ありがとう、さよなら。僕は彼の声ではいられなかった。

江戸川ばた散歩

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 何でこんなに自信が無いのは判らない。何とかしたいとは思う。
 ただ、足がすくむのだ。
 何か、確かなものが欲しかった。
 それがその時の、僕の正直な気持ちだった。

 だから、その時その服を買ってしまったのかもしれない。

 買ってきて夕方、さっそく僕の相変わらず何も無い部屋で衣装合わせをしてみた。
 予算の問題もあったから、そう高いものは買えない。
 印象の強いデザインのものは、あの店で買った。
 周りのも少し普通な店で、似たデザインのものを安く探し回った。
 探せばそれなりに結構あるものだ。
 でも、さすがに網あみの袖無しのシャツとか、靴下を試着した時には、自分でも参った。
 その上に艶のあるエナメルの、やっぱり袖無しのベストや、短パンをはいたとは言え、風呂場の鏡に遠く映る自分が、いったい誰なんだ、という気になったのは間違いない。
 落ち着かないままに、じっと僕は鏡の中の自分をのぞき込んだ。
 その表情に何となくアクセントが足りない様な気がして、この間美咲さんがくれた茶色の紙袋を開けてみた。
 中には化粧品が入っている。
 彼女がOLとして自分にはまるものを「研究」したおりの残りだ、と言っていたが、僕はその中で、一番濃い茶色の口紅を取り出すと、くっ、と自分の唇に乗せた。
 それを薬指で撫でる。下唇が急に厚くなったような気がした。

「どお?」

 僕は不意に彼の方を振り向いた。

「似合う?」

 その時僕は、自分がどんな顔をしていたのか、判らない。
 ただ判っていたのは、それがスイッチだった、ということだけだった。
 それは、僕が入れたのだ。他の誰でもない。
 正直言って、ためらいはあった。ありすぎるほどあった。
 一応僕は高校時代、いいなあと思っていた女の子は居たし、先輩の女生徒から、キスされたこともあった。
 だけど男は無い。考えたことも無い。
 周りの連中だってそうだった。
 口をついて出るのは女の子の話だし、したいと思う話はしても、されたいという話は聞いたことがない。
 いや、口に出さないだけかもしれない。
 だけど、口に出さない、ということが、僕等の間では、何となく決まっていたような気がする。
 わざとじゃあないにしても。
 僕は、と言えば。
 最初にケンショーに抱きつかれた時に、びっくりはした。
 変だとは思った。
 だけど嫌だとは思っていなかった。
 本当に嫌だったら、何か、身体は反応するはずだ。
 鳥肌が立つとか、逃げようとするとか。
 だけど奴に関しては、不思議なほど、それが無かった。
 それが何故なのか、僕には判らなかった。
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