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42 ケンショーってのはそういう男
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『あら、雨が降ってきてしまったのね、傘は?』
何処かで聞いたことがあるような声がそう言った。
約束は一時半だった。
ケンショーにはバイトに行くと嘘をついた。
雨が降っていた。
出てくる時は降ってなかったから、傘は持ってない。
改札を出た時に、携帯で、前日に話をつけた人のところへと連絡を取った。
「傘、持ってないんです。あまりこのあたりも知らないし」
『そう、じゃあ……』
向こう側の声は、駅からそのまま続いているアーケード街にある喫茶店を指定した。
僕もよく知ってるセルフサービスの安いコーヒー屋だった。
『わたしはそう遠くないから、二十分くらいそこで待っていて』
僕は初めての街で、きょろきょろと辺りを見渡しながら、その店を探した。
京浜東北で、少し海側に向かった街だ。
結構大きい。
確かこの街にも全国的に有名なライヴハウスはあったはず。
でもまだ僕らでは、そこでできる程の集客力はない。
彼女だったらあったのだろうか。
僕は歩きながら考える。
今から顔を合わせる、彼女。「のより」さん。
その名前は、ケンショーの口からは一度聞いたきりだった。
奴は気付いているのかいないのか、最初に会った頃にさらりと口にして以来、一度もその名前を口にしていない。
ああここだ、と僕は店に入る。
カフェオレを買うと、空いている席に適当に座った。
何となく手持ちぶさただったので、ポケットに入れてきたケンショーのヘッドフォンステレオであのテープを聞いていた。
無断借用だが、別にいいだろう。
奴はこんなもの持ってるけど、滅多に使いはしない。
この声。
どこかで聞いたことがある、と最初に聞いた頃から何となく思っていた。
けれど、何がどう、とその時は言えなかった。
気付いたのは、実際に僕の声で、テープを録った時だった。
似てる、と僕は思った。
無論、男と女だから、声質は多少違う。
当然だ。
同じ声質になる訳が無い。
だけど何か似ている、と僕は思った。
特に、同じ曲を試しに録った時には血が引く思いだったのだ。
声の出し方、引っ張り方、感情の込め方、そんなものが、何処となく、僕と彼女は似通っていた。
彼女の歌い方をまねた訳じゃない。
だいたいケンショーがくれたテープに入っていたのは、二曲かそこらだ。
僕は前のRINGERのステージなんて見たことはない。
だから、彼女に似せようったって、そんなことできないし、したくない。
なのに。
10分テープが何回かリバースした時だった。
扉が開いて、一人の小柄な女性が入ってきた。
違うかな、と僕は思った。
地味な格好の女性だった。
服も、そして動きも。
何かぎこちない。
だがきょろきょろとその女性はフロアの真ん中までやってきて、辺りを見回している。
僕は両耳のフォーンを取る。彼女の方を見る。視線が合う。
このひとだ。
「……あとりめぐみ、さん?」
彼女は僕に向かって声を投げた。
あ。
僕は目を大きく開く。
「よかった。……ちょっと、何か買ってきます。カバン置かせてね」
何だろう。
僕の中に、奇妙に嫌悪感に近いものが広がった。
少し経って、彼女はミルクの泡をいっぱいに立てた紅茶を片手に持って戻ってきた。
「こういう店の紅茶って、ティーバッグなんだけど、三角袋なんですよ。茶の色と味を出やすくするために」
「へえ……」
それは初耳だった。
僕は紅茶とは縁が薄い。今目の前にあるのも、泡の立ったミルクは同じだが、もう冷めているそれはカフェオレだ。
コーヒーなのだ。
「それで、用件って、何ですか? あとりさん」
ぼうっとしている様でいて、彼女はさくっと本論を口に出した。
耳に残る声だ。
