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6 奇遇な先輩
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帰りがけに、玄関前の掲示板を見て行こうとしたら、何処かで見た顔があった。
そしてそのひとも、僕に気付くと立ち止まり、少しだけ考え込むような顔になった。
チェックのシャツの袖をまくりあげ、長い髪を後ろでゆるく編み込みにしている――たぶん先輩。
彼女は眉間に指を当て、真剣に記憶をたどっている。
呼び止められた訳でもないのに、何となく僕は足を動かすことができない。
「ねえ、もしかして君、こないだ、手続きに来た時に、あたしが絵の具こぼした子じゃない?」
ばしゃ、と赤い絵の具が入ったプラスチックの椀が記憶の中でひっくり返る。
「あ、そーだ!」
知った顔が、記憶と結びついた。
「あの時はごめんね。あれからちゃんと染み、取れた?」
そう言いながら、彼女はかたかたとサンダルの音をさせて僕の前まで歩み寄る。
思わず僕は勢いに後ずさりする。
「まあ、何とか……」
「それならよかった。何せあの時、君、生成にアラン模様のセーターだったじゃない。ほら、ウチの連中にありがちな派手ーっな服着てりゃともかく、何処の地味な子が、と…… おっとごめん」
彼女は失言、とばかりに口を手でふさぐ。
そしてへへへ、と目を細めた。
もともと決して大きくはなさげな目が、眠り猫の様に細くなる。
「でもさすがにトマトジュースをこぼした、って言い訳は通らなかったけれど」
「何、君、おかーさんにそんな言い訳したの?」
あれは入学手続きに来た時だった。
三月に入ったばかり、まだ寒い日が続いていた。
僕は気に入りの、生成地に所々ダークブラウンやブラウンの色でざっくりと模様の入ったセーターを着込み、その上にダッフルコートを着て手続きに来ていた。
しかし中は暖房がちゃんと効いているビルだから、コートは手に持って。
彼女はその時、立て看板を書いていた。
白地のでかいボードに、赤と黒と青の字。
何だろな、という好奇心が僕をその近くまで寄らせ……
彼女がよっこらしょ、と立ち上がった時、ちょうど彼女の肘が、僕の腕を直撃した。
そしてその時、彼女が持っていた赤い絵の具入りの椀は見事に僕のセーターを直撃した。
驚いたのは、それを見たこの学校の生徒がいきなり「刺されたのかっ!」と叫んだことだった。
何ですぐにそういう発想になるんだ、と僕が驚くより先に呆れたことは言うまでもない。
いや問題はそっちじゃなかったっけ。
「やー、それでもちゃんとこの学校入ってくれたのね」
そう言いながら彼女は両手でぽんぽん、と僕の肩を叩く。
そう言えばこのひと、結構大きい。
僕は小柄と言われるけれど、それでももうちょっとで170センチ近いというのに、それより何か少し大きそうだ。
ってことは170センチ越えてる?
「入らないと思ってたんですか?」
「や、あんなことあったし」
そういう問題ではないと思う。
「でもね、もしも入ってくれたんなら、一度ちゃんとおわびをしたいと思ってたんだよ」
「おわび? だってあの時も、先輩、ちゃんと何度も謝ってくれたじゃない。すぐに水飲み場まで連れてってくれて」
「あはは、それでセーターはぎ取ったのは確かにあたしだ。ドライヤーで乾かしたのもね。でも染み取れなかったし。いやあ、でね、後で言われたんだよ。またノゾエの美少年趣味が始まった、とかとうとう欲求不満でいたいけな青少年を路上でむいてしまったのか、とか」
「び、びしょうねん?」
それにいたいけな青少年ってのは何なんだいったい。
「君可愛いし」
「可愛くないですよっ」
「可愛いってば」
「そんなこと言うなら、僕帰ります、さよなら」
あいにく可愛いと言われるのは好きではない。
言われて良かったことがあった試しがない。
「あああああちょっと待って待って」
先輩は…… ノゾエ先輩というのだろうか。
くるりと背中を向けて立ち去ろうとする僕の腕をすかさず掴むと、ずいぶんと強い力で引きとめた。
「まあまあまあまあまあまあ。そうさっさと逃げずに。だからお詫びに、ちゃんとまた出会うことができたら、ごはんの一食、お茶の一杯くらいはおごろうと思っていたのよ」
