師になろう、と思う者も何人かは居た。
 皐月もその一人だった。

「だって、進学して、やろうと思ってることが決まってるじゃない」
「まあそうだけどさ」

 んー、と皐月は首を傾げた。

「何、多希子、あんたは決まってるんじゃなかったの?」
「決められそう、で嫌なのよ」
「はあん?」

 面白そうだ、と皐月はあごに指を掛ける。
 歩きながら喋り続けていく二人の横を、級友や後輩達があいさつしたり、笑い掛けたりして行く。
 二人の仲の良さは、校内でも有名だった。

「何あんた、見合いの話でも出てるのかい?」
「まだよ」
「まだ」
「でも何となく、お母様の動きがここしばらく妙で」

 うーん、と皐月はうなった。

「まあ、ねえ。仕方ないと言えば仕方ないよなあ。あんたは建築会社の一ノ瀬組のご令嬢。できれば早く良い所に縁付けて、会社とあんたの両方にとっていい結果に持って行きたいんだろうねえ」
「そういうあなたのずけずけ言う所、嫌ぁよ」
「でも間違っていないだろ、わたしは」

 多希子は黙って肩をすくめた。
 間違ってはいない。
 間違っていないから、嫌なのだ。

「ところで、あんた昨日はどうしたんだ? ずいぶんと早く帰ったじゃないか」
「ああ…… お母様の用事があって、会社の方へ行ってたの」
「それだけかい?」
「それだけ、って何よ」

 眉を寄せると、ふふん、と皐月は鼻で笑う。

「いや、あんたがそれだけで済ますとは思わないから」
「あなた私をどういう目で見てるのよ。間違いじゃないけど…… 銀座へ寄ってたの」
「へえ。何? 化粧品でも切らしたのかい? それとも舶来のレターペイパーでも入った?」

 友人が行きそうな所を、皐月は次々に挙げてみせる。
 そしてそのたびに多希子は首を横に振った。

「全部はずれ」
「じゃ何だい」
「新しい、服部時計店を見に行ったの」
「へ? あの角の? ああ、そう言えば、新しいビルヂングができたらしいね。何でまた。時計をかい? 新調するなんて話は聞いてなかったけど」
「違うってば。時計台を、よ」

 とけいだい? と皐月は足を止めた。

「それだけかい?」
「それだけよ。うん、思った通り。やっぱり綺麗だったわ」

 はあ、と皐月はうなづいた。
 それは、果たしてどう答えたものか、という表情だった。

「でもね、聞いてよ皐月、その後にこんなことがあったのよ!」

 多希子は昨日の不良少女団に囲まれた時のことを堰を切ったような勢いで喋り始めた。
 身振り手振り混じりで一生懸命な友人に、皐月はあはははは、と高笑いを返した。

「何よ、笑うことはないじゃないの」
「いや、ごめんごめん。いや、よっぽど喋りたかったんだろうなあ、と思ってさ。しかしあんた、そんなに服部時計店の時計台、見たかったのかい?」

 うん、と多希子は大きくうなづく。よくわからん、と皐月は頭をかく。

「わたしは結構あんたと長いつきあいだけど、そういう趣味があったとはねえ」

 知らなかった知らなかった、と皐月は手を広げ、大きな声で言う。

「あら私、ずっと好きだったわよ。大きな綺麗な建物ってのは。特に最近のものは。ただ、だって、あなただってそうやって、驚いてるじゃない」
「そりゃあ、まあね。でもまあ、あんたは建築屋の娘だし」
「そう言ってくれると、ね」

 まだいいのだが、と彼女は思う。 

「それにしても、その女ボス、なかなかだな」
「奴よばわりはないでしょう?」
「ふうん?」

 腕組みをして皐月は興味深そうに友人を眺めた。

「何よ」
「ずいぶんと気に入ったもんだねえ。ちょっと妬けるよ」

 もう、と多希子は友人の腕をはたく。
 校内ではその仲の良さに、エスだSだと半ば本気で彼女達は言われている。
 実際はそういう仲ではなく、あくまでさっぱりとした友達同士だったのだが。

「だまされてる、ってことはないのかい?」
「まああなたは」

 ふふん、と皐月は笑う。

「や、あんたは石橋を叩いて壊すくらいのくせに、気に入ったものにはひどく甘いから」
「かもしれないけれど」

 違わない。
 自分のことは良く知っているつもりだ。

「ま、あんたのことだから、止めはしないけれどさ。止めても聞かないし。ただ、深みに入りそうなら、とっとと逃げ出してきなよ」
「ご忠告ありがとう」

 あ、時間、と彼女達は足早に教室へと入って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。 土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──? 激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。 参考・引用文献 土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年 図説 新撰組 横田淳 新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博

あかるたま

ユーレカ書房
歴史・時代
伊織の里の巫女王・葵は多くの里人から慕われていたが、巫女としては奔放すぎるその性格は周囲のものたちにとっては悩みの種となっていた。彼女の奔放を諫めるため、なんと〈夫〉を迎えてはどうかという奇天烈な策が講じられ――。 葵/あかるこ・・・・・伊織の巫女王。夢見で未来を察知することができる。突然〈夫〉を迎えることになり、困惑。 大水葵郎子/ナギ・・・・・伊織の衛士。清廉で腕が立つ青年。過去の出来事をきっかけに、少年時代から葵に想いを寄せている。突然葵の〈夫〉になることが決まり、困惑。 山辺彦・・・・・伊織の衛士頭。葵の叔父でもある。朗らかだが機転が利き、ひょうきんな人柄。ナギを葵の夫となるように仕向けたのはこの人。

祓魔師 短編集

のーまじん
歴史・時代
3章 秀吉の短編です。 レクスを考えてる時に作りました。 4章 近代の物語です。推理小説ではないので、結末は意外なものです。 すいません

陰陽絵巻お伽草子

松本きねか
歴史・時代
平安時代を舞台に陰陽師達が織りなす1000年前の歴史創作恋愛ファンタジーです。 ダークな悲恋、式神、龍神、なんでもありのお話。

遠い昔からの物語

佐倉 蘭
歴史・時代
昭和十六年、夏。 佐伯 廣子は休暇中の婚約者に呼ばれ、ひとり汽車に乗って、彼の滞在先へ向かう。 突然の見合いの末、あわただしく婚約者となった間宮 義彦中尉は、海軍士官のパイロットである。 実は、彼の見合い相手は最初、廣子ではなく、廣子の姉だった。 姉は女学校時代、近隣の男子学生から「県女のマドンナ」と崇められていた……

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

処理中です...