ありがとう、さよなら。僕は彼の声ではいられなかった。

江戸川ばた散歩

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54 メジャーデビュー、おめでと。

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「だからそんな、慣れないのに呑むな、って言うのに」
「あんたが言っても説得力ないよー……」

 へろへろになりながら、僕はそれでも奴に支えられて、部屋まで戻ってきた。
 だけど頭は、嫌になるほどしらふのままだった。
 逆効果のように。

「ほら、ちゃんと座って」
「んー……」

 甘えてみせる。
 だけど頭はひどく冷ややかに、今の自分を感じている。

「ケンショー……」
「何?」

 台所に立つ奴の背中に、僕は言葉を投げかける。

「メジャーに行って、あんたどうするつもり?」
「そりゃあ決まってるだろ」
「どう決まってるのさ」

 何だよずいぶん絡むなあ、と言いながら、彼は僕にコップに水を一杯入れると、渡す。

「お前とっとと寝た方がいいよ」
「聞いてるんだよ僕は」

 受け取った水に口もつけずに、僕は彼に問いかけた。
 しょうがないな、という顔で、奴は僕の斜め前に座りこんだ。

「何って。やることは一つしかないだろ。いい曲作って、ライヴやって」
「それだけ?」
「それだけだろう? 結局は」

 結局は。
 奴の頭の中では、その他のことは、些細なことなのだろう。
 考えても仕方ないことだと、はっきりしないものごと、近眼のこいつには、見逃されてしまう物事なのかもしれない。
 だけど僕にしてみたら。

「CDを出して? もっと大きなところでライヴをやって?」
「結果だろ?」

 そういうことを、聞いてるんじゃないんだ。
 僕は水を一口飲み干す。
 こいつには、僕の不安は判らない。絶対に。

 絶対に。

 コップが手からすべり落ちた。

「おいめぐみ、水……」

 拾おうとした奴の顔を、僕はいきなり引き寄せた。
 唇を押し当てた。
 どうしたんだよ、と言おうとする奴の声を、せき止めた。
 でもその近眼の目が、どうしたんだよ、と訴えてる。
 だから僕が目をつぶる。
 どうしようもない、何かが自分の中で、沸き立っていた。
 酔っていたせいもある。確実にある。
 飲み屋で、皆でいい気分になって、僕等は話していた。
 上手く行くとは限らないけど、なんていちいち枕詞をつけたりして、夢みたいなことを次々と口にした。
 もっと大きなライヴハウス、TV局の持ってる、ホール並の客が入るライヴハウスで絶対やりたいよな、**公会堂を埋めたいよな、CDを出すんだったら、今度はちゃんとスタジオでジャケ写真を撮ろう。
 そういえば僕はずっと、あの写真をカバンの底に沈めたままだった。
 ケンショーもオズさんも、結構な量呑んでいた。
 普段僕やナカヤマさんのために抑えていたのが、弾けたかの様に。
 楽しそうで、楽しそうで。
 楽しそうすぎて。
 飲み干したファジイネーブルの甘味が、妙に冷たくて。
 頭の後ろがすうっと寒くなってきた様な気がして。
 ぽつん、と。

 そんなところに出て僕は。

 あのカナイの言ってた言葉が、今更の様に、頭の中にぐるぐるとよみがえった。

 俺には伝わってこないの。

 それはそうだ、と僕は思った。
 それはずっと、自分自身にも隠していた感情。
 僕にそんな歌が、歌えるはずが無い。
 カナイの歌は、声は、何かを伝えたがっていた。
 声に、歌に、音に、コトバに、それはあふれていた。
 受け取る、この身体に、感じられた。
 声は正直だ。
 音は正直だ。
 ケンショーのギターは、奴が伝えたいことを、そのまま聞くひとの身体へ届ける。
 受け取る用意のある人もそうでない人も、その首を掴まれて、ぐい、とこっちを向け、この音に耳を向けろ、俺の言うことを聞け、とばかりに。
 だけどそれは僕には無い。
 そうだ当然だ。

 だって、僕に、歌いたいことなんて、無いじゃないか。

 歌うのは好きだ。
 だけど、僕はただ歌ってるだけだ。
 伝えたい何かがある訳じゃない。
 ケンショーの音から、言葉を張りめぐらせて、それらしく、さえずってるだけだ。
 歌ってるフリだ。
 そうだずっと、僕は知ってた。
 知ってたけど、ずっと、知らないフリをしていた。
 何だろうな、と思ってることは、判る。
 触れている唇から、伝わってくる。
 それでも奴は、僕がそうしたがってるのなら、その大きな手で、迷わずに僕に触れてくるだろう。
 そして僕はその温みに、眠くなりそうな程の心地よさを感じる。
 心地よい。
 どうしようもなく、心地よい。
 それがあれば、どうだっていい程に、気持ちいい。
 それが、僕ではなく、僕の声に捧げられたものであったとしても、僕はそれを手放すのが、嫌だったのだ。
 ぎゅ、と僕はケンショーをまっすぐ抱きしめる。
 すると奴も同じ様に、抱きしめ返してくる。
 今まで何人の、こんな声の奴に、そうしてきたというのだろう。
 きっとそれは、いつも同じ様な声で。
 そして、やっぱり、気付くんだ。

 奴が必要なのは、声であって、僕じゃあない。

 メジャーへ行って。
 ケンショーは、僕が、それについていけると思ってるのだろうか。
 ああそうだ、奴はきっと信じている。
 自分が見込んだ声だから、そうできると思っている。
 だけど奴は、気付いていない。
 僕は人間だ。
 声の入れ物じゃあない。
 僕がどんな気持ちで歌ってるか、なんて、彼は考えてない。
 でも奴が気付かなくても、聞いている誰かは、絶対気付く。
 カナイの様に、誰かしら、絶対。
 だけど、それ以上のことなんて、僕には。
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