53 / 56
53 メジャーデビューに足がかり。
しおりを挟む
それは唐突だった。
RINGERに入ってから二つ目の冬を越えたある日。いつもの様に、ライヴを終えた…… つもりだった。
少なくとも、僕は。
*
「お疲れー」
機材の片付けをしていた僕達のところへ、その日演奏したライヴハウスのマスターが声を掛けてきた。
「お疲れさまです」
僕はケーブルを巻き戻しながら、顔を上げた。
このライヴハウスに出た時には、メイクを落とす暇がない。
と言うか、スペースが無い。演奏前に、通路の空いてるところを探したり、トイレの鏡に向かって、大急ぎで顔を作る。
しかし男子トイレの鏡に向かって顔を作る、というのは妙な感じだ。後から入ってきた奴は、だいたい首をひねる。ここがライヴハウスだからまだいいが、これが他の場所だったら…… よそう。想像するのは。
「Kちゃん、ケンショーは?」
「あ、あっち」
しゃがみ込み、両手がふさがっていたので、失礼かな、と思いつつ、首を振って奴の居る方向を示した。
「どうしたんですか?」
「ん? いや、奴に会いたいって人がいるからさ」
「ケンショーに?」
「つーか、君らの代表、ってことだけど」
何だろう。僕はくるくると巻き取ったケーブルを束ねながら思う。立ち上がって、奴が呼び止められる様子を僕は眺める。あと頼む、とケンショーはオズさんに言うと、マスターの後について行った。
「オズさんオズさん」
僕は奴の姿が消えてから駆け寄った。
「ねえどうしたの?」
「……んー…… 何だろな」
オズさんにも何のことやら、合点がいかないようだった。
「でも、ケンショー、何か笑ってなかった?」
「めぐみちゃんは目がいいなあ。そう言われればそうだった様な気もするし」
「あ、それ俺も見たよ。確かに奴、何か嬉しそうだったぜ」
ナカヤマさんまでがそんなことを言う。一体何があったというのだろう。
だけどその疑問には、すぐに答えが出た。
予想に反して、奴は実に仏頂面で戻ってきた。
どうしたのかな、とちょっと心配になってその様子を眺めていると、奴はいきなりにやりと笑った。
「どどどどどうしたの」
面食らった僕は、久しぶりに驚いてみせた。
ふっふっふ、と奴はそのまま顔に笑みを浮かべる。
何となく、不気味だ。
そしてそのまま、僕の首を抱え込んで、人目もはばからずに頬にキスした。
「ななななななんなんだよっ!! いきなり!」
僕はばたばた、と奴の腕の中で暴れる。
ケンショーのこういう行動には慣れているオズさんも、こんな、ステージでもプライベートでもない場所で人目もはばからない行動に、目をむく。
「おいオズ、ナカヤマ、今日、呑みに行こうぜ」
「呑みに?」
珍しいことだ。僕は腕の中からようやく逃れて、息をつく。
「うん。呑み」
「俺ら大して飲めないぜ?」
「じゃメシ。何でもいい。とにかく行こうや」
明らかに、上機嫌だった。こんな上機嫌な奴、見たことが、ない。
*
「メジャーぁぁぁぁあ?」
声を上げたのはオズさんだった。
結局、いつも「表で」打ち上げをするところに僕等は落ち着いていた。
いや定食屋ではない。
もうこの時間じゃ閉まっている。
だから、単品が安い、チェーン店の飲み屋だ。
ケンショーが普段、バイトに出てるような、そういうところだ。
僕はお腹が空いていたので、とにかく腹にたまるものを頼んで、呑みもせず、ただ食っていた。
そこでいきなり、奴が切り出した。
「さっきの客、PHONOの人だぜ」
ぶ、と僕は口にしていたウーロン茶を吹き出しそうになった。
「PHONOって、ケンショー、冗談と違う?」
「馬鹿やろ、俺はコンノじゃねーんだ。冗談は上手くねえ」
「確かにそうだな」
うるせえ、と自分で振っておきながら、突っ込むオズさんにケンショーは切り返した。
「で、そのPHONOの人が、どうしたんだよ」
ナカヤマさんは冷静に訊ねる。そうだ確かにこれは、冷静にならなくてはならないところだ。