ね? と念を押す様に言う彼女に、僕が逆らえる訳がなかった。
そしてそのひとも、僕に気付くと立ち止まり、少しだけ考え込むような顔になった。
チェックのシャツの袖をまくりあげ、長い髪を後ろでゆるく編み込みにしている――たぶん先輩。
彼女は眉間に指を当て、真剣に記憶をたどっている。
呼び止められた訳でもないのに、何となく僕は足を動かすことができない。
「ねえ、もしかして君、こないだ、手続きに来た時に、あたしが絵の具こぼした子じゃない?」
ばしゃ、と赤い絵の具が入ったプラスチックの椀が記憶の中でひっくり返る。
「あ、そーだ!」
知った顔が、記憶と結びついた。
「あの時はごめんね。あれからちゃんと染み、取れた?」
そう言いながら、彼女はかたかたとサンダルの音をさせて僕の前まで歩み寄る。
思わず僕は勢いに後ずさりする。
「まあ、何とか……」
「それならよかった。何せあの時、君、生成にアラン模様のセーターだったじゃない。ほら、ウチの連中にありがちな派手ーっな服着てりゃともかく、何処の地味な子が、と…… おっとごめん」
彼女は失言、とばかりに口を手でふさぐ。
そしてへへへ、と目を細めた。
もともと決して大きくはなさげな目が、眠り猫の様に細くなる。
「でもさすがにトマトジュースをこぼした、って言い訳は通らなかったけれど」
「何、君、おかーさんにそんな言い訳したの?」
あれは入学手続きに来た時だった。
三月に入ったばかり、まだ寒い日が続いていた。
僕は気に入りの、生成地に所々ダークブラウンやブラウンの色でざっくりと模様の入ったセーターを着込み、その上にダッフルコートを着て手続きに来ていた。
しかし中は暖房がちゃんと効いているビルだから、コートは手に持って。
彼女はその時、立て看板を書いていた。
白地のでかいボードに、赤と黒と青の字。
何だろな、という好奇心が僕をその近くまで寄らせ……
彼女がよっこらしょ、と立ち上がった時、ちょうど彼女の肘が、僕の腕を直撃した。
そしてその時、彼女が持っていた赤い絵の具入りの椀は見事に僕のセーターを直撃した。
驚いたのは、それを見たこの学校の生徒がいきなり「刺されたのかっ!」と叫んだことだった。
何ですぐにそういう発想になるんだ、と僕が驚くより先に呆れたことは言うまでもない。
いや問題はそっちじゃなかったっけ。
「やー、それでもちゃんとこの学校入ってくれたのね」
そう言いながら彼女は両手でぽんぽん、と僕の肩を叩く。
そう言えばこのひと、結構大きい。
僕は小柄と言われるけれど、それでももうちょっとで170センチ近いというのに、それより何か少し大きそうだ。
ってことは170センチ越えてる?
「入らないと思ってたんですか?」
「や、あんなことあったし」
そういう問題ではないと思う。
「でもね、もしも入ってくれたんなら、一度ちゃんとおわびをしたいと思ってたんだよ」
「おわび? だってあの時も、先輩、ちゃんと何度も謝ってくれたじゃない。すぐに水飲み場まで連れてってくれて」
「あはは、それでセーターはぎ取ったのは確かにあたしだ。ドライヤーで乾かしたのもね。でも染み取れなかったし。いやあ、でね、後で言われたんだよ。またノゾエの美少年趣味が始まった、とかとうとう欲求不満でいたいけな青少年を路上でむいてしまったのか、とか」
「び、びしょうねん?」
それにいたいけな青少年ってのは何なんだいったい。
「君可愛いし」
「可愛くないですよっ」
「可愛いってば」
「そんなこと言うなら、僕帰ります、さよなら」
あいにく可愛いと言われるのは好きではない。
言われて良かったことがあった試しがない。
「あああああちょっと待って待って」
先輩は…… ノゾエ先輩というのだろうか。
くるりと背中を向けて立ち去ろうとする僕の腕をすかさず掴むと、ずいぶんと強い力で引きとめた。
「まあまあまあまあまあまあ。そうさっさと逃げずに。だからお詫びに、ちゃんとまた出会うことができたら、ごはんの一食、お茶の一杯くらいはおごろうと思っていたのよ」
ね? と念を押す様に言う彼女に、僕が逆らえる訳がなかった。
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