ありがとう、さよなら。僕は彼の声ではいられなかった。

江戸川ばた散歩

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37 兄の来襲②

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「何か、変わった服だなあ」
「うん。バンドやってるから」

 あっさりと僕は答えた。
 バンドね、と兄貴は首をひねった。
 彼も音楽を聴かない訳ではない。
 だけど僕がやっているような音とは無縁だった。
 カーステレオには相変わらず、売れているポップスが入っていることだろう。
 くみこさんもそういうのが好きだ。

「まあ座ってよ」

 ぐるり、と見渡していた彼に僕は言った。

「殺風景な部屋だな」
「うん。別にあまり欲しいものも無かったからね」

 兄貴はいまいち居心地悪そうに、それでも畳の上にそのまま座り、あぐらをかいた。

「何か呑む? ……ってこの部屋には、何も無いけど……」
「いや、いい。そう長居するつもりはないから」

 そう、と僕はうなづいて、兄貴の前でやはりあぐらをかいた。

「じゃあ、用件を言ってよね」
「お前、バンドはそんなに楽しいか?」

 話が切り替わる。
 何となく僕はむっとした。

「楽しいよ。どうして?」
「いや、あれだけ頼み込んでやりたがっていたものを放り出す程楽しいのかな、と思ってさ。俺はお前の歌なんぞ聞いたことはなかったし」
「そりゃあ。僕だってあの頃は、知らなかったから。でも、楽しいよ。でも留年になってしまったことは、悪い、と思う」
「ならいい」

 兄貴はそう言うと、ポケットから煙草を取り出した。
 僕は軽く目を細める。
 ケンショーとは違う銘柄だ。

「吸う様になったの?」
「まあ色々とな。ああ、嫌いだったな」
「慣れたよ。でも、怒ってたろ? 親父どの」
「や」

 兄貴は首を横に振った。

「怒ってたのは、お袋さん。だったらとっととこっちに帰ってこいって、結構な剣幕でさ。だけどまた親父がなだめてくれた」
「親父が」
「ま、俺も同様でさ。お前、俺がどう転んだってできないことができるだろ?」
「……って?」
「小さい頃から、絵とか好きで上手かったじゃないか」
「それは別に、好きだったし」
「だけど俺とかには、どうしたってできないことだったしな」

 それを言うだったら、僕だって、兄貴のようなことは逆立ちしたってできない。

「僕からしたら、兄貴の方が、すごいと思うよ」
「別にすごいことないさ。毎日毎日、ただ会社に通って、作業して、帰るだけじゃないか」
「それができるじゃない。僕にはできない」
「おいおい」

 兄貴は苦笑した。

「……だからまあ、家族の中で一人くらい、そういう奴が居て、時間を多少無駄に使ってもいいじゃないか、というのが親父の意見。俺もそれに賛成、って訳だ」
「……」
「ただ、うちだって決して裕福ではないのは知ってるだろう?」

 僕はうなづいた。

「だから、学校にちゃんと通う様になったら、学費と家賃は復活させる。できないうちは、送金はできない。それがお袋さんの意見だった訳だ」

 あちゃ、と僕は舌打ちをした。
 さすが財布を握っている人は強い。

「それでもここに居て、バンドしたいのなら、どうするか、自分で考えろ。お前が妹だったら、引きずっても帰るけどな」

 兄貴は苦笑した。
 でも兄貴、その妹ではない弟は、悪い男に既に引っかかってるんですよ。

「どうする?」
「……今は、バンドをやりたい」

 僕は迷わずそう言っていた。
 理由を考えるのはとりあえず後にした。

「学校はしばらく休む。今は納得するまで、バンドをやりたいんだ」
「ふうん」

 不思議そうな顔で、兄貴は僕を見た。
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