「……まず、ケンショーがあなたがたの結婚式には行けないよ、ということを……」
僕は語尾を曖昧に伝える。
「ああ、そうですよね。そうだと思っていた」
すると彼女は思いのほか、あっけらかんと答えた。
「いいんですか?」
「だって、はじめから、彼が来るとは思っていないですから、あたし達」
「……達、ですか」
「ええ。あたしも箱崎も、彼が来るとは、全く思ってないんですよ。おかしいかしら? あとりさん」
……それは、おかしいと思う。
「じゃあ、何で招待状なんて」
「どちらかというと、報告」
あち、と彼女は目を細めた。
泡立てたミルクと、中の紅茶の温度の違いが、舌にやけどを起こさせたのだろう。
「報告」
「あたし達は、幸せにやっているから、っていう」
「でも、ケンショーは、あなたがたのことは一度も僕の前で口にしたことはないけど」
「そりゃあそうでしょう」
唇を軽く指で押さえながら、彼女は何でもないことの様に言う。
「彼はきっと忘れているもの」
驚いたのは、僕の方だった。え? と思わず問い返していた。
「忘れて?」
「そう。ケンショーってのはそういう男」
落ち着いた、表情。
大人しそうな、穏やかな声が、言うにはそぐわない言葉。
「昔からそうだったし、きっと今もそうなんでしょうし、たぶんこれからも、彼はそういう男なんですよ。判りません?」
僕は黙った。
「ね、あとりさん、あなた今のヴォーカルなんでしょう?」
「え? ええ」
そのことは、オズさんに掛けさせた電話で言ってある。
僕はあの時、あの招待状から書き取った電話番号を携帯に記憶させておいたのだ。
「だったら、気付いているのではないですか? 彼はそういう男なんだ、って」
「のよりさん?」
「気付いているのでしょう?」
くす、と彼女は笑った。その表情を見た途端、僕は再びさっきの怒りに似た感情が胸の奥に沸き立つのを感じた。
「僕は、のよりさんに会ったら、聞いてみたいことがあったんです」
「ええ、どうぞ?」
「どうして、RINGERを――― 奴を捨てたんですか?」
「彼、そう言った?」
彼女は首をかしげる。
何処かで聞いたことがあるような声がそう言った。
約束は一時半だった。
ケンショーにはバイトに行くと嘘をついた。
雨が降っていた。
出てくる時は降ってなかったから、傘は持ってない。
改札を出た時に、携帯で、前日に話をつけた人のところへと連絡を取った。
「傘、持ってないんです。あまりこのあたりも知らないし」
『そう、じゃあ……』
向こう側の声は、駅からそのまま続いているアーケード街にある喫茶店を指定した。
僕もよく知ってるセルフサービスの安いコーヒー屋だった。
『わたしはそう遠くないから、二十分くらいそこで待っていて』
僕は初めての街で、きょろきょろと辺りを見渡しながら、その店を探した。
京浜東北で、少し海側に向かった街だ。
結構大きい。
確かこの街にも全国的に有名なライヴハウスはあったはず。
でもまだ僕らでは、そこでできる程の集客力はない。
彼女だったらあったのだろうか。
僕は歩きながら考える。
今から顔を合わせる、彼女。「のより」さん。
その名前は、ケンショーの口からは一度聞いたきりだった。
奴は気付いているのかいないのか、最初に会った頃にさらりと口にして以来、一度もその名前を口にしていない。
ああここだ、と僕は店に入る。
カフェオレを買うと、空いている席に適当に座った。
何となく手持ちぶさただったので、ポケットに入れてきたケンショーのヘッドフォンステレオであのテープを聞いていた。
無断借用だが、別にいいだろう。
奴はこんなもの持ってるけど、滅多に使いはしない。
この声。
どこかで聞いたことがある、と最初に聞いた頃から何となく思っていた。
けれど、何がどう、とその時は言えなかった。
気付いたのは、実際に僕の声で、テープを録った時だった。
似てる、と僕は思った。
無論、男と女だから、声質は多少違う。
当然だ。
同じ声質になる訳が無い。