「お誘い」
短くケンショーは言った。
「お誘い、って」
「だから、ウチの音が面白いから、メジャーに出てみる気があるなら、事務所を紹介する、ってそういう話」
「って……」
ぱん、とオズさんは手を叩いた。
「やったじゃんかよ!」
ふふーん、とケンショーはその様子を見て、ビールのジョッキを掲げた。
「それでお前、今日呑もうって言ったんだ」
「珍しいと思ったら」
うん確かに。
でも僕としては、少し意外だった。
だって、彼がこんなに喜ぶとは思っていなかった。
そんなに、メジャーに行きたかったなんて。
―――いや、違う。
僕は知ってる。
改めて皆でそれぞれ好きな酒やらジュースやら何やら注文して、乾杯の音頭をとった。
「もちろんそれで安心していいってことじゃないんだぜ?」
ケンショーは言う。
「だけど、とっかかりだ。それが、とにかくあっちからこっちへやってきたんだ。それは確かなんだ」
「ふふん。後は俺達次第って訳ね」
オズさんも嬉しそうだ。
この人も確か、メジャー指向だった。
そう聞いたことがある。そしてナカヤマさんは。
「どうしたの、お前嬉しくないの?」
オズさんはさすがに気がついて、そう彼に訊ねた。
「や、嬉しいよ、でも」
「でも?」
「ちょっと、不安になって」
「何でえ、気弱でやんの」
げらげらげら、とケンショーは笑う。
珍しく財布の中身を気にせずにどんどん料理を注文する。
僕はどんどん運ばれてくるそれに少しづつ手をつけながら、それでもこの浮かれた雰囲気に自分にはまっていくのに気付いた。
「……あ、すいません、ファジイネーブルお願いします」
「お前大丈夫なの?」
ケンショーは訊ねる。
そりゃあそうだ。
最初に会った時に、これを呑んだおかげて、彼と出会ってしまったのだから。
「いいよ、ぶっ倒れたら、あんたが連れて帰ってくれるんでしょ?」
「言うねー、めぐみちゃん」
オズさんもげたげたと笑った。
RINGERに入ってから二つ目の冬を越えたある日。いつもの様に、ライヴを終えた…… つもりだった。
少なくとも、僕は。
*
「お疲れー」
機材の片付けをしていた僕達のところへ、その日演奏したライヴハウスのマスターが声を掛けてきた。
「お疲れさまです」
僕はケーブルを巻き戻しながら、顔を上げた。
このライヴハウスに出た時には、メイクを落とす暇がない。
と言うか、スペースが無い。演奏前に、通路の空いてるところを探したり、トイレの鏡に向かって、大急ぎで顔を作る。
しかし男子トイレの鏡に向かって顔を作る、というのは妙な感じだ。後から入ってきた奴は、だいたい首をひねる。ここがライヴハウスだからまだいいが、これが他の場所だったら…… よそう。想像するのは。
「Kちゃん、ケンショーは?」
「あ、あっち」
しゃがみ込み、両手がふさがっていたので、失礼かな、と思いつつ、首を振って奴の居る方向を示した。
「どうしたんですか?」
「ん? いや、奴に会いたいって人がいるからさ」
「ケンショーに?」
「つーか、君らの代表、ってことだけど」
何だろう。僕はくるくると巻き取ったケーブルを束ねながら思う。立ち上がって、奴が呼び止められる様子を僕は眺める。あと頼む、とケンショーはオズさんに言うと、マスターの後について行った。
「オズさんオズさん」
僕は奴の姿が消えてから駆け寄った。
「ねえどうしたの?」
「……んー…… 何だろな」
オズさんにも何のことやら、合点がいかないようだった。
「でも、ケンショー、何か笑ってなかった?」
「めぐみちゃんは目がいいなあ。そう言われればそうだった様な気もするし」
「あ、それ俺も見たよ。確かに奴、何か嬉しそうだったぜ」
ナカヤマさんまでがそんなことを言う。一体何があったというのだろう。
だけどその疑問には、すぐに答えが出た。
予想に反して、奴は実に仏頂面で戻ってきた。
どうしたのかな、とちょっと心配になってその様子を眺めていると、奴はいきなりにやりと笑った。
