ありがとう、さよなら。僕は彼の声ではいられなかった。

江戸川ばた散歩

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19 歌ってみないかと誘われた

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 と、唐突にケンショーが音を止めた。
 合図する様にオズさんを見たら、彼もまた音を止める。

「こんな感じでさ、新しいの、どう?」
「珍しいけど。でもいいんじゃないか? 明るいし。春っぽいよな」
「や、どっちかと言うと、初夏っぽいのにしたいんだけどさ」
「初夏ね?」

 オズさんはそう言うと、もう少し跳ね上がる様なリズムを叩き出した。

「サンバはねーだろ、サンバは」

 ケンショーはそう言って笑う。サンバなのか。

「初夏っつーよりはそれは夏だぜ?」
「一足早い夏。それがいいんじゃないかよ」
「ふうん? ま、そーいやお前の好きなフュージョンバンドもそういうのやってたよなあ」
「ウチもインストありならさ、俺もやりたいけどさ」

 あっさりとそんなことを言う。
 どうやらこのオズさんは、ロックばかりではなく、結構色んな分野に手を伸ばしているらしい。

「夏だったらさ、こうゆうもありだけどさ」

 きゅいん、とケンショーはゆっくりとしたメロディを弾きだした。
 ふうん。わりと澄んだ音をわざと立ててるみたいだ。

「あとりめぐみは、春と夏はどっちが好き?」
「え、? あ、僕?」

 不意に話を振られて、僕は戸惑う。
 にやにやとケンショーはそんな僕を見て笑った。

「……夏のほうが好き」
「へえ。ぼよよんとした感じだから、春のほうが好きだと思ってたけど」
「うるさいなあ。僕の勝手だろ」
「まあ怒りなさんな、めぐみちゃん」

 ちゃん? 
 オズさんはあっさりとそう僕を呼んだ。
 ただ不思議とこの人の言い方には嫌みがない。
 だから僕もその時には、すぐに反発する様な言い方をすることはなかった。

「でも、夏か。それもいいよな。真夏の夜の夢、とか」

 そう言ってケンショーは、何処かで聞いたようなメロディを軽く鳴らした。
 何ってことない、僕も知ってる女性ポップスの大御所の歌だった。

「そういえば、めぐみちゃんは歌わないの?」
「僕は」
「俺は聞いたのよ? いい声なんだから」
「そりゃ判るさあ。少なくとも、お前の好きな声だ、ってことは俺だって判るよ。だけど、実際聞かないと、俺には判らないだろ?」
「僕はまだ」
「だからそれとこれとは話が別で、俺としては、ケンショーが今度気に入った声ってのが、聞いてみたいなあ、という単純な好奇心というのがあるんだけど」

 そんなものかなあ、と僕は頬杖をつきながら思い、そんなものなのだろうなあ、と思い返した。
 ケンショーという奴が、とにかく声に惚れてヴォーカルを探すタイプ、ということをオズさんは知ってるのだろう。
 たぶん。

「あの曲、歌えね?」

 ケンショーは楽しそうに、実に楽しそうに僕に訊ねる。
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