ありがとう、さよなら。僕は彼の声ではいられなかった。

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
44 / 56

44 花の中に顔を伏せ、何で僕は泣いてるんだろう。

しおりを挟む
 どんどんどん、と三回扉が音を立てた。
 僕ははっとしてノート代わりのスケッチブックから目を離した。

「おーい、ちょっと開けてくれよ」

 僕は2Bの鉛筆ごとスケッチブックを床にぱん、と置いた。

「ケンショー? 何だよあんた、鍵持ってないの?」
「いやそういう訳じゃないけど」

 何だろな、と思いながら鍵を開け、扉を開けた。
 確かに両手がふさがっていた。僕はその光景に一瞬呆れた。

「……何それ」
「何って、お前、誕生日とか何とか言わなかったっけ」
「言ったっけ?」

 そう言えば、去年、そんなことを言ったような気がする。
 ああそうだ、去年は、誕生日が過ぎてから、それを言ったんだ。
 そういう奴の右手には、ケーキ屋の四角い、やわな箱。
 そして左手には…… 花束。
 これじゃあ確かに、扉を開けられない。

「ってことは、これ、僕に?」
「他に誰が居るっていうんだ?」

 そりゃあまあ、確かにそうだけど。
 この男は、こんな、露骨に、……恥ずかしくないんだろうか。
 いや、きっと恥ずかしくないんだろう。
 それはずっと一緒に居れば判ることだ。
 僕が持つためらいがこの男にはさっぱり無い。

「ありがと、でも、女の子じゃないんだし、僕が花、好きでも何でもなかったらどうするつもりだった訳? 高かっただろうに」
「好きじゃねえ?」
「や、好きだけど……」
「綺麗なものは好きだろ、お前」

 僕は花束を両手で抱え込む。
 奴は空いた片手で扉を閉め、カギをかけた。

「だったら、花は嫌いじゃないだろ」
「単純」
「でも間違ってないだろ?」

 間違ってはいない。
 女の子みたいな趣味と言われようが、こんな、かすみ草いっぱいの中に、赤やピンクのばらやら黄色いぽんぽんした花、青い小さな花が散りばめられている花束は、綺麗だと思う。
 そして綺麗なものは、僕は好きだ。
 ……何で、判ってしまうんだろう。
 僕はぎゅっ、と花束を抱え込む。

「おい、そんなぎゅっと抱きしめたらつぶれるぞ。何処か水…… おいめぐみ、お前、泣いてるの?」
「え?」

 僕は右手で頬に触れる。
 外した指が、濡れていた。

「あれ?」
「あれ、じゃないだろ」

 あれ、だよ。
 何で僕は泣いてるんだろう。
 泣きたくないのに、何か、目が熱い。
 喉が詰まる。
 思わず、花の中に顔を伏せる。

「おい、ばらがあるんだから、花に埋もれるのはよせってば」

 ケンショーはそう言って、ケーキの箱をテーブルに置くと、僕の顔を少し強引に上げさせた。
 ああくちゃくちゃ、と言いながら奴は花粉まみれの僕の顔を指でぬぐう。
 乾いた、温かい感触。

「何で泣いてるのかよく判らんけど…… せっかく買ってきたんだし、開けようぜ?」

 僕は花束を流しへと持って行き、ついでにそこにあったタオルで顔をふいた。
 本当に、どうして僕は泣いてしまったんだろう?
 ついでに、と皿とフォークを取り出しテーブルに置いた。

「僕こっち用意したから、あんたはお茶沸かしてよ」
「俺かい」
「いいじゃない。僕の誕生日なんだろ?」

 仕方ないですねえ、と言いながら、それでも奴は嫌がらずに一度降ろした腰を上げた。
 100円ショップでその時々に適当に好みを買ってるから、この部屋の食器は一つとして同じものがない。
 ふたを開けると、そこには15センチホールの、果物がどっさりと乗ったケーキが現れた。
 わあ、と僕は声を立てる。
 そうそうお目にかかれるものではない。

「ケンショー、あんた甘党だっけ? 自分で選んだの?」
「いんや。美咲の見立て。あいつはさすがに詳しいよ」

 だろうね、と僕はうなづいた。
 ケンショーが自分でこれが美味そうだ、と選んで来る図は想像ができない。
 ちゃんとケーキ、であるだけでも上等だし、そうゆうのに詳しい美咲さんを使うあたり、周到だ。

「……あ、おいし」
「だろ? あまり甘すぎると食えないんだけどさ、俺でもいけるわ」

 うんうん、とうなづきながら、僕は南国の果物の香りと、生クリームのとろける感触と、カスタードクリームのとろりとした懐かしい甘さを同時に味わう。

「そう言えば、こないだ、のよりさんに会ったよ」
「のよりに? お前知ってたっけ」
「あんたが最初に言ったじゃない」

 何気なく、僕はできるだけ何気なく言おうとしていた。
 すると奴は言った。

「言ったかなあ」
「言ったよ。前のヴォーカルが、逃げた、って」
「そう言われれば、言ったような気もするなあ。そうか…… 元気だったか?」
「元気だったよ。何か結婚式のしたく、忙しいらしくって、そんなに時間長く取れなかったんだけど」
「元気なら、いいんだ」
「元気だったよ」

 僕は繰り返す。
 あまりにもあっさりした奴の反応に、少しだけ気が抜ける。

「だけど、昔はつきあってたんでしょ?」
「ああ。でも今はお前が居るし」

 僕はフォークを動かす手を止めた。

「そういうもの?」
「俺は、そういうものだと思うけど」

 迷いの無い言葉。
 きっとそれは嘘ではない。

「……あ、ちょっとそこの、口の端にクリームがついてる」
「あ? どこだ?」

 ぺろ、と僕は身体を動かし、そこに舌を這わせた。

「……ちょっとヒゲが伸びてる」

 うるさいよ、と奴は言って、僕のおでこを軽くはじいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...