だけど何か似ている、と僕は思った。
特に、同じ曲を試しに録った時には血が引く思いだったのだ。
声の出し方、引っ張り方、感情の込め方、そんなものが、何処となく、僕と彼女は似通っていた。
彼女の歌い方をまねた訳じゃない。
だいたいケンショーがくれたテープに入っていたのは、二曲かそこらだ。
僕は前のRINGERのステージなんて見たことはない。
だから、彼女に似せようったって、そんなことできないし、したくない。
なのに。
10分テープが何回かリバースした時だった。
扉が開いて、一人の小柄な女性が入ってきた。
違うかな、と僕は思った。
地味な格好の女性だった。
服も、そして動きも。
何かぎこちない。
だがきょろきょろとその女性はフロアの真ん中までやってきて、辺りを見回している。
僕は両耳のフォーンを取る。彼女の方を見る。視線が合う。
このひとだ。
「……あとりめぐみ、さん?」
彼女は僕に向かって声を投げた。
あ。
僕は目を大きく開く。
「よかった。……ちょっと、何か買ってきます。カバン置かせてね」
何だろう。
僕の中に、奇妙に嫌悪感に近いものが広がった。
少し経って、彼女はミルクの泡をいっぱいに立てた紅茶を片手に持って戻ってきた。
「こういう店の紅茶って、ティーバッグなんだけど、三角袋なんですよ。茶の色と味を出やすくするために」
「へえ……」
それは初耳だった。
僕は紅茶とは縁が薄い。今目の前にあるのも、泡の立ったミルクは同じだが、もう冷めているそれはカフェオレだ。
コーヒーなのだ。
「それで、用件って、何ですか? あとりさん」
ぼうっとしている様でいて、彼女はさくっと本論を口に出した。
耳に残る声だ。
「……まず、ケンショーがあなたがたの結婚式には行けないよ、ということを……」
僕は語尾を曖昧に伝える。
「ああ、そうですよね。そうだと思っていた」
すると彼女は思いのほか、あっけらかんと答えた。
「いいんですか?」
「だって、はじめから、彼が来るとは思っていないですから、あたし達」
「……達、ですか」
「ええ。あたしも箱崎も、彼が来るとは、全く思ってないんですよ。おかしいかしら? あとりさん」
……それは、おかしいと思う。
「じゃあ、何で招待状なんて」
「どちらかというと、報告」
あち、と彼女は目を細めた。
泡立てたミルクと、中の紅茶の温度の違いが、舌にやけどを起こさせたのだろう。
「報告」
「あたし達は、幸せにやっているから、っていう」
「でも、ケンショーは、あなたがたのことは一度も僕の前で口にしたことはないけど」
「そりゃあそうでしょう」
唇を軽く指で押さえながら、彼女は何でもないことの様に言う。
「彼はきっと忘れているもの」
驚いたのは、僕の方だった。え? と思わず問い返していた。
「忘れて?」
「そう。ケンショーってのはそういう男」
落ち着いた、表情。
大人しそうな、穏やかな声が、言うにはそぐわない言葉。
「昔からそうだったし、きっと今もそうなんでしょうし、たぶんこれからも、彼はそういう男なんですよ。判りません?」
僕は黙った。
「ね、あとりさん、あなた今のヴォーカルなんでしょう?」
「え? ええ」
そのことは、オズさんに掛けさせた電話で言ってある。
僕はあの時、あの招待状から書き取った電話番号を携帯に記憶させておいたのだ。
「だったら、気付いているのではないですか? 彼はそういう男なんだ、って」
「のよりさん?」
「気付いているのでしょう?」
くす、と彼女は笑った。その表情を見た途端、僕は再びさっきの怒りに似た感情が胸の奥に沸き立つのを感じた。
「僕は、のよりさんに会ったら、聞いてみたいことがあったんです」
「ええ、どうぞ?」
「どうして、RINGERを――― 奴を捨てたんですか?」
「彼、そう言った?」
彼女は首をかしげる。
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