「どどどどどうしたの」
面食らった僕は、久しぶりに驚いてみせた。
ふっふっふ、と奴はそのまま顔に笑みを浮かべる。
何となく、不気味だ。
そしてそのまま、僕の首を抱え込んで、人目もはばからずに頬にキスした。
「ななななななんなんだよっ!! いきなり!」
僕はばたばた、と奴の腕の中で暴れる。
ケンショーのこういう行動には慣れているオズさんも、こんな、ステージでもプライベートでもない場所で人目もはばからない行動に、目をむく。
「おいオズ、ナカヤマ、今日、呑みに行こうぜ」
「呑みに?」
珍しいことだ。僕は腕の中からようやく逃れて、息をつく。
「うん。呑み」
「俺ら大して飲めないぜ?」
「じゃメシ。何でもいい。とにかく行こうや」
明らかに、上機嫌だった。こんな上機嫌な奴、見たことが、ない。
*
「メジャーぁぁぁぁあ?」
声を上げたのはオズさんだった。
結局、いつも「表で」打ち上げをするところに僕等は落ち着いていた。
いや定食屋ではない。
もうこの時間じゃ閉まっている。
だから、単品が安い、チェーン店の飲み屋だ。
ケンショーが普段、バイトに出てるような、そういうところだ。
僕はお腹が空いていたので、とにかく腹にたまるものを頼んで、呑みもせず、ただ食っていた。
そこでいきなり、奴が切り出した。
「さっきの客、PHONOの人だぜ」
ぶ、と僕は口にしていたウーロン茶を吹き出しそうになった。
「PHONOって、ケンショー、冗談と違う?」
「馬鹿やろ、俺はコンノじゃねーんだ。冗談は上手くねえ」
「確かにそうだな」
うるせえ、と自分で振っておきながら、突っ込むオズさんにケンショーは切り返した。
「で、そのPHONOの人が、どうしたんだよ」
ナカヤマさんは冷静に訊ねる。そうだ確かにこれは、冷静にならなくてはならないところだ。
「お誘い」
短くケンショーは言った。
「お誘い、って」
「だから、ウチの音が面白いから、メジャーに出てみる気があるなら、事務所を紹介する、ってそういう話」
「って……」
ぱん、とオズさんは手を叩いた。
「やったじゃんかよ!」
ふふーん、とケンショーはその様子を見て、ビールのジョッキを掲げた。
「それでお前、今日呑もうって言ったんだ」
「珍しいと思ったら」
うん確かに。
でも僕としては、少し意外だった。
だって、彼がこんなに喜ぶとは思っていなかった。
そんなに、メジャーに行きたかったなんて。
―――いや、違う。
僕は知ってる。
改めて皆でそれぞれ好きな酒やらジュースやら何やら注文して、乾杯の音頭をとった。
「もちろんそれで安心していいってことじゃないんだぜ?」
ケンショーは言う。
「だけど、とっかかりだ。それが、とにかくあっちからこっちへやってきたんだ。それは確かなんだ」
「ふふん。後は俺達次第って訳ね」
オズさんも嬉しそうだ。
この人も確か、メジャー指向だった。
そう聞いたことがある。そしてナカヤマさんは。
「どうしたの、お前嬉しくないの?」
オズさんはさすがに気がついて、そう彼に訊ねた。
「や、嬉しいよ、でも」
「でも?」
「ちょっと、不安になって」
「何でえ、気弱でやんの」
げらげらげら、とケンショーは笑う。
珍しく財布の中身を気にせずにどんどん料理を注文する。
僕はどんどん運ばれてくるそれに少しづつ手をつけながら、それでもこの浮かれた雰囲気に自分にはまっていくのに気付いた。
「……あ、すいません、ファジイネーブルお願いします」
「お前大丈夫なの?」
ケンショーは訊ねる。
そりゃあそうだ。
最初に会った時に、これを呑んだおかげて、彼と出会ってしまったのだから。
「いいよ、ぶっ倒れたら、あんたが連れて帰ってくれるんでしょ?」
「言うねー、めぐみちゃん」
オズさんもげたげたと笑